今年読んだ本ベスト10@ことのは
師走である。年末である。というわけで、満を持して、今年読んでよかったと思ったベスト本の感想などをいちいち報告してみたいと思う。
エントリー条件は、紙の「書籍」の形になっていること、今年「読んだ」ものであること(実際の発売年は問わない)、著者や出版社からの献本ではないこと(つまり、ここで誉めることに利害関係が伴わないこと)。この条件を満たしていれば内容は問わない。シリーズものは1と数える。以下、順位なく順不同で10作品(+1)をピックアップしてみた。マンガが多いな。
■百鬼夜行抄/今市子
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あやかしの世界の住人が見えてしまう主人公・律くんが、厄介な連中とそれなりのやり方で共存したり、距離を置いてみたりしながら暮らしていく。周囲の人たちも、それなりに飄々と暮らしていたりするのが楽しい。あまりにも個性の強い妖魔3匹を従える律、いつの間にかその存在になじんでしまっているいとこの司、その他強烈なインパクトを持つキャラクターが非日常的な日常を描き出していく。人間関係がややこしかったりもするが、何度も読み返してみたくなるシリーズ。
ただし、今市子の他の作品集をうっかり買ったらBLだった。これはパス。
■天は赤い河のほとり/篠原千絵
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本屋にいきなり文庫で並んでいて、篠原千絵とは懐かしいと思って手に取った。『闇のパープル・アイ』は読んでいたが、これは知らない話だ。そこで買ってみたら案の定はまってしまった。BASARAとかイティハーサ好きなもので、こういうパターンの少女漫画には目がない。
中学三年生の女の子、夕梨(ユーリ)が、古代ヒッタイト王国へ召還されてしまう。ヒッタイトで皇帝に次ぐ権力を持つ皇妃ナキアが、他の女の産んだ皇子たちを呪い殺すために夕梨の生け贄が必要だというのである。しかし、夕梨はカイル皇子に救われた。そして、側室ということで身を守られる。
ナキア王妃の策略をかわそうとするうちに、ユーリは戦いの女神イシュタルとして国民に認められるようになっていく。そして、カイルへの想いも募るのだが、いずれ日本に帰らなければならないため、その想いを遂げてはならないというジレンマに陥るのだった。……というわけでマンガ文庫版は完結してないので、続きが楽しみだ。
ちょうどエジプトではツタンカーメンが崩御し、ラムセスが登場するころである。歴史的にも興味深い時代に相当する。
■DEATH NOTE/大場つぐみ&小畑健
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もともと少年漫画はあまり読まないのだが、これははまった。単行本を買いそろえ、途中すこし飛んだがコンビニで毎週立ち読み(しかし、ジャンプの他のマンガは全然読んでいない)。しかし、入院後、病院の売店で読んでいたのだが、最終回のジャンプがいきなり売り切れていたので、読みそびれていたのだった。
その後、最終巻が出て、やっとそれを埋めることができた。また、13巻としてまるまる一冊公式の解説本が出るというのも異例であったが、ここでようやく完結したように思う。
緻密な絵柄と、頭脳戦としてのおもしろさにはまった。L派とかキラ派とかいうキャラクター読みはしていない。お互いにどういう論理と仕掛けを展開するのかというところに興味があったのだ。だから、どちらかの陣営に思い入れを持っていたわけではない。ミサはかわいいと思うけど。
ちなみに映画もテレビも見ていない。
■サード・ガール/西村しのぶ
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書店に並んでいるのを見て、思わず懐かしくて手に取った。
神崎川夜梨子は1970年3月生まれという設定。自分よりちょうど1年年下ということになる。初登場は14歳のときで、連載と平行して登場人物も年齢を重ねていった。
同年齢のおしゃれな神戸の女の子と、初登場時には大学卒業も近い涼&美夜の「かっこいい」恋愛関係。おしゃれな恋愛ってのはこういうものだという刷り込みをされてしまった。おかげで神戸の山手でデートするというのが最高のシチュエーションのように思っていた時期もあったし、厚着はしちゃいけないとも思っていた。
やがて自分は一年浪人し、夜梨子の彼氏の大沢くんと同じ年に同じ京大に入った。そして「御所の細道」を同じように自転車で走ったものだった。
たまたま高円寺の円盤で開かれた吉田アミ&川上未映子イベントの前日にこれを読んでいて、イベント後、ばるぼら宛に届けられた薔薇の花束が参加者みんなに配られることになった。それでサード・ガールのネタで「これはバラジャムでも作るしかないなー、でも苦いんだよなー」と言っていたら、雨宮まみさんがそのネタをわかっていたのでうれしかった。雨宮さんと美夜さんは何となく似ている。
■サルまん/相原コージ&竹熊健太郎
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大学生の時分に、講談社ノベルズの編集者唐木さんに「小説を書きたければこれを読め」と言われた。マンガと小説では微妙にジャンルが違うが、「キャラクターを立てる」ことについての教科書として非常に参考になったものである。また、例の吉田アミ&未映子イベント第一回で渡辺ペコさんが語っていたように、「作品」と「商品」のかねあいについてもじっくり教えられた。だから、私は密かに竹熊健太郎氏の弟子だと思っている。不肖きわまりない弟子であるが。
で、そのバイブルである『サルまん』の新装版が出たとなれば、当然買わねばなるまい。読んでみて、懐かしいばかりでなく、新しく追加された部分にも感激した。いい感じでキレまくっている。これこそエンタテインメントというものである。
■中国農民調査
いまは21世紀なんだけど
中共の抱える最大の矛盾、農民の悲劇に迫るルポルタージュ
中国の火薬庫である農業問題
渾身の力作
入院中にお見舞いで持ってきてくれた人がいた。極めて分厚い本だが、入院中の無聊にまかせて二日ほどで読了。これは本気で考えるべき内容が含まれている。
中国では、都市部と農村部が大きく違っているということは、もはや多くの人が知っていることだろう。時代の最先端を行く都市部と、「江戸時代」とも言われる農村部。貧富の格差は、格差社会日本と比べても大きい。中国は平等を旨とする共産主義国とはいえない。その中国の農民の実態を明らかにしようとしたルポルタージュである。著者自身が一歩一歩、自分の足で歩いて手にした情報には重みがある。
簡単に要約すれば、共和国政府はこの格差を何とかしようとしている。しかし、中国には自治体が何層にも重なっており、それぞれが農民から搾取を行なっている。特に末端地方官僚にあっては自由に課税し、自由に徴発し、自由に罪を着せることができた。
この地方官僚の問題を解決するため、最も貧しいとされた安徽省で改革が始まる。そして、それは一定の成果を上げた。しかし、それは腐敗をなくすと同時に、地方財政を崩壊させる面もあった。今、完全な解決策はないようだが、改革を阻もうとする地方官僚の存在は大きな問題となっているようである。
そして最もショッキングなのは、かつて農民の苦しみを直訴する側だった人の一人が、今、糾弾される立場になっているという話である。これについては突っ込んだ取材がなされていないが、この問題の根深さをかいま見ることができる。
本書は、中央政府があたかも遠山の金さんか水戸黄門であるかのように、実態を知って悪徳代官を裁くというストーリーで貫かれている。それでも本書は中国で発禁となった。ここで糾弾された人間が手を回したらしい。こういう本が出て、しかし発禁となる。希望と絶望は背中合わせなのである。
■ビジョメガネ
ソニーマガジンズ デジモノステーション編集部(編集) 発売日:2005-11-18 若槻と加藤ローサがかわいすぎる……。 なかなか艶っぽい ビジョはメガネ 女優さんによると思います。 メガネの選び方は | |||||
Amazy |
なぜこれがリストアップされるかは、まあ、このブログの読者には言うまでもないだろう。ひたすら素敵。若槻千夏の眼鏡似合いっぷりは異常。
■信長は謀略で殺されたのか―本能寺の変・謀略説を嗤う/鈴木眞哉&藤本正行
やはり研究は原典を当たれか。
充分に納得がいくが・・・
異説を唱える人はまずこの本を読んでから
検証ということの地道な作業を教えられた
疑惑を持つことは簡単である。「疑いがある」というだけなら誰にでもできる。「だれそれはだれそれと同一人物だ」と決めつけるのにも、労力は要らない。しかし、その疑いに対して一定の検証を行なう人は少ない。事実や証拠に基づく「疑惑」と、思いつき・思いこみあるいは何らかの意図を持つ決めつけによる「疑惑」には大きな違いがある。
この本は、ちまたに広がる「本能寺の変・謀略説」を徹底的に粉砕する。その作業は、単にトンデモと切り捨てるのではなく、きちんとした検証作業にのっとっており、単に「こう思う」「いや私はそう思わない。こうだと思う」といった曖昧な議論に陥ることがない。これこそ真実を追究する態度というものである。
一方的な理論で一方的に決めつけ、事実さえも「フェイク」呼ばわりし、自分の妄想を信じない者を否定するような人間が後を絶たない中、このような現実的かつ実証的な論証方法は極めて貴重である。そして、そうでない妄言を見抜く力が求められている。
こうして、光秀の背後に何か「黒幕」がいたという妄想はすべて粉砕されていく。光秀には合理的な「謀反の動機」があり、それは彼(と忠実な家臣団)の「単独犯行」として充分に説明できる性質のものである。何でもかんでも黒幕を想定せずにはいられないのは、日本人の悪しきメンタリティであろう。
何かあればすぐに黒幕の存在を疑う日本人の意識構造については、改めて考えてみたいと思っている。
■中川翔子
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しょこたんギザカワユス(^ω^)ギザモユルス(^ω^)マミタスカワユス(^ω^)らいらいお(^ω^)貪欲に読むお(^ω^)
■大僧正天海/須藤光暉
大正8年刊、冨山房・刊、須藤光暉(南翠)・著。
江戸幕府の初期、家康・秀忠・家光の三代に仕えた大僧正、慈眼大師天海についての史実をまとめた日本で唯一最高の書籍である。「五色不動は天海が江戸鎮護のために作ったものだ」などといった大江戸オカルト伝説に必ず出てくる謎の僧侶であるが、史実はほとんど知られていない。
特に有名なのは「明智光秀=天海」説である。光秀は本能寺の変、山崎の合戦で生き延び、徳川家に仕えて秀吉に復讐した、というのだ。その証拠に、天海の前半生はよくわかっておらず、天海が関係した日光東照宮の近くには明智平という地名があり、光秀の重臣・斎藤利三の娘・春日局を家光の乳母とするときにも大いに活躍した……などという「状況証拠」が挙げられる。
しかし、この『大僧正天海』という本は、綿密に史書を集大成し、天海の生涯を詳細に描き出している。そこには、天海=光秀という説が成り立つ余地は全くない。文献その他による完全な実証主義に基づくこの本は非常に興味深いものである。
神保町の東陽堂で3万5000円で購入。それだけの価値はある本だった。
■(番外)エロの敵/安田理央&雨宮まみ
これは一冊、出版社から献本されたが、雨宮まみサイン会のために自分で買ったという微妙な立ち位置にあるので「番外」として取り上げたい。ただし、手抜きで、10月7日にはてなで書いた感想を以下にそのまま転載する。
はっきり言って、これは「歴史本」です。これを読んでえっちな気分になれるわけじゃなくて、まあ自分の知ってるのが出てきたらその記憶が呼び起こされることはあるかもしれないけど、純粋に歴史本。エロ系メディアの歴史。それもマニアックに些末な事項を網羅して歴史をつぶさに追っていくというより、エロ雑誌・エロ本・AV・ネット関係のトレンドの流れをまとめた感じ。もちろん、必要な事例は盛りだくさんで、脚注も無駄に充実しているし、巻末年表もNT2Xシリーズの本領発揮という感じなので、「エロメディアの歴史を語るなら、どうして最初に『エロの敵』で調べないんだ。失礼じゃないか!」とコピペするに足る内容ではないかと思う。もちろん、そう思うのはエロ業界に身を置いていないからなのかもしれないけれどね。
そういう意味では、今後のNT2Xシリーズでは索引の充実をお願いします>id:mohriさん(自分の首を絞めることになるかもしれんが)。桃井望の注ってどこだろうと探してくじけた。
ともあれ、「何年に何があった」とか、当時の思い出話集というのではなく、どういう理由でどういう流れがどういう風に変化していったか、ということが書き込まれているのがよかったと思う。
雑誌の話では、藤原カムイとか南伸坊とかの名前が出てくるのが懐かしい感じ。完全エロ雑誌というわけではないけれども、20年くらい前にはアイドル系雑誌(えっちなのも載ってる)の「ザ・シュガー」とかたまに買ってて、そのモノクロページで南伸坊とか内田春菊を知ったような気がする。だから「編集者が好き勝手やっていたモノクロページ」は決して無駄だとは思っていなかったのだが、思わないから今ライターになってるのかもしれない。
DVDつき雑誌のコストの問題のところは、なるほどなーと納得。
AV編の流れは非常に興味深い。特に面白いのはビデオからDVDに移ったときに、チャプター飛ばし&スキップが手軽になったことから、AVを「場面」で見るようになった、という指摘。『動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会』では、キャラクター萌えから属性萌えに移行しつつあることが指摘されたが、それとほぼ時代を同じくして同様の動きがAV界でも起こっていたわけだ。もう一つ、情報の断片がRSSによって流通するというWeb2.0的な動きも添えて併記すると、
- キャラクター萌え→属性萌え
- 作品としてのAV→場面単位でのAV鑑賞
- サイト単位での評価→パーマリンクの出現によるエントリー(記事)単位での評価、RSSによる情報の小パーツ流通
という感じで大勢が移行しているわけで、どうも現在は「断片化した情報が受け入れられる時代」というふうに言えそうな気がする。
まあ、それは余談だが。
ネットの話のところでは、若い層がエロメディアにカネを払わない傾向が指摘されている。これはもっと一般的な話で、「情報の対価としてカネを払う」習慣が若い層にはあまりない、ということではないか。CD/DVDの売り上げも高年齢層が中心だとか、そういう話と共通していると思う。ただし、着うたはバンバン売れてるというようなところから考えると、自分の趣味嗜好に合ったエロコンテンツを断片的にピンポイントで携帯ダウンロードできるサービスは成功しうると思う(携帯エロの可能性は本文でも指摘されている)。
雨宮さんの文章で思わず吹いたところを引用。
「感じてきたら笛を吹く」という、当時考えても今考えてもどう考えてもおかしいとしか言いようのない演出
「当時考えても今考えてもどう考えてもおかしいとしか言いようのない~」ってナイス。ぜひ流行らせてみたい。特に自虐的文脈だと効果を発揮しそうだ。
さて、この本はエロメディアの歴史に限定されているのだが、必然的に風俗業界の歴史が次の課題ということになるのではないかと思う。風俗出身のAV女優、ブルセラ流行とお菓子系雑誌の登場、関西援交シリーズとリアルの援交の盛衰など、やはり「二次元」と「三次元」の関係は互いに影響していると思われるし、エロメディアが行き詰まったとき、現実の風俗に流れているのか、それともエロ業界すべてが弱まっているのか、という話にもなるだろう。だから、このシリーズの切り口での風俗業史あるいは性的社会史みたいなのは一冊あってもいいかもしれない。と書いて思いだしたが、二次元の世界でも、エロゲーム・エロマンガというヲタク系エロの歴史はまた別に一冊になると思う。
あと、ばるぼらの人にエロサイトの歴史をもっと詳細に書かせよう。本書の弱いところはネット関係がおまけ程度にしか書かれていないことだ。動ナビやカリビアンなどの超巨大動画サイト、運営側が儲けまくる出会い系サイト、アフィリエイトで儲けたければアダルト通販、アマゾンのアダルトジャンル等々、もう少しふくらませることができそうだ。ちなみに、携帯で見るエロ画像は異様にエロい気がする。ちょうど道ばたに捨てられていて雨でしわしわになったエロ本が異様にエロく感じるように。
最後に。この本は紀伊国屋の新宿南店で買ったのだが、5階の「PC・ネット関係」の新刊のところに置かれていた。できればサブカルや歴史書のところに置いてほしいと思った。
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