初代国家情報長官は、インターネットタイムの提唱者MITメディアラボ所長ニコラス・ネグロポンテの兄だが、黒い過去を持つ人物
アメリカはテロ対策として、国家情報長官のもとに15の諜報機関をたばねる諜報改革を行ない、初代国家情報長官としてジョン・ネグロポンテ氏が就任した。
- 米上院、ネグロポンテ氏の情報長官指名を承認(ロイター)
このジョン・ネグロポンテ氏はかつてホンジュラス大使だったころ、中米の反共政策に基づいて国内の人権侵害に目をつぶったなどの疑惑が持たれている。その後、国連大使、イラク大使を経て今回の職についた。
ジョン・ネグロポンテ氏の弟が、インターネットなどのメディアの世界で未来ヴィジョンを示し続けているMITメディアラボ所長のニコラス・ネグロポンテ氏。インターネットタイムの提唱者としても知られる。
以下、ジョン・ネグロポンテ氏の経歴について、wikipedia英語版から翻訳した。
■ジョン・ネグロポンテ
ジョン・デミトリ・ネグロポンテ(John Dimitri Negroponte 1939年7月21日生まれ)は初代合衆国国家情報長官(United States Director of National Intelligence)。1960年から1997年まで合衆国外務職員局に勤務したキャリア外交官。2004年6月から2005年4月まで国連大使、2001年9月から2004年6月までイラク大使をつとめた。
ニカラグアでコントラの秘密資金提供(イランゲート事件)に関与したこと、1980年代にホンジュラスにおいてCIAで訓練された工作員によって行なわれた人権侵害を隠したことで論争の的となっている。
■伝記
ネグロポンテはロンドンで生まれた。父親はギリシア海運業の大物であった。1956年にフィリップス・エクスター・アカデミー、1960年にエール大学卒業。その後、アジア・ヨーロッパ・ラテンアメリカの8つの異なった外務職員局につとめ、国務省とホワイトハウスで重要な地位を占めるようになった。1997から国連大使に任命されるまで、マグローヒル社の経営者であった。ネグロポンテは5カ国語(ギリシア語、スペイン語、フランス語、英語、ベトナム語)を話す。マサチューセッツ工科大学メディア研究室の創設者ニコラス・ネグロポンテの兄弟。
■ホンジュラス大使
1981年から1985年までネグロポンテはホンジュラス大使であった。在任期間に、ホンジュラスへの軍事援助を年間400万ドルから7740万ドルまで拡大させた。その当時、ホンジュラスを統治したのは、選挙で選ばれたものの極めて軍事色の強い政府であった。ニューヨーク・タイムズによれば、ネグロポンテは「ニカラグアでサンディニスタ政府を妥当するため、レーガン政権の秘密戦略」に関与した。大使在任中にホンジュラスでの人権侵害が組織的になったと批判されている。
ネグロポンテは、ニカラグア・コントラが合衆国によって訓練された場所であるエル・アグアカテの建設を監督した。この場所は1980年代に秘密の拘留拷問のセンターとして使われたとも批判されている。2001年8月、基地での発掘で二人のアメリカ人を含む185人の遺体が発見された。これはこの場所で殺害されて埋められたと考えられている。
記録によれば、CIAとアルゼンチン軍によって訓練されたホンジュラス軍特別諜報部隊・3-16大隊(一般に「暗殺分隊」と呼ばれる)は、合衆国宣教師を含む数百人を誘拐・拷問・殺害した。ネグロポンテは、これらの人権侵害について知っていながら、なおもホンジュラス軍に協力して議会に嘘をつきつづけていた、と批判されている。
1982年5月、エルサルバドルで10年間働いてきた修道女シスター・ラティシャ・ボルデスがホンジュラスへ実情調査団として赴いた。これは、大司教オスカル・ロメロの暗殺後、1981年にホンジュラスに亡命した30人のサルバドール人修道女・信者女性の行方を調査するものであった。ネグロポンテは、大使館は何も知らないと主張した。しかしながら、1996年「ボルティモア・サン」紙のインタビューで、 ネグロポンテの前任者ジャック・ビンズは、ボルデスが探していた人たちも含むサルバドール人グループについて、1981年にとらえられ、ホンジュラス秘密警察DNIによる拷問を受け、その後生きたままヘリコプターから投げ捨てられた、と述べた。
1984年はじめ、2人のアメリカ人傭兵、トーマス・ポジーとダナ・パーカーがネグロポンテに連絡をとり、米国議会がそれ以上の軍事援助を禁止した後もコントラに武器を提供したいと述べた。ネグロポンテは二人をホンジュラス軍に引き合わせたと文書に示されている。この行動は9カ月後に暴露され、当時のレーガン政権は合衆国の関与を否定し、ネグロポンテの個人的紹介とした。他の文書には、ホンジュラス政府を通してコントラに資金を流すというネグロポンテと当時の副大統領ジョージ・H・W・ブッシュによる計画が詳しく書かれている。
ジミー・カーター大統領によって任命されていたビンズは、ホンジュラス大使在任中、ホンジュラス軍による人権侵害について多数の苦情を述べており、自分が職務を離れる以前の状況についてはネグロポンテに十分に伝えたという。レーガン政権が権力を得たとき、ビンズはネグロポンテにとってかわられた。ネグロポンテは一貫してどんな悪事も知らないと言い続けた。後に、ホンジュラス人権委員会はネグロポンテ自身を人権侵害の罪で告発した。
ネグロポンテその他の合衆国高官については、元ホンジュラス下院議員エファイン・ディアスがバルティモア・サン紙に語っている。これは1995年、合衆国のホンジュラスでの活動についての大規模な調査を発表したものである。
「彼らの態度は寛容と沈黙であった。罪もない人々が殺されることについて心配するよりも、ホンジュラスに多くの投資を受けることを必要としていたのだ」
サン紙の調査で、CIAと米国大使館が多数の虐待を知っていたものの、3-16大隊を支援し続け、大使館の年度人権報告には全体が含まれていなかった、ということが明らかになった。
直接認められていたというわけではないにしてもCIAの支援のもとでホンジュラス政府によって深刻な人権侵害が行なわれていることを、ネグロポンテは知っていた、という見方を裏付ける実質的な証拠がさらに登場した。コネチカット州選出クリストファー・ドッド上院議員は、2001年9月14日、「連邦議会議事録」報告にあるように、ネグロポンテが国連大使の地位に指名されたときに疑惑を表明した。
国務省とCIA文書についての委員会の再調査に基づけば、ネグロポンテ大使は、1989年に委員会で述べたり、年次国務省人権報告で大使館が報告したよりもはるかに多くの政府関与の人権侵害について知っていたようである。[1](http://www.fas.org/irp/congress/2001_cr/s091401.html)
いくつかの証拠の中で、ドッドは1985年にネグロポンテが送った外電を引用した。それによって、1984年に罷免されたアルバレス将軍の残した「秘密作戦支部」によって「将来、人権侵害」がなされる危険があることを、ネグロポンテが気付いていたことが明らかになった。
2005年4月、国家情報長官のための上院公聴会で、ワシントンポスト紙の情報の自由法にもとづく要請にこたえて、国務省から数百の文書が公開された。ネグロポンテがホンジュラス大使の期間にワシントンに送った外電の資料によって、サンディニスタに対する米国秘密戦争遂行において、以前知られていたよりもずっと積極的な役割を果たしていたことが明らかになった。ワシントンポスト紙によれば、外電から浮かび上がるネグロポンテの人物像は、
極めて精力的で行動的な大使であり、反共産主義的理念なるがゆえに、地域において最も信頼できる合衆国同盟国ホンジュラスでの人権侵害を過小評価するように仕向けた。多数の政府への反対者が不可思議に失踪したことを含めて、最も言語道断な侵害を調査するようにホンジュラス当局を説得するために、「沈黙の外交」を使ったのだ、というネグロポンテの主張を裏付けるような国務省文書は、これまでのところ、ほとんど存在しない。[2](http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A44944-2005Apr11.html)
ニューヨーク・タイムズ紙によれば、文書によって明らかになったのは、
熱狂的にロナルド・レーガン大統領の戦略を遂行した、不屈の冷酷な戦士。人権侵害の責任があるホンジュラス軍将軍が、ニカラグア政権との和平会談は危険な「トロイの木馬」かもしれない、と警告したことについて称賛する報告をワシントンに送り、コントラ支援についてのホンジュラスの役割をさらに機密にするようにワシントン当局者に懇願していたことが、文書によって示された。
レーガン政権における中央アメリカでの反共攻撃について、ネグロポンテが当時のCIA長官ウィリアム・J・ケイシーとともに行動していたことを文書は示している。ニカラグアでの反政府運動として知られていたコントラへの支援を認める秘密の1983年大統領「調査結果」で言葉を選んで表現するのを手伝い、ホンジュラス軍当局者と定期的に会って、秘密活動への支援を勝ち取り、維持してきた。[3] (http://www.nytimes.com/2005/04/13/politics/13contra.html?)
調査ジャーナリスト、ロバート・パリー(Consortiumnews.com)によれば、外電によってわかることとして、ネグロポンテについてこう述べている。
ホンジュラスを、ニカラグア・コントラ反政府主義者のための基地とするという任務に非常に熱心であり、そのためホンジュラス政府にとって都合の悪い証拠をしょっちゅう無視してきた。当時、レーガン政権は、ホンジュラスのように重要な同盟者についての致命的な情報を聞きたいとも思っていなかった。
ホンジュラスに在任した4年間、ネグロポンテはホンジュラス政府に「友好的な視線」を投げかけた。つまり、何百人という反体制派を排除する「暗殺部隊」の証拠をまったく知らないと主張したのだ。ホンジュラスを麻薬密売者の中継点にしている軍の行動にも目をつぶってみせた。[4] (http://www.consortiumnews.com/2005/041305.html)
■国連大使
ブッシュ大統領は就任後すぐにネグロポンテを国連大使として発表したが、それはまばらにしか抗議されなかった。上院承認公聴会でネグロポンテに対して都合の悪い証言を行なうことができる元ホンジュラス暗殺部隊員を、当局は意図的に合衆国から追放することを決定した、と断言する批評家もいる。
追放された一人は、3-16大隊の創設者ルイス・アロンゾ・ディスカ大将である。前の月に、アメリカ政府はホンジュラスの国連副大使であったディスカのビザを無効にしていた。ホンジュラスに戻った後、ディスカは、1983年に2カ月間合衆国に連れてこられて3-16大隊を組織した、と述べた。[5] (http://www.commondreams.org/headlines01/0325-03.htm)
■イラクでのネグロポンテ
2004年4月19日、ネグロポンテはジョージ・W・ブッシュ合衆国大統領によって、6月30日の主権引き渡し後の駐イラク米国大使として指名推薦された。95対3の投票で2004年5月6日に合衆国上院によって認証され、2004年6月23日、L・ポール・ブレマーにかわって、イラクにおける合衆国最高位のアメリカ人文民として公式に宣言された。
ネグロポンテが駐イラク米国大使として過ごした数カ月間、イラクの合衆国文民から汚職・不正利得・賄賂を取り除いたため、フレッド・カプランのようなブッシュ政権批評家からさえも称賛を受けた。[2]
■国家情報部長への指名
2005年2月17日、ジョージ・W・ブッシュ大統領はネグロポンテを初代国家情報部長に指名した。これは2004年末、9/11委員会からの勧告で作られた地位である。2005年4月21日に、ジョン・ネグロポンテは98対2の投票で上院で認証され、国家情報長官として宣誓を行なった。
■合衆国国家情報長官
国家情報長官(DNI)は、合衆国閣僚レベルの当局者で、情報コミュニティを構成する15の部門を調整し、大統領の主要な諜報顧問である。DNIのポストを作ることは、9月11日攻撃を調査する国会上院情報委員会による勧告の1つであった。
2005年2月17日、ジョージ・W・ブッシュ大統領は、駐イラク米国大使ジョン・ネグロポンテをこの職に任命し、上院の承認を求めた。ブッシュ大統領が国家情報長官として最初に選んだのは元CIA長官ロバート・M・ゲイツであったが、辞退された、と報じられている。
2005年4月21日、ジョン・ネグロポンテは国家情報長官として賛成98対2で認証され、その日にブッシュ大統領によって宣誓させられた。
かつて、中央情報長官(Director of Central Intelligence = DCI)が情報コミュニティを総括し、大統領の主要な諜報顧問として働き、またCIA長官も勤めた。中央情報長官(DCI)という肩書きは、現在、CIA長官(DCIA)となり、CIAのトップとしてのみ働くこととなる。
■立法の背景
2004年諜報改革とテロ防止法は、下院336-75、上院89-2の賛成で通過し、ジョージ・W・ブッシュ大統領は2004年12月17日に法律に署名した。この法律はDNIのポストを作り、カウンターテロリズム・センターを設立し、政府の異なった部門・機関のあいだのコミュニケーションをはかろうとするものである。
法案をつくる際の妥協によって、DNIは国防省諜報機関についての統制力をほとんどもたないお飾りになってしまったという批判もある。
■関連リンク
■ジョン・ネグロポンテ
■弟:MITメディアラボ局長ニコラス・ネグロポンテ
- ビーイング・デジタル - ビットの時代 新装版
- ヒューマン・インターフェース―コンピュータとの交遊未来学
- Nicholas Negroponte(本人のページ)
- 【レポート】Beyond Being Digital -ニコラス・ネグロポンテ-(1) (MYCOM PC WEB)
- 【レポート】Beyond Being Digital -ニコラス・ネグロポンテ-(2) (MYCOM PC WEB)
- Wired News - ネグロポンテ所長が語るメディアラボの現在と未来 - : Hotwired
- インターネットタイム推進委員会
- 17.インターネット・タイム?
- Internet Time(しばさん作成)
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