表音文字と表意文字
- 幸田露伴『普通文章論』第16回
もし文字が音声を示すために便利な表音文字であって、そしてその国の言語と言語運用法が完全に統一ルールのもとにある場合は、文章=言語、言語=文章であって、言語はもちろん心の中で指し示すものを発表するのであるから、文章を書くということは、文字の教育さえ受ければ女性でも子供でもできるはずである。だが、そういうことは学者の頭の中の理想ではありえるかもしれないが、現在の世界ではまだ出現していない。
また、もし文字が意味を示すために便利な表意文字であって、そしてその国の文字と文字運用法が完全に定まっているときは、文=心、心=文字であって、文字の教育さえ受ければ女性でも子供でもできるはずである。しかし、これもまた理想ではそうかもしれないが、実際にはそうなっていない。
そこで、現在の世界各国の状態を見ると、
- 第1:声音をあらわす文字を主として用いている国
- 第2:意義をあらわす文字を主として用いている国
- 第3:声音をあらわす文字と意義をあらわす文字とを混用している国
- 第4:声音をあらわす文字と意義をあらわす文字とを両用している国
などがある。
第1【表音文字】に属するのは欧米諸国で、いわゆるローマ字を主として用いている。しかし、意義をあらわす文字もまったく使わないわけではない。アラビア数字は厳然として意義をあらわしている文字として、発音をあらわしている文字の中に紛れ込んでいるが、その具合はよく調和が取れていて、主客が整っている状態は、実にこれらの諸国の幸福である。
第2【表意文字】に属する国は支那がその代表者である。しかし、音声をあらわす文字を全然使わないわけではない。口偏や言偏のついた文字に、意義ではなく音声をあらわす文字として用いられているのは少なくない。言偏・口偏がついているのは、たまたまこれが表音文字であることをあらわしているのである。
咇々(ピーピー)は鳥のピーピー鳴く声、撲通(プートン)はバッタリとものが水に落ちる音、喔々(ウォウォ)はニワトリの声、[口革]噊(ケユウ)はキジの声、必律不刺(ピループラ)はペチャペチャおしゃべりの声であるが、これらの文字はもともと意味がなく、実は意味ある文字の音だけをあらわすという目印に口偏がつけてあるものもあったり、また、本来意味のある字なのだが、ただその音だけを用いて、表意文字を表音文字としているものもあるから、単に表音文字とも言い難いのであるが、音をあらわしているのには違いない。
小説や戯曲や仏典の中の陀羅尼などにはずいぶん多く用いられていて、表意文字の中に表音文字がかなり具合よく調和しているのが支那の実態であるが、ミャウという音をあらわそうとして名養という2文字を左右に並べた[名養]などという文字を作ったりするのなどは、ずいぶん苦しいことでちょっとおかしなことに思える。
第3【表音文字と表意文字の混用】は日本などが当てはまる。音声をあらわす仮名文字と意味をあらわす支那文字とを双方混用して、我々の書く文章をなしている。
第4【表音文字と表意文字の両用】は朝鮮などが当てはまる。意味をあらわす文字だけで朝鮮風味を帯びた漢文を書くこともあれば、また諺文(オンモン=ハングル)と称する朝鮮文字、すなわち表音文字をもって自国の言語と合った文章も書いている。両方をそれぞれ別に用いているのである。
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