結核文士の治療記(3)腸腰筋への結核菌転移

2006年4月に入って急に容体が悪化した。脚の激痛、高すぎる高熱、大量の寝汗。そして、ついに手術・入院という事態になったのである。

2006年9月 9日15:05| 記事内容分類:闘病記| by 松永英明
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脚の激痛

 4月に入ってすぐ、右脚太股の前側に激痛が走るようになった。症状的には大腿神経痛ということになるのだろうが、2月のときの痛みとは比べものにならないほどの痛みである。

 とりあえず、マッサージ店や、2月に行った鍼灸院で、状態がよくなるかどうかを試してみた。ところが「これは前とは比べものにならないほどひどい」と言われたのである。特に、前には見られなかった症状だが、右の背中下部、腰に近いあたりに異常なほどの凝りがあるというのだ。

 どうも体も熱っぽい感じがする。夜の寝汗もいっこうに治まる気配がない。そこで、4月に入って最初の内科診察で、担当の呼吸器の先生に尋ねてみた。というのも、『結核という文化―病の比較文化史』で、結核菌が原因となって起こる脊椎カリエスなどの病気があることを知ったためだ。

結核といえば肺結核と理解している人が少なくないが、実際にはほとんど全身の部位を冒す病気である。筋は血液やリンパ液などにのって全身を駆けめぐるので、肺結核のほか、腸結核、腎臓結核なども多い。骨に入れば脊椎カリエスになるし、喉にくれば咽喉結核、男性性器にくれば陰嚢結核、脳にくれば髄膜炎になる。(『結核という文化―病の比較文化史』より)

 もしかしたら、肺以外の体調の不良も結核菌の可能性があるので、脚の痛みも報告しておこうと考えたのだった。すると、案に違わず、次回は整形外科の診察を受けることを勧められたのである。

整形外科へ

 さて、4月10日月曜日、早朝から出かけて早めに内科を受診したあと、紹介状を書いてもらい、同じ病院の整形外科の診察を受けることになった。ここではかなり待つことになったのだが、その間も痛みは間断なく襲ってくる。椅子にまっすぐ座っていることすらできない。

 ようやく順番が回ってきた。症状を説明すると、ベッドに横になるように言われた。脚を持ち上げたり、そらしたり、力を入れてみたり、と一通り診てもらったところで、先生が仮の診断を下す。

「ヘルニアになっているか、あるいはチョウヨウキンが腫れている可能性があるね」

 聞いたこともない筋肉の名前が出てきてとまどった。チョウヨウキン? ヨウチョウキン?

 いずれにせよ、レントゲンを撮って判断することとなり、レントゲン室へと向かう。朝にも内科のために胸のレントゲンを撮っていたのだが、技師の人が「あれ? 撮れてなかった?」と心配して尋ねてきた。こんどは腰の方だと説明するとほっとしていたようだ。

 レントゲン写真を見て、整形外科の先生はこう説明してくれた。

「チョウヨウキンは腫れているように見えないので、ヘルニアの可能性を考えなければならない。レントゲンでは軟骨は映らないのでわからないから、MRIを撮ってきてもらわなければ」

 しかし、この病院内の外来患者のMRIは1カ月先まで予約で埋まっているので、MRIやCTの撮影を専門にやっているお茶の水の病院で撮ってくることになった。そして、鎮痛剤をもらったのだった。

狂った体調と取材

 このころにはもう体調は滅茶苦茶で、仕事もまったく手につかない状態だった。夕方ごろから脚の痛みが激しくなり、熱も上がり、フラフラになる。実は14日に銀座で泉あいさんのインタビューを受けることになっていたのだが、受けられるかどうか自信がないと電話したくらい、体調が怪しくなっていた。

 それでも、鎮痛剤をもらってかなり楽になった。夜中に痛みで眠れないということがなくなり、とりあえず夜は眠れるようになったからだ。痛みのために徹夜続きという苦しみからは逃れ、多少は体力も戻ったようである。ただし、熱と寝汗は続いていた。

 つらい状況だが、負けているわけにはいかない。13日木曜にはいろいろと外出予定を入れて、活動するようにした。午前中は美容室のカットモデルをやり、午後は歯医者で虫歯を1つ抜歯。その間に食料などを買い込んだりした。この間、変な寝汗が出てこないように、と意志力でなんとか押さえ込んだ。逆に言えば、気合いを入れなければわずかこれだけのこともできないのである。帰宅後はそのまま倒れ込んだ。

 14日金曜、最短コースを選んで銀座へ向かう。そして、4時間ほどに及ぶインタビューを受けた。椅子に倒れ込み、もたれたまま、口だけはなめらかに動くような状態である。今から思えば、38度前後の熱が出ているような体調だった。万全ではないが、何とか頭は回っていたので、取材は一応の形になったようである。

 漢代の医学書『外台秘要』「蘇遊論」には、伝屍労(結核)の症状として、このように書かれているという(『結核という文化』より)。

心と胸に悶えが満ち、四肢に力無く、寝たいと願ってもいつでも眠れるわけではない。背中が痛く、膝やすねがしみじみと疼く。臥すこと多く、起きることが少ない。――精神状態は良好で、まるで病気ではないようである。昼以降には体中に微熱が出、顔色良し。

 また、明治の医師・白根清四郎『通俗救肺病』にはこうある(同じく『結核という文化』より)。

身体は憐れむべき状態に陥りて、如何して脳はなほよく爽快なることをえるか、ほとんど理解に苦しむものあり。しばしば声音もまつたく清亮にして――

 まさにここに描かれた病状そのままであった。

MRI撮影

 翌15日土曜日、お茶の水にある撮影専門の病院に向かった。

 MRIというのは初めてだが、体内の水素分子の向きを強力な磁場で変えることによって体内の詳しい写真が撮れるという。特に、レントゲンではわからない軟骨の様子もわかる。

 検査用のガウンに着替え、時計など金属のものはすべて外す。最後には眼鏡も外さなければならない。そして、大きな輪の中に通したベッドにくくりつけられる。脚を伸ばすと痛いので、脚の下に敷物を入れてもらった。

 「大きな音がします」と予告を受けてはいたが、撮影が始まると、やはり驚くような音だった。木を切っているかのようなカンカンカンカンという低い音が続いたり、もっとくぐもった工事現場のようなワンワンワンワンと響く音だったり。音程的にはファが中心で時々ソも混じるように思ったが、正確にはどうだかわからない。

 しばらくパンクバンド演奏をスピーカーの脇で聴いてるような気分になる。そして数十分後、音がやんだ。

「では、造影剤を点滴しますね」

 血液の通っているところを区別して見やすくするための造影剤が、腕に刺した注射からひんやりと流れ込んでくる。実はこの造影剤には副作用があるため、事前に同意書にサインしてある。普通の健康状態なら、できるだけ副作用のあるものは使いたくはないが、ここまでくれば副作用云々とは言っていられない。ちょっと体が温かくなった気もしたが、結局、大した副作用はなかった。

 撮影、というより、単調な演奏再開。前衛音楽としてこのMRI音を発表したらアバンギャルドな人たちが褒めちぎるんじゃないだろうか――などとバカなことを考えているうちに終了。

 着替えて少し待ち、大きな写真をもらって帰る。検査費用は健康保険がきいても1万円ほど。この検査費用がかさむのがつらい。

手術決定

 週明けの17日月曜日、整形外科の外来診察でMRIの写真を持っていった。写真を見た先生の言葉は、前回の診断を覆すものだった。

「レントゲンで見る限り、チョウヨウキンの腫れは見えなかったけれども、MRIで見るとはっきりと右の方が腫れていて、中に膿がたまっているのがわかるね。でも、骨の方にはまったく異常がない。この膿の原因は、やはり結核菌ではないかと思われるけれども、ここまで高熱が出る激しい炎症が結核菌だけによるものかどうかはわからない」

 骨ではなく、筋肉だったのだ。

「これは手術をして、チョウヨウキンにたまった膿を出す必要がある」

というわけで、手術をすることが決まった。約3週間は入院することになるという。肺結核ではなく、筋肉の膿を出すために、結局入院するハメになろうとは思わなかった。

 入院係で話を聞いたところ、5月にならないと病床の空きがないという。つまり、1カ月近く待たされることになりそうなのだ。

 ところが、翌々日、病院から電話があって、手術を4月27日にやりたいので、その前、25日くらいに入院できるか、と聞かれた。入院は1週間後ということになる。もちろん、早めに手術してもらって問題を解決できるにこしたことはない。いろいろと片づけなければならないこともあるが、どっちにしろほとんど行動できない体調なので、さっさと病気を治してしまいたいところである。

腸腰筋

 チョウヨウキンは腸腰筋と書く。背中から脚(太股)の前につながっていて、脚を持ち上げるときに使われる筋肉である――ということはネットで検索して初めて知った。

 MRIの写真を見ると、右と左でまるで形が違っていることがはっきりわかった。左(正常)の腸腰筋の断面は、太めの線のようにしか見えない。一方、右(異常)の腸腰筋は、まんまるになって右側断面のほとんどを埋めていて、その内部に黒い影がある。ゴボウ天の断面のような感じだが、ゴボウ天のゴボウ、いや内部の影が膿のたまっている状態なのだという。すさまじくひどい状態になっているようだった。

 実際、立ったときに右脚をまっすぐにできない。足の付け根を曲げていなければいられない状態なので、買い物に行ってレジで待つときも右脚先はつま先立ちで、膝を曲げていた。歩くときも右脚を引きずるような感じである。

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中国語のコンビニ経営秘伝書三部作

 それから入院するまでの約一週間は、文字通りの地獄のような苦しみを味わった。激しい熱、そして異常なほどの汗。鎮痛剤を飲まないと激痛が襲ってくるが、その薬が効いて痛みが治まるまでは飲んでから一時間ほどかかる。

 あまりのつらさに食事もできない。台所に立つこともできない。ましてや買い物にも行けない。症状は最悪になりつつあった。寝汗は一晩に2回は服をまるまる取り替えないともたない。朝、目が覚めるとシャワーを浴びた直後のように髪もずぶぬれになっている。

 仕方がないので、2枚の寝袋の間にはさまって寝たりしていた。寝袋の中に入るのではなく、2つの寝袋を敷き布団と掛け布団にして、その間に挟まるのである。寝袋の表面は防水加工されているから、タオルで拭けばすぐにまた寝られるという次第だ。こんな状態なので当然、コインランドリーに行く気力もない。

 39度を超え、40度近い熱になると、幻覚のようなものが意識に混ざり始める。後で考えるとなぜそんなふうに思ったかわからない奇妙な思考が、通常の思考回路に混ざり始め、さらには通常の思考を乗っ取ってしまう。

 このころ、どういうわけか「コンビニの経営法について書かれた中国語の秘伝書三部作が手元にある」という幻覚にとらわれた。ちょうど、寝ているときに脚を伸ばそうとすると痛くて無理だったのだが、その状況を改善するにはどうしたらいいかと考えていたところ、なんとその幻覚の三部作の中に答えがあって、その解答が頭に浮かんできた。秘伝書によると、仰向けで寝ていると無理だが、どちらかの脇を下にして体を横向きにして寝れば脚を伸ばせる、という。そこで、そのとおりに体を動かしてみた。ここは通常の意識で、実際に横向きになってやってみたのだ。すると、確かに痛みもあまりなく、すんなりと脚を伸ばすことができたのである。

 後から考えると変な話だが、いわゆる「潜在意識に突っ込んだ」という状態だろうか。それまで試したことのない姿勢が秘伝書には書いてあって、実際に効果があったのだ。コンビニ経営書なのに。

 この秘伝書の幻影は3日ほど続いたが、それ以外の内容は覚えていない。

変な更新

 一度横になると起きあがるのが大変なので、座って壁にもたれかかる姿勢で過ごしてみたことがあった。おとなしく寝ていればよかったのに、これが間違いの元だった。

 普段から座卓にPCを置いて、座椅子に座って作業している。そのPC席以外にもたれて座れる場所はないので、このときも当然のようにそこで座って休んでいた。その夜、座ったまま、意識が幻影に乗っ取られた。リアルな夢を見ているような感覚で、その幻影の意識のままでキーボードを叩き、はてなダイアリーに何やら投稿し始めたのだった。何を書いているかはよくわからないが、投稿時の手順だとか、「行頭に**を入れて小見出しにして前の投稿と区別する」などといった作業手順のところには、ちょうど夢の中で自分の思い通りに行動するように、通常の意識が混じっていた。

 そういうことをしている夢を見ていると思っていた。その後、さすがにフラフラになって横になっていたら、ネットで知り合った友人たちから心配する電話がかかってきた。ヘロヘロの声で応対しながら、何を心配しているのかよくわからなかったが、朝になって確認すると大変なことになっていた。意味不明なことが実際にはてなダイアリーに投稿されてしまっていたのだ。あわてて削除したのだが、これは自分でもヤバイと思ったものである。

灼熱地獄と極寒地獄

 そうこうしているうちに、どこかに見失っていた体温計を見つけたので、細かく測ってみた。

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 夕方ごろから熱が上がってきて、38度を超えるとさすがに横になっていたくなる。暑さの一方で寒気を感じるので、厚着をしたくなる。そして、39度から40度近くへと向かう。40度を超えていた日もあった。

 ある程度体温が上がりきると、寒気に震えることはなくなり、逆に熱にうなされるようになることもある。幻影が浮かんでくるのもこのころだ。

 ところが、夜中のある時点で、体内のスイッチが突然切り替わる。これは自分でも自覚できる。「来た!」と思ったら、服を脱ぎ捨て、ふとんを跳ね上げる。大量の汗が出始めるのだ。この感覚は外れることはない。大量の汗が、頭頂からふくらはぎに至る全身から噴き出し、流れ始める。「玉のような汗」というが、頭から額に流れた汗はボタンボタンと落下する。バスタオルがあっという間に汗びたしになる。一方で、体温そのものは急激に下がり始め、汗の気持ち悪さと寒さに震えることになる。

 体温はやがて微熱・平熱へと下がっていく。しかし、汗は止まらない。寒くてたまらず、タオルを身に巻き付ける。36度、35度になっても止まらない。ついに34度台に突入すると、もう極寒の氷の中にいるような気分だ。凍り付くように寒いのに、汗が流れ続けるのである。あまりの寒さに風呂で暖をとろうとしても、風呂の湯と体表の間に冷たい汗が湧きだし、風呂の熱が伝わってこない。

 夜明けの後にようやく汗が止まる。体温も少しずつ平熱に戻っていく。そうすると、熱と汗と寒さに一晩中振り回された疲労から、ようやく睡眠につくことができる。

 眠っている間に体温は回復している。昼前に起きると、36度台から37度台。この平熱の間に、入院に必要なものや食料を買いに行くのだった。それから4時間もすると、また起きているのがつらくなるのである。

救急車も呼びたくない

 この熱を記録しておこうと思って使ったのがmixiだった。熱に苦しんでいるときに起きてPCに行く気力はないし、紙に書くにも起きあがらなければならない。しかし、mixiの非公開日記であれば、寝転がったまま携帯からアクセスしてメモしておける。

 しかし、39度台の熱を記録していると、コメント欄に「救急車を呼べ!」という友人たちの言葉が連なった。

 気持ちはわかるが、そんなことはできない。何しろ、救急車を呼んだら、入り口の鍵を開けに行かなければならないのだ。独り暮らしのワンルームだから、寝ているところから数メートルもない距離だが、わずかその距離が永遠に遠い距離なのである。そんなところまで行けるくらい元気なら、台所で調理でも何でもやっている。それが動けないから、携帯でメモしたりしているのだ。

 それに、救急車を呼んだところで問題が解決するわけではない。せいぜい、熱冷ましの薬がもらえるだけだろうし、鎮痛剤にも解熱成分が入っているというから、逆に言えば現在の病状ではこれが最善の状況なのだ。根本的な解決は、27日の手術しかない。

 食べるために起きあがるのもつらいので、寝転がっても食べられるハンバーガーやおにぎり、ゼリー状のチューブ入り補助食品がメインとなった。起きられる午前中から昼にはかろうじてお粥。ちゃんとした料理は無理だった。ご飯を炊飯器で炊くという作業さえも体力的に無理だった。

 この時期は本当に肉体の限界を感じていた。

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2006年9月 9日15:05| 記事内容分類:闘病記| by 松永英明
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