ミュージカル・バトンはなぜ大流行になったのか
2005年を振り返るシリーズ【6】
2005年6月、ミュージカル・バトンの大流行現象が起こった。このブログでも初期に参加し、またその解説も合わせて書いている。
このミュージカル・バトンには批判もみられた。たとえば、「強制される感覚がいや」「ブログでのチェーンメールみたいなものなのだから、止めなければいけない」という批判から、「これは音楽業界のどこかが仕組んだマーケティングリサーチだ」という陰謀論に至るまで、一部で強い反発を招いたのも事実である。
だが、チェーンメールであれば絶対に(ネタにはしても)回すはずのないウェブのパワーユーザー、あるいは著名なネットワーカーも、このミュージカル・バトンにはこぞって参加している。そして、今もバトンは新しく作られ、どこかで回り続けている。
なぜミュージカル・バトンは受け入れられたのか。少々考察してみた。
■intermission
この話題は当初、7月ごろに発表しようと思っていた内容だが、多忙のため延びているうちに入院までしてしまい、さすがに9月になっては時期はずれだろうと思ってお蔵入りした。
当時、ミュージカル・バトンのルールを示すために上記記事にリンクしてくださる方が後を絶たなかったので、そのページへのアクセス数を解析すれば、その盛衰がわかるだろうと思って、グラフまで作った(でもそのグラフデータは消えてしまった)。それによると、数日で盛り上がりを見せたバトンページへのアクセスは、1週間程度で実数はかなり減ったとはいえ、それでもこのブログでのトップクラスのアクセス数を維持し続ける。たまに最新記事が人気を集めてページビューで上位に来ても、一日・二日で逆転。結局、七月末まではバトンページのアクセスがトップを占め続けるという異常事態が続いたのである。……というようなことを枕に書こうと思っていて、その文章データも消えてしまった。
しかし、今年のウェブを振り返る上で「ミュージカル・バトン」現象ははずせないと思うので、今更というか「今年を振り返る」という口実で、改めて書き直してみる。
■ミュージカル・バトンの起源についての再考
「Doblog - ひまじゃのう -」には、「心を操るウィルス「Musical Baton」ミームの感染記録」と題した5回連続のシリーズがある。これは、バトンがどのように広まっていったかというデータについては、非常に優れた記録を提供してくれている。
しかし、ここでは「ミュージカル・バトン」=「チェーンメール」と規定され、「先験的に(無条件に)悪いもの」として扱われているようである。おそらくそのためでもあろうか、このバトンの起源が次のようにまとめられている。
5月9日、一人のアメリカ人が、友人の勧めで「このミームがどのように広がるかを見てみたい」との動機から、音楽に関する4項目のアンケートをブログに書き込む。そしてお互いに面識の無い5人を次の回答者に指定。(もっと古いものもあるようだが、それは今回のミームの直接の祖先では無いと思う)。ミームのタイトルは、ずばり、
「Music Victim Meme」
である。Victimとは、犠牲者、被害者のこと。しかし、このミームは、あまり流行しなかった。5月12~13日頃、タイトルが「Musical Baton」に変わり、15日頃から爆発的な感染力を得ることになる。
しかし、この考察にはうなずけない。このブログの「じいや」さんは、「もっと古いものもあるようだが、それは今回の直接の祖先では無いと思う」とあっさり否定されているのだが、それは「このミーム(バトン)は、犠牲者・被害者を生むことを前提として作られた悪しきものである」という先入観によるものではないだろうか。
ミュージカル・バトンの起源について最もよくさかのぼっているのは、以下の3記事であろうと思う。
- こわいものしらずのこわいものみたさ: みゅじかるばとんの元祖はMuziekstokkieなのだろうか。2005.6.18
- こわいものしらずのこわいものみたさ: music memeというのが、はやってたみたい。2005.06.19
- はてなダイアリー - Musical Batonとは
つまり、オランダ起源ですでに広まっており、「Music Victim Meme」こそが亜流であると考えられるわけである。少なくとも、すでに存在したバトンをいたずらでVictim Memeに変えた人がいたとしても、それはすぐに元に戻された、と見るべきだろう。
■「ミュージカル・バトン=悪」を前提とした議論には応じられない
「じいや」さんは次のように書いている。
多くの人がこのミームを疑うことなく受け入れたが、誰もまったく疑問をいだかなかったわけではなかった。かなりの人が、これは何だ?と思って、おそらく調べている。そのときに大きな役割を果たしたのが、検索エンジンで上位に表示されている「Musical Baton」の説明ページだ。これは、日本だけに特徴的なことだが、多くのブログがこのページを参照するようにリンクを張っている。もしここに、このミームの意図や次の人に回す際の注意が書いてあれば、これほど感染が拡大することはなかったであろう。だが、そうではなかった。このページがいわば、「お墨付き」を与える役割を果たしていたように思う。
この「説明ページ」だが、はてなダイアリーキーワードと、私のまとめ記事が多く参照・リンクされていたし、それ以外に説明ページはないから、私も断罪されているといえよう。
しかし、この「ミーム」に「感染」することが「悪」と考えない私は、これについて責任を感じない。
なお、このバトンに関する他の「陰謀論」については、こちらの記事で充分に反論されていると思われる。
■本当に悪いものなら、なぜギークたちが乗っかったのか
「あの人たちもやってるからいいじゃん」というような低次元の言い訳をするつもりはない。しかし、多くの日本の一流ギークたち、あるいは有名なブロガーやサイト運営者がこぞって初期のミュージカル・バトンに参加している。
もし、このバトンが有害なものであるならば、彼らはむしろ止めるよう警告するか、あるいは黙殺したはずである。しかし、実際には多くの有力ギークや有力ブロガーたちがこぞって積極的に参加し、さらに5人に回している。この事実は、実際のメールによるチェーンメールと違って、バトンには害がないと判断されたということを示している。
具体的に示そう。
- naoyaさん(元ココログ開発者、現はてなCTO)
- 宮川達彦さん(bulkfeeds, bulknewsの人、現six apart社員)
- 結城浩さん(Yuki Wikiの作者、その他perl界の重鎮)
- Milanoさん(Movable Type日本語化の功労者)
- Modern Syntax(長澤)さん(BlogPeopleの運営者)
- 津田大介さん(音楽配信メモ)
もちろんまだまだいるが、もう充分だろう。彼らは、普通であればチェーンメールを止めようと必死になるはずの人たちである。しかも、宮川さんのように「チェーンメール」という言葉を明確に使いながら、それでも回すことにためらわなかった例があることを考えると、これは「メールでのチェーンメールとは別だ」という意識があったはずだと思う。
もちろんバトンを「不幸の手紙かマルチみたいでキモい」と言い切ったただただしさん(tDiary開発者)や、始めた人は「こういうことをすると叩かれるのが解ってるから行方をくらました」のではないかと推理した東京大仏TVの農宗さんのような人たちもいる(単に起源がわからないだけだとは思うのだが)。しかし、その「止めた理由」は、多分に気分的なもの、あるいはあまり内容が面白くないという理由が大きいように思われる。むしろ、たださんの場合は「流れに逆らっていちびってみせる芸」のようだし。
まあ、のっかった人の感想としては、「自知之明 | Musical Baton その後」のコメント欄あたりにけっこう共感する人も多いのではないかと思う。
■バトン前史
ミュージカル・バトン以前にこのような「バトン」が席巻していたという話はほとんど聞かない。しかし、少なくとも日本において、バトンを受け入れる土壌はすでにできていたように思われる。
■100の質問
日本でおそらく2001年ごろから広まったと思われるのが「100の質問」である。ある属性を有する人たち(ねえさん、本好き、映画ファン、○○マニア、はてなダイアリー利用者、などなど)に対して、それにまつわる質問が100問用意されている。実例はここで見てもらうといいだろう。
「ウェブログユーザー(ブロガー)に100の質問」なんてのもある。この「100の質問」は、場合によっては20になったり、あるいは10になったり、と数を変える場合もあった。
多くの「100の質問」が「ねえさんたちに100の質問」を元にして作られたことは間違いないと思われるが、この質問は2001年6月17日に規約を制定しており、また、当時のサイトのアクセスカウンターは「2001.12.14」から始まったと表示されている。
しかし教科書には載らないVNIの歴史ヽ(´ー`)人(´ー`)ノによると、2001年12月11日には「バーチャルネットみならいチーユ12歳 VNIに100の質問を発表」とあり、「100の質問」の歴史はもう少し古そうだ。
まあ「100の質問」そのものの歴史は別の人に任せるとしよう。
ここで注目したいのは、「100の質問」の扱われ方だ。これは、一種の「サイト管理人の自己紹介」に役立つものとして活用されているのである。このサイトでも、本当に訪問者が知りたい20の質問 [絵文録ことのは]2004/01/13に答えたことがあった(内容が微妙に古くなっているので注意)。歴史系のサイトなら「歴史好きに100の質問」に答えたり、音楽サイトなら「音楽好きへ100の質問」に答えることで、その管理人の自己主張ができるわけだ。一種の「共通フォーマットによるサイト履歴書」のような役目を果たしているともいえよう。自己紹介欄にこの「100の質問」を活用しているサイトが多いこともそれを裏付けている。
ミュージカル・バトンは、日本風にいうならば「音楽好きに5つの質問」ということになろう。したがって、自分の好きな音楽を表現することで自己紹介的な役割を持たせることに違和感のない人にとって、ミュージカル・バトンは「100の質問よりもはるかに手軽な100質」だったと思われる。
もっとも、100の質問には、誰かに回すという発想はなかった。
■friday five
2001年11月21日に英語圏で始まった「the friday five」(日本の「100の質問」とシンクロしているのが面白いが、相互影響はなかったはず)。
毎週金曜日に、5つの質問が出される。それに多くの人がブログや日記で答え、friday fiveサイトにフィードバックする。ただそれだけの仕組みだが、これは日本でも2003年からブロガーの間で広まっていた。私自身も10回ほどやっていた。
やはり共通の質問に答えるという遊びには、おもしろみがある。そして、friday fiveに答える人たち同士がお互いの回答を見て楽しむところから、回答者のコミュニティもできつつあった。
しかし、friday fiveは惜しまれながら2004年5月6日に終了。その後は「the friday five」が受け継いでいるようだが、日本では本家終了とともにブームは去ったように思われる。
このfriday fiveとミュージカル・バトンは、次の人に回すという要素を除いてまったく同じである。質問内容がつまらないとかたわいないという批判を受けているところもそっくりだ。
■はてなダイアリーが選ぶ名盤百選・映画百選
さて、ここまではあくまでも「書き手が能動的に質問に答える」というものであり、バトンが回ってくるという要素はない。だが、日本ではミュージカル・バトンの流行前に、リレー形式の企画があった。それが「はてなダイアリーが選ぶ名盤百選である。これは「映画百選」や「一冊百選」などの人気企画を生み出した。
「名盤百選」「映画百選」は、はてなダイアリーユーザーの中で、リレー形式で一人1枚ずつの「名盤」を選び、合計100人で100枚の名盤をリストアップしようという企画であった。これは、回してほしいと思っていても回ってくるとは限らないというスリルもあり、回してもらえなかった人がひがむという現象も生み出した。それをある程度回避するために「振ってくれリスト」もあったわけだが、こういうリレーに「参加したい」と思うはてなダイアリーユーザーがかなりの数で存在していたことは事実である。
その結果、これはトラブルを生み出した。「振ってくれリスト」に登録していたにもかかわらず、自分をとばして別の人に回された、という人が強烈な不満を持ち、ついに実力行使に出たのである。
- 日々是精進セピア:はてなダイアラー映画百選問題について(2004年3月31日)
- はてなダイアラー映画百選No.43.5 『ミニモニ。じゃムービー お菓子な大冒険!』(2004年6月1日)
- はてなダイアラー映画百選の件について(2004年6月8日)
つまり、特定の人にしか回らないのが権威主義的・選民思想的であり、許せない、という主張だ。だからといってゲームのルールを破っていいという理由にはならないのだが、結局、これ以降、「百選」は(名盤百選出版計画の頓挫もあって)勢いを失っていった。
その後の「百選」は、「誰でも自由に書ける」「100に限定しない」などのスタイルなどを模索したのだが、逆にそれは注目されず、盛り上がりを欠いていくのである。
しかし、ここで「リレー」「バトン」という言葉はすでに使われていた。そして、限定された人たちにだけではなく、参加したい人ができるだけ参加できるような形でリレーというのは面白いんじゃないか、という「前例」がすでに存在していたのである。
■いいともチェーン日記
この記事を書くために検索していたら、龍成さんのところで(百選トラブルに関連して)「いいともチェーン日記」が日記サイト界で広がっていた(止めたのは龍成さん)と書いてあった。そういえばそういうのもあったような。
2000年に終了。リレー形式そのものは以前にもあったということで、それが疎外感を生まずに続くためには複数人に回す制限なしリレーでなければならなかったということだろう。
■ミュージカル・バトン上陸
はてなダイアラー映画百選でid:Mattyan氏が「バトンを受け取ってもいないのに勝手に割り込む」というルール破りをやって紛糾してから約1年。ついにミュージカル・バトンが日本に上陸した。
しかし、それを受け取る側の日本ブロガーには、たとえ自分が参加したことはないとしても、いくつかの共通の質問に答える「100の質問」「friday five」、リレー形式でつないでいく「百選」という前例があった。そこであまり違和感なく、「自己紹介の一環にリレー形式というゲームが加わったもの」として受け入れられていったのではないだろうか。
少なくとも、振り返ってみれば、「自分がバトンを受け取った」とき、自分のブログで音楽ネタに触れるいい機会だな、と思ったし(別にネタに詰まっていたわけではない)、「名盤百選」で近いところまで来ながら外されたという過去もあって、自分としてはまったく抵抗感なく書いたものである。
ミュージカル・バトンは、強烈な伝達能力を持つ「ミーム(ネタ)」としていくつかの要素を備えていた。これを研究することは、ネットの情報学においても必要だと思う。
■項目数が5
friday fiveの伝統かもしれないが、100の質問に根気よく答えるようなのは勤勉な日本人くらいじゃないかと思う(あと港台のオタクたち)。20でもけっこう大変だ。5つの質問(あるいは5枚のCDをピックアップ)というのは、多からず少なからずなのだろう。
■テーマが音楽
音楽は、一般的・普遍的に「自分語り」をしやすいテーマであろう。たとえば、これが「車バトン」だったら、車を持っている人限定になってしまう。「PCバトン」には趣味が出にくい。「食べ物/飲み物バトン」は誰でも答えられるが、単なる好き嫌いで思想は出ない。答えたけど、だから何?みたいな感じになってしまう。
おそらく最初が「ブック・バトン」「ムービー・バトン」であってもミュージカル・バトンと同じように広まった可能性があると思う(趣味的で普遍的、自分の思想をあらわしやすい)。いや、ミュージカル・バトンは、テーマがよかったがために生き残ったといえるかもしれない。
■回す相手として3~5人を指名
当初のバトンは3人に、やがて5人に回すというルールに変わっていった。この人数が絶妙だったということもある。一人に回すのであれば、もっと早い時期に終了していただろうし、広まりもしない(ねずみ算にはならない)。10人に回せと言われても、たいていの人は困ってしまう。現実的な人数、しかもそのうち数人に断られても維持できる数字であった。
そして、これくらい範囲が広ければ、多少アクティブに行動しているブロガーならどこかからバトンが回ってくる可能性が高い。疎外感や、参加できた人に「特権階級」だの何だのとひがみをぶつける必要もない。
それから、この「指名して回す」というのも、「誰を指名するか」「誰から指名されるか」という人間関係を微妙にいじる部分があって、その絶妙な馴れ合い感が心地よく感じられたのだろう(馴れ合いを拒絶する人は、だからバトンに激しい拒否反応を示している)。もともと、ブログが「つながるメディア」だというのは、他のブロガーとの「馴れ合い」を前提としているわけで(敵対的関係も含めて)、そういう意味でもブログ(あるいはSNS)とバトンの親和性は高かったといえよう。
■ミュージカル・バトンとチェーンメールの違い
さて、一部のアンチ・ミュージカルバトン派の人たちは、「チェーンメールと同じ自己増殖型のものだから、バトンを受け取ることさえも悪」と主張する。しかし、やはりバトンはチェーンメールとは別だと思うのである。
- チェーンメールはほぼ同じ内容を延々と流通させ続ける。一方、バトンは自己紹介の数がウェブ上に増殖するが、同じ内容のものはありえない。
- チェーンメールは、プロパガンダ的要素がある(「百人の村」なども含めて)。バトンは、誰が何を書くかわからないので、バトンそのものをプロパガンダには使いづらい。
- チェーンメールは回ってくるまで読めない。バトンはウェブ上でいくらでも読める。
- チェーンメールを回してほしいと願うことはない。バトンは回ってくるのを待つ人が多い。
- チェーンメールは、恐怖や善意が動機となって回される。バトンは、自己主張欲求ならびに他人のことを知りたいという欲求が動機となって回される。
同じようなものが多数、一気に広まるという要素を除けば、逆に似ていないところが多すぎると思う。むしろ、バトンと比較すべきは「トラックバック企画」であろう。一つのお題にあわせて多くの人にブログ記事を書かせ、トラックバックさせる。同じテーマの記事が一気に増殖するという点では、これも同様に扱われなければならないはずだ。ただ、トラックバック企画もバトンも、批判すべきものではないと思う。
むしろ、SEOコンテストとして日本中の多くのブログを意味不明なものに変えてしまった「ゴッゴル」「デースケドガー」がある。自分としては、これはマジでウザかった。検索してもゴッゴルやデースケドガーをタイトルに入れているサイトはスパムサイト扱いして、絶対にクリックしないと決めたほどである。もう二度とこういう馬鹿な企画はやらないでほしい。
無意味な言葉で検索上位を狙うという不毛な競争。同じデータをひたすら増殖するだけのチェーンメール。それと、同じテーマながら自己紹介・自己表現記事を増やすバトンやトラックバック企画は、同列に論じえないのである。
■その後のバトン
ミュージカル・バトンそのものは、まず古参ブロガーを中心に広まっていった(これはたまたまなのだろうが、興味深い現象だともいえる)。2003年ごろすでにMovable Typeを自分で設置してブログを始めていたような人たちが多いように見える。その後、はてななど一般的なブログサービス利用者に広まっていった。そして、上陸から数日遅れて、バトンはmixiに伝わった。
私の「ミュージカル・バトンの歴史とルール」まとめページは、かなりの数のmixi内バトン参加者からリンクされていた。それで、アクセス解析から「mixiで増殖中」という事実がわかったのである。ウェブ上での流行から数日程度おくれて、mixiでのバトン流行は続いていった。
ちなみに、mixiで広まるということは、非PCユーザーにも広まったということである。携帯だけしか使えないmixiユーザーが案外多いことは、mixiについて論じるときに見逃せない要素だ。つまり、バトンはPC・携帯問わず受け入れられていったのである。
一方、七月ごろの時点で、亜流バトンは数多く出現していた。自分も調味料バトンに答えて納豆嫌いをアピールしたり、カレーバトンに答えたりした(食べ物ばかりだな)。
独自制作亜流バトンは、今もmixiで数多く作られている。「シークレットバトン」や「性癖バトン」など、mixiのマイミク(友人)同士の馴れ合いを強化するような、プライバシーに一歩踏み込んだバトンが増えているような気もする。つまり、普通はあまり聴けないようなことをバトン形式でしゃべらせるというものだ(合コンなんかのゲーム形式でいろいろ秘密を暴露させられるような形?)。
バトンは簡単に作れるため、制作熱の方はなかなか衰えそうにないようだ。
一方で、現在のmixi内バトンは広がりに欠ける傾向がある。その最大の原因は「やりたい人が勝手に拾ってください」というふうに相手を限定しない(つまりリレーになっていない)人が増えているのも一因だと思う。けっこう興味深いバトンを見かけたりするのだが、指名されず、「やりたい人は勝手に拾ってください」と書かれていると、自分としてはわざわざやろうという気にならない(指名があれば、よほどいやな内容でない限り受けるのだけど)。
指名という制度が馴れ合いや強制力を持つとして毛嫌いする人もいるのだが、逆にいえば指名がなければ書かなかった人は極めて多いだろうと思う。したがって、「指名」がルールでなくなったバトンは、単なる「自問自答」として存在し続けるのだろう。
■これからのバトン
六月末の急激なミュージカル・バトンの成長と、それにともなう「チェーンメール的だから悪」論、「マーケティングに利用されている」陰謀論、あるいは感情的反発もかなり落ち着き、今は「やりたい人がやればいい」というネット上でのつながり方の一つとして定着しつつあるのではないかと思う。
押しつけじゃないよ、やりたい人だけがやればいいよ、という共通認識も広がったが、それは上記のとおり、今や「勝手に拾ってやってください」と書く人が増えるという傾向を生み出している。チェーンどころか「普段ならちょっと恥ずかしくて書けないテーマについての自問自答ネタ」として使われているわけだ。つまり、バトンという名の「5つの質問」化しているわけである。
もともとは、自己表現したい、他の人のことをもうちょっと知りたい、他の人とつながっていきたい。そんな感情がバトンの流行を生み出したのだろう。しかし、義務感・押しつけ感を感じる人もあり、それを排除するためにつながりの部分を弱める方向に向かった。そして、バトンはバトンではなくなり、「みんなも答えてね」とアピールしつつも自問自答に限定されるものとなった……それがバトンの現時点までの推移だと思う。
ところで、人為的にバトンを流行させるのは難しいだろう。これだけ多くの人が参加すると、最初の質問者の「意図」は必ずどこかでそぎ落とされ、ニュートラルなものに変質していくからである。また、すでにバトンは「消費」されてしまっていると思われる。
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あれ、伊藤直也さんはCTOからCEOに昇格されたのですか?
http://www.hatena.ne.jp/company/ にもそうした情報は掲載されていませんが
修正しました>yomoyomoさん
何か最近この手の間違いが多すぎるな、俺
モダシン = 永沢 だよ、松長くん
(>□<)ノ゙サヨナラッ!ばーか???えへ。・・。