あのころインターネットはアングラだった。ばるぼら『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』の感想と裏話

教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書

 いよいよ待望の本が出る。日本のインターネットの歴史を、ネット内に漂う視点からまとめあげた初の、そして決定版ともいえる書籍――『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』だ。

 ばるぼらという人は、常に時代の半周先を走っていて、しかも半周後ろをついていく我々の記録を記録し続ける人だという印象がある。時代がばるぼらに追いついたときには、彼はもう飽きてしまっていて、さっさと次のもので遊んでいる。たとえば、今の通称名「ばるぼら」のもとになった「ばるぼらアンテナ」は今のishinaoさんのblogmapやはてなダイアリーの「注目URL」を先取りするものだった。

 単に後ろを向いている歴史家ではない。自分自身が「これから来るもの」を先取りしておき、みんなが追いついてきたらそれを記録する。しかも自分自身の痕跡は歴史から消しておこうとする((MOKでのばるぼら発言「前の代のログは引き継がない!」(笑)))。実際はニッポンのインターネットの歴史はばるぼらに操られているのではないかとさえも妄想したくなる。

 そんな大著の感想とか裏話とか。

2005年5月 7日06:07| 記事内容分類:ウェブ社会, 書評| by 松永英明
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出版企画とロック

 2003年夏、私は独立してライターとしてやっていこうと考えてこのサイトを立ち上げる一方で、出版社にいくつか企画を持ち込み始めていた。その中の一つとして、実はばるぼらさんと共著で、当時ウェブに公開されて(特にニュースサイト界隈で)話題を呼んでいた「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史ヽ(´ー`)人(´ー`)ノ」を書籍化するという企画を立てていた(企画を立てた直後あたりに閉鎖されたのだが)。そこでばるぼらさんと連絡を取り、会って話をすることができたのだった(当時はばるぼらさんといえば「会えない人」という雰囲気があって、最近の露出具合は本当に驚きである)。

 飄々とした雰囲気で登場したばるぼらさんは、ロック少年という感じのちょっと内気そうな人で、まさかこの人がアングラから何からインターネットの歴史についての生き字引的存在だとは信じられない雰囲気だった。

 さて、そのとき彼が強調したのは、一冊のロック本だった。例の年表ページの末尾にはこう書かれている。

Special Thanks(めっちゃサンクス)

1992年にJICC出版局から発行された「日本ロック大百科・年表編」を読んでいる最中に、 この本のインターネット版を作りたいと考え、このHTML文書を書き始めました。 編集者の高田卓弥氏に勝手に感謝して終わります。んにゃ。

 ばるぼらさんに会う前に、この「日本ロック大百科・年表編」を図書館で探し出して借りてきていた。日本のロックについて、マニアックとしか言いようのない詳細な年表と、それにともなう様々なロックシーンについての解説をまとめ上げた本である。一言で言えば、ごく限られた客層にカルト的人気を得るであろうというスタイル。

「本を作るなら、こんな感じにしたい」

 ばるぼらさんの要望は単純かつ明確、しかしそのままでは企画を通しにくいものであったのも事実である。とりあえず、この年表データと彼のミニコミ「betweens!」を土台に、もう少し一般にわかりやすいようにネット内のジャンル別解説(日記サイト、テキストサイト、メルマガ、掲示板……)を加え、最後はブログに至る歴史で締めくくるという企画を立て、これをいくつかの出版社に持ち込んだ。

 その一つが宝島社であった。他の企画をメインで持っていき、おまけで「こういうのもあるんですが……」と「ブログに至る日本のインターネットの歴史」の企画を出した。そのとき、担当の編集者の方の表情が変わった。

「この『日本ロック大百科・年表編』って、俺がやったんだよ」

 なんと、ばるぼらさんのあの創作意欲を生み出した本の担当編集者にめぐりあえるとは! 偶然にしてもできすぎた話だが、現実というのは恐ろしい。だが、その後に続いた言葉は絶望的だった。

「でも、この本って、すごく売れなかったんだよね」

 あんな感じの本はもう作りたくない、ということであった。

 この2003年秋当時はブログブームといってもまだ一部のもので、今のように一般化するというのは希望的な観測でしかなかった時期である。はてなダイアリーはまだブログと名乗っていなかったし、ココログもまだ始まっていなかった。微妙に時期尚早だったのだろう。

 こうして、私の「ばるぼらさんの名声に便乗して本を出す」というセコい野望はあっさりと潰えた。一方で、それとほぼ同時進行で独自にこの難題を形にしようとしていたのが、翔泳社の編集の毛利さんであった。私自身は毛利さんには『はてなの本』でお世話になったわけだが、『歴史教科書』はそのシリーズとして企画されていた。そして、なかなか連絡がとれないということで毛利さんが焦りまくっていたのだが、「そういう人ですから」と言うしかなかった。

 そして、2004年も終わり、2005年半ばの今、ようやく出版されたわけである。まさに「待望の」という言葉がふさわしい。『日本ロック大百科・年表編』とこの本の最大の違いは、発売前の口コミ評価がすでに非常に高いということだろう。2ちゃんねるではどうか知らないが、自分の知る限り、あやしいわーるどやあめぞう、個人ニュースサイト系の人たちにとっては「ほぼ手放しの絶賛」である。

最低限この本に書かれていることは押さえておくように

 さて、『歴史教科書』を一通り読んでみたのだが、何というか微妙なツボが完璧に押さえられていて、これを典拠にすればたいていの場合は問題がないと思う。そもそも、ばるぼらの人自身が「中途半端な解釈をしたり顔で振りかざして集中砲火を浴びる」という現象を数多く見聞きしてきたわけで、そのあたりについては細心の注意が払われているのも当然の話。

 たとえば、フォントいじり系テキストサイトの由来などは簡潔にポイントが完璧に押さえられている。ちょっと引用しよう(326ページ)。

 フォントいじり系の特徴は「黒い背景+文章センタリング+強調部はフォントの拡大と色替え」で、これはかつてのゲーム系テキストサイト「A_Prompt.」や「"FUNNY" GAMER'S HEAVEN」に源流があるが、「侍魂」はそうした第一世代に影響を受けた「斬鉄剣」からの孫引きだと当時語っていた

 侍魂が「フォントいじり系第3世代」という事実は、まあネット外の人にとってはどうでもいいわけだが、当時のテキストサイトを見ていた人に取ってはツボといえる。

 10行程度の記述の事実関係を洗い直すために1日かけたりもしていたというのだから、本当に労作である。もちろん、だからといって鵜呑みにしろというわけではないのだが、インターネットの歴史的なことを書く場合は、少なくともこの教科書に書いてあることくらい確認して当然ということになる。

 たとえば、サイトを構築するのに静的出力(HTMLファイルを作る)にするか、それとも動的出力(表示毎にCGIを使う)を使うのか、ということについては、今のブログツールでいえばMovable TypeとNucleusを対比させる以前に、「教科書」262ページ下段を参照すべきなのだ。そして、そこには重要な指摘がちゃんと書かれている。

あのころインターネットはアングラだった

 この本はばるぼらさんの一人称の視点であるがゆえに、彼の興味から外れる分野については網羅されていない。それは欠点ではなく特徴である。紙面の都合というのもあるだろうが、たとえば学術的な分野はさらっと流されている。

 ではどういうところが重要視されているかといえば、まあこれは私の興味対象と重なるからよけいに印象が強く感じるのかもしれないが、あやしいわーるど掲示板やWarezの話題から展開する「アングラ系」の部分である。

 この本の宣伝文句には「あなたの「インターネットが一番楽しかった頃」はいつですか?」と書かれている。96年に商用プロバイダでインターネットに接続し始めた自分にとっては、「学術・研究のためのインターネット」はあくまでも「先史時代」にすぎない。そして、ネットを始めたころにコモエスタ坂本氏の「嬲リンク」事件を眺めたのは印象が強かったし、個人的にはいわゆるアングラサイト(ハック・クラックよりはむしろアンダーグラウンド文化というか)こそがインターネットというイメージがあった。無料で使える無法者の巣(金のかからない歌舞伎町というか)という雰囲気があって、「ネットは危険」で「匿名でなければ危ない」のが当然だったし、反社会的・反常識的・反体制的あるいは特殊な趣味が堂々と振る舞える場所というのが自分にとってのインターネットのイメージだった(ネットのすべてがそうだったわけではないのは当然であるが)。そう、雑誌『インターネットマニア』や『インターネットトンデモ活用術』の時代だ。

 それが世紀の変わり目あたりからどんどん薄まって、インターネットは本当に一般社会の投影になってきたように感じている。ネットで買い物をするとか、アフィリエイトだとかは本当に最近になって可能になったことだ。今や「インターネットマニア」的なノリはネットでは流行るまい(実際、あの休刊が一つの区切りだったようにも思う)。

 そんな印象を持っている自分にとって、「あのころ、インターネットって本当にアングラの巣窟だったよね」ということをきちんと書いてくれているこの『教科書』は、今とはかなり雰囲気の違う「あのころ」を正確に思い出させてくれる。

 過大評価でもなければ過剰な否定でもなく、ただ「あのころのあの雑然とした雰囲気」をよみがえらせてくれるのが嬉しい。

書かれていないことは自分で書け

 これはばるぼらさん自身も書いていることだが、ネットでの出来事のすべての内容が網羅されているわけではない。たとえばメールマガジンについては記述が省かれているから、Radicaやサイバッチ!の功績と対立などについては出てこない。あるいは事件――ドクターキリコやサイバーウォッチネットワークの話題なども扱われない。

 しかし、それはまったく欠点となっていないのがすごいところである。もし不足があると思うなら、黙って増補版を待つか、それとも自分自身の手で教科書副読本を作るかすればいいのである。「歴史教科書」というネーミングは絶妙だと思う。歴史教科書はすべてを網羅しないが、重要ポイントについては情報が詰め込まれているものである。もしさらに詳細を知りたければ、その分野についてはさらに詳しい参考書を探すなり、自分で作るなりすればいい。

読後感

 この「先行する歴史家」の大著を読み終わったとき、「歴史は繰り返す」の一言がずしんと身にしみる。二年ほど前からのブログブーム自体が、実は前世紀末の「マイホームページ」ブームと似たような構造を持っていることは、すでに指摘されているとおりであるが、改めてそれを認識せずにいられない。

 おもしろいのは、実はネット上で一定の影響を与えてきたばるぼらさん自身が自分の痕跡を消した形で歴史を書こうとしつつ、その紹介自体はばるぼらさんの一人称の視点が貫かれていることだ。それでいてすべてを相対化しようとする。この本はばるぼらさんの過去のインターネットの記憶そのものを封印しようという試みなのかもしれない、と思ってみたりもする。

 それでも彼は時代の先を突っ走り続けるだろう。それは、ただそれが「面白い」からなのだ。

教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書
教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書

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2005年5月 7日06:07| 記事内容分類:ウェブ社会, 書評| by 松永英明
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このブログ記事について

このページは、松永英明が2005年5月 7日 06:07に書いたブログ記事です。
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