「博客」と呼ばないで!中国ブロガー「博客」呼称騒動――博客中国 vs CNBlog
『ウェブログ超入門!』にも書いたが、中国ではブログ/ブロガーを「博客(Boke=ポーカー)」と呼ぶ(中国語でbokeはボケではないので注意)。ハッカーが「黒客」というのと対比された表現だ。ところが、ここに来て「俺は博客じゃない!」と主張する騒ぎが大きくなった。「I'm not Boke」ちまちまボタンまで登場し、大変な騒ぎになっている。
しかし、これは単なる呼称問題ではない。中国ブログ界の2大勢力の論戦なのである。「博客」の名付け親で『博客』という本も書いている「博客中国」主催者・方興東氏と、それに対抗するCNBlogの主催者zheng氏・Isaac Mao氏の対立だ。
博客という訳語にはこれまでも議論があったが、今回は方氏の雑誌インタビュー記事にzheng氏とMao氏自身が反応したというトップ同士の正面衝突。その直前に「博客」表記を欧米に紹介した記事が登場していたことも、この騒ぎに火を注いだ。つまり、「博客」派・博客中国 vs アンチ「博客」派・CNBlogという背後関係を読み取る必要がある。
しかし、これは対岸の火事ではない。方氏はもともとオープンソース運動やクリエイティブ・コモンズを絶賛する情報開放主義者である。オープンソース志向のブロガーは日本でも多い。
一方で、方氏はブログを既成メディアに対抗する存在と位置づけているが、今回の流れでは「他人の記事を無断転載しすぎ」と批判されている。メディアへの敵対意識と、必要以上に多い長文転載といえば、木村剛氏を彷彿とさせるところもある。
また、この批判の中では「サービス側がユーザーの著作物を勝手に利用する」ことが明確に否定されており、これは最近の日本ブログサービスにおける著作権規定に関する騒動と共通している。
あるいは1年前に散々言われた「ITゴロ」「ブログゴロ」といった批判にも似たところがある。中国博客騒動は、決して他人事ではないのだ。
今回は非常に長くなるが、この「博客」騒動関連記事を時系列順に翻訳して紹介する。
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■「blog」革命は中国を荒らし回る
- New Scientist: The 'blog' revolution sweeps across China
- China Digital News: The 'blog' revolution sweeps across China
2004年11月24日19:00
ニューサイエンティスト印刷版からの特別レポート
上海出身のソフトウェア・エンジニアと中国の遠い省の教師がオンラインで偶然出会ったことから、世界で最も人口の多い国の国民と政府のパワーバランスが揺るぎはじめた。
2002年8月、チップメーカー・インテルの上海事務所で働いていたアイザック・マオ(Isaac Mao、毛向輝=マオ・シアンフイ)は、中国の中でほんの一握りの「ブログ」という言葉を聞いたことのある一人だった。ふつうのウェブサーファーであったマオは、これらのオンラインジャーナルによって普通の人たちが自分自身と自分の読者の見解をオンラインで発表する自由を得られるということに魅惑された。
アメリカのウェブサイトblogger.comをサーフィンしているうち、マオは福建省の技術学校の教師チェン・ユンション(Zheng Yunsheng)を見つけて喜んだ。マオはチェンのブログにメッセージを残し、2週間後、マオとチェンはCNBlog.orgを開始した。これは中国最初のブログ技術と文化についてのオンライン会議室である。
彼らはその後まもなく、小さいながらも熱心な関係者グループを集めた。その多くは中国の50万人のブロガーのためにブログを可能にする技術を開発し始めた。
■多数の逮捕
1949年に共産党が権力を得てから、中国のメディアは政府によって厳しくコントロールされてきた。オンライン出版はその統制をまさに脅かすものであり、政府は明らかに恐れている。2003年の取り締まりで、ウェブサイトやインターネットカフェが閉鎖され、多数のオンライン論評者が逮捕された。
しかし、これは中国のブロガーの勇気や才能を押さえつけるのには十分でなかった。ブログ現象の勃興は、ブログ・ホスティングサービスによって可能となった。Yahooのような会社が電子メールアカウントを提供するのと同じように、blogger.comのような米国のサイトがブログを提供する。
ブログは通常、読者のコメントを認めており、他のブログやウェブサイトへの多数のリンクを有しているため、ダイナミックな共同体として相互に働くことになる。お互いに結びつけられ、全体で「ブロゴスフィア(ブログ界)」を構成する。
マオとチェンがCNBlog.orgを始めたとき、中国には6700万人のインターネットユーザーがいた。現在は9000万人以上となっており、大部分が情報を切望している。北京にある公式の中国インターネット網情報センターによれば、インターネットユーザーの62%は、主にニュースを読むために接続しているという。インターネットカフェは中国で急速に広まっている。それは田舎でも同様である。それは主に技術を高め、国家の経済競争力を強めようとする公的な取り組みの結果だ。
■中国のファイヤーウォールの長城
しかし、政府はまた、統制されていないオンライン情報によって体制が覆されることを恐れている。2000年から中国警察は700以上の都市・省にインターネット課を設立した。
ネットポリスはウェブサイトと電子メールにおいて、「邪教の教えや封建的な迷信」、「国家の尊厳や利益にとって有害な」情報を監視している。2002年以来、すべてのインターネット・サービスプロバイダは自己検閲誓約に署名しなければならなくなった。
おそらく、政府による統制のなかでも最も効果的な構成要素は「ファイヤーウォールの長城」である。それは、中国を世界のインターネットと接続している9つの門を守っている。その主な機能は、中国国内のサーファーが「望ましくない」ウェブの内容にアクセスするのを阻止することだ。
ハーバード大学バークマンセンターでの研究によって、海外中国語ニュースウェブサイトを含むブロックされたサイトが判明した。BBC中国版、台湾や香港発のほとんどのニュースサイト、法輪功やアムネスティ・インターナショナルUSAのような宗教や人権についてのウェブサイトなどである。
しかし、マオが草の根出版の試みを始めたころには、事情は変化し始めていた。中国におけるマイクロソフトのビジネスを批判して名声を高めた北京の技術ライター方興東(ファン・シントン)がニュースとコメントのウェブサイト「BlogChina.com」を始めた。それは中国のIT産業の発展をカバーする内容だった。
■コスト・ゼロ
ファンはブロガーを意味する中国語として「博客(bo ke=ポーカー)」を作り出し、読者に対してblogger.comに登録してブログするように促した。「ブログはまさに革命である。技術訓練ゼロ、設備ゼロ、コストゼロでブロガーになれる」と書いている。
2003年1月までに中国には約2000人のブロガーがいたが、警告なしに中国政府はblogger.comで登録されたすべてのブログをホスティングしているサーバーblogspot.comへのアクセスをブロックした。
ネットポリスはそのような行動の理由を公にしようとしないが、中国のブロガーたちは、海外中国人によって運営されている反検閲サービスDynaWebがblogspot.com上のブログを使って、ファイヤーウォールの長城を乗り越えることのできるプロクシサーバーを公開したということを指摘している。当局による包括的な封鎖は、すべての中国人ブロガーに影響を与えた。突然自分たちの記事にたどり着けなくなったのだ。
ブロガーの反応は、おそらく検閲官にとって予期せぬものであった。多くの人にとって、ブログすることはすでに中毒がかった活動となっていた。ほかに行くところがなく、多くの人がマオに導かれて中国国内に解決を探し始めなければならなかった。
3つの小さな新会社が避難所となった。Blogcn.com、Blogdriver.com、Blogbus.comである。それらはすべて、最初にマオのウェブサイトに集まった人たちが数カ月ほど前に始めたばかりのブログホスティングサービスだった。すべては中国国内にあり、ファイヤーウォールの長城の内側にあった。
■「真実」の禁止
最初、新会社は政府の関心を集めていなかった。2003年初め、オンラインでコメントしようとする多くの中国人はブログではなく、掲示板やチャットルームといったオンライン会議室を使っていた。これらは匿名で表現することができるので安全であり、社会的影響も持ち始めていた。
しかし、落とし穴がある。中国でもどこでも、こういうサイトは通常、適切に読めるように保つ編集者によって編集されるものである。中国では、モデレーターはサイトの内容を検閲に耐えうるようにしておく。そのため、ユーザーが「禁じられた」コメントを投稿したならば、「あなたの投稿には機密や猥褻な内容が含まれています」といった警告を受け取ることになる。
法輪功、人権、民主主義、台湾独立といった政治的に微妙な話題についての投稿は、こういった手法によって常にフィルターをかけられる。バークレーでの中国インターネットプロジェクトが最近手に入れたリストでは、「独裁」「真実」「機動隊」といった1000以上の語句が自動的に中国オンライン掲示板で禁止されていることがわかった。
このタイプの検閲が、2003年に強化された広範なインターネット取り締まりの一部となっている。オンラインで政治的に刺激的な記事を投稿した多くの人々が逮捕された。
ネットポリスは国内の20万のインターネットカフェのおよそ半分を閉鎖させ、残りには監視ソフトウェアをインストールした。遼寧省ではオンラインに接続する40%の人がインターネットカフェ経由であり、ウェブユーザーのオンライン行動を追跡して名前、アドレス、IDナンバーを記録するソフトウェアが7000のインターネットカフェにインストールされている。
■セックス日記
この息苦しい雰囲気の中で、発生期のブロゴスフィアが拡大発展できるなどと見るのは難しいことだった。しかし、その後数カ月にわたって、ブログという概念が意外な情報源から巻き起こってきた。
中国南部の広州の雑誌のライターが木子美(ムー・ツメイ)という名前でblogcn.com上にセックス日記をつけ始めたのである。彼女はこう書いた。「わたしはいつも仕事が忙しい。空いた時間には、非常に人間的な趣味、つまりセックスをしている」 「わたしの趣味の相手は、わたしが選ぶし、いつも変わっている。大きな供給源がある。彼らに責任を取る必要はないと思っている。愛を与える必要もない。彼らはわたしをわずらわせないだろう。それはCDみたいなもの。わたしがかけなければ音も出ない」
赤裸々な詳細と、時には実名も公開したため、木子美のセックス日記はヒットした。2003年11月中旬までに16万人以上がサイトにログオンし、一日に6000人がやってきた。赤裸々な文章とライフスタイルは伝統的な倫理に挑戦するものであり、中国メディアに熱い議論を呼び起こした一方で、木子美は何億という人々に「博客」という言葉を周知させることとなった。
木子美論争が巻き起こったとき、blogcn.comのユーザー数は2万人から16万人に膨れあがった。他のブログサイトも同様の増加を見た。
■検閲回避
ブログサービスは現在、中国全土で湧き上がっている。2004年10月末までに、中国には45以上の大ブログホスティングサービスがあった。グーグルで「博客」を検索すると、フットボールファンのブログからキリスト教徒のブログまで200万以上の結果が出てくる。
そして、大規模な会社が検閲法の適用を受ける一方、小企業や個人は同じ圧力を受けていない。技術通のユーザーなら、統制を回避して、自分でブログソフトをダウンロード、インストールできる。
公式ウェブサイトから禁止された途端に情報を再編集・拡散するという重要な役割をブログは演じている。この好例が、9月、中国で最も影響力のある掲示板「一蹋糊塗(イタフトゥ=Yitahutu)」がネットポリスによって閉鎖されたときに起こった。他のオンライン掲示板と違って、一蹋糊塗はユーザーによってモデレートされており、どの投稿がトップページに表示されるかをユーザー投票によって決めていた。
好まれないコメントについての責任を一人でかぶるモデレーターがいないため、検閲官はサイト全体を閉鎖するという反応をとった。その時点までに、このサイトには30万以上の登録ユーザーと、700の会議室があり、台湾、反汚職、法律改革、人権といった政治的に微妙な話題についてのものも多かった。
閉鎖後、主要な大学掲示板はすべて、この事件についてのいかなる議論も削除するよう指示された。サイト名さえもが中国のサーチ・エンジンから検閲削除された。
■婉曲表現の発見
しかし、ネットポリスはブロゴスフィアにおいて一蹋糊塗閉鎖についての議論を一掃することが極めて難しいことを思い知った。キーワードをフィルタリングされても会話を続けることができるよう、ブロガーたちは素早く婉曲表現を見つけた。そして、たいていのブログには非常に多くのエントリーがあるので、発見されないようにときどき挑発的なコメントを個人が発表するのは簡単だ。
一蹋糊塗の閉鎖から二日後、会議室が作られていた北京大学の優れた法律教授フー・ウェイファン(He Weifang)が、表現の自由に基づいてサイトを守るよう促す公開書状を学長に提出した。
彼の手紙はある日以降、主要なオンライン会議室から削除されたが、短期間のうちにそれはブロゴスフィアを通じて広がってしまっていた。当局がそのすべてをブロックできないほどあまりにも多くのブログがある。
ブログがニュースソースとしての役目を果たす可能性は、中国の数人のブロガーによって享受されている。Chinanewsman.net(中国新聞人連盟)というサイトが、ジャーナリストにしてプログラマーのリ・チャオフイ(Li Zhaohui)によって設立され、公式のメディアでは禁じられたニュースの避難所となっている。開始後5カ月のうちに、中国新聞人は何度も閉鎖され、6回もプロバイダを変えなければならなかった。
しかし、それでも生き残り、今は約5000のブログがジャーナリストによって書かれている。いくつかの情報は、招待によって参加した登録ユーザーだけが見ることができる。この仕組みでサイトが守られたのは、おそらく、検閲官が一般的にこういった半プライベートな空間について寛大であるためだろう。
■モブログサービス
一方でブログは若い世代の国家的な趣味として成長しつつあるようだ。中国の3億の携帯電話業者は「モブログ」サービスを提供し始めている。これは、ユーザーがテキストと写真を直接電話からブログに送れるものだ。今のところ、ほとんどのブログは個人的なものだが、人民のネットワークを構築し、ニュースを広める可能性は過小評価できない。
マオの場合、現在、中国ブロガーの間で多くの信奉者を獲得している。ハイテク投資家として成功し、ブログを使って田舎の学校のための寄贈本を集めている。中国における社会変革を促進するツールとしてブログをとらえる人たちもいるが、マオは自分のブログ好きを政治的項目と結びつけることはない。
中国の検閲体制のもと、ブログを広げるための戦略を持っているかどうかを尋ねられると、マオの反応は道教の信者みたいだった。「我々の戦略は何か? 我々は戦略なんかもってないよ。でもブロゴスフィアでの情報の流れは、思い通りに行く。その道こそが我々の戦略なんだ。個人的で、迅速で、接続されてて、ネットワーク化されている」
Xiao Qiang はカリフォルニア大学バークレー校中国インターネットプロジェクト部長である。chinadn.orgで中国デジタルニュースブログを運営している。
■中国博客(ブロガー)の苦境
- Boing Boing: The plight of the Bo Ke (blogger) in China ※Boing Boingはアメリカでも有名なブログの一つ。
2004年12月1日水曜日
ニューサイエンティストに面白い記事があった。中国のブロガーと政府の検閲という「ファイヤーウォールの長城」の闘いについて。
ブログがニュースソースとしての役目を果たす可能性は、中国の数人のブロガーによって享受されている。Chinanewsman.net(中国新聞人連盟)というサイトが、ジャーナリストにしてプログラマーのリ・チャオフイ(Li Zhaohui)によって設立され、公式のメディアでは禁じられたニュースの避難所となっている。開始後5カ月のうちに、中国新聞人は何度も閉鎖され、6回もプロバイダを変えなければならなかった。
しかし、それでも生き残り、今は約5000のブログがジャーナリストによって書かれている。いくつかの情報は、招待によって参加した登録ユーザーだけが見ることができる。この仕組みでサイトが守られたのは、おそらく、検閲官が一般的にこういった半プライベートな空間について寛大であるためだろう。
■「博客」がBoing Boingされたよ
2004年12月1日 by 桑葚
2004年12月1日水曜日
ニューサイエンティストに面白い記事があった。中国のブロガーと政府の検閲という「ファイヤーウォールの長城」の闘いについて。
終わったな。全世界で中国のブロガーは博客(Bo Ke)だと認識されるようになった。
■方興東:「私はみんなのために、みんなは私のために」的博客精神
出典:《商務週刊》2004-12-2 12:47:02
――夜十時、大量のメールを書き終わった後、方興東はネット上で優秀な博客文章をふるい分けし始める。かつて「マイクロソフトの覇権に挑戦する」と宣言した熱血青年もすでに中年となり、現在は他の人たちに自分のお気に入りを褒めそやしている。一つは活発で可愛い息子、もう一つは目の前のモニター上の「博客中国」だ。彼は自ら設計した未来の目標のために、中国第一の「ニューメディア」――博客の総合ポータルサイトを作ろうとしている。
実際には1998年から、私はずっとインターネットがどのようなルートに沿って行くべきかを考えていました。新浪のようなモデルは、インターネットの究極の姿ではないと思っています。2002年になって、博客のちいさな火が出現したのを見てから、私の考えは固まってきました。この考えは、「博客中国(www.blogchina.com)」という具体的なサイトで実現されました。2004年5月まで、博客中国には専門技術スタッフがおらず、私一人だけの状況で、全世界のウェブサイトで1400位という規模となり、博客の巨大な潜在力を証明したのです。そこで私は大規模に発展させようとし始めました。
現在、私は博客中国に精力を注いでいます。2004年5月から正式にスタートした後、現在の会社規模は42人となり、現在はスタート直後のベンチャー投資を終えたところです。我々の目標は非常にはっきりしています。3年以内に上場し、訪問者数では新浪網に挑戦すること。
――なぜこのようなときに新浪を超えなければならないのですか?
これは、インターネットの趨勢に関する私の判断に基づいています。ネットワーカーはネットワーク上では客体ではなく主体となるべきだと考えています。つまり、人民群衆が歴史を創造していくのと同じように、人民群衆はネット上でも主体となるべきなのです。実際、eBayはもちろんとして、QQあるいはネットゲームが今、成功を収めています。それは、個人を中心としており、ウェブサイトはよいプラットフォームを提供しているだけだからです。このプラットフォーム上では、どの人も最大の創造力と想像力を発揮できます。
これでやっと本当のネットワークモデルとなるわけです。
新浪は単に伝統的なメディアのネットワーク版にすぎません。それは伝統的なメディアの特徴を持っています。つまり少数の人が編集した内容を多数の人が見るということになります。博客中国もポータルではありますが、博客のポータルであって、つまり、一人のネットワーカーはわたしたちのウェブサイトの中で、読者でもあれば内容創造者でもあり、消費者でもあれば生産者でもあります。私は「人民群衆が創造した内容を人民群衆が見る」というのを信じています。これでこそ本当のニューメディアなのです。
たとえば我々の進める「育児博客」の記事では、お母さんが一人ひとり自分の体験をネットに公開しますが、これはどんな編集者でも無理なことです。このお母さんたちは、他の人の助けを必要とする多くの問題を抱えていますが、人民群衆がお互いに動けば、共同することができるのです。このように、相互・共有というのがニューメディアの核心です。
私の夢は、このような本当のニューメディアを作り出すこと。このような夢は、もちろんアメリカでも中国でもまだ現れていません。
ニューメディア・モデルについては、中国の発展はアメリカよりも素早くなりえると思っています。2004年5月には博客中国はまだ全世界ウェブサイトランキングで1400位でしたが、現在は565位となっており、5カ月前よりも1000位上昇しました。このスピードを考えれば、我々は年末には全世界で100位に入り、来年には全世界で10~20位に入って、再来年には新浪に対抗したいところです。多くの投資者と話をするとき、彼らもこの夢が実現することができると考えています。
しかし、我々を阻む障害もあります。現在、世界には似たような成功事例はなく、博客のために博客することはできず、よいアプリケーションを整えなければならなりません。このため、最大の困難は、どのように規模を拡大して商業化するかという問題です。つまり、博客は個人が中心のものであるが、このようなものが巨大化し、また新浪のように商業化していくとき、ふるい分けのシステムとバックアップシステムを必要とするのみならず、さらに非常に大きな創造能力と管理能力を有することが重要となってきます。このため、我々は現在毎月4~5人を増員して、優秀な人員を招く優秀な団体を構成しています。我々は将来、技術会社を買収する必要があります。来年年初に500万ドルの融資に成功すれば、さらにスピードを増すことでしょう。
――当然、博客中国の商業化ということは、純粋に個人レベルの趣味を放棄する必要がありますね。たとえば、以前のコラム形式のときには、あなたは間違いなく楽しんでいましたし、感動していたが、現在の商業化後は、株主・従業員の期待もあって責任が増大し、以前のように軽々しいことは書けないでしょう。
だから、私は今、毎日午前8時から夜12時まで仕事をしています。この夢の前に、私がかつて1つの夢、つまり大規模なインターネット研究・検討機関を作るという夢のために奮闘したということはみなさんご存知のとおりです。つまり、インターネット実験室です。この夢は今も消えたわけではありません。実現はしていませんが、継続していて、ただ以前のような規模ではないだけのことです。将来、インターネット実験室と博客中国は結合し、実験室は機関として、博客中国は個人のためのものとなります。博客中国を中心として全体を動かします。
実際、私の夢は終始一貫していると思っています。もちろん、マイクロソフトに挑戦してから、Linuxフリーウェアを宣伝し、知的所有権の解放を訴え、今は博客中国を作っていますが、これは一つの趣旨から離れていません。つまり「開放」「相互」「共有」というのがインターネットの核心の精神だということです。
現在、私は毎晩「Alexa.com」で公開されている全世界のウェブサイトランキングを見ています。翌日の朝、我々は博客中国のそれぞれのチャンネルの訪問数と登録状況をチェックします。嬉しいことに、わたしたちは毎日、自分たちの夢との距離が近づいていることを実感しています。
■みんなは私の博客中国のために
2004年12月3日 by zheng
54000人が見た「方興東:“私はみんなのために、みんなは私のために”的博客精神」という文章から。
……2004年5月から正式にスタートした後、現在の会社規模は42人となり、現在はスタート直後のベンチャー投資を終えたところです。我々の目標は非常にはっきりしています。3年以内に上場し、訪問者数では新浪網に挑戦すること。……博客中国もポータルではありますが、博客のポータルであって、つまり、一人のネットワーカーはわたしたちのウェブサイトの中で、読者でもあれば内容創造者でもあり、消費者でもあれば生産者でもあります。私は「人民群衆が創造した内容を人民群衆が見る」というのを信じています。これでこそ本当のニューメディアなのです。……ニューメディア・モデルについては、中国の発展はアメリカよりも素早くなりえると思っています。2004年5月には博客中国はまだ全世界ウェブサイトランキングで1400位でしたが、現在は565位となっており、5カ月前よりも1000位上昇しました。このスピードを考えれば、我々は年末には全世界で100位に入り、来年には全世界で10~20位に入って、再来年には新浪に対抗したいところです。多くの投資者と話をするとき、彼らもこの夢が実現することができると考えています。
この文章の中に、「私はみんなのために」という内容はなく、「みんなは私のために」だけしか読み取れない。
夢を持つことは結構なのだが、夢の実現には適切な手段が必要だ。現在の博客中国はすでに初期の個人サイトではなく、完全に商業化を終えた。彼らの編集が、多くのブロガーが創作共用(クリエイティブコモンズ)の中ではっきりと表明した明確な一条「非商業用途」を否定するものなのかどうかはわからない。
現在、ここの編集者たちは、いいと思ったブロガーあるいはその他のメディアの文章の全文を自分のページ上にコピペして眼目を引きつけ、投資を集める手段としているが、これはすでに著作権法に違反している。彼らがやっていることに対しては、海賊版と同じスローガンでブロガーたちは反応すべきではないか??
そのほか、博客中国の編集者たちは、このような問題を考えたことがあるのだろうか。ユーザーが貴方のサービスを使っても、自分の文章には著作権があり、サービス提供者は、同意のない状況では、その文章を転載・使用する権利を持たない、ということを。
はは、博客中国には、転載といかなる形式の引用もお断り;D
■俺は博客じゃない
2004-12-03 by Isaac Mao
俺は博客じゃない(これは口癖。この話は1000回も言ったよ)、僕は博(ひろ)めるに値するようなものを持ってないから。
FXD(※訳註:方興東)は博客だ。彼は八方手を尽くして広めているし、アジアに広めるのではなく、すでに世界に向かって博している(※上のzhengの記事へリンク)。
我々はどんな人の夢も嘲笑すべきではない。しかし、彼が他の人の夢を踏みつけていないかどうかを見る必要はある。FXDを見れば、自分が彼自身の夢と近いところにいるのがわかるが、それはみなの夢ではない。ある人たちは、ベンチャー投資とはまるで麦わらのようなもので、試金石を彷彿とさせるという。四年前「試金石」が主導したインターネット商業バブルがどのように破滅に至ったかを忘れてはいけない。
にわかに思い出すのはティム・バーナーズ・リーだ。この科学者は我々のためにウェブを作り出し(W3Cはようやく成立十周年である)、その後占有権を放棄して全世界を豊かにする機会を与えてくれた。また、ビル・ゲイツのことも思い出す。彼はソフトウェア帝国を作り出し、独占的なWindowsによって多くを搾り取ったが、巨額の財産を財団という形で寄贈しているのである。商業化も結構だし、非商業化も結構だ。どちらも一定の貢献を行うことができる。BKZG(※訳註:博客中国)がベンチャー投資を受けていること自体は過度に批判すべきほどでもない。それぞれ必要な分を取ればいい。限りある資金を顧客の価値創造のために使うのであれば、それぞれのユーザーの権利を尊重するので非常によいことだ。売名行為をし、大言壮語するのであれば、耐えがたい結果にしかならず、言葉にもできない。FXDはローレンス・レッシグを崇拝しているが、根本的にユーザーの権利を尊重しておらず、自由文化の本質もつかんでいない。彼はダン・ギルモアも崇拝しているが、人がどのような事実に関心を持っているか知らない。さらにトニー・パーキンスを崇拝しているが、メディアの成果を取り込んでいるだけにしか見えない。
もともとこういう人たちを引っ張り出してきたのは、虎の威を借る狐であり、知行合一しておらず、それ以上のものではない。Fans(※ファン/方氏)が名を慕うのならば、その実質の影響にも注意を払うべきだ。話ここに至って、この人物に惑わされないようご注意いただきたい。いつ何時、BKZGが中国の博客の標準を制定したいといいだし、皆さんはおとなしく、とある利益集団の陰謀に従っていくことになるかわからない。
FXDには申し訳ないが、俺は「あなたはみんなのために」という人の中に入っていない。俺はBKZGを見る必要がないからだ。また、「みんなはあなたのために」という人の中にも入っていない。俺はもともと誠実な人でありたいとおもっているからだ。俺はBlogを書くBloggerだけれども、「俺は博客じゃない」のである。(アイコンを作れるみんな、こういうアイコンを作ってくれれば、俺のサイト上に載せるよ)
■俺は博客じゃない:デザインとブックマーク
2004年12月5日 by Isaac Mao
「俺は博客じゃない」を作った人は、自分の作ったものをFlickrにアップロードして、みんなが「imnotboke」ラベルをつけてほしい(「創作共用(クリエイティブコモンズ)」だとありがたい。わはは)。ここにこのラベルのついたデザインをすべて見ることができる(http://www.flickr.com/photos/tags/imnotboke)。
もし「俺は博客じゃない」と関連するブログの内容があるなら、del.icio.usを使ってブックマークを作り、同様に「imnotboke」タグを作ってほしい。
頒布するための社会的なソフトを使って遊ぶのは面白いよね。
■CNBlogによる「我不是博客」まとめページより
■1.どうして俺は博客じゃないのか?
某氏が「博客」をブロガーの中国語訳名とし、さらに同時にブログの中国語訳名としている。私はブログにこの中国語名称を当てることに賛成とか反対とか言っているわけではないが、この名称そのものも少なからず論争を呼んでいる。しかし、中国語の名称が決まる前、某氏がこの名称の意味を汚染し始め、あるいはこの言葉の本来の意味をすり替え、あるいはこの名称を利用して本当のブログ精神を破壊している。
“博客”というこの名称は、某氏が濫用するために反感を招いている。それゆえ、私はブロガー、すなわち共有と記録が好きなごく普通の人であり、黒客や駭客(どちらもハッカー)などと並び称されるような「博客」じゃないのだ。
■“俺は博客じゃない”で遊ぼう
2004年12月6日02:01月曜日 by Ken
Isaacはここ(※上の記事)で遊び方を紹介している。興味のある人たちには二つの「小ツール」を紹介したい。ご参考までに。
このサイトは簡単にこんなロゴを作ることができる。
"Borders"の下には、ロゴの外側と内側の枠の色の設定(横にあるのはパレットボタン)、それからロゴの中間の境界線の位置(左辺から何ピクセル離れているか)。
その下の“Leftbox”と“Rightbox”には、左枠と右枠の中の文字、背景色、文字の色、枠の中の位置を指定する。
そのほか、ファイヤーフォックス使ってる人なら、このプラグインをダウンロードすれば、del.icio.usの操作機能すべてを右クリックで行える。「俺は博客じゃない」に関するウェブサイトをブラウズまたは検索しているとき、右クリックして「del.icio.us――Post current page」を選択すれば、自分のデリシャス・リンク集にそのページを登録することができる。もちろん、あなたはdel.icio.usに登録してラベルを「imnotboke」と命名したっていいわけだ。
もし、Flickrとdel.icio.usの操作がわかりにくいという人がいれば、コメントしてもらえれば全力で回答したい。
もし博客についてあまり理解していないなら、この文章を読むことをおすすめする(※未訳「blogとebnについて」)。
もし「博客」という言葉がわからないなら、これ(※未訳「博客の由来」)とこの文章(※未訳「博客の由来・個人版」)を読むことをおすすめする。当然、我々は「博客」という言葉の流行には、彼女(※木子美)の功績があったことを忘れてはならない。
■なぜ私は「博客」という言葉が嫌いなのか
2004年12月6日月曜日 by chiuyung
また巻き起こっている「博客」反対(※上記zheng氏記事)の声の中で、私が最も興味を持ったのは、今回は比較的激しい行動があることだ。つまり、ある人が「俺は博客じゃない」アイコンを自分のブログに置くことを提案し(※mao氏記事)、それによっていわゆる「博客」との境界線をはっきりと示しているのである。このような行為はいいものだと思う。私は一人のブロガーだと認識していることを明らかにするため、断固として事故の態度と立場を表明し、少しも曖昧にすることなく自分の好き嫌いを表現し、遠回しなその言葉を覆い隠すようなことはしたくない。これはブロガーの取るべき態度だ。
方興東博士と“博客中国”の成功は(もしすでに成功したとするならば、だが)、一連の不道徳な行為の上に作り上げられたものだ。
私はFXD(※方興東)に反対しているが、彼の観点に反対しているとか単純に「博客」というこの訳語の舌足らずさに反対しているのではなく、彼の深刻な不道徳な行為に反対しているのである。
“博客”という言葉の背後には、非常に嫌な強制的売買の概念の派手な宣伝が隠されている。また、他人の著作物のパクリ(権利侵害と改竄)行為が間断なく行われており、ブロガーたちとインターネット・ユーザーを尊重していない等々の批判の声には耳を傾けようとしない。
だから、もし私が「博客」という言葉を受け入れたとしたならば、それは方博士と「博客中国」のこのような不道徳・不誠実なやり方を受け入れることになってしまう。
この点について、私はできない。
私は人にものを押しつけるものすべてが嫌いだ。もしあなたも「博客」が嫌いならば、彼らの行列(※上記ken氏記事)に参加すればいい。
■博客=blogか? 派閥争いについても述べる
2004年12月6日 by liang
検索して私のサイトに来た後、ちょっと面白いと思ってくれる人たちがいる。あちこち見て、私がリンクしたサイトを一つひとつ見ていって、最後にこういう。「本当に面白い。僕も一つ作ってみよう」
最終的にどういうことでそう思うのか、私にはよくわからない。私の「博客/ブログ」を見た後、自分でも作ったので、見に来てください、というようなメールを送ってくれる人は少ないからだ。
事情は簡単だ。一種のネットワーク上の記録日記/個人資料/学習資料/獲得した知識管理システムがこのように流行するのは、その生命力に理由があるのであって、その名称によるものではない。
■名前は記号にすぎない。
私はかつてかなりの時間をかけてテンプレートを変えていいものにしようと努力した。しかし、loyoの一言で、私はこういう形式的なところに時間をかける必要はないとわかった。loyoは「あなたのブログを好きなのは内容のためであって、見かけによるものではないよ」と言ったのだ。私を博客と呼ぼうがブログと呼ぼうがまるでどうでもいい。名前は符号にすぎないからだ。名称を変えるだけで、一夜のうちに通俗的なものが陽春白雪(高尚な文芸)に変えることなんてできない。私はやはり自分の生活を記録するし、気になることは気になってしまうのだ。
■英雄は出所を問わない
初めて老父が私のブログを見たあと、こう言ってきた。お前が書いてる博客ってのは「竹影青瞳」のようなものなのか?(※竹影青瞳は自分のヌード写真と性的記事を公開した広州某大学の女性教授)我々いわゆるエリート(精華分子)は一切の知識を持っている。たとえば我々は「弱連接、社会性ソフト、XX法則」についても話すことができる。しかし、大衆の人の眼から見れば、我々はすなわちウェブ上で日記を書いたり、文章を書いたりする「小衆」なのだ(そう、「小衆」も我々がいつも言及する話である)。我々が発表したいと思っていることの大部分は、自分の楽しみが目的・結果である。小衆の外の人は博客とブログの見分けなんかつくわけもない。彼らが見るのは一つのウェブサイト上に載っている内容であって、内容が優れているものによって大衆はこのような現象を知るための土台とするのである。
■派閥争いはいつ止むのか
我々はあまりにも多くの派閥闘争を経験してきた。武侠小説ならこのようなものは余りにも多すぎる。正派(イイモノ)は道義に満ちて義理堅く、邪派(ワルモノ)を消すときには情に負けて攻撃の手を緩めるなどということはない。結局、最後に聡明な読者は悟るであろう。つまり派閥闘争の中では死傷者が多いけれども、この派閥の正邪と我々大衆は何の関係があろうか? 当然、法治社会においては、ネットワーク上で論戦し、ネットワーク上で人を倒す。数年前LinuxとWindowsの争いがあったのを覚えている。その後、私はLinux中国語化の論戦に加わったが、その結果はどうだっただろうか? 私は老父の手に入れた一台目のパソコン上に無理やりLinuxをインストールした。私が家を離れているわずかなすきに、老父は他の人に頼んでフォーマットを依頼してしまった。Windowsが開発してできた製品は、私が見たことのある中で最もよくできた製品であった。だから父はそれを使いたかったのだ。
■博客=blogか?
私はこの問題については回答を出すことができない。私の目の中では、それは一種の符号であり、それを区別するには特別な概念を受け入れなければならないからだ。インターネットとも「因特網」とも言うように、争う必要はない。同じか違うかなんてことは重要ではないからだ。わたしたちがこの世界に来たのは、派閥を勝たせるためではない。自分たち自身の記録を書くため、知識を分かち合うため、我々の声を発するためである。もし本当にこの「=」記号の上で文章を作りたくないというのであれば、言い争いのようなものは非常に有効だと思う。少なくとも、大衆に無料で、娯楽性に満ちたニュースを提供することができる。
■提案
もし最近文章を書くときの話題がないという人は、この口げんかに参戦してもいいだろう。もしこのような奇妙な方法で博客かブログかという話を広めたいという人は、この口げんかに参戦してもいいだろう。
■忘れずに
あなたが何を言うかに関わらず、最も重要なのはその内容であり、博客かブログかということは大して役に立たない。
■派閥とは関係ない
2004年12月7日火曜日 by chiuyung
“なぜ私は「博客」という言葉が嫌いなのか”に六翼さんがトラックバックしてくれた。
実のところ、「部落格(プールオクー)」という言い方は「博客」よりも聞きにくいが、「部落格」は「博客」ほど不快感を与えないと思う。誰も「部落格」という概念を強硬に推し進めようとしたり、人を従わせようとしないからだ。しかし「博客」はそうではない。この悪霊を作り出した人は必死でこの言い方をあなたの頭にすり込み、既成事実をもたらすことが目的なのだ。最も有力な証拠として、「博客中国」は人々の文章を転載してきたが、文章内の「blog」や「網絡日誌」などの言葉を「博客」の字に変換している。
だから、私は派閥争いをしているのでもなければ、どの訳語が一番いいかと争っているわけでもないのだ。どんな訳語でも受け入れるが、ただだれかがこのように野蛮なやり方で強制してくるものを受け入れるわけにはいかないのだ。
私は「博客」に反対している。これは絶対に名称や派閥の問題ではない。私が不道徳な行為だと認識する一切のものに対して反対するという態度を表明したいのである。
■blogか、それとも博客か
2004年12月7日 by shizhao
最近、blogか博客かという論争がすごい。甚だしきに至ってはロゴを作って自分の博客上で態度表明するという運動をしようという流れにもなっている。
実際のところ、cnblog社グループは基本的に反博客だ。私は最初ブログと博客の区別があるとは知らず、その呼び方を気にしたりしていなかった。しかし、方興東同志がこのように大々的に太鼓を打ち鳴らして博客という言葉を宣伝しているのを見て、方興東同志に対して先入観を持つようになった。彼のような人は私の中で受け容れることができない。今、私は「博客」という言葉を見たり聞いたりすると「全身鳥肌」状態になってしまう。しかし、わたしはブログ上に滑稽な「俺は博客じゃない」ロゴを貼ったりできない。これはつまらないし、おもしろくない。
■FXD(方興東)について
2004年12月9日 by shizhao
みんなが博客を嫌うのは、FXDと彼の博客中国が主にその理由だ。彼がまるまる転載し、剽窃するという不道徳な行為を批評している。実のところ、さらに重要なのは著作権侵害行為であって、これは道徳問題にとどまるものではなく、法律に触れる問題なのだ。ただ、もろもろの法律手段に訴える人がいないだけのことである。もしあなたが他人の文章を非商業目的に使うのであれば、普通は法律に訴えられるようなことにはならないが、博客中国はすでに商業ウェブサイトであると明言している。そもそもアドレスがblogchina.comだが、.comの意味は商業用ウェブサイトである。次に、博客中国は中華人民共和国電信・情報サービス業務経営許可証を受けている。これは営利機関に必須のものである。
完全に権利侵害し、違法に起こした営利機構が、意外にもこれほど長い間安穏と応援されてきたが、それは一つには国民の法律意識、特に著作権についての意識が薄弱であること、二つにはFXDの狡猾で下劣なやりかたに理由がある。
このようなものがいつまでも支持されえるか、まあご覧あれ。
■俺はXXじゃない
2004年12月9日 by 桑葚
「私は博客じゃない」って、こんな賑やかな話を見逃すなんてできないね。ネット雑誌を作っている人(慎重に言ってみました)として、僕はこう言っておこう。僕は博客じゃない。
この話題にはすでに長い歴史があったけど、今回の影響範囲は最も大きく、「声量は最大」になっている(Dan Gillmorは違うと言ってる。「中国のブロガーが勃興してきたが、声は大きくない」)、少し「デモ」的な雰囲気もある。Issac Maoの呼びかけとも多少は関係があるね。触発したのはおそらくNew Scientists上のあの文章でBo Keと書かれ、それからboingboingが文章中でBokeという単語を中国人ブロガーのこととして使ったからだ。
しかし、別の角度から「派閥闘争」(※上記liang氏記事)とか「ドタバタ劇」といった言い方をする人たちもいる。これは冷水なのか?ある意味ではそうだと言えるだろう。
いうならば、特徴とやり方からいって二つの派閥(cnblog.orgとblogchina)は、輸入業者(外国の概念、技術、「民主」を導入)と民族資本家(国際企業を攻撃し、国内企業を吹聴し、成功を喜び、「第一」癖があり、いい加減に他人の文章をコピーする)の違いでもある。
これまで博客中国を見たことはない。cnblogに対しては、ファンではないが、反感もなく、喜んで手を付けるわけである。このような事情はあるが、さっさと解決する方がいい。さもなくばあれこれややこしくなって、反感を持たれるだけだ。どうしてもというなら、どちらも違うと言わざるを得ない。僕は博客ではなし、ブロガーでもない。(じゃあ、僕は何なの? とりあえず僕は桑葚(桑の実)だよ:P)
(リンクが多いんでこの記事は面倒だった)
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- ウェブログ民草ジャーナルの可能性について 2003年10月20日 「■民間ジャーナリズムはどこまでやれるか」の項参照
- 2003年中国年度新鋭ランキング:ネット関連 2003年11月26日
- 木子美:性愛日記を公開した中国女性ブロガー 2003年12月02日
- はじめてのウェブログ内、方興東氏記事を翻訳したもの
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(旧: )
中国の最新ブログ事情、興味深く読ませていただきました。
各国でブログとは何か?どうあるべき?とか議論が展開されているのだと思いますが、中国での論争は、本当に熱いですね。インターネットならではの性格を色濃く持つブログ、そのインパクトの大きさを感じました。関連記事もこれから読みます。
very nice. i hope you'll update very soon. no proof of ideas: http://www.i-marco.nl/weblog/archive/2005/09/06/mint__a_review_with_a_differen , about a year ago i started