『廃墟建築士』はおもしろい
電車の中吊り広告につられて、小説『廃墟建築士』を買って読んだ。これがおもしろかったので感想を書く。
■4編の作品
この本には4つの作品が収録されている。以下、出版社による内容紹介から。
- 「七階闘争」:巷でおこる事件は七階で起こることが多いため、七階を撤去しようという決議が市議会で出された。マンションの七階に住む僕は、同僚の並川さんに誘われて反対運動に参加することになったが...
- 「廃墟建築士」:廃墟に魅せられ、廃墟建築士として生きてきた私。この国の廃墟文化の向上に努めてきたが、ある日「偽装廃墟」が問題になり...
- 「図書館」:会社から派遣されて、図書館でしばらく働くことになった私。本が"野性"に戻った姿を皆に見せるのが今回の業務だった。上手くいったかに見えたが、思わぬ事態が起こり...
- 「蔵守」:蔵も蔵守も待ち続けていた。自分たちの仕事を引き継ぐ後継者がいつかやってくることを。いつか現れるだろう略奪者との戦いを。...
■小説の「題材」と「メッセージ」
小説の構造を読み解くときに、「題材」と「メッセージ」を別のものとして扱うことが適切な場合がある。この『廃墟建築士』に収録された4編はいずれも、その見方が適切である。
この本はいずれも「建物」が「題材」となっている。廃墟、七階、図書館、蔵。これらはいずれも建築物である。しかし、著者のメッセージは、別に建物のことについてではない。これらの小説は建築小説ではなく、著者が伝えたいことは建築とは何の関係もない。
もちろん、これを読もうと思ったのは、わたしが「「場所の記憶」「都市の歴史」で社会を読み解く――松永英明のゲニウス・ロキ探索」というメルマガを発行していたから(あるいは、そのような場所や建物にまつわる記憶という話題に関心があったから)というのは間違いない。しかし、そういった建築・場所とそれにまつわる意識や記憶、思い入れといったものが「題材」とはなっていても、『廃墟建築士』が本当に伝えたいメッセージはそこにはない。
この4編はいずれも奇妙な物語である。筒井康隆や星新一のように、「どう考えてもありえないおかしな状況」を淡々と読ませる不思議なストーリーである。図書館も蔵も、意識を有している。しかし、これをファンタジーや幻想譚と呼ぶのもはずれているように思う。建築という題材がメッセージの中心とはなっていないのと同様、その幻想的な設定もまた、著者が伝えたかったことではあるまい。
4編の主要登場人物たちは、みな自分のプロフェッショナルな道を歩み続ける。それはいずれも華々しい生き方ではなく、職人気質とでもいうような、質実な頑固さ、決して原則をはずさない(ある意味世渡りの下手な)生き様である。むしろ、会社の発展や名声を求めた他の登場人物たちは失敗を味わう。ただし、失敗した者たちにも著者の目は温かく、彼らが地道な生き方で再出発する姿を描いている。
世間で言う「成功」とは別のところに見いだされる価値。『廃墟建築士』の4編が描いているのは、それをひたむきに求め続ける人たちへの賛歌なのである。
そのメッセージを効果的に浮かび上がらせる素材として、今回、三崎亜記氏は「建築」「場所」という素材を選んだ。それは効果的であったように思う。また、幻想的な設定もきちんと世界観が構築されている。
わたしにとって『廃墟建築士』は★★★★★であった。
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