『天海・光秀の謎――会計と文化――〔改訂版〕』書評
入院中に読んだ本の書評。
入院中に、明智光秀と天海僧正に関する本を片っ端から買いあさって読んだのだが、その中に天下の奇書とも言うべきおそろしい本があった。埼玉大学経済学部教授・岩辺晃三氏の『天海・光秀の謎――会計と文化――〔改訂版〕』は、半分が優れた史的考察、半分がトンデモ本という困った本である。
■複式簿記と天海=光秀説
この本のテーマは、大きく二つに分けることができる。
- 1. 日本への簿記伝来南蛮由来説。
- 日本の江戸時代の簿記は、これまで日本で独自に発展してきたものとされてきたが、岩辺教授は、信長の時代にすでにイタリア式複式簿記が日本に伝えられ、受容されていたのではないか、という新説を唱える。
- 2. 天海=光秀説。
- 本能寺の変を起こした明智光秀は、その後生き延びて、徳川家三代に仕えた天海僧正になったという伝説がある。この説をさらに掘り下げ、カゴメの謎なども含めて考察している。
第一のテーマについては、これまで単式簿記の証拠とされているものなどについても新たな見解を示すなど、説得力あるものと思える。これは簿記についての門外漢だからそう思うのかも知れないが、それなりに学説として扱えるレベルの証拠と推論であることは間違いないだろうと思う。
特に、イタリア起源で欧州に広まった複式簿記では、イエスの御名を最初に記すように書かれているのに対し、キリシタン禁制下の江戸時代日本の大福帳などの表紙には、神仏の名前が書かれている、ということなどは、興味深い指摘といえる。
この本は、イタリア式簿記が信長の時代に日本に伝わっていたという第一のテーマだけに絞ってまとめてあれば、名著といえただろう。
しかし、江戸幕府の宗教政策に話が及び、さらに光秀=天海説を詳細に紹介するに至っては、もはや前後の脈絡もなければ必然性も全くない。この第二の部分だけ切り取れば、「ムー」の総力特集や徳間書店・二見書房あたりのオカルト本として成り立ちそうな、完全なトンデモ系歴史考察になってしまっているのである。実はこれは冗談ではなくて、この本の内容をもとにした『複式簿記の黙示録』という本が実際に徳間書店から出ているのだ。
私が読む限り、複式簿記の話と光秀=天海説には何のつながりもない。仮に光秀=天海ということが証明されたとしても、簿記の話とは何の関係もないのだ。蒲生氏郷の家臣になったと一書に記されているロルテスという南蛮人の実在性を訴えようとしての勇み足なのかも知れないが、ロルテスの件と光秀=天海説とは何の関わりもないのである。
■同一人物説の論証がこじつけ、トンデモ
さて、光秀=天海説であるが、私もこういう話は嫌いではない。ただし、史実の隙間にうまく合い、矛盾をきたさないこと、ならびにこじつけを排することが条件であるが。
実は私自身も光秀=天海説については色々検討してみた。その中で、いろいろな根拠とされるものをふるいにかけた結果、日光の近くに天海が明智平と名付けた地名があるなど、いくつか明智と天海の関係を偲ばせるものが残った。
また、この本の改訂版追記にも書いてあるが、本書をネタ元として、テレビ番組「世界ふしぎ発見」が番組を作り、その中で光秀と天海の筆跡鑑定が行われたという。その結果、「同一人物ではないが近親者」という結論に至ったという。
私の検討でもやはり経歴・年齢的に光秀は合いづらく、その娘婿の秀満の方が合致するという結論だったから、明智秀満=天海説は成立する余地がある――と考えて検索したら、wikipediaでも秀満=天海説が書かれていたので、意を強くするとともに、先を越されたことにがっかりした。もっとも、その後、大正時代に発行された『大僧正天海』という本を読んだ結果、史実として「明智光秀=天海」も「明智秀満=天海」も成り立たない、という結論に達したのだが。
まあそれはともかくとして、岩辺教授の光秀=天海説の検証だが、この検証方法そのもの自体がトンデモと言わざるを得ない。たとえば、光秀の「十三日天下」にちなんで、三十三か所霊場その他の「13番目」の寺に注目する。こういう「数字合わせ」はえてしてトンデモに陥りやすい。十三という数字はもともと仏教で重視されているのだから、光秀と関係なく十三塔などで使われている数字である。それをことごとく「光秀ゆかりの地に十三にまつわるものがある=光秀と関係がある証拠だ」などとやられた日には、ダヴィンチ・コードも光秀天海ということになりかねない。「最後の晩餐」には、イエス+十二使徒=13人が描かれているからだ。十三体の石仏や十三権者をことごとく「証拠」とするのは、まったく根拠にならない。
そもそも、光秀が死んでいないとすれば、「十三日」という数字の根拠が失われてしまうのだが。
三代将軍家〈光〉と、二代将軍〈秀〉忠の名前には、「光秀」が隠れている、など、こじつけもいいところだ
「西国札所の第9番「興福寺南円堂」と第13版「石光山石山寺」とならべてみると、この二つの寺の中に、天海の号である南光坊の「南光」がみられるのである。(100ページ)
とあるが、もはやこれなどは全く論ずるに値しないといえよう。
このような調子で、本書は、4、9、13、33、34などを光秀=天海の根拠としている。数が多すぎだ。しかも、いずれも多くの場所で好まれる数字であり、光秀や天海に特有の数字ではない。もっと特殊な数、例えばどこでも1547が出てきて、それが明智光秀の秘密の数字だとかいうようなことがあれば話は別なのだが、仏教寺院で13を探そうと思えばまったく苦労しない。あまりにも容易すぎるのである。
AとBが共通である、同じである、と主張したければ、その共通項Cが常にAとBに見られることを証明するだけでなく、Cが他に見られないことを証明しなければならない。あるいは、それが偶然でないことを証明する必要がある。
13であれば、共通項13という数字は仏教圏すべてに見られるものであるから、A=Bの証明には使えない。「天海ゆかりの寺に13にちなむものが多い」という話から導き出せる結論とは、「天海は仏教徒だ」という程度のことである。そんなことは13を使って証明するまでもない。
光秀の13日天下も、たまたま13日だっただけで、それ以上の意味を持たせるのは難しい。
もし仮に「光秀も天海も腕が2本だ、だから同一人物だ。それどころか、どちらも足が2本だった。間違いない、同一人物だ」と言ったら、この論理が破綻していることは誰でもわかるだろう。しかし、これが数字の13や4や9や33になると、教授ともあろう人が混乱に陥ってしまうのである。
■白装束とカゴメの謎
もう一つのトンデモとして、日光と久能山を結ぶラインというのがある。
これは日本のピラミッド説や、ヨーロッパのレイライン、大和の「太陽の道」などから発展した流れで、荒俣宏氏、加門七海氏、宮元健次氏あたりの人たちが好む手法である。重要なポイントを結ぶと何らかの形になるという話は、非常に楽しいものである。
だが、岩辺教授はこの発想をもとに、六芒星を二つ日本地図上に描き、それがカゴメ歌の秘密を明かしていると主張する。「後ろの正面だあれ」=「光秀=天海というほのめかし」なのだそうだ。
この方位説も容易にトンデモに流れやすい要素があって、1つは地図上で厳密なラインを引かず、かなり幅の広い線で結んでしまうことだ。これは荒俣氏がよくやる。「諏訪神社は鹿島神宮のほぼ真西にある」とか。実際には、日本地図を広げて筆で線を引くと真西方向かな、という程度の一致にすぎない。まあ、荒俣氏の場合はおもしろければいいので、何となく略図でもOKにしてしまいたくなるが。
もう一つのトンデモは、関連ポイントを結んで意味のある図形を作るならともかく、例えば六芒星を先に書いて、そこにある寺社や場所を無理矢理にこじつけ、関連があると言い出すことである。「ここも関連しているに違いない」果ては「まだ隠された何かがあるに違いない」というわけだ。それが特に意味のあるものでなくても、小さなものであっても、あるいは海の上であっても、何らかの意味づけをしてしまうのがトンデモなのである。
本書の場合は、1つの頂点上に、江戸時代初期の大福帳の実物が見つかった地点が近い、ということを喜び勇んで報告している。ちょっと待ってほしい。光秀=天海とそのゆかりの地というだけでなく、たまたま大福帳が残っていた地点がなぜ関係あるというのか。この一点をもってしても、もはや信じがたいトンデモであると言いたくなる。
ちなみに、参考文献の1つに、西沢徹彦著・千乃裕子監修『古代日本と七大天使 神代編』ジェイアイ出版――が挙げられているのを見てぶっ飛んでしまった(254ページ)。千乃裕子といえばGLAから分派した千乃正法という宗教団体の教祖、わかりやすく言えば白装束集団として知られるパナウェーブ研究所の代表であった(2006年10月25日没)。岩辺教授がその信者ということはありえないだろうが、千乃代表の神がかった世界観に基づく本を参考として無批判に挙げているのでは仕方がない。千乃代表の本だからいけないというのではない。古代日本には七大天使がいたというような実証しがたい内容を論拠として用いるならば、その本は、少なくともその部分は、やはり不用意な内容であるといわざるをえないだろう。
というわけで、本書は岩辺教授の鋭い論考とトンデモ本が組み合わさった、世紀の奇書といえよう。
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Amazy |
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