頭の中の文章をどの時点で文字化していくか。ことのはの記事の書き方
文章をキーボードで打ち始める時点で、文章は頭の中でどれくらいできあがっているか。それは、まさに人それぞれであり、タイプ別に分かれるものである。
自分の場合は、ほとんど頭の中で完成原稿ができあがってからキーボードを打ち始めることが多い。書きながら追加・変更・修正・推敲は当然やるので、書き上がった時点で、最初に頭の中にあった完成原稿とは違ったものになるのは当然だが、「先が見えない状態で書きながら考える」ということはほとんどできない。
■文章ができあがってから書くか、書きながら考えるか
- ネタ記事が、頭の中で出来上がってて、記事が既に完結してる。
- 既に構成から展開やオチといった記事のストーリーが固まっていて、記事としての完成度が高い場合。
- ネタ記事の元(テーマ)があって、未完な状態で書いていく。
- 気になることや感じることがあるのだけれど、まだ書きたいことや、言いたいことがはっきりしていない状態。それで、とりあえず書き進めていくうちに何かが見えてきたり、整理できたりして、なんらかのオチまで辿り着いた場合。
(意味が変わらない範囲で引用一部改変)
自分の場合は、完全に一つめのパターン。特に紙のための原稿はほとんど「頭の中で完成原稿ができあがってから」キーボードを打ち始める。このブログでも大半は頭の中で文章が仕上がってから書く。
少なくとも、全体の構成は完全に頭の中に構築された状態で書き始める。ここでアウトラインプロセッサのようなものは一切使わない。プログラマー系の人たちが文章を書くときにはアウトラインプロセッサがないと不便だと感じるようだが、自分の場合は、普通にテキストデータに箇条書きにする程度で済ませてしまう。つまり、文章を完全に「構造化」した状態で可視化し、それをさらに詳細にしていくという文章作成プロセスはたどらない。
■自分はオブジェクト指向的にコラムを書いているかもしれない
プログラミングの話が出てきたので、それっぽい用語を使うと、どちらかといえば「オブジェクト指向」かもしれない。といっても、別に目新しいことをしているわけではない。
はてなの方で書いている短いコメントなどは構成を考えるほどでもないが、このブログや紙媒体の原稿のようにそれなりに長文のときには、いくつかの実例だとか、考えのパーツをまず頭の中で用意する。ブログであれば、
- 最も言いたい結論部分
- ネタ元となる記事へのリンク、引用、そこへの反応
- 関連する記事へのリンク、引用、そこへの反応(自説の補強または反論用)
- いくつかの実例
- 自分の考えのパーツ
- その前提として説明しておくべき内容
- そのために必要となる言葉の定義
- 全体をまとめたリード部分
などが必要なパーツである。ちなみに、大体の傾向としてここで書いた順番にまとまっていくことが多い。
紙媒体の原稿の場合は、もう少し親切に「何も知らない人のためのわかりやすい前提知識のまとめ」パーツも必要になることが多い。
たとえば、「2ちゃんねるの正義感」についての文章を書いたとき、まず「自分の判断に自分の責任を示すのではなく、社会正義に責任転嫁するのはいやだ」というのが発端である(最も言いたい結論部分)。で、その実例として、2ちゃんねるの人たちの祭りとか折り鶴とかを取り上げることにした。もちろん、実際には、2ちゃんねるそのものが話題になっているので、それを実例として挙げることのできる「持ちネタ」をピックアップした、というのが本当の思考回路の流れだけれども、要するに「言いたいこと」のストックがいろいろあって、そのストックを使うのにちょうどいい事象があれば(あるいは、そのストックを出したいという思いが強まれば)記事化していく、というプロセスになる。
さて、この結論部分については、「社会正義に責任転嫁するのは悪だ」と言い切ってしまうと、自分自身が社会正義を主張しているかのごとき悪循環に陥ってしまう。しかし、自分はそれは選択しない、採用しない、という意味であって、他人にそれを押しつけようとしているのではない、という態度を示すためには、どういう言葉を使うべきか考えた。そこで、「正・邪」「真・偽」「好き・嫌い」といったいくつかの判断基準を示した上で、ここでは「好き嫌い」という極めて個人的な判断基準であると述べることにした。……という内容は、結論に至る前にきちんと説明しておく必要がある。したがって、「結論」パーツより前に「判断基準とその選択」パーツが来なければならない。
また、2ちゃんねるの実例を挙げる以上、「それは2ちゃんねらーではない」という反論が当然予測されるので、自分なりの「2ちゃんねらー」の定義が必要である。そこで、「2ちゃんねらーの定義」パーツはすべての実例パーツの前に持ってこなければならない。そうなると、じゃあ本文に入ったら定義から説明した方がいいかな、という配置になる。
■パーツができたら流れを考える
文章というのは線形に並ぶ。つまり、流れがある。もちろんHTMLの仕組みというのは途中で「リンクで飛ばす」ことによって線形ではなく広がりを持たせることができるわけだが、基本的に一つの記事そのものは線形に書かれることになる。サブルーチンで適宜飛ばすというわけにはいかない。何が言いたいかというと、自分が盛り込もうと思ったパーツの順番を決めなければならないということである。もちろん、実例パーツのどちらを先にしてもいいという場合もあるが、その実例を論証のどこに配置するかということは考えなければならない。それは、基本的に最初から順に読むことを想定する必要があるからだ。
パーツごとのつなぎをよくするために、新しいつなぎパーツを持ってきたり、あるいは本題から外れるパーツを思い切って捨ててしまったりすることもある。流れから外れるが、一応言及しておいた方がいいかな、という内容については「補記」や「注記」で補足することも考える。
さて、こうして順序が決まったら、細かい言い回しは別にして、ほとんど文章ができあがったも同然である。そして、要請された文章のスタイルに合わせていく。
たとえば、このブログでは冒頭にリード文を置く。ブログの表紙ページにも表示される短いまとめである(個別記事のページでは、記事データでリードとそれ以降の本文を区切っている)。ここではおおざっぱなまとめを記して、本文を読んでもらえるような興味を引くことが目的だ。それから本文がくる(Movable Typeの投稿画面では「追記」に書いている)。
紙媒体であれば、何字何行何段組で、見出しは何行取り、全体で何ページ(または何行、何字)、最初にリードが必要か否か、文体は敬体か常体か、などの枠組みに合わせて文章を構築していく。
■文字化
そして、いよいよキーボードに向かうわけである。もちろん、実際に文字化された状態で、改めてパーツの順序や流れをいじっていくことになるが、「書きながら整理する」というところまではいかない。
書きながら何か新しく思いついたことがあれば、そこで一旦書くのを止めて、もう一度頭の中で構想をやり直す。そこで一から構想を練り直して最初から書き直すこともあれば、一部追加で済むこともある。ただ、そういうふうに構想を練り直すことはあまりない。最初に頭の中で構想する段階で練り直しは終わっているともいえる。
だいたい書き始めたら一気に終わる。キーボードの音もかなり連続しているはずだ。頭の中の草稿をテキストエディタ(EmEditor使用)に落としていく単純作業にも近い。文字化職人の作業というべきか。
書いていると、見た目の「白」の割合も気になったりする。つまり、込み入った漢字が多いと画面が黒っぽくなるのだが、適当にひらがなや改行空白を入れて、黒すぎず白すぎずの状態にしたくなる。これはライターとしての発想。
こういう発想からすると、つくづく自分は「組み立てを考える」のが好きなんだと思う。それは、建築士とも似ていると思うときがある。亡父は一級建築士、母方の祖父は芝居の演出家であったが、経緯も扱う材料も世界も違うにも関わらず「組み立てていく」というところではみな共通するものを感じる。
■考える技術、書く技術
ここまで書いて改めて思ったのだが、高校のころに熟読した板坂元氏の『考える技術・書く技術』という本に非常に影響を受けているように思う。
比較的長い文章を書かなければいけない人は必読
考える技術は必見。読み物としてもおもしろい
逆ピラミッド -文章の何たるかがわかる-
枯れた発想法と判りやすい事例の良書
って、よく考えたら「へぼライターが刺激を受けた5冊(Tech総研「刺激を受けた5冊」便乗企画) [絵文録ことのは.]2005/09/26」ですでにネタにしていた。
■構想8割で止まっているストックも結構ある
たとえば「巨大SNSと小規模SNS(mixiとOpenPNE) [絵文録ことのは]2007/01/06」の記事は、実は約1年のタイムラグがある。
2006年3月11日に開かれたセミナーに参加して、そのときのまとめのようなものをアップする――つもりであったが、頭の中で練り込んでいるうちにそれどころではない状況になってしまったのだった。しかし、全体の構造は大体そのままで温存させていたところ、年末にmixiコミュニティ乗っ取り騒動が起こったのだった。乗っ取り犯とその一味はmixiの問題をいろいろと「提起」しているつもりらしいので、ちょうどタイミングがいいと思い、一気にまとめたのであった。
もし、セミナー直後に公開していれば、「マチともの語り」と「美少女新世紀「ラベンダー・エクスプレス」SNS」の実例は登場せず、代わりに当日参加していた人たちのSNSや、日本語・簡体字中国語・繁体字中国語に対応した「カニチィ」を例示していたことだろう。しかし、全体の論調は当初考えていたものそのままである。
■この記事自体がストックであって
さて、この記事自体がストックである。たまたましっぽのブログ経由で斬の記事を見つけたので、「頭の中の文章をいつの時点で文字化するか」というストックネタを引っ張り出してきた次第。
で、そのストックはもともと「小説家にも二つのタイプがあるよね」という話だった。完全に話の最後まで構想ができてから埋めていくタイプと、おおざっぱな流れや構想はあるとしても、書いている途中に「下りてくる」ものによって書くのがメインのタイプ。自分の頭の中では「田中芳樹型」と「栗本薫型」で、自分は小説を書くとしたら、やはり完全にできあがってから書くタイプ。
もちろん、書いている途中に「キャラクターが勝手に動き出す」現象はあると思うし、それくらいでないと逆にキャラクターを「立たせる」ことはできないと思うのだが、そのようにキャラクターが勝手に走り出すところまで含めて頭の中で先にシミュレーションしてしまうのが自分のタイプだなぁ、と思っている。
というような話をどこかで書こうと思ったが、内容的に今書いたくらいで終わってしまう上に、「「物語派」と「キャラ萌え」と「属性萌え」の対立 [絵文録ことのは]2006/12/13」で別の切り口(世界観重視とキャラ内面重視)という視点で書いてしまったので、すっかりお蔵入りネタになってしまっていた。
ところが、斬のお題設定で完全に復活したということになる。
ところで、似たような話題として、もう少し包括的な質問が以前に「最終防衛ライン2 - 皆さんの記事の書き方を知りたいな」で出されていて、これにははてなの方で答えた。元記事がはてなだったということもあるが、質問への回答だけで自分としては物足りなかったので草稿扱いにしたものである。以下、2006年10月8日に書いてはてなで公開したものを一部修正の上で再掲してみる。
■「ことのは」の記事の書き方(*^ー゚)ノ ♡
上の二つの記事に対しての回答。
雑記的なものとしては、メイン(コラムレベルのまとまった記事)、はてな(雑記)、mixi(友人のみ公開)を使っているので、それについて書く。情報集積型ブログ(華流♪がーるず、トルクメニスタンニュース等)は「ネタがあったら書く」で終わってしまうので、ここでは触れない。
- 記事を書くモチベーション
- メイン:コラムとしての体裁がまとまるだけの考えがまとまった内容について。ああ、これはネタになるな、と思って、まだ執筆に着手していないストックネタはいまのところ20個くらい。つまり、動機としては「コラム的にまとまった文章が頭の中でできあがってしまったら書く」という感じ。
- はてな:とりあえず載っけておこうというレベルのもの。その場その場での思いつき。
- みくし:知り合いに伝えておくこと、メモとして残しておくこと
- 記事のタイトル
- メイン:最後に考える。言いたいことと注目されやすいキーワードのかねあい
- はてな:最初に書いておくが、あとで書き直すこともある
- みくし:最初に適当に入れる
- 記事の書き始め
- メイン:全体の構成が頭の中でほぼできあがってから書く(商売用の原稿もこのパターン)。全文が頭の中で書き上がったら一気に書ききる。ただし、途中で路線変更することもある。
- はてな:おおざっぱに書きたいことのテーマがまとまったら書き始めることが多い。草稿のレベルの場合は結論部分が甘い状態でも書く。
- みくし:あ、これメモしておこう、と思ったら「新しい日記を書く」ボタン
- 記事の構成
- メイン:書き始める前に一通り構成ができあがっている。リード文、事例の紹介、自分の意見、他の考え方とそこへの反論、結論、といった大枠を記事に合わせて変える。ただし、実際に書いている途中で追加・変更することも多い。小見出しは必ず入れる。書かなければならないことが多いので、勢い、長文となる。
- はてな:構成はあまり考えていない。思いついたら適宜小見出しを入れる。
- みくし:構成など考えていない。メモ。
- 記事の推敲と校正→アップ
- メイン:書き上がったら二回くらい読み直して、気になったところを修正して、納得したら即アップ。もっとも、納得したらアップするが、納得しなければ保留にし続ける。あるいは、タイミングがいいと思われるときにアップ。入院中には書きだめをしたが、連続ものでも一回分が書き上がったらそこでアップすることが多い。アップ後、必要があれば修正・追記をするが、誤字脱字以外の修正については、修正したことがわかるようにする。
- はてな:適当にアップ。ただし、今のはてなの設定で「一日一ページ」(記事ごとに分離されない)にしてあるので、別のページに表示させたいときに翌日に回すことはある。アップ後頻繁に修正・追記。「追記」と明記して書くことも多い。
- みくし:校正・修正はほとんどやらない。必要があればコメント欄で。
- 記事を書く場所
- メイン:EmEditor。新規ファイル作成→「無題」を立ち上げておいて、自動バックアップ機能利用。すぐにアップできない場合は名前を付けて保存。デフォルトでUnicodeが扱えるテキストエディターは少ないので、これを手放せない。秀丸は手になじまない。
- はてな:長文のときはEmEditor、短文の場合はブラウザから直接。ちなみに、この回答はEmEditor上。
- みくし:100%ブラウザ・ケータイから直接。
- その他
- 文中リンクについて……記事中にリンクは多いと思う。書籍でいうと「参考文献」一覧みたいなもの。話の前提として先に読んでおいてほしい場合は冒頭にリンクを入れて、そこを読むように指示する(まさにこの記事みたいな状態)。メインの場合は、とりあえずそれを読まなくても自分の記事で完結するように前後の状況を詳細に書き込んだり、簡潔にまとめたりすることが多いが、はてなレベルだと、リンク先を読まないとわからない場合も多いと思う。文中にリンクを埋め込むことは、ほとんどやらない。適切に引用あるいは要約して記すことは多いが、紹介したい部分が長くなったら、自分のところにとりこむよりも、先方の記事を直接読んでもらった方がずっといいと思う。
- 過去ログを多用するかどうか……よく使う。大体、自分のメインブログの記事の場合、一記事が書籍5~20ページ分くらいの内容なのだが、長文とはいえ、書籍一冊分から見れば極めて限られた範囲の事項を扱っているにすぎない。だから、たとえば「ネット上の文化圏」ネタも何回か連載しているが、同じことを何度も言っているのではなく、別の観点あるいは別の話題になってくる。となると、「この部分については過去ログのここで述べたから、今回はこっちの話」というふうに誘導したい。その場合、前回の内容をいちいちまとめたりしている余裕はないし。
- 過去ログを修正するか否か……「これは○○年○月時点での話です。最新記事はこちら」と誘導したり、その過去ログよりも新しい記事へのリンクを追加したりする。微妙な追記があればそのページに追記し、状況が大きく異なれば続編の記事とする。
- コメント、トラックバック、ブックマークなどの対処……メインもはてなもブックマークについては反応が見やすいようにリンクを入れてあるが、その総数から比べれば、ほとんどすべて放置している状態。必要があればコメントにはコメント欄で対応することが多いが、対応しないことの方がもっと多い。そもそも、敵対的コメントの場合、文中で述べてあることを読まずにコメントしてくる人や、全然関係ないことを書いてくる人が大半なので、いちいち構っていられない。トラックバックは一応見に行くが、相手の記事にコメントをつけるか、自分の記事を新たに起こすかは、相手の振った話題が自分のところで扱いたいかどうかによって決まる。つまり、自分の当初の意図とかけ離れた記事からトラックバックがあれば、相手のところで話を進める。しかし、眺めるだけで終わることが大半。ブックマークは一通り眺める程度。もちろん、いずれの場合も、記事になるだけの内容があれば新たに一記事を立てる。
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僕もブログを始めたいな、なんてこの頃思っているんですが、僕にとってこういうエントリは大変ためになります。
リンク先の本も買って読んでみることにします。
こんにちわ。
ボクはEmEditorのユーザーです。
とあるページにて、松永さんの下記投稿を発見しました。
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要望
・「印刷」で、行間隔による調整ではなく、「1ページ行数」を指定できるようにしてほしい。
これは、行数ならびに1行あたりの文字数指定がある原稿を書くライターには、なくてはならない機能です。今は1ページあたりの行数を調節するのに行間隔などを微調整していますが、これにかなり時間がとられてしまいます。ぜひ「1ページ行数」指定機能をご検討ください。
よろしくお願いいたします。
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この投稿や上記エントリからかなり時間が経過しましたが・・・いまはどうでしょう、良い解決方法はあったのでしょうか?
もしあったら、ぜひ教えて欲しいのですが・・・。