「ワルシャワの鼻」観劇
9月9日、三軒茶屋の世田谷パブリックシアターにて「ワルシャワの鼻」を観劇した。
キャスト:明石家さんま 生瀬勝久 羽野晶紀 山本太郎 徳永えり 山西惇 温水洋一 八十田勇一 小松利昌 杉本凌士 仲田育史 大迫茂生 坪内守 吉田鋼太郎
笑いあり、ほろりとさせるシーンありの3時間オーバー。テンポよく展開する芝居が楽しめた。やっぱり、さんまは天才である。
三軒茶屋
生瀬勝久が書いた芝居が上演されるという情報が目に入った。山西惇・羽野晶紀も出演するという。かつて関西ローカルで放映されていた「テレビ広辞苑」「現代用語の基礎体力」「ムイミダス」が大好きで欠かさず見ていた自分としては、この面々が出るというだけでも注目せざるを得ない。
さらに、明石家さんま主演である。これは見に行かざるを得ないだろう。
しかし、休みが取れるかどうかわからないので、前売りチケットは買えなかった。9月9日、「当日券は開演1時間前よ劇場ロビー前にて発売。(補助席・見切れ席含みます)」という情報をたよりに、ひとまず昼すぎに三軒茶屋に行ってみることにする。買えなくても「チケット代も高いし、あきらめがつく」と酸っぱいブドウ的言い訳をするつもりであった。
行ってみるとすでに列ができているが、そう長くはない。平日昼の部ということもある。座席は前方の見切れ席か、1階最後列の補助席かどちらかだったので、迷わず最後列を選んだ。むしろこちらの方が全体がよく見られてよい。しかし、補助席なのにS席9500円である。
ストーリー
この物語は、戦後大阪の「アパッチ族」を題材にしている。アパッチ族についての説明は、Wikipediaでも「アパッチ (曖昧さ回避) - Wikipedia」のページに少し書かれているだけだ。
資源ごみとして収集されている物を不法に回収する人々。第二次世界大戦後の日本において軍事施設跡・工場跡などから鉄くずを不法に回収する人々を「アパッチ族」と呼んだ。アパッチ族を題材とした小説には、開高健『日本三文オペラ』、梁石日『夜を賭けて』、小松左京『日本アパッチ族』などがある。
パンフの「ストーリー」から引用しよう。
「もはや戦後ではない」――誰もが未来を夢みた高度経済成長期。
大阪の陸軍砲兵工廠の跡地には、
時代から取り残されたかのようにスクラップの荒野が広がっていた。
人呼んで、杉山鉱山。スクラップも見方を変えれば、宝の山で、
そこに現われたのがこの膨大な鉄クズを狙う集団、「アパッチ族」。
日本各地から流れものや前科ものが集まり、
生きるために鉄を盗み、売りさばき、酒をあおり、モツを食らう日々。ゴロー(明石家さんま)はアパッチ集落のとあるグループの組長で、
京大(山西惇)、ワルシャワ(温水洋一)、たまぐす(八十田勇一)など
クセは強いが忠実な手下たちといっしょにひとつ屋根の下に暮らしていた。さらに、ゴローの妻らしき女トラ(羽野晶紀)、
天真爛漫な娘のサキ(徳永えり)という二人の女も住んでいる。ライバルのグループを率いる岩田(生瀬勝久)は、
日々、ゴローを出し抜こうとし、集落のトップを狙っていた。そして、彼らの前には工廠跡を管理する守衛の赤門(吉田鋼太郎)が
立ちはだかる。ある日、サキがひとりの若者(山本太郎)をゴローの家に連れてきた。
その若者は俄かアパッチとして不器用にもシゴトをこなしていたが...
テーマ自体は非常に「社会派」的なものを扱っている。しかし、そのディープな話を、さんまと生瀬が料理したら、真剣な中に爆笑が混じるのも当然のことだ。
感想
ネタバレを避けて、感想を記しておく。
何と言っても明石家さんまの、どこまでがアドリブなのかわからないしゃべくりが最高だった。パンフを見ると、練習の間にもアドリブが重なってできていったような感じだが、舞台上でもおそらく間違いなくアドリブが連発されていたと思われる。
9月9日昼の部だと、たぶん「一匹っぽい狼」あたりがそうだと思う(カーテンコールでもそればっかりネタになってたし)。そのアドリブをフォローする山西惇。
ずるがしこい役がはまりすぎの生瀬。吉田鋼太郎は脇役ながらしっかりとストーリーを押さえる役どころだ。
単に花を添えるアイドル枠かと思っていたが、徳永えりが好演していたと思う。単に元気な大阪の女の子というだけではなく、ものすごく重い背景を抱えまくっている二面性がありながら表面にはそれを出そうとしない。難しい役柄で、しかもストーリーのカギとなるヒロインをよく演じていたと思う。
ストーリーも、お笑いと真剣なパートがうまく配合されていたように思った。
ちなみにタイトルは、土をなめると金物のありかがわかり、とにかく鼻がきくワルシャワ(温水洋一)にちなむ。ワルシャワは決して主役ではなく、むしろ道化回しに徹するのだが、これをタイトルに選んだのは、最後まで見ればよく理解できるところである。
あえて不満を述べるなら、「昭彦」(山本太郎)の最後の心情の変化が描き切れていなかったように思われる。最後のシーンに至るまで、昭彦がどのように考え、最後の最後でどのように変化したのか(しなかったのか)、今ひとつ解決されなかったような気がした。
何はともあれ、じっくりと見られる3時間+αだった。そして、「アパッチ族」に関心を抱いたので、少し調べてみたいと思っている。
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