悪魔の辞典の愛国心
アンブローズ・ビアスの『悪魔の辞典』には、愛国者・愛国心は以下のように定義されている。
【PATRIOT】愛国者
(名詞)一部の利益が全体の利益よりまさるように思ってしまう人。政治家のいいカモ、征服者の手先。
【PATRIOTISM】愛国心
(名詞)自らの名声を輝かせたいという野望を持つ者の火種となる燃えやすいゴミ。
ジョンソン博士の有名な辞書では、「愛国心」は「ならず者の最後の拠りどころ」と提議されている。賢明ではあるがよろしくない辞書編集者に対して、払うべき敬意は払いつつも、それは「最初の」拠りどころであると具申させていただきたい。
確かに、一部の偏狭な自称愛国者の中にはこういう人もいるようだ。よりによってうちのブログを荒らす頭の悪い愛国気取りの中国人も含めて。ただし、愛国心のすべてがこんなものではないと信じたい。
私が「国」という枠組みについて何か言うとしたら、この江戸時代の米沢の明君・上杉鷹山の言葉「伝国の辞」をおいてほかにはない。
こういう明君のもとにあれば、私ももう少し「国」という枠組みに対して関心を持てたかもしれない。
- 国家は、先祖より子孫へ伝え候国家にして、我私すべきものにはこれなく候
- 人民は国家に属したる人民にして、我私すべきものにはこれなく候
- 国家人民の為に立たる君にて、君の為に立たる国家人民にはこれなく候
これからいくつかの記事で、愛国関連の先人の言葉を翻訳して載せたりすることにしようと思っている。
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>よりによってうちのブログを荒らす頭の悪い愛国気取りの中国人
もしかして、コメントの中にある長文の中国語、中国人が投稿したのだと思っているのですか?
他国人を騙って暴れてその国を貶めるのはネットウヨクの得意技ですが・・・
愛国心という精神はあくまで観念的である。国家と言うのは立法、内閣、司法
を国民が主権足り、選挙、試験に置いて担当任命を行い、その上で納税、司法、
行政が起こり得る。行政は選定された以上最適な治世義務が発生し、議会は
行政を逐次監視、立法は議会、立法の取り締まりに当たらねばならないと言う
図式である。これらの三間権力体はあくまで国民が主体となって選定されている
という前提から、国民とこの三権分立国家間の間に於いて私情が入ることの拒否、
拒絶というものは当然であると言える。
しかし愛国心(ナショナリズム)という、生理的精神は恋人か何かに特別扱い
を認め、他者との差異を際立たせることを目的としていることから、実際には
国民思想の統制という全体主義化を狙った危険思想の一部である。発生元は
昭和初期の福岡愛国社、熊本陣風連(神風宗教)を軸として、日本国をいかに
特別扱いするか(愛するか)、そのために従わない人間、団体をいかに排除するか
(愛国心に対する敵)という極限思想の台等を招いている。何故精神という言葉を
用いず心という語を使用するにも理由がある。精神足りうる複雑構造を持たないため単なる生理行動の一旦以外に意味を成さないことである。腹が減れば飯を食う、
好きだから愛するという、これだけの知能程度はあくまで私心であって、公の精神
構造すらなり得ない。恐るべきは数に物を言わせ、周辺国を飲み込み勢力を肥大化させるというイナゴの大群、ドブネズミの集団と同等の動物活動以外に要を成さなくなるまでに至る。
愛国心という概念はあくまで私心に過ぎない。しかし私心を無理に国政に当てはめようとする時必ず無理が起こるのだ。国家とは人工的に作られた構造体であって断じて愛情対象ではない。愛情は愛情でしかあり得ず、こうした危険な勘違いについて振り返って見る人間が減りつつあるということが現在の日本における深刻な社会問題と化している。
今や文科担当相までが自虐思想が良くなく、国家の忠誠は評価されるべきだと暴言を吐くまでに自体は悪化した。努めて言える事は一切が狂気に過ぎないと言うことである。理由も成しに愛情を感じ、欠点にひたすら目をつぶり、現実をごまかせば人間は幸福になれるという恐るべき洗脳工作。これこそ愛国心の正体である。
愛は人間にするものであって断じて国家にするものではないだろう。パソコンに愛を感じるという人間に結婚を申し込む女がいるだろうか。同様に国家に愛を感じる人間をまともな人間と呼べるだろうか。
問題は一国を代表する国務大臣の知能レベルはもはや幼児並みの低年齢化にまで達し、深刻なる社会問題と化していることである。
人間はいつでも理性的に物事を捉えなければ人間足りえず、動物にでもできる感情だけで物事の解決を図ることは許されないのだ。ブタは焦り過ぎて食べすぎ、より太ってしまうだけである。しかしいつか必ず終わりが来る。膨張し続ける接触行動は破滅の未来しかあり得ない。社会主義が、ソビエトが、愛国心故に肥大化を続け、風船が針に突付かれて割れてしまうように崩壊したことを忘れてはならない。
今や多くのブタが愛国心を触れ回り日本の将来を文字通り喰らい尽くしてしまおうと画策しているとも言えるのだ。愛国心に未来は無い。そして結論は急いではならない。焦る者、ブタ、コジキほど割に合わず、もらいが少ないものも無いであろう。愛国心は割に合わない。だからこそ日本に必要ない。日本に必要なものは愛国心ではなく着実な回復と、先を見越せる余裕を苦難の時こそ逃げずに持ち続けるという強固な精神力であろう。
どうも勘違いしてるっぽいのは、
「愛国心はならず者の最後の拠りどころ」
という言葉は、愛国心以外にまともな思想を持たないアホをならず者と定義して馬鹿にしてるだけで、愛国心そのものを否定してるわけではないのだ。
ただ、人生にはもっと大事なものがあるぞ、と当たり前のことを言ってる。