「愛国」問題を出すとこのように誤読される

※この記事は草稿としてボツにしました。Gypsy Blood「愛すべき場所は二つ」/松永的愛国心論まとめ編にて改稿しています。

 やはり恐れていたとおりになった。前の記事「偽りの「愛国」、隣国への嫌悪」で愛国心の表し方についての疑義を示した。そして、内容も読まずに私が「反日」であるとか、「朝日的」とか言い出す人が絶対出てくることが予測されたのだが、案の定そのとおりだった。だから、いやだったのである。

 しかし、私が「中国の反日教育」に対しても批判しているのが読み取れないほど難解な文章だったのだろうか、と、自らも反省中。

 そこで、コメントの中にいくつか有意義な話題もあったので、改めて記事としてまとめてみたいと思う。

 なお、途中までしか読まずにコメントを付けるのは勝手だが、当方もそういうコメントには対応しないのでご了承を(そういうコメントには見当外れなことしか書いてないし)。

2004年7月26日17:20| 記事内容分類:政治学| by 松永英明
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 前回、こう書いた。

 ここで断っておくが、私は「愛国と称して隣国を嫌悪し、憎悪し、反感を持つ人たち」すべてを「かわいそうな人たち」だと思っている。たとえ何国人であろうとも。韓国や北朝鮮の国籍を持つというだけでバカにする日本人も、とにかく日本のことは大嫌いという韓国人も、サッカーの試合で日本の国旗を焼こうとする重慶の中国人も、みんな同じ穴のムジナだと思っている。

 この部分を読めば、私が「日本の国旗を焼こうとした重慶の中国人」も、「嫌日韓国人」も、そして「愛国と称して隣国の悪口しか言えない日本人」も同列にかわいそうと思っていることは理解されるはずである、普通の冷静な意識の持ち主であれば。どう考えても「中国は正しい、日本人が悪い」と主張しているようには読めないはずだと思うのだ。国籍は関係ない、つまり、中国人にも韓国人にも日本人にもイヤーな連中はいる、と明言しているではないか。

 それなのになぜ「諸外国とトラブルが起こるとほとんどの場合「双方に問題がある」と前起きをしつつ日本ばかりを責める人に似てるかな」というコメントが付かなければならないのか、まったくもって理解できないのである。

 ……いや、理解できないわけではない。日本人を批判対象に含めたから、強烈な反感を買っているのだということはわかる。「日本人は悪くない。だって中国が反日を煽ってるのだから、嫌い返さなければならない」と言わなければ「愛国」ではない「朝日的」な人ということにされてしまうのが、今の日本の現状なのだ。


 私が昨日書いたことは、「反日を煽る」ことを政策としている中国政府担当者にとってもすごく嫌な記事だろうと思う。韓国世論に対しても強烈な批判となっているはずだ。しかし、もしあなたが偏狭な自称愛国者でないのなら、別に日本人であろうと中国人であろうと韓国人であろうとアメリカ人であろうと怒る必要はないし、腹も立たないはずだ。

 前の記事へのコメントで「愛国者は日本のことはなんでも誉めなければならない」というような主張は大げさだ、と書かれていたが、何のことはない、ちょっと日本人に対する批判が(中韓の同様な人たちに対してと同レベルで)含まれるだけで、激しい反発が起こっている。

中国だって内部の不満をそらすために日本を批判ばかりしてるジャン

という投稿者名の投稿もあった。私が「日本を批判し、中国をかばった」という事実がどこにあるのか。そういうふうに「内部の不満をそらすために隣国を批判」することは間違っている、と私は明記しているではないか。

 別の記事には、私を「馬鹿反日左翼」呼ばわりする記事もついた。あまりにも型どおりの反応が出てくることに、うんざりしてしまう。

中国と言えども、おかしい時は「あんたらおかしい」と、ちゃんと言える関係こそ正常。

とあったが、重慶の反日行動をとった人たちに対しては、私もおかしいと言ってるわけでね。なんで中国をかばってるという解釈になるのか、理解できません。


 どうやら、「愛国」を強調する人たちは、「国」単位でものごとを語るのが常態となっているようだ。中国の一部の「愛国と隣国憎悪を混同したかわいそうな人たち」が、日本人サッカー選手やサポーターの身に危険を及ぼしかねない状況になった、ということに対して、それはおかしい、と発言すること自体は、私も否定していない。私の友人が「悲しんでいた」という表現で、それは理解されるはずだ。そんなことが望ましいなんて思いもしない。そして、そういうことを煽る人たちに対しては、おかしなことだと思う。

 だが、それを「中国」全般に広げる必要はない。たとえそれがパーセンテージ的に大きかろうと。

 そういう個々の人たちに対して「あなたの反日感情には根拠がないし、反日行動を取られることは非常に悲しく思う」と表明することは、ぜひやるべきだ。もし中国政府が方針としてそういうことをしているというのなら、中国の「政府の方針」に対して批判していいと思う。しかし、「だから中国人はダメなんだよ」とか「中国はたたきつぶせ」という反応になるのなら、それはおかしい、ということだ。

 こういう事件が起こると、近所の中国国籍の人に「お前ら中国人は……」と文句を言う奴がいるんだよね。呆れてしまう。それって、実は、未だに中国・韓国・朝鮮の人たちが「お前ら日本人は侵略したことの謝罪もしない。賠償もしない」と言ってくるのとまったく同じ、裏返しの行為にほかならない。

 とりあえず、「国」や「民族」という単位を一旦外して考えられないのかなあ。それとも、私が「国籍は別として」「同じような考え方・行動をする人」という基準でものごとを言っているのが、そんなに受け入れられない考え方なんだろうか。


 実はインフォーマルとしてやっているウェブ日記の方で、ある人が「俺は馬鹿韓国人は嫌いだ」と書いてきた。よくよく話をしてみると、馬鹿なのが嫌いなのであって、韓国人だろうと何国人だろうと関係ないという。だったら別に国籍をそこで言う必要はないじゃないの?と思ったのだが、要はそういうことだ。

サポが取り囲まれたり、普通に応援する事もかなわい現在のアジア杯に不信と憤りを持ち、中国を批判する人もひっくるめて「偽りの愛国者」に分類されるのでしょうか?

というコメントがあったが、「サポが取り囲まれたり、普通に応援する事もかなわない現在のアジア杯」について、おかしいと思うのは当たり前のことだろう。だが、そこで「中国人は信じられない。中国人には腹が立つ。中国を批判する」というのが、私の思考回路ではよくわからないのだ。なんでそこで「中国」という大ざっぱなくくりが必要なのか、よくわからない。

 実は中学校のころ、私は三国志とか水滸伝とか読んで中国文化ファンになった時期があった。すると、何人かの級友がこんなことを言ってきたのだ。「お前は中国が好きだというが、中国政府はこれこれこういう政策をとっている。それはお前の嫌いなものだろう。おかしいじゃないか」と。そのときの私は、中国の文化が好きというのと、今の中国共産党政府の政治の矛盾がどう結びつくのか理解できなかった。そして、今でも理解できない。

 中国のここがいい、ここが悪い、という発想はいけないのだろうか。中国は反日教育をしている、というのは非常に残念なことだが、だからといって中国人を蔑視しなければならないとしたら、私の理解の域を超えている。


 そんな中で、服部弘一郎さんの投稿は傾聴に値するものでした(ですます調のコメントだったのでここから文体変えます)。

自分の身内を何よりも上位に置き、自分の身内の欠点や落ち度はひた隠しにして他人を非難するのが、つまりは「儒教道徳」というものなのですよ。それは「論語」や「孟子」を読めばよくわかることです。身内に対する依怙贔屓(えこひいき)を正当化する儒教道徳の上に「愛国心」が乗っかれば、ここで非難されているような見苦しく浅ましい「愛国心」がのさばるようになるわけです。

これは自分自身に対する「自信のなさ」とは、ちょっと違うんですよね。儒教的な「身内優遇」を道徳的な価値として認める社会では、他国をおとしめて自国をほめちぎることこそが「正しい」のです。儒教的な価値観のヒエラルキーは、価値観の「違い」など認めません。一元化された尺度のもとで、すべては「優劣」で判断されてしまうのです。

これはこれでひとつの価値観のありようなので、価値相対主義を標榜する側は、こうした儒教的価値観にもとづく「愛国心」も認めなくちゃしょうがないのですね。それは悲しいことかもしれませんが、「そんなこと間違っている」と言い切れないところが相対主義の弱さかもしれません。

 全文こちらに転載させていただきました。

 「身内に対するえこひいきを正当化する」というのは、儒教道徳の大前提というわけではないだろうとは思います。もともとの孔子の「仁愛」の本義はやはり「博愛」だと思いますから。しかし、「身内に対するえこひいき」をよしとする解釈が主流をなしてきたことは事実ですね。そういう意味では、歴史的に「儒教道徳=依怙贔屓を肯定」と言ってもよかろうと思います。

 そして、「身内優遇」が道徳的価値となっている社会では、自分に自信があろうとなかろうと、すべて「優劣(しかも常に身内が優れている)」という判断基準を持ち出す、という指摘は納得できます。

 ただ、やはり自信のなさがそのような依怙贔屓型愛国という価値観を求め、強化しようとするようなことはないでしょうか。中国に対する「自虐史観」なんて言葉が出てきたのも、ちょうどバブル崩壊と軌を一にしていなかったか、という印象があります。経済的に自信があるころは、別に「自分の国を盲目的に褒めよう」なんてことは必要なかったというのに……。「まあ、ちょっとくらいは俺たちにも悪いところはあったよな。でも日本人でよかったな」と言えるだけの自信があったと思います。今はちょっと日本人の欠点を言うと「中国だって……」とか「反日」とか「朝日」とか言われるわけで、それだけ余裕がなくなってきているんでしょうね(この辺の「自虐」を過剰に嫌う人たちに対して、私は「日本のことは何でも誉めろ。外国のことは何でも貶めろ」という人たちがいると表現したわけですが)。

 さて、価値相対主義の方は、そういう価値観も認めなければならなくなる、との指摘。確かにそのとおり、痛いところです。しかし、私は「違う価値観の存在」を認める・認めないという話と、「相手が間違っていると思うときに指摘する」というのは、決して矛盾しないことではないかと思います。つまり「あなたはそういう風に考えるのですね。わかりました。しかし、それについてはこういう矛盾があると思います」といった指摘は可能ではないでしょうか。

 これは「選択」という言葉でも説明できると思います。いろいろな考え方が存在するのは事実だし、そういう考え方が存在しうることを認めることは「価値相対主義」にとって必要なこととなるでしょう。しかし、それぞれの価値観は矛盾する部分が出てきます。そのとき、自分がどれを選ぶのか、(裏を返せば、他人がどれを選ぶのか)という「選択」の問題として扱うことは可能だと思うのです。

 私は、偏狭な愛国主義と見える思想を「選ばない」。だから、逆に偏狭な愛国主義を「選ぶ」こともその人の選択に委ねられていると思います。

 そして、選択には「どっちでもいい」場合(たとえば趣味・嗜好の場合)と、もし何らかの目的があるのなら、より適切な選択がありえる場合とがあると思います。そして、もう一つ気をつけねばならないのは、ある思想そのものの適否と、その思想を有している人の優劣を切り離すべきだということです。

 「こんなふうに考えている奴」=「馬鹿」、と言った瞬間に話は終わってしまいます。しかし、たとえ「反日」や「嫌中・嫌韓」といった思想を持っていたとしても、その人自身を馬鹿にするのではなく、その思想がふさわしくないということを説けるのであれば、それは問題ないだろうと思うのです(私の文章も、よく読んでもらえれば、思想の持ち主に対する批判・攻撃ではないことがわかっていただけると思います)。

 「罪を憎んで人を憎まず」ということができるようになれば、こんな問題はなくなるだろうと思うのですけどね(しかし、いわゆる儒教道徳は、身内以外の者を憎んで身内の罪を憎まず、になりがちかもしれません)。

 この表現を利用するなら、私の考えはこうなります。私は、重慶でとられた反日行動を憎みます。サッカーという場を利用して反日宣伝が行なわれたことを悲しく思います。しかし、だからといって中国人を憎むわけではない。そういうことをやめてほしいと思う。政策として反日を掲げることを、中国政府はやめてほしい。だけども、中国そのものを憎んだり嫌ったりする気にはなれないのです。

 しかし、中国憎し、と言う人たちは、反日行動・反日宣伝のみならず、中国人嫌い、中国嫌い、さらにはそこで憎悪を発していることを指摘されると「お前は中国の肩を持つのか」と。それでは話はこじれるだけじゃないの?と思うのです。


 で、最後にもう少し付け加えておくと、「中国では反日教育がすごい」ということを必死で訴えて「お前は非現実的だ。強硬にならねばならない」と主張する人が後を絶たないわけだが(この文章を書いている間にもいくつか増えていた)、そういう投稿をみる限り、「これじゃあお互い反発し続けるしかないのかな。これじゃあ、好かれるはずもないよな」という、なんとも悲しい気分に襲われたことを正直に記しておく。「反日で嫌われている」という宣伝ではなく、たとえば昨日書いた張爽のあの感動的な場面を中国の人たちに(日本に、ではなくて、中国の人たちにだよ)伝えようというような発想がなぜ生まれないのか。なぜ「反日教育やってる国には強硬に」という一辺倒の主張になるのだろうか。

 まあ、今回の記事は国際問題というよりも「嫌われた!だから嫌い返せ!」というメンタリティそのものに対して批判しているような気もする。中国人だろうと日本人だろうとイスラムだろうとアメリカだろうと、ね。

 まあこの記事は日本語で日本人向けだから日本の対応について主に書いているが、数年前に日本の官庁サイトを南京大虐殺批判に書き換えた自称愛国中国人ハッカー(紅客)たちにも同じことは言いたいし、日本の一部の嫌韓厨に過剰反応して大挙して2ちゃんねるにDOSアタックを書けた韓国ネットワーカーにも「お前ら何やっとんねん」と言いたい、ということは明記しておきたいと思う。もちろん、中国政府で反日を煽ることを主張する人たちには、強く抗議したいと思っているのである。それは、儒教道徳もさることながら、中国人の自信のなさの現われだ、と指摘したい。


 こういう問題をしっかり伝えるには、この程度の字数では簡潔にすぎるのかもしれない。

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2004年7月26日17:20| 記事内容分類:政治学| by 松永英明
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痛すぎ

多分歪んだ愛国心とゆうより単に「なんかキモいから
嫌い」とか「ワケわかんねえこと抜かしてるから嫌い」と
か感情レベルの話なんじゃないかと思いますよ。多分
言ってる本人達も本当は私怨レベルの感情から来て
いる話なのに公憤レベルの話だと思いこんでてな(わ
らい。

ちなみに中国政府は嫌いだが昔の同僚(天津生まれ)
は好きです。例え国家レベルで日本煽りやっているの
が真実だとしても個人間の繋がりや思い出の方が俺
にとっては大事なのでした。

言わんとすることはわかるのですが、前トピックは多少、文章が整理されていない印象を受けました。
単純な国によるカテゴリー分けでレッテルを貼り、敵味方や善悪を決め付ける愚については全面的に同意しますが、個人的な思い入れを他人にも強制しているようにも思えました。
私は中国人の同僚にお世話になってることもあって中国の方にはわりと好意的だと思いますが(重慶のような行為などは嫌悪しますが)、他の人にはそんなことは関係ない、つまり誰がどういう理由で中国人を好きだろうが嫌いだろうがどうでも良いのであって、それは人それぞれの自由です。(レッテル貼りのイデオロギー化は愚ではありますが)
しかし前トピックは話を和らげようと中国への思い入れの描写が多かったため、「親中でなければならない」と誘導しているように受け取られたのではないでしょうか?
また、中国の反日政策は内政・外交のカードとして用いられているので、「日本が自分に磨きをかければ良い」で済む話ではなく、あるいは毅然と、あるいはのらりくらりと相手側への修正を求めることも必要かと思われます。無論、似非愛国的な反中共イデオロギーの蔓延という手段でではなく。

必死だなぁ・・・
必死過ぎるよ、色んな意味で。

まぁいいよ。
>「「愛国者は日本のことはなんでも誉めなければならない」というような主張は大げさだ、と書かれていたが、何のことはない、ちょっと日本人に対する批判が(中韓の同様な人たちに対してと同レベルで)含まれるだけで、激しい反発が起こっている。

で?
「「日本のことは何でも誉めろ。外国のことは何でも貶めろ」と主張している人は見つかったの?
いい加減自分も同じ穴のムジナであることに気づいたほうがいいって・・・

オマエコソガナ(w

不思議って奴をはじめとする連中必死だな、いろんな意味で。
結果的に不思議とかが「「日本のことは何でも誉めろ。外国のことは何でも貶めろ」と主張している人」なんだよね。
建設的な意見は何もないし、つまらん。全然読まずに一見叩きやすそうなとこだけ叩いて印象を落とそうと必死だね。

今の中国擁護してる連中は

中国が民主化したら民主中国の敵として断罪され、
六〇年後に膝を付いた銅像を立てられる事でしょう、

投稿者↑さん・・私は自覚してますw
だから、み~んなお仲間ですよ(苦笑)

>結果的に不思議とかが「「日本のことは何でも誉めろ。外国のことは何でも貶めろ」と主張している人」なんだよね。

主張してませんど。私は中国や韓国にも見習う点はたくさんあると思いますよ。少なくとも彼らの意思の強さ?っていうか、一致団結力というか・・・愛国心の強さとか・・は時々度肝を抜かれますけど、単純に凄いなって思います。
政府も中国政府に見習う点はあると思います。中国政府の狡猾さ、ロビー活動。国益のためなら多少無茶をする点。などなど
押しの強さが日本外交にはないのでたま~に中国政府の強さを羨ましく思ったりもします。

見習うものは他にもたくさんあると思うな。
中国文化も好きですし・・・韓国についてはよく分らないけど、キムチ好きですよ。

もっとも見習う点はあると自覚しても、中国という国・・というより政府は好きではないですね。

中国政府を批判すべきところで中国人を批判するのが間違ってるというだけの話だろうと。あるいは、その特定の行為をした連中を、まさしくその特定の行為ゆえに批判すればいいのであって、そこで民族国籍をはじめとした属性を持ち出すことが間違っている。ここで一連のエントリーへの批判的言説をみると、一貫して、中国政府への批判や警戒感と、中国人への批判や警戒感が混同されている。たとえば日本政府が仮に糞だったとして、それで私が糞だといわれる筋合いはないし、どこかに百万人ほど糞な日本人が仮にいたとして、それで私が巻き添えで糞だといわれる筋合いはない。とくに中共は参政権がかなり制限されているのだから、なおさら政府の排外主義的教育の責任を個人に問うのは間違いだろう。排外主義的教育をうけてもそういう行動を取る人もとらない人もいる。ならば、まさしく、排外主義的行動をとったひとを、それゆえにそのひとたちだけ批判して、そういう行動をとらなかった、すくなくともまだとっていない人々をまきぞえにして、中国人は、あるいは政府と曖昧に一括した形で中国は、という形で非難することは、愚劣以外のものではない。

おまえも必死だね。w
>結果的に不思議とかが「「日本のことは何でも誉めろ。外国のことは何でも貶めろ」と主張している人」なんだよね。
え?何を根拠にそう仰ってるんですか?まあ、この意見やssなんかの意見も個人の感情論で建設的でもなんでもないというのが
笑えるね。w

>では本当の愛国とは? 自分に自信を持ち、自分の所属する家族や地域や会社や学校や国といった「お飾り」の権威にすがることなく、
>自分自身の努力や真心といったものを磨き上げていくことだ。そして、悪口を言ったり、むやみに嫌ったりする前に、周囲の人たちの
>いいところを誉め、どうしても悪いところがあったら相手のためを思って嫌味を込めずに諭す。
>そうすれば自然と、周囲から好かれる人になるだろう(無理に好かれようとするのではなく、自然に)。

>そういう人が多い国は、どう思われるだろうか? 
>それこそ「いい国」「素晴らしい国」と思われることだろう。それこそが、
>この素晴らしい国日本に対する最高の、そして唯一真実の恩返しではないのだろうか?
まあ、結局は頭の中がお花畑な手前勝手な
意見の押し付けなんだよね、これもさ。
日本は別に素晴らしい国じゃないよ。
例えば周辺の国に都合が良かったり、ここの管理人がそうであれば良いと勘違いしている
意見を押し付けないでね。
レッテル張りは良くないとか言ってる割には
自分がレッテル張りしているし。
>悪口を言ったり、むやみに嫌ったりする前に、周囲の人たちの
>いいところを誉め、どうしても悪いところがあったら相手のためを思って嫌味を込めずに諭す。
こいつ自身がこんなの実践できていないのは
ログみりゃ分かる罠。手前自身が薄汚いくせに
他人にはてめえ勝手な理想を押し付けようとする。こういうバカはなんと言うんでしたっけ?
君の言う「自称愛国」に台湾が好かれている理由を考えましょうね。隣国への嫌悪じゃないでしょ。w

↑こうやってアンチ松永の連中が必死になって書けば書くほど、元エントリーの的確さが証明されていく罠(笑

いろいろな意見があった方がよかろうと思いますので、少々書かせていただきます。私は批判派ですね。
 まず、あなたの発言への批判派を一つの類型にあてはめることがそもそもおかしいのです。論議を呼びそう
なテーマですので、少々防御的に先の記事を書かれたのはわかります。しかしそこであなたは想定される反論
を特定の「あなたが思っている敵」像に求められているのでは?これが一つの紛糾の元です。短く申しますと
「日本人を批判対象に含めたから怒っている」人ばかりではないということです。冷静にお考えになれば、反論
は怒りによってしか生まれないとは思われないでしょう。さまざまな反論の形があります。中にはあなたの想定
された反論もあるかもしれませんが、前回の記事では「自分はこれこれの考えだ。これに反論する者は…」と
いう感じでの決め付けがあるような印象を受けます。あなたのお考えに納得できない人がそれを読めば、俺は
違うことで反対なのだと(典型は不思議氏)思わず言いたくもなります。今回の記事でも『「愛国者は日本の
ことはなんでも誉めなければならない」というような主張は大げさだ、と書かれていたが、何のことはない、
ちょっと日本人に対する批判が(中韓の同様な人たちに対してと同レベルで)含まれるだけで、激しい反発が
起こっている』とされる認識が、あまりにも一方的な決め付けに過ぎるかと…。あなたが正論で多様性に肯定
的な発言をしているだけに、これは議論として未熟でしょう。あなたの言う「隣国を嫌悪する人たち」だけが
あなたの意見に反対(もしくは異論を持つ)わけではありません。
 次に一つだけ具体的に前回の記事への反論を書かせていただきたいと思います。私は、あなたの問題提起
『本当の愛国というのは、隣国を嫌ったりバカにしたり粗を探したりすることではなく、自分たちを一層磨き
上げ、隣国から尊敬される人になっていくことではないのか?』を単純に肯うことができません。ここであな
たは愛国心を単純に二類型化し、御自分の考える愛国を正しいとおっしゃってる(思ってる)と感じますが
違いますか?
 私は愛国心についてあなたのおっしゃる道徳的態度のみが正しいとは全く思いません(あなたの態度を間
違っているというのではないですよ)。あなたの持論の提示の仕方が、あなたと同意見の方のみを真として
考えるものに見えてしまうのが問題だと思うのです。ここで(おそらく無意識に)あなたは自らの主張の押
し付けをされているように見えます。
 私には「真の」愛国心という一つのものがあるとは思えません。どれだけ歪んだものであれ、愛国心のあり
方などというものは千差万別にあるものと考えます。(まあ「歪んだ」という言葉を用いれば、そうでないも
のがあると推測されかねませんがね…)端的に言えば、中国の重慶の人たちの「愛国心」に嫌悪感を感じるのは、
なにも自分の愛国心が歪んでいるからではない、ということなんですよ。あなたは確固たる「正しい愛国心」
以外の愛国心があってはいけないとお考えなのですか?私には私なりの愛国心がありますが、その愛国心ゆえ
の反発とは異なる次元で重慶の中国人の態度に嫌悪感を覚えます。単純に言えば、それだけなんですよ。その
嫌悪感、反発心を「あなたが思っている(だけの)偽愛国者」として断罪されるのは不快なのです。
 私は他国の愛国心を尊重し、自国の「正しい」愛国心を持てば、先々愛国心同士で調和的な世界ができる、
という立場に懐疑的なんですよ。そんな摂理は空論だと思っております。長くなりましたので、まずこれで。

文字通り、「必死さ」が伝わってくる文章。相変わらず長い文章で論点がぼやけてる。

> まあ、今回の記事は国際問題というよりも「嫌われた!だから嫌い返せ!」という
メンタリティそのものに対して批判しているような気もする。中国人だろうと日本人だ
ろうとイスラムだろうとアメリカだろうと、ね。

もしかして、国家間のお話を、友達か同僚か何かと同じレベルで考えているようで痛い。
中国は「国策」でもって反日を喚起している。
やり返せば相手と同レベルになるとか、そんな幼稚な事ははなから思っていない。

「民間」レベルの話でないことが、この問題の肝なのに、「話せば分かってもらえる」
的な甘い妄想を垂れ流すのは、やっぱりお花畑の住人なのかと思ってしまうBlogだった。
それだけだ。

>「民間」レベルの話でないことが、この問題の肝なのに、「話せば分かってもらえる」的な甘い妄想を垂れ流すのは、やっぱりお花畑の住人なのかと思ってしまうBlogだった。

話したことも話し合うこともせずに、お花畑も何もあったものではないと思うが。

「反日を煽る中国政府」に、日本はせっせと金を出しているわけですが、そんな政策を批判しても「自虐的だ」と叱られるのでしょうか?
御近所サンである中国政府の行動を正したい場合、金銭的な関係も深い我々の国には幾らでも手段があると思うのですが...。
国家対国家ではろくに考えもせずに湯水の如く金を出し、個人対個人では馬鹿みたいに熱くなって互いを罵りあう。それは当然の事なんですか?

抜本的解決にならない大雑把なバッシングは、国益でも正義感でもなく、自己満足なのではないでしょうか。
それが何か意味のある事だと思っているなら、それこそ「お花畑」だと思うのですが...。

少々差別的になってしまいますが、私は韓国の人々のナショナリズムを恐いと感じます。
理性を失っているように見えたからです。
同様に、他国の人々の無礼な振る舞いに対し、真っ赤になって口汚く罵る日本人も恐いです。
理性的にその無礼者達を諌め、正せない人達は、その無礼者達と同次元の幼児性と言う事でしょ?
日本人のオトナならば、もっとCoolでいられるはず...。

>「反日を煽る中国政府」に、日本はせっせと金を出しているわけですが、そんな政策を批判しても「自虐的だ」と叱られるのでしょうか?

よく「日本は自虐的だ!」と批判する方が真っ先に批判しているのはそのODAですよ。
今回中国を批判するにあたって、「ODAをやめろ!」という声がかなり大きい。今までもそうだったけど。ですから「金を出すな」という批判を自虐的だと言う人はいないと思いますよ。

>御近所サンである中国政府の行動を正したい場合、金銭的な関係も深い我々の国には幾らでも手段があると思うのですが...。

例えばどのような?確かにその気になれば出来ない事はないのですが、何せその気になってくれないのが困りもの。とりあえずODAは中止したほうがいいですよねぇ。

>国家対国家ではろくに考えもせずに湯水の如く金を出し、

うん、そのとおり。でも中国利権っていうのがあるらしいです。何とかして欲しい・・・

>日本人のオトナならば、もっとCoolでいられるはず...。

いいんじゃないですかね。とことんお互い罵りあうのも。中国&韓国人の意見を聞くと「日本人は何を考えているのか分らない」とか「いつもヘラヘラしてる」とか色々言われているんで、一度腹を割って、徹底的に激論&罵倒を繰り返してみるのもいいかもしれない・・・・
変にクールぶったり大人ぶったりするより、一度同じレベルに落ちてみるのもいいんじゃない?

まぁ、「それは自虐だ」と言い過ぎるとのお話もありますが、今回の件は、明らかに中国側の不手際だと思います。
この一件に関してすら「中国も悪いが、便乗して差別する日本も悪い」としてしまう所が、ある種の自虐と言いますか、日本の美徳でもありつつ、他国とのやり取りに重大なマイナスをもたらす点だと思います。
自分が所属する団体、今回は国な訳ですが、国を公の無関係の場で罵倒された事より、その罵倒に対する自分の所属する団体の一部の反応が「お上品ではない」と諭されてはね。
「どっちもおかしい」と言うのが論旨だったと主張されているようですが、費やした文量や、文の中の熱気を見れば、私にはそうは感じられませんでした。松永さんの内心がどうであれ、blogを読んだ側からは、文面からしか内容を読み取る事は出来ません。
「日本のことは何でも貶せ。外国(東アジア限定)の事は何でも擁護しろ」には戻りたくないのが本音なので、ちょっとこちらも敏感すぎたかもしれません。
しかし「日本の事は何でも貶せ」を実践してきた人達も、自分の事を反日だとは思っていないのですよ。自分の信条、理想、感情と、他国、相手国の人たちのそれとを比較して、自分を考えを通すと、結果どうなるかを考える事が、今後は必要になってくるのではないでしょうかね。
それと、書きながら思ったのですが、coolな対応が、coolな返事になって帰ってくるかどうかは、相手次第の事ですよね。
私も、顔真っ赤な日本人は勘弁してくれと思っていますが、案外そういう主張の方が、中国には受け入れられるのかも・・・なんて考えてしまう事もあります。翻訳を通したcoolな声明より、マジ切れして「中国のバカヤロー」と叫ぶ日本のサッカーファンの姿そのものの方が、日本人も生身の人間だと言う事は伝わりそうかも。
感情的に騒ぐ事が感情をもっとも伝えるとされる国、東アジアには結構多いです。お葬式なんかでは、泣き役などを用意する国もあります。中国もそうだと思います。
これもまた、「違い」であって「優劣」ではないです。
いずれにしても、日本国内ではこの問題、ネット上を除き、殆ど広まっていない、盛り上がっていない段階だと思いますよ。

いろいろきれい事が書いてあるんだけど、これまで自称愛国者が匿名性をバックにネットで何をやってきたかを思い出すと説得力も無くなるね。ネット上の暴走を諫める自称愛国者もほとんどいなかったしな。そういう連中への嫌悪感が非常に大きい。

これはもちろんコメント欄の自称愛国者へ宛てた感想。


それはオマエモナーと言って欲しいための撒き餌かっ?!そうなのか?

最初の記事は釣りだったんだな。

兎に角、中国は今回サッカーの国際大会が開催される程の国では無かった
という事を、世界に表してしまった。鉄棒が飛んで来て、頭を割られて血を噴き出
す。韓国人サポーターの女の子の映像は、全てを物語っているじゃないか!
日本のマスコミはピッチの試合のみを放送しているが、実際会場の内外では
かなり酷い状況らしい事はネットにより、韓国側や、他の国のサイトでしっかりと
見て取れる。
隠そうとしても隠しきれない真実が既に日本に対し彼らがやった事を含めて
白日の下に曝されているのだから・・・愛国心などという大層な物では無い
サッカーの国際大会を開催するホスト国としての当然の配慮が全く無いという
当たり前の批評であり、軽蔑なのである、国民性とかそういう類いの問題でも
無いのです。国際社会で決められたモラルやルールが守れない恥ずかしい
国&国民であると言う事を全世界に配信してしまったのですから、
あなたも話をすり替えずに、素直に中国の幻想を幻想と認め、しっかりとした
正しい姿勢で今回のアジア大会を語って欲しいだけです。
今回のアジア大会の中国のホスト国としての評価は最低だと思います。

ああいう国際大会での振る舞いは世界中に配信される。
いくら松永さんが否定しようとも、中国人サポ=中国という図式は成り立ってしまうんだよ。
だからこそそう見られないようにホスト国には最善を尽くす義務があり、円滑に国際大会を営む責任が生じる。
残念だけど中国はそのレベル、域にまで達していなかったということだ。

>内容も読まずに私が「反日」であるとか、
>「朝日的」とか言い出す人が絶対出てくる
>ことが予測されたのだが、案の定その
>とおりだった

だからそんなことは誰も言っていないですよ?
都合のいい誤読をしてるのはあんたでしょうに。
ふざけてるの?

>私は「愛国と称して隣国を嫌悪し、憎悪し
>、反感を持つ人たち」すべてを「かわい
>そうな人たち」だと思っている

今回そんな理屈であなたを批判した人はいませんでしたよ?
なにをトチ狂っているんですか?

自称愛国者ってのがいったいどこにいたんでしょうかねえ?
いもしない人物について話を持ち掛けられても
どうとも答え様がないんですが。
脳内スパーリングはほどほどにしときなさいね。

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このページは、松永英明が2004年7月26日 17:20に書いたブログ記事です。
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