文章の二種(A:実用的文章 B:美術的文章)
- 幸田露伴『普通文章論』第2回
文章というものの全体を仮に大別すれば二つになるようである。二つとは何だろうか?
まず一つは実用的な文章である。そしてもう一つは美術的な文章である。
実用的な文章というのはどういうものだろうか? 実用文章というのは、すなわち、実世間で実際に役立って、何らかの任務を果たすものをいうのである。例を挙げていって見れば、商業上の往復照会の文書であるとか、調査報告の文書であるとか、商品の説明であるとか広告であるとか、売買その他の契約であるとか、あるいはまた社交上の慶弔の文であるとか、種々雑多な用事の書簡であるとか、あるいはまた学術上の論説であるとか記録であるとか弁難であるとか、あるいはまた政治上の意見の発表であるとか、批評の応答であるとか、何だかんだと際限もないほど多種類であるが、要するに、短いものは電報や受領証の簡単なのから、長いのは科学上や宗教上や政治上の大著述に至るまで、すべて美術的であることを目的としない文章、すなわち実用に供される文章を指して、実用文章というのである。
美術的文章というとどういうものだろうか? すなわち詩であるとか歌であるとか、小説であるとか戯曲であるとか、叙景または叙情の詩的散文であるとか、すべて世の実際の要務に対して直接には関わらない文章を指していうのである。これらの文章は間接には実際に世間とも接するが、直接には実際に世間と接触しないものであって、手近な例を挙げれば、和歌や俳句が受領書や電報のように実際の役に立つものではないことでもわかる。
が、それならば、この美術的文章はすべてまったく世の役に立たないものであるかというと、もちろんそうではない。人の世にとっては、やはり実用的文章同様に重要な位置を占めているものである。ただ、これらの文章はそのもともとの性質として、人に対して虚しい感じ、つまり美感を得させるのを目的として存在しているものである。直接に、実世間の実際上に何らかの任務を帯びて使われている文章ではないのである。
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