ニコラ・ショーヴァン

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ニコラ・ショーヴァンNicolas Chauvin、英語風に読めばニコラス・ショーヴィン)は、伝説的なフランス軍人・愛国者であり、フランス共和国第一陸軍、ついでナポレオンの大陸軍(La Grande Armée)に仕官したとされるが、おそらく歴史上実在しない人物である。この名前は、極端な国家主義的熱狂を意味する用語「ショーヴィニズム(ショーヴィニスム、ショービニスム)」の由来となった。

ショーヴァン伝説

伝承によれば、ショーヴァンは1780年ごろ、フランス西部のロシュフォールに生まれた。18歳のときに兵士となり、忠勤した。国家への奉仕にあたって17回負傷し、その結果、容貌はひどく損なわれ、不具になったという。その忠誠と献身に対して、ナポレオン自ら、栄誉サーベルと200フランの年金を与えた。ショーヴァンは、貧しく、無力で、批判を浴びたにもかかわらず、熱狂的な忠誠を保ち続け、自らの優れた軍歴ならびにナポレオンへの傾倒・熱狂について熱心に主張し続けた。襟の折り返しには退位させられた皇帝の象徴であるスミレを着けていたという。しかし、王政復古したフランスではそれはあざけりや嘲笑の対象にしかならなかった。そのころのフランスでは、ボナパルティスム(ナポレオン主義)は人気がなくなりつつあったのである。

文学への登場

ショーヴァンは、オリジナルのヴォードヴィルショーのために書かれたいくつかの演劇に登場したが、それは嘲笑の対象であった。

ウジェーヌ・スクリーブ(Eugène Scribe)の「農民兵(Le soldat laboureur)」(1821)や、Cogniard兄弟(Théodore and Hippolyte Cogniard)の「三色旗帽章(La cocarde tricolore)」(1831)にもショーヴァンは登場する。このcogniard兄弟によるヴォードヴィル喜劇によって、ショーヴァンの名前は人口に膾炙するようになった。[1]

ショーヴァンの人物造形が文学で発達するにつれて、他の分野でも有名になっていった。たとえば一例として、あるステージ演劇オペラ台本では[2]、1776年7月4日(アメリカでは極愛国的人物にふさわしい愛国的日付)に生まれ、恐怖政治の時期に徴集兵として革命軍に入った、とされた。

ジャック・アラゴ(Jacques Arago)『会話の辞書(Dictionnaire de la conversation)』(1845)ではこのように記されている。「ロシュフォールのニコラ・ショーヴァン。18歳のときに兵士となり、あらゆる作戦に参加した。17回負傷し、3回の切断手術を受けた傷痍軍人で、顔もひどく切り刻まれていた。栄誉サーベル、赤綬、200フランの年金の老近衛兵である。田舎の日だまりの中に眠り、その墓は木陰に覆われている」

多くの作家や歴史家が誤って、他のボナパルティストの事跡をショーヴァンのものとしている。ワーテルローの戦いでは親衛隊(Old Guard)をつとめたとされるが、その年齢と障害の重さを考えると、ありえる話ではない。親衛隊が包囲され、ラ・ベル・アリアンスで最後の陣を構築したとき、名誉ある降伏を呼びかけられたのに対して、ショーヴァンは反抗的に叫んだ。「親衛隊は死すとも降伏せず!(La Garde meurt mais ne se rend pas)」と。これは、自国(あるいは言及された集団)に対して疑問の余地なく盲目的に熱狂的傾倒していることを示している。この典拠のあやしい言葉は、実際には親衛隊司令官ピエール・カンブロンヌによるものとされるが、カンブロンヌが実際に発した回答は「Merde!(くそったれ!)」であったという。[3]

この起源と初期の用法は、「chauvinisme」という言葉が過剰な愛国心を記述するために作り出されたことを示しており、もともとのフランス語ではそのように使われ続けている。

史実性

歴史研究では、実在のニコラ・ショーヴァンについてはいかなる伝記的詳細も特定できず、完全に架空の人物であった可能性が主張されることとなった。研究者Gerard Puymègeは以下のように結論づける。「ショーヴィニスト、ショーヴィニズムという言葉は世界中に広まっている。……Thomas Puymègeは、政治的熱狂と国家主義的心性の歴史に関心を持ち、ニコラ・ショーヴァンの研究においてまとめていった。……その調査の結果は絶対的なものであった。ニコラ・ショーヴァンは実在しなかった。これは伝説であり、王政復古と七月王政のもとで、作曲者、ヴォードヴィル、歴史家の筆によって生み出されたのだ」 また、ショーヴァンの人間像は、ギリシア神話の古代からの神話的農民兵士の長い伝統を受け継ぐものであると論じている。[4]

参照

  1. Oxford English Dictionary
  2. John DeethardtのOlympias and Chauvin
  3. Paul F. Boller, Jr. and John George, "They Never Said It: A Book of Fake Quotes, Misquotes, and Misleading Attributions", 1989, Oxford University Press, New York
  4. Gérard de Puymège, Pierre Nora ed. "Realms of Memory" 1997, Columbia University Press p.337
  • Gérard de PUYMEGE, Chauvin, le soldat-laboureur. Contribution à l'étude des nationalismes, Paris, Bibliothèque des Histoires, NRF Gallimard, 1993.
  • Notice "Chauvin", Dictionnaire Napoléon, Fayard, 1999.

※このページは、英語版Nicolas Chauvin - Wikipedia, the free encyclopedia 2009年8月14日版ならびにフランス語版Nicolas Chauvin - Wikipédia 2009年7月20日版をもとに翻訳・再編・編集したものを初版として独自の編集を加えたものである。