下北沢再開発問題についてもう一度まとめてみる(ゼロ年代の都市計画)
前回のブログ記事「小田急線下北沢駅の新駅舎案が猛反発される理由[絵文録ことのは]2009/10/03」は、新駅舎案が出たことをきっかけに、以前から考えていたことなどをまとめてみたものだったが、ブックマークやコメントでいろいろと見えてくるものもあった。一方で、下北沢再開発問題について、いろいろと誤解もあるようなので、その辺も含めてもう一度まとめてみたいと思う。
そこそこ長文でもあるため、流し読みでそのあたりを誤読している人も多いので、再度まとめておく。また、いろいろと曲解や暴論や感情論も多いので、正しておく必要があろう。なお、長文を読みたくない方は本文最後の結論をお読みください。
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(旧: )
議論の仕方についての前提
最初に。このような問題については、「地元はみんなこう思っている」とか、逆に「下北沢を訪れる人はみんなこう思っている」というような一般化をしてはならない。他に賛同者がいるとしても、少なくとも「自分はこう思う」という一個人の意見として述べるべきである。「地元に何年住んでいてこういう立場で下北沢に関わっている自分としては……と考える」というのであれば、それは貴重な意見だと思うのだが、「住民はみんなこう思っていますよ」というのでは議論にならない(住民にもいろいろある。後述)。
私自身は、「Save the 下北沢」などの活動やイベントに参加したことはないのだが、そのサイト等で述べられていることには非常に共感するという立場である。私が言っていることと、いわゆる「再開発反対派」の諸団体の主張は完全に一致するわけではないが、大筋似ているとは思う。
下北沢再開発「賛成」と「反対」の現状
さて、前回の記事へのブックマークコメントで「小田急複々線化は必要」というコメントがあって、どうやら「再開発計画反対」がそこにも反対しているように受け取られたようなのだが、そうではない。小田急の地下化・複々線化そのものに反対する人はほとんどいないと思う(街の歩き方が変わっちゃうね、というような意識はあっても、それは許容できる変化の範囲と思われる)。
問題はその後の「小田急線跡地の利用方法」や「駅舎デザイン」等々の問題であったり、あるいはそれとは一応別問題としての「補助54号線・街路10号線」と駅前ロータリーの問題なのである。この点については前回も書いたが(できれば読み返していただきたい)、もう一度、賛成反対の状況も含めて書いておきたい。
●小田急線地下化にともなう論点
- 小田急線地下化工事:小田急線の輸送能力を高め、「開かずの踏切」対策のための工事である。複々線化そのものについて反対する声は(再開発反対派からも)聞かない。私自身も開かずの踏切にはいらだつことがあるし、その改善や輸送能力向上には賛同している。いや、むしろ「道路」計画に反対するからには、小田急線の輸送能力向上は必要不可欠だ。そして、この工事はすでにかなり進んでいる。小田急線地下化は、それ単体では下北沢で問題とされていない。
- 小田急線上部利用:小田急線が地下化されたとき、その跡地がどのように利用されるのか。後述する駅前バスロータリーとも関連するが、下北沢らしさを残すための方策が模索されている。「小田急線跡地を考える会[あとちの会]」などが有効な案を出しており、行政側とのよい話し合いが進んでいるように私は思う。
- 新しい駅舎:今まであまりクローズアップされてこなかったが、今回、小田急からのデザイン案が提出されたことで、急遽注目されることになった。そして、そのデザインについてのとらえ方によって、再開発賛成派と反対派の根強い違いが(ネット上でも)可視化されるようになったのだと思う。このデザインそのものは下北沢問題の焦点ではないのだが、再開発に対する考え方を浮き彫りにするという意味では象徴的なものだったかもしれない。繰り返すが、小田急線が地下化するのだから駅舎も変わって当然である。駅舎建替えそのものに反対する声は聞かない。
このように見ると、小田急線地下化だけであれば「反対」が起こることはなかったと考えられる。しかし、小田急線地下化と道路計画をセットにすることで補助金を得られるという世田谷区の思惑もあったようだ(これは「まもれシモキタ!行政訴訟の会」が裁判でも問うている問題である)。そして、道路の問題が絡んだがゆえに、下北沢再開発について賛否両論を巻き起こしているのである。
そもそも「Save the 下北沢」も、補助54号線計画に反対して作られた団体だ。リリー・フランキーによるポスター(日食を曇天の下北沢で撮影できた[絵文録ことのは]2009/07/22のページの真ん中あたりに写真がある)でも「下北沢に大きな道路は作らないで!!」と主張され、小田急の地下化工事はもう進んでいると明記されている。地下化工事阻止!などとは一言も言っていない。つまり、「再開発反対」は「道路計画」(とそれに伴う高層ビル建築可能化や街の自動車化など)の問題なのである。したがって、ブックマークコメントなどで小田急複々線化の必要性などを主張しているものは見当外れということになる(そこに反対する声は聞かない)。
●道路問題
- 都市計画道路補助54号線:下北沢再開発問題における最大の争点。今回も住人から「駅前再開発には全般的に賛成だが54号線には反対」という意見がかなり見られた。住人の中でも賛否両論が分かれており、アンケートによっては反対が多数の場合もある。下北沢再開発への反対団体は、基本的にこの54号線(+10号線)反対を主張の骨子としている。世田谷区としては、助成金の都合でこの道路を引っ張ってきた。実現すれば、スズナリの存続に関わり、北口商店街の真ん中が環七並の広い道路によって分断される。
- 世田谷区画街路10号線:この補助54号線から駅前バスロータリーにつながる計画。54号線とセットで計画されている。駅前バスロータリーについては54号線と同様に賛否両論だが、駅前への自動車・バスのアクセスがよくなることについては賛同意見も多い。ゴチャゴチャした「ザワザワ下北沢」を嫌いな住民からは大歓迎のようだ。一方、再開発反対運動では54号線とセットで反対されている。駅舎デザインについてはこちらの問題と結びついているように思われる。
下北沢再開発は、道路計画、そしてそれによって引き起こされる用途地域変更(つまり高層化)の部分が問題視されているのである。以下、その点についてもう少しまとめてみる。
補助54号線
世田谷区道路整備部交通広場整備担当課による「補助54号線」の概説を引用する。
都市計画道路補助54号線は、昭和21年に都市計画決定され、数回の計画変更を経て、平成15(2003)年1月に現在の内容に計画変更決定(交差構造の変更等)されました。また、平成16(2004)年3月には「区部における都市計画道路の整備方針」が公表され、三角橋交差点から環状7号線までの区間は、今後12年間(平成16年~27年度)で優先的に整備すべき路線に位置付けられました。計画幅員は15~26mで片側1車線の車道と片側3.5~8.5m程度の歩道から構成されます。今後、事業認可を受けて整備していきます。
区では、平成15(2003)年4月に「駅周辺街づくりの整備計画」を策定し、小田急連続立体交差事業の完成にあわせて、駅前広場の整備と同時に、駅前広場に接続する部分を優先して整備していきます。
補助54号線は、三角橋から環七を結ぶ道路として計画されている。三角橋は、山手通りから東大駒場リサーチキャンパス前を通る「コスモス通り」の屈曲点であるから、すなわち、この補助54号線は「山手通りと環七を結ぶ道路」計画の一環ということになる(単純に下北沢をどうこうしようという計画ではなく、むしろ下北沢を素通りさせるための計画が土台にあることは認識しておく必要があるだろう)。
計画道路は住宅街の真ん中を15メートル幅で進み、途中で幅26メートル道路となって下北沢の街に突っ込んでいく。そして教会やスズナリを踏みつぶし、北沢タウンホールの北側をすり抜けて本多スタジオを潰して小田急を越え、北口の町並を分断する。商業地は26メートル幅道路のままだが、再び住宅地に入っていくあたり(ポポラマーマや「ê.a.p art garage 下北沢」のある場所)で車回しの広いスペースが取られ、その先は15メートル道路として環七まで住宅街を突っ切っていく(井の頭線と併走する感じである)。
問題点としては、
- 「環七並の広い道路」が街を分断する。
- 下北沢を通り過ぎるための、自動車のための道路が、徒歩回遊空間だった北口商店街の真ん中にできてしまう。ちなみに、北口のこのあたりは直線の道が縦横に走る直交区画となっており、道がわかりにくいわけではない(迷路的なのはむしろ南口で、このあたりは下北沢でも整然とした一帯である)。
- この道路ができることによる建築規制の緩和で高層ビルが建築可能となる。下北沢はもともと低層ビルが非常に多いため、景観をがらりと変えることになる。
- もともと、この補助54号線を含む東京の道路計画自体が、高度成長期の「今後人口は増加し続け、自動車の通行量も増え続ける」という発想に基づいて立てられている。しかし、人口減ならびに自動車通行量が減る見通しとなっている現在、その計画道路そのものが必要なのかどうかという見直しが必要だ、という論点も挙げられている。
- 少し北を走る井の頭通りが拡張工事されており、これによって十分代替されている、という主張もなされている。
しかし、駅前再開発に賛成している地元民(特に北口側)の中でも評判のよくない補助54号線事業だが、連続立体交差事業の費用をこの道路財源から捻出しているため、世田谷区は小田急線の複々線化とセットでこの補助54号線を推進せざるを得ない状況に追い込まれている(補助54号線を断念して道路財源を諦めるという選択肢は、少なくとも今の区は考えていない)。ここに大きな問題があり、訴訟でもこの点が問題視されている(まもれシモキタ!行政訴訟の会参照)。なお、この会のステートメントによれば「地域住民の回答者のうち68%が、補助54号線道路計画について「反対」または「どちらかといえば反対」と回答し、「賛成」または「どちらかといえば賛成」と答えた人は12%に過ぎなかった」という。
念のために添えれば、この道路そのものは防災を主目的としたものではないということだ。あくまでも戦後から高度成長期にかけての自動車を優先とした都市道路計画が今まで生き延びた一部だということである。だから、防災を理由として再開発反対を非難するのは見当外れということになる。
なお、計画は三期に分かれており、第一期が中心部の26メートル幅の部分(まさに下北沢を分断する部分)、第二期がスズナリから三角橋までの東部。そして、第三期が「ê.a.p art garage 下北沢」から西、環七につながる部分である。
街路10号線
補助54号線と小田急線(まもなく「跡地」になる)の交点から、駅前に伸びる道路。そして、バスロータリーが計画されている(今、バスはスズナリの前の北沢タウンホールから出て、茶沢通りから三軒茶屋・下馬方面へ向かう路線がある)。
実現すれば一番街入り口の線路沿いの商店などが消え(すでに退去が始まっている)、そして懸案の「下北沢北口駅前食品市場」が消滅する。もちろん、今すでに食品市場は死に体に近く、細々と何店舗かが存続しているだけである(といいつつ、最近できたインドお香屋さんのように、新規出店もある)。森茉莉も利用していた市場だが、闇市のイメージを残す部分で、地元の古い人にとっては「黒歴史」的な場所でもあろう。ただ、外国人観光客などはここを一生懸命写真に撮っている。闇市カオス的下北沢のイメージを色濃く残す場所だ(ただ、北口の混沌はこの範囲だけともいえる。10号線計画がこの市場をねらい打ちにしているのは、ある意味象徴的だ)。
バスロータリーができることで、駅前は開放空間となる(私は個人的に、駅前ロータリーが大嫌いである。なんか空虚な感じを受ける。場所の「気」が薄められるというか。高円寺や阿佐ヶ谷や吉祥寺の駅前ロータリーも避けて通りたい気分になる。そして、ロータリーでは、完全に車が主役で、人はその周縁を迂回しなければならない)。
そして、この広い空間が出現するおかげで、下北沢では高層建築が可能となる。それが「低層建築が多く、徒歩で回遊できる街」としての下北沢を、根本的に変えていこうとしている。下北沢がヒルズ化するのである。それを大歓迎する地権者、「小汚い」下北沢が嫌いで表参道や六本木や渋谷のような「先進的」な街を好む住人たちは、もちろんこの計画に賛同する。一方、それを没個性化であると考える人たちは、下北沢らしさを殺すものとして反対する。
再開発賛成派は、今のような小汚い貧乏人ばかり集める街では、廃れる一方だと考え、ヒルズ的な都市計画による活性化を狙う(ヒルズ的な開発でなければ再起できないとも考えている)。一方、再開発反対派は、画一的な街作りによって下北沢の特性が失われ、下北沢の吸引力が失われるため、再開発によって下北沢はどこにでもある街となって地盤沈下していくだろうと考えている。
下北沢再開発についての論点は、おおむね以上のような感じであると思う。ここにいろいろな利権や、個別の利便性の問題や、あるいはノスタルジーや、ヨソモノ排除のエスノセントリックな感情などが入り交じって、話をややこしくしているといえる。
反対派にしても、今の駅を建て替えることそのものに反対しているわけではないし、防災のために改善が行なわれることそのものを反対しているわけではない。駅のデザインがヒルズ的画一型無機質なものだったり、消防車が入れるようにするとしても26メートル道路で街を分断するという牛刀は必要なかろう、と言っているのだ。
下北沢の範囲と「住人」たち
下北沢とはどの範囲なのか。改めて考えてみると、その定義はない。藤谷治の小説『下北沢』は、どこからどこまでが下北沢なのかという酔っぱらいたちの議論から始まっている。
「結局」ミナナミ・ナミコのボーイフレンドが結論ぽくいった。
「下北沢っていうのは、世田谷区北沢と、代沢と代田と、みっつの地区を全部包括してると考えなきゃ、みんなを納得させられないんだな」
おおざっぱに言えば、環七より東、井の頭通りより南、東北沢・池の上駅より西、淡島通りより北、あたりの一帯が「広域下北沢」ということになるだろう(「下北沢文士町マップ」もおおむねこのあたりを描いている)。一方、ディープ下北沢(ヨソモノがイメージする下北沢)は、駅前を中心として、北は一番街、西は鎌倉通り、東は茶沢通り、南は代沢三叉路あたりを境界とする菱形の一帯と考えてよいだろう(境界となっている道の両側まで含む)。
より大きな地図で 下北沢の範囲 を表示
北沢・代沢・代田(広域下北沢)は、そこそこ高級な住宅街といえる。田園調布や成城ほど大きい家ではないが、一戸建てが多い。つまり、持ち家の住人たちがかなり多いのである。また、演劇や音楽を志す「貧乏な若者」が集まってくるという印象があるが、実際にはこのあたりの賃貸の家賃は高い。下北沢に住むのは最低限の収入ではちょっときつく、住まいは別に探すか、「役者は食わねど高楊枝」になるかの選択になるだろう。
また、旧・北澤村地域は主に小田急駅が開通してから開けた場所で、それ以前は農村である。下北沢に数百年来住むという人たちはごくごく少数で、その多くが昭和2年小田急線開通以降の住人だ。京都では「あそこのうちは、最近引っ越して来はった新参者やさかいなぁ」というからいつ引っ越してきたかと問えば明治維新直後に引っ越してきた家だったというような話もあったりするが、その基準でいえば、下北沢住人はほとんどすべてが新参者になってしまう。もちろん京都基準は無茶としても、昭和戦前の郊外高級住宅地開発時代、戦後の闇市時代、1970年以後の本多劇場文化時代、という時代区分ができそうである。
そして、下北沢に住む人、関わる人たちの間に、いろいろな感情のズレがある。藤谷治の小説『下北沢』の一場面を引用するが、ここで行なわれている議論は、まさに今回、ブックマークやブログのコメント欄などで展開された議論そのものである。
「終わってんだよ、シモキタなんて」
ミナナミ・ナミコのボーイフレンドが、誰にともなくいっていた。いつの間にか話題がややずれたらしい。
「歩いてる奴の目、見てみろよ、みんな死んでるじゃん。『シモキタ』ってブランドイメージに惹かれて、中身のカラッポな奴が、中身のカラッポな店で買い物してさ、中身のカラッポな飲み屋で呑んでるだけじゃん」
「そういうあんたは、どこで何してるわけ、今?」カイさんが食ってかかった。
「俺はここ住んでんだもん」ボーイフレンドは懲りてなかった。むしろ食ってかかられるのを待っていた感じだ。
「そーゆーとこも、納得いかないんだよなぁ。シモキタっていうのは住宅街なんだぜ。昔から住んでる人がたくさんいるんだ。そういう人をないがしろにしてさぁ、毛糸の帽子かぶってコンビニの前にしゃがみこんでビール呑んでる連中を『シモキタらしい』みたいにいうのって、おかしいじゃん。俺はハッキリいってそーゆーシモキタらしい人間は、火炎放射器で焼き殺してやりたいね」
「あなた確か、出身は金沢だったよねえ」ミナナミ・ナミコが冷たくいった。「こっち越してきたの、二年前かそこらじゃなかったっけ」
「おやおや? オカンムリですかハニー。俺がいってるのはそーゆーことじゃないんだよ。アーティストぶった若い連中が我が物顔して歩き回ってる……」
「我が物顔の若い人たちがいなくなったら、こんな街、あっという間にシャッターストリートになって、再開発されて、オフィスビルだらけになっちゃうわよ」
「まさにそうなればいいっていっているんだ、俺は」ボーイフレンドは困った人をたしなめるような薄笑いを浮かべていった。
下北沢に関わる人たち
ここで、下北沢に関わる人たちをおおざっぱに列挙してみたいと思う。これらの要素はかぶることもある。
- 地権者・家主:下北沢に住んでいる。
- 地権者・家主:下北沢には住んでいない。
- 商店主:自宅兼商店。
- 商店主:下北沢で古くから店をやっている。
- 商店主:下北沢が好きで店を開いた。
- 商店主:下北沢なら売れそうなので店を開いた。
商店主:チェーン店。
持ち家住人
- 賃貸住人
- 下北沢地域には住んでいるが下北沢の文化には興味がない人
- 下北沢地域には住んでいるが下北沢駅をあまり利用しない人
下北沢があるから下北沢に住むようになった人
下北沢から電車・バスで通う人
- 下北沢で働く人・下北沢に通う学生
- 下北沢に用事のある人
- 下北沢のライブやイベントに来る人
- 下北沢に買い物・食事をしに来る人(ブラブラを含む)
- 下北沢で乗り換える人
- 下北沢の周辺を車で通過する人
これらの要素を兼ねている人もいるだろう(地権者・地主で商店主でもあり、下北沢に住んでいる人など)。そして、このように多様な「住人」または「下北沢と縁のある人」がいる。そして、今回大きな声を挙げている「住民」は、具体的にはどの層に該当するのかを考えなければならない。
再開発による利益が最もダイレクトに絡んでくるのは、地権者・家主であることは言うまでもない。そういう人たちにとって、今回の再開発は地価も上がり、非常に好ましいことだといえる。
下北沢に住んではいるが、下北沢の街は通過するだけという高級住宅地の住人にとって「アーティストぶった若い連中が我が物顔して歩き回ってる」のはうっとうしいことだろう。朝の下北沢駅周辺が「もんじゃ」のばらまかれた汚い空間だというのも改善してほしいことだろう。そして、再開発によって便利できれいな駅が生まれるなら大歓迎ということになる。
一方、下北沢が好きで下北沢に住むようになった人たち、あるいは下北沢に通い詰めている人たちもいる。下北沢に求められているものは人それぞれであり、人の数だけ下北沢のイメージも千差万別ということになるだろう。
住んでいる人にだけ発言権がある、という意見も見られる。あるいは、古くから住んでいる人にだけ発言権がある、という人もいる。あるいは日常的な駅の利用者にこそ発言権があるという人もいる。そして、ヨソモノは口を出すなと。それはいかがなものだろうか。
高級住宅地の住民はともかく、少なくとも、商店街にとって「ヨソモノ」は顧客であるはずである。それを排除する思考、客よりも「地元」の思考がすべてにおいて優先されるという思考はいかがなものか。少なくともその両者によって街は成り立っているはずである。
半世紀以上シモキタ「住民」の意見
さて、前回の記事についたコメントについて、何か地元民を騙って極端な意見を書いた人がいたのかと思ったが、どうやら本当に地元民の声のようなので、引用しておく。
[No.8] 投稿者:半世紀以上シモキタ[2009年10月 3日 18:55]
半世紀以上シモキタに住み続けている人は、ここ数十年のシモキタの変貌を歓迎していない。チープになって欲しくない。チープな雰囲気は下品で貧乏な人を呼び寄せる。各種事件も増えて治安も悪化している。今回の再開発で安ぽっい店等が一掃されることを願う。出来れば、そういう街のイメージが創出された現況の劇場、ライブハウスも全部移転して欲しい。
[No.12] 投稿者:半世紀以上シモキタ[2009年10月 3日 20:55]
「下北沢 商業者協議会」は地元の主要な商店街に所属している店が少ない。住宅地住民が歓迎しない飲み屋とかの業種が大半です。外から集まるお客が重要な業種です。まー地元の客相手の商店も非常に少なくなっていますが。だから商店主と地元住人との利害が昔以上に一致しなくなっています。特にテナントに商売している商人は、24時間生活しているわけでないので儲かれば良いと考えているのは明らかです。路上看板、路上陳列は最悪だし、路上駐輪に対する態度も非常に消極的です。街の外からの客を対象にしている業種は、特に酷いです。
商人は住民の一部で、少数派です。
また、前回記事にトラックバックいただいた下北沢 (URBANING -own the city- 都市ブログ)でも、コメント欄に同趣旨のコメントが見られた。
小田急開通以前の住人:
> 早朝の下北沢を歩いた経験がある。普段、若者でにぎわう下北沢の風景は、歩く人々のサブカル的なファッションで成り立っていると思っていたが
ただ遊びに来ているだけの人の浅はかな考えですね。 演劇の町とかサブカルの聖地と呼ばれるようになったのは、本多劇場グループが来た20年ぐらい前からです。 この文化も浅いもので、商人は別ですが、住民は必ずしも歓迎していません。商業活動は資本が一番大事ですが、莫大の資金、マスメディアをバックにある本多さんに対抗できるグループが居ませんでした。その結果、今の状況です。 再開発を利用して、今のシモキタのイメージ壊し、客層が一新して欲しいと住民は思っています。本当に飲んだくれの酔っ払いとか増えて治安が悪くなった。スラム街まっしぐらです。 私企業が所有する駅舎はバリアフリーであればデザインなんかどうでもいい。ほんの20数年程度の文化?を反映した変なデザインの駅舎にしたら後々恥ずかしい。様々な文化背景の人達が、長く使用するものは無機質なデザインが良い。 ごちゃごちゃした街は、各商店主が自由にやってきた結果であって、住民たちが望んで出来たものではありません。
投稿者: 小田急開通以前の住人 | 2009年10月04日 01:30
私はちょっとこれには驚いた。駅前市場はさすがに嫌う人も多いだろうと思っていたが、まさか、まさか、本多劇場グループさえもこれほどまでに嫌っている人がいるとは。「出来れば、そういう街のイメージが創出された現況の劇場、ライブハウスも全部移転して欲しい」という当ブログでの発言とも共通する趣旨だが、もうとにかく住宅街の住民至上主義、商店主さえも敵、劇場やライブハウスもすべて敵というのは初めて見たのだが、前回のコメント欄でもそのような「住民(=住宅地の住民)」からの大きな反発があった。
そうか、だからスズナリがつぶされるとしても、本多氏の作ったきたならしい店がつぶれてイメージアップだ、一緒に安っぽい連中も出て行ってくれ、というくらいの話だったのか。
それにしても、まさか本多劇場さえも敵視されているとは思ってもみなかった(もちろん、「住民」「地元」がみんなそう思っているとは思わないが)。
小田急開通以前からの住人ということは、昭和2年以前からの住人ということになる。ほぼ間違いなく明治か大正生まれのこの人は、確かに下北沢の先住民なのだろう。そして、後からやってきた本多劇場だかなんだか知らないがチャラチャラした安っぽい連中が街をけがしてきた。そろそろ、そういう連中を追い払ってくれ。再開発で実現するなら大歓迎。そういうことなのだろう。そしてセレブな街にしてくれということなのだろう。
本多劇場やライブハウスさえもが「黒歴史」と考える「もとからの住民」にとっては、闇市によって発展したという過去も当然「下北沢の黒歴史」なのだろう。というのも、本多劇場は大きな転機だったかもしれないが、本多劇場を下北沢に呼び寄せたゲニウス・ロキ(場所の歴史)も確かに存在する。「「ジャズ喫茶マサコ」閉店 オーナーが語る、下北沢の昔・今・これから - 下北沢経済新聞」から引用しよう。
演劇の街ではなかったのですか?
福島 それはもっと後の話。茶沢通りにある交番の前のスポーツクラブが「オデオン座」、北口のゼンモールが「北沢劇場」、今のみずほ銀行の裏手には「グリーン座」、その隣も「北沢エトワール」っていう映画館だった。そのころのことを知っている人は、もう少ないけどね。
本多劇場以前に、映画館が4館あった。おそらく、それは闇市の隆盛からの流れを汲むものだ。純粋な「住宅地」(田園調布のような)ではなく、繁華街や文化街としての要素を持つ下北沢の歴史は、本多劇場以前、少なくとも闇市の時代にさかのぼるのである。そして、文士や映画関係者といった連中は、それ以前から下北沢に集まっていた。サブカルチャーの街としての下北沢のゲニウス・ロキは、脈々と伝えられているように思う。
……話がそれた。ともあれ、この「古くからの住民」の視点を知りえたことは大きな収穫だと思うし、そういう意見があることには耳を傾ける必要があると思う。ただ、それに賛同するかどうかはまた別の話である。
そこで見えてくる本当の対立構造
この下北沢再開発については、南口と北口でも温度差がある。実際に分断される北口と、駅前への自動車のアクセスが良くなることで再開発の恩恵を大きく受けると期待している南口(今回話題になった「白髪爺さん」は南口の人だった)。そうなると、単純に「住民とヨソモノ」という二分法では語れない部分がある。
そもそもの計画者である世田谷区としては、連続立体交差事業の費用を道路財源から捻出したので、今さら補助54号+街路10号線計画を取り下げるわけにはいかない。それに「地元」も再開発を求めている。
ここで「地元」というのは、「周辺の高級住宅地の住民」「古くからの下北沢住民」「地権者」が中心であり、「劇場やライブハウスや飲み屋やチャラチャラした小店舗などの商店主・商売人(今の混沌とした下北沢を生み出した諸悪の根源)」や「劇団員・音楽家崩れの貧乏人」は排除される。そして前者をヒルズ的都市開発をよしとする人たちや(街を実見したかどうかわからないが)防災至上主義の人たちが支援し、後者をいわゆる「文化人」や下北沢ファンが支援するという構図になっているように思われる。とすると、「住民対部外者」という認識は当てはまらないことになる。
そして最後に私の個人的な意見
私は下北沢の何が好きなのだろうか。
南口のアンゼリカのパンとか、気流舎とか、大麻堂とかスタディルーム本店とか、一番街の水タバコとか――ああ、こう列挙してみると、そういう「チャラチャラした文化」を嫌いそうな人たちもいそうだとは思う。
だが、もうちょっと古そうなもの、たとえば北口の量り売りのおかき屋さんとかお茶屋さんとか、小田急線路沿いの八百屋さんとか(食品市場内のカレー屋のラワットさんがそこでタマネギを買ってるのをみかけたことがある)、南口庚申塔の三叉路のぜんばの八百屋・駄菓子屋とか、そういうのも好きでたまらない。
そして、南口商店街の入り口でイラストや似顔絵を売っている連中も、ストリート演奏やってる連中も好きだ(下北沢のストリートは概してあまり上手くない気がするけれども)。週末にはマンガ家のこせきこうじさんが奥さんと一緒に「マンガ家のこせきこうじです」と看板を出して路上で絵を売っているのも好きだ。一方で、自転車であちこち走り回っているトムズ製麺の田さんに遭遇するのも楽しみだし、一度も見てもらったことはないが、この間まで丸井のアウトレットショップがあったあたりにいつもいる手相見のおじさんの姿を見かけるとほっとする。
中央線文化という言葉がある(言い出しっぺはリリー・フランキーあたりだけれど)。下北沢は、東中野・阿佐ヶ谷・高円寺・吉祥寺あたりの雰囲気と似ているところもあり、ちょっと違うところもある。下北沢は歩いて楽しい街だと思う。
最近、井の頭線ホーム沿いに移転して地上3階地下1階になったガラス張りの無印良品は、無印の商品を買うために立ち寄ってはいるけれども、下北沢らしいかといえばそうではないと思う。
最近できたhanjiroの古着屋のビルは、おそらく今後ヒルズ化再開発が進めばああいう感じのビルばっかりになっていくのだろうが、あまり好きではない。箱のデザインさえ小綺麗なら、地元の人たちは「古着屋」であっても進出することに反対しないのかどうか聞いてみたいところである(業種的には、一掃されてほしいジャンルに含まれるはずの「古着屋」である)。で、確かに建物の雰囲気が変わっても、その地下にライブハウスができたように、下北沢文化が継続するのではないかという意見もあるが、人は街の外観に影響される。表参道や代官山や自由が丘の雰囲気のお嬢様ばかりが来るようになれば、そういうライブハウスは生き残れまい。そして、箱だけが残る。
私は、ヒルズ的な建物が下北沢にやってくることを、暴力としか思えないのだ。
都市論として:下北沢ヒルズは要らない
六本木ヒルズの産みの親である森ビル・森稔氏は、ル・コルビュジエの「輝く都市」思想に大きな影響を受けていると述べている。森美術館で開催された「ル・コルビュジエ展:建築とアート、その創造の軌跡」公式カタログでは、輝く都市(輝ける都市)思想をこのように説明している。
彼は、水平に広がる住居や都市機能を垂直に積み重ね、高層建築に集約することで、地上に空き地を確保できると考えた。そこを緑地にすることで、太陽の光は遮られずに街のすみずみにまで行き渡る。彼の主著『輝ける都市』(1930)に言及された「太陽、空気、緑」とは、都市においても人間らしい生活をおくるためのキーワードであり、高密度の超高層住宅では、眺望と緑と太陽が享受でき、自然に溢れる健康的な生活を営めると説いた。
このカタログで執筆している磯崎新、安藤忠雄、黒川紀章らはいずれもル・コルビュジエの信奉者であり、それによって数々のヒルズ的建築をつくってきている。
しかし、多くの「再開発」希望者が理想とするこのヒルズ的建築・輝く都市型都市計画には、画一的なイメージを各地に再生するという弊害がある。また、(超)高層ビルをよしとする思想は、すべての街に当てはまるものでもない。六本木ヒルズは街全体を森氏が買い取ったため、「輝く都市」の理想形が生み出された。また、東京ミッドタウンはそれまで防衛庁があったため、一からの街作りができた例である。街全体を統一規格で開発するのであれば、ヒルズ型のスタイルは有効かもしれない。
しかし、すでにいろいろな文脈を持ち、(たとえ数十年でも)歴史と文化を持ってしまっている下北沢、「シモキタ」という表記が意味を持ち得てしまうだけのものを積み重ねてきた街に、下北沢ヒルズは似合わないと強く思う。そうやって個性をはぎ取り、無機質に、清潔に(ついでに安全に)作り上げた街は、下北沢から電車で直接つながっている渋谷や表参道や乃木坂(東京ミッドタウン)と何が違うというのだろうか。そうやって個性を失った下北沢は、確かに「地元住民」が望む小綺麗な街となるだろうが、表参道や渋谷やミッドタウンや六本木ヒルズの劣化コピーである街に、外からわざわざ好んでやってくる人たちがどれほどいるだろうか。
少なくとも、街の再開発にここまで熱心に議論を闘わせるような独特の街には決してなり得ないことは確かだ(ただ住み心地がよければそれでいい、と言われるのであればそれまでなのだが)。下北沢に輝く都市計画を持ち込んでも、下北沢は輝かない街になってしまう。
そして、「ファスト風土」や「ヒルズ型建築」という画一的な再開発を日本各地の「地元」が求め、それに対してどこに行っても同じ街という殺風景な光景が広がっていることへの批判も生まれている。
たとえば、「秋葉原UDXビルができてから、秋葉原の街の雰囲気が変わった」という声が今回の件に関連して多く見られた。UDXビルという巨大なヒルズ型建築は、確かに秋葉原を変えてしまったと思う。
私は安易に街の個性を奪う再開発については、純粋な住宅地でない限り、たとえ仮に「地元民」がそれを望んだとしても反対の声を届ける必要があると思う。なぜなら、一度失われた「街の物語」は、大きな損失になると考えているからだ。せっかく持っている宝を、がらくたあるいは害をなすゴミと思って捨てる人には、それを安易に捨てていいのかと声をかけずにはいられない。
徒歩で回遊する街と、車のための街
そもそも補助54号線計画は、車を優先する都市計画によって作られたものである。しかし、下北沢は人間が徒歩で回遊するのにちょうどよいサイズの街と認識されており、その「回遊の街」を守るという意味合いも大きい。
自動車によるアクセスが経済発展と同義と考える都市計画は、もはや、自動車通行量自体が減っているという事実も踏まえれば、完全に時代遅れとなりつつある。少なくとも、環七の内側にある下北沢では絶対的な事実だ。今後のエコ化の流れを考えれば、徒歩で回遊できる街の価値は限りなく大きくなっていくだろう。
それをみすみす失うとすれば、数十年後の歴史においてまさに愚行と記されることだろう。
私が反対している理由が単に「ノスタルジー」ではないことは、以上で理解されたことだろうと思う。「輝く都市」「自動車都市」型の都市計画によって、すでに単なる地名として以上の意味を持つ「下北沢」という街の過去の歴史や記憶を強引に消し去るという発想や行為に反発しているのだ。そのような暴力的な再開発ではなく、防災上の変更や駅のバリアフリー化などであれば、それは通常の街の「改善」である。大いに賛成する。しかし、今の再開発はあまりにも「浄化」を求める「清潔なファシズム」に感じられるのである。
観光地に聞いてみろという意見について
前回のコメント欄にこういう投稿があった。
「シモキタ」を文化財として登録申請してみては? で、京都・奈良の人たちの苦労を聴いてみると良いですよ。 「訪問者」には関係ないことでしょうけどね。。
……私、奈良県斑鳩町出身なんですけど? 斑鳩小学校の教室の窓から法隆寺の五重塔が見え、写生大会はいつも法隆寺で、「出身は奈良です」というたびに「ああ、修学旅行で行きました。鹿がいるところですよね」と言われ続けるのにうんざりしているくらいの文化財の街出身なんですけど? 家を改築するのもままならない明日香村の状況も身近なもので、それでも「観光者」を排除してはそもそも成り立たない状況については体感して育ったんですけど?
もし飛鳥や斑鳩の住民が「住民の利便性が最優先、ヨソモノがガタガタ言うな」とか言ったらおそろしいことになってしまう。下北沢も同じだ。下北沢はすでに住宅地だけの場所ではなく、小さな繁華街でもある。必要なのは「人を呼べる街づくり」と「住む人にやさしい街づくり」の調和と調整であって、住民至上原理主義はその街を寂れさせる以外の何の効果も持たないだろう。
まあ、こうやって「外来者排除」とか言ってる下北沢に対して、近くの街が「じゃあうちに来ないかな」と舌なめずりしているのかもしれないが。
いくつかの誤解・ミスリード
ブックマークコメントやコメント欄で見られる意見について補足。
- 「住民は再開発歓迎、部外者が反対」:上記で述べたように「住人と来訪者」という二項対立としてとらえること自体が誤りである。
- 「再開発反対は、大震災で人が死んだらどうするのか」:話を飛躍させる暴論。そもそも、再開発が防災のためという名目ならこういう質問も成り立つだろうが、今回の再開発の「動機」は防災にはなく、防災的観点は副次的な効果である。反対派も防災に必要な範囲での対策なら受け入れるが、26メートルもの広さの道路が防災に必要不可欠とは思えないだけの話だ。また、ここで「文化」と「防災」の二者択一に話を持って行くのは明らかな印象操作であって、それは「下北沢再開発反対者は人命を軽視する」という悪意ある(しかも論理の飛躍した、現状と一致しない)プロパガンダとなっている。
- 「ヴィレッジヴァンガードは六本木ヒルズにもあるし、サブカルのシミュラークルなのだから、そんなものを取り上げるお前はサブカルを語る資格がない」:ああそうですかという感じの横槍だが、ヴィレッジヴァンガードが似合う街と似合わない街は確かにあると思う。ヒルズのヴィレヴァンと下北沢ヴィレヴァンは、街の中での店が持つ「意味」が違うと思う。そして、下北沢ってああいう感じが好きそうなイメージがある(そのイメージが勝手だと言われたらそれまでだが)。別にヴィレヴァンが例としてまずいなら、スズナリの横の坂の上のマジックスパイス下北沢店でもいい。ああいう、中島らもやみうらじゅんを好きな人たちが好みそうな店というイメージである。
- 「サブカル的なものを行政が保護育成するってのも変」:逆である。サブカル的な文化を不必要な道路工事でたたきつぶそうとしている行政のやり方に抵抗しているのである。本多氏は確かに実業家の面も持つから、完全に自然発生の文化とも言い難い要素があるのは確かだが、(少なくとも一時代の)下北沢文化を無視して急激に葬り去ろうとする行政や一部の「住民」へのアンチテーゼである。まあ、行政に逆らうのがサブカル、なんてのも陳腐な話だし、決してそれを意図しているわけではないが。少なくとも、行政にカルチャーの庇護を求めているのではなく、破壊をやめてくれと言っているのである。
- 「反対の理由がノスタルジーだけ」:本当に全文ちゃんと読んでもらえたのだろうか。
- 「文化は無常」:だとしても、それを強制終了させる試みには抵抗するのも文化ではないだろうか。
- 「バリアフリーでない不便な駅を改築することのどこが悪いのか」:小田急線が地下化しつつある以上、改築はなされるものである。改築に反対しているのではない。問題にしているのは改築された後のデザインであり、それがまさにヒルズ型都市計画を象徴するものであったということにある。
- 「住んでもいない人間が言うな」:もし私が住んでいたら評価が変わるのか。そうじゃないだろう。よそからやってきた新参者が、「本当の下北沢住民」に逆らっていると受け取られるだけのことだ。そして、述べている内容については何ら考慮せず、ただ反対が目障りだからそう言っているだけだ。だから、そういう反論には意味がない。また、それは住民の中での再開発反対意見を封じ込めようという暴力的言論であることも事実である。住んでいなければ発言権がないというのなら、私は八ツ場ダムについて何も発言できなくなる。
結論
下北沢再開発反対といっても、決して街が変わることそのものに反対しているわけではない。ただ、徒歩回遊の街であり、東京のいろいろな街の中でも特に「演劇・音楽・サブカルチャー・古着の街」という記号をすでに有する下北沢のイメージを完全に否定し、街を分断する自動車道路を持ち込み、画一化されたどこにでもある街に変えてしまおうという「下北沢ヒルズ化計画」には反対する。
防災のための検討が行なわれたり、駅がバリアフリー化する範囲であれば、「改善」として受け入れられる。私も開かずの踏切解消には期待している。また、焦点となりやすい駅前市場も、役目を終えたからそろそろお疲れ様、というのであればそんなに目くじらを立てることではないと思う。それが時代の流れであり、変わっていくことは街の宿命だ。
しかし、「あのゴチャゴチャした小汚い街なんか潰してしまえ」「サブカルを勘違いしたような貧乏な自称アーティストどもを追い出してしまえ」という動機によって「地元」が「下北沢ファン」を強制的・暴力的に排除・排斥するのであれば、そういうものを下北沢の景観の一部として大切にしてきた人たち(住民・外来者双方含む)から強い反発を受けるのは当然だし、そういう論理がまかり通り続けるのであれば、下北沢という街に未来はない、と私は思う。
画一化された都市再開発を押しつけ、スズナリ文化を徹底的に否定してみせたのが、あの小田急の駅舎案だったといえる。駅舎そのものはこの際、主要な論点ではない。しかし、あの駅舎とそれに対する賛否両論の激しい応酬によって、下北沢をめぐる議論が浮かび上がってきたように思われる。
ただ、下北沢が好きで住むようになった人たちを除いて、下北沢地域の「住民」たちの中には、今の下北沢を毛嫌いする人たちがあり、下北沢を好きになってくれたファンを汚らしい貧乏人として排除するような感情があることについては、非常に残念なことだと思う。
なお、これらの文章の責任はすべて筆者にあり、私個人の考えであることを明記しておく。なぜなら、下北沢再開発に反対する人たちの意見を集約して代弁しているわけではないからだ(上記に示したとおり、参考にはしているが)。そして、私の考えが普遍的に正しいとは主張しない(好き嫌いなども含まれている)。ただ、私はこのように確信し、意見を述べていることを明記しておく。
補記(10/19)
数名の地元住人を自称する者が、発言内容についての建設的な応酬ではなく、筆者の名誉を毀損することによって反対意見を封殺しようとたくらみ、個人攻撃・人格攻撃・悪質な嫌がらせをコメント欄にて継続して行なうようになりましたので、この記事へのコメント投稿受付を終了しました。なお、この悪質な投稿者の中には、他のブログのコメント欄においても名誉棄損投稿を繰り返した者もおり、人間として許される行動ではありません。
また、これらの投稿者の一部には、このブログ以外の場所で情報を交換する手段を有していることが明らな投稿があり、同一人物もしくは連携した行動が見られることも報告しておきます(IP情報も確認中です)。
別人を装っている「半世紀以上シモキタ」「地元」ならびに、ここしばらく管理人への名誉棄損投稿を続けている者(その他いくつかの匿名投稿)が共通して「point.ne.jp」からの投稿であることを報告しておきます。少数または単独の者が多数者の意見と見せかけるための偽装荒らし行為と考えられます。
このように手段を選ばない卑劣・低劣な人間は「再開発賛成の地元住人」の中でも特異かつ異常な存在であると信じたいと思いますし、これを持って「賛成派はどうこう」というようなことは決して主張しません。こういう人間が主張するから賛成意見は間違っている、というようなことも決して主張しません。それはまったく別の次元の話だからです。
なお、これらの投稿の中で、都市計画についての発言権が「(長く住んでいる)地元住人」のみにあり、そうでない外来者(商売人や来訪者)の発言権がゼロに近い、という主張が見られました。このような住民至上主義・外部排除排斥の意見がまかりとおるとすれば、「バーミヤンの石仏を爆破したタリバン」の行為についてアフガニスタン住人でない我々は発言権を持たないというおかしなことになってしまいます。「街はだれのものか」。いろいろな立場の人たちの共有物であって、特定の住人のための限定されたものでないことは明々白々です。
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実家から近いこともあって、下北沢は結構利用する街でした。勿論、居並ぶオサレな店はほとんど縁がなかったんですが、歩いていて面白い所なのは確かです。そしてその... 続きを読む
下北沢文化なんてどうでもいい。ただしデカい道路はイヤだ、という人が実は
結構いるんじゃないかな。少なくとも私はそう。
なぜかというと、下北沢の商店街や立地(渋谷5分、新宿10分)が便利で、
カフェや居酒屋が多くて一人暮らしに楽だから。
今の「save the 下北沢」運動やそれにまつわるウェブサイトやチラシを見ていると、
何か自分たちから「サブカル軍団 vs 行政」という構図を作り上げてしまって、
自縄自縛してしまっているようにも感じる。
(そしてそういう構図がはてブや反対派のサブカル嫌いな人々の無駄な反感を買っている)
本当は、ただ下北沢の立地や商店街の便利さが好きで住んでいる人だって実は結構いるはずで、
そういう浮動票(?)的な人達をもっと活動に巻き込むべきだと思う。
少なくとも最近北口の方は、スイーツ(笑)的なお店人達が増えてきていて、
そういう人達はきっとサブカルには興味はないけど、一日歩きながら洋服見たり
お茶したり、サブカルとはまるで無関係に下北沢を楽しんでいる。
が、そういう人達の声は余りなく、何か南口の駅前近辺の人達だけが反対を
唱えているような構図になってしまっているのが、残念。
端的に言って、活動が下手だと思う。
すずなりもビレバンも別に潰れたっていい。
駅前の下手なゆず紛いの連中も消えてくれてかまわない
ただ駅前商店街とかカフェが潰れるのは困る。
自分勝手ながらそれが一住人の本音です。
文学者と演劇人、音楽家はかなり特性が違います。文学者には純文学者、大衆文学者がいます。演劇人、音楽家は、その大衆文学者に近い。また、思想を広めようと考える純文学者たちは、生活に困っても死ぬまで書き続ける。
演劇人、音楽家は一発当ててやろうという考えで、深遠な思想など持っていない。儲からなくても思想を広げるために死ぬまでやろうとしている人は少ないと見える。軽薄なんですよね。
文士の伝統の連続性と言われてもピンときません。 親戚、極近所の住人に純文学者を持っています。音楽、演劇歓迎者は土地柄多数見てきました。私自身はパンクとか好きでした。ただ、路上ライブとかは昔から嫌悪していました。
とりあえず。 また詳細に投稿するかも知れないのでよろしく。
下北沢は「演劇・音楽・サブカルチャー・古着の街」
というのを、基本ラインに発展変化すべきであり
そのコンセプトを否定するような開発には反対だと。
とてもはっきりしていて、意見として貴重だと思います。
サブカルのるつぼとしての下北沢を壊すな、という。
うん。でもやっぱりそれは、どこまでいっても
ある「立場」とか、ある「思い込み」からの発言ですよね。
それだけだと、たぶん現実的にはどうにもできません。
取り去ったら二度とかえらないという意味では
金閣寺も本多劇場も
私の家の近くのラーメン屋も同じです。
それでも町は変化せざるを得ず
古いものはある程度取り替えざるを得ず
これは壊して欲しくないと誰かが思っても
それはある程度壊さざるを得ない。
だったら、下北沢が下北沢にしかない
壊してはいけない強力な理由はなんでしょう。
それを提示するのが、たぶん
一番人を説得できるんじゃないかな。
いまサブカル系施設が豊富で
サブカルの人が助かってるから、じゃ、
それはダメです。説得できっこない。
そして、長い長いこのテキストには
それ以外の理由が書かれていない気がします。
>画一的なイメージを各地に再生する
?????
安藤忠雄氏の建築、本当に見たことあるんですか?
都市再生と、都市の調和・記憶を考えてる人なのに、このようなことを書いてる事自体が勘違い。
間違ったイメージの植え付けとは失礼な話だと思いません?
[はっきり言うが、下北沢の補助54号線・区画街路10号線の計画を白紙撤回させるというのであれば、自民党だろうと公明党だろうと幸福実現党だろうと一票を投じてよいと思っている。]
上文は、筆者の文言。これだけ見ても、読むに値しない物書きだと思う。
90才を過ぎた祖母はこう言います
「満州から引き上げてきた後、この街を気に入り土地を買い家を建てて暮らしてきた。この街が大好き”だった。”
でも、本多氏が来てから、彼とその時代時代の若者がこの街を変えてしまった。」と・・・
たまには街中での散歩して、北口のおせんべいでも買いに行こうかと誘っても、
この街の変貌を見るのが嫌でもう出かけたくないそうです。
下北の文化を守る!とか、街が変わってしまう!とか、
人が集まらなくなると主張している皆さんへ
あなた方は今の下北を構築、醸成している人の一部なんだと思います
と、同時に
それ以前にあった文化の破壊者、
それまでの街を好きだったひとの駆逐者
でもあるのです。
このことを頭の片隅に置いて、十分に議論して欲しいのです。
今の下北の姿がすべてではなく、
過去の姿があったように、
未来の下北がある
時代とともに街並みやその住人が変わっていく
それでも下北を愛する人が集まってくる
私はこれでいいと思っています
補助54号線・区画街路10号線に関して言えば、
なんで、現在の小田急線跡地を道路にする、
という案が出てこなかったのが不思議です。
> 補助54号線・区画街路10号線に関して言えば、
なんで、現在の小田急線跡地を道路にする、
という案が出てこなかったのが不思議です。
あそこに道路を造る必要性を感じている人は皆無。車が禁止の緑道にすると計画されている。鉄道が通っている段階でも南北分断されていたと感じている人が大半だった。
大きな道路(車が多数往来する)は街を分断するものとやみ嫌われている。
54号線は、環七と旧?山手通りを繋ぐためのもので、区画街路10号は、基本駅前ロータリー広場である。跡地で代替できない。
数十年住んでいる人からすると、今の下北沢は「地元」と感じられなくなってきているのでは?少なくとも自分はそう感じます。
今の下北沢の景観は、ハヤリの店によって普通の商店街が破壊されたものと、考えることも出来ます。
「シモキタに店を構える格好良い自分」みたいな店舗は、薄ら寒いばかりです。
「再開発=自分達の街を取り戻す」と考えても不思議ではありません。
「今の下北沢」を愛する人と、「生まれ育った下北沢」を愛する人では見えているものが違います。
とはいえ、54号線もロータリーも不要だと思いますが。
私は、<[No.3] 投稿者:うーん>さんと同意見ですが、あえて逐一問題点を詳細に突いていきます。
・下北沢再開発「賛成」と「反対」の現状
> アンケートによっては反対が多数の場合もある。
上記の記述は、「議論の仕方についての前提」で貴方の多数派とか安易に語らないという
前提を自ら裏切っているので不要。
「賛否両論が分かれている。」までの記述の方が適正と思います。
多いとか少ないとか明確で客観的なデータを示さず記述するのはアンフェア。
下記の部分も切り離して補助金得られるようになったと反対派のサイトのある。
>・補助54号線
しかし、駅前再開発に賛成している地元民(特に北口側)の中でも評判のよくない補助54号線事業だが、連続立体交差事業の費用をこの道路財源から捻出しているため、世田谷区は小田急線の複々線化とセットでこの補助54号線を推進せざるを得ない状況に追い込まれている(補助54号線を断念して道路財源を諦めるという選択肢は、少なくとも今の区は考えていない)。ここに大きな問題があり、訴訟でもこの点が問題視されている(まもれシモキタ!行政訴訟の会参照)。>
道路ができることによる建築規制の緩和
実際、どの程度の緩和がなされたかを明記しようよ!
そもそも景観を守る必要があるか? 地元の人間でなく外から来る人間がこのむ景観を
住民の希望を無視して守る必要があるか???
・街路10号線
駅前ロータリーは歩行が困難な高齢者には必須のものです。この北沢地域は、世田谷区が
区を5つの地域に分けて分析している資料によると高齢者率が一番高い地域です。
「先進的」な街を好む住人たちだけでなく、そういう利便性が必要と考えている普通の人も
賛成している。
劇場なんか無くても何にも困らないが、超高齢化が進む日本には必須のものであり続けると思う。
> 再開発賛成派は、今のような小汚い貧乏人ばかり集める街では、廃れる一方だと考え、ヒルズ的な都市計画による活性化を狙う(ヒルズ的な開発でなければ再起できないとも考えている)。一方、再開発反対派は、画一的な街作りによって下北沢の特性が失われ、下北沢の吸引力が失われるため、再開発によって下北沢はどこにでもある街となって地盤沈下していくだろうと考えている。
上記の部分で賛成、反対派ともに街の活性化を望んでいるわけでなく、邪魔なものを排除しようと考えていると思う。
活性化を考えるのは商人だけでしょう。シモキタは交通の便が抜群に良いので、渋谷、新宿を街代わりに利用している人が多数居ます。
ただ、足の悪い高齢者等が駅前自宅間を車を使用したい場合、不便です。
管理された広場もなく、違法駐輪等で消防車、パトカーすらもは入れないことがありました。
・下北沢の範囲と「住人」たち
>ディープ下北沢(ヨソモノがイメージする下北沢)は、駅前を中心として、北は一番街、西は鎌倉通り、東は茶沢通り、南は代沢三叉路あたりを境界とする菱形の一帯と考えてよいだろう(境界となっている道の両側まで含む)。>
端的に言うと北沢2丁目(南の代沢三叉路までは例外)
>昭和戦前の郊外高級住宅地開発時代、戦後の闇市時代、1970年以後の本多劇場文化時代、という時代区分ができそうである。>
妥当な分類ですね。
・下北沢に関わる人たち
>再開発による利益が最もダイレクトに絡んでくるのは、地権者・家主であることは言うまでもない。そういう人たちにとって、今回の再開発は地価も上がり、非常に好ましいことだといえる。>
地価が上がると固定資産税も上がるから、その点ではマイナス。大家となっている人もテナント、マンションの空きを状況をみると微妙。(固定資産税UP分を家賃に転嫁できないと考える)
メリットは住環境の改善とバリアフリーの駅前。
>住んでいる人にだけ発言権がある、という意見も見られる。あるいは、古くから住んでいる人にだけ発言権がある、という人もいる。あるいは日常的な駅の利用者にこそ発言権があるという人もいる。そして、ヨソモノは口を出すなと。それはいかがなものだろうか。
高級住宅地の住民はともかく、少なくとも、商店街にとって「ヨソモノ」は顧客であるはずである。それを排除する思考、客よりも「地元」の思考がすべてにおいて優先されるという思考はいかがなものか。少なくともその両者によって街は成り立っているはずである。
>
商人は、地元なんかより客最優先だよ。だって地元に気を使って、客が来ないようになったら金が入らず生活できなくなる。
自分の店の客層が地元中心なら、地元の客に従った意見、地元以外のサブカル系ならその方向の意見を言う。
住商が別の商人ほど自分の店の客層の意見に従う。
発言するのは自由だけど、以下のように発言は区別され重要度が変ってくる。
住商一体の商人 ≧ 住商別の商人 ≧土地持ち住民 ≧ 賃貸住民 >>>>>>>>>>> 外部の人
本来は、賃貸か問わず長い間住んでいる住民が、外部から来ている住商別の商人より発言権が強いはずだが、
生活の収入を街に依存している割合が住民より高いので、上になっている。
住民、商人とも期間を不問とする傾向があるので、シモキタで商売を初めて間もないテナント借りの商人が
異様に発言権を持ってしまうと云う問題がある。
土地持ちの住人と違い、儲からなければ簡単に街を見捨てる人達に強い発言権を与えるのは大問題だ。
今では、本多劇場竣工以降の商店の数が多数を占めているので補助54号他の再開発の成り行きが心配だったが
主要な商店会が再開発推進と表明し、工事の認可もされたので安心している。
道路が通ろうが駅前が変ろうが、劇場、ライブハウスがあるイメージは変らず、今以上に客が来ると判断した。
スズナリを守ろうとかの話は、商店会の中でもほとんど無かったみたいだ。
貴方のこの部分の記述は、相当的を外れている。
・半世紀以上シモキタ「住民」の意見
>本多劇場やライブハウスさえもが「黒歴史」と考える「もとからの住民」にとっては、闇市によって発展したという過去も当然「下北沢の黒歴史」なのだろう。>
闇市前から栄えていたよ。新宿、渋谷にすぐ出られる電車網があったのはシモキタだけ。
そういう場所だから、戦後の混乱期に闇市が出来たんだよ。再度書くけど、「闇市前から発展してました。」
本多劇場が出来なくてもライブハウスは出来たでしょう。その素地は、南口の繁華街に十分ありました。
映画館は、昔はどこの繁華街でもありました。
北口は、飲み屋街としてでなく普通の商店街として南口以上に栄えていました。
全ては特別便利な電車網にあります。
南口繁華街のバー80件ほどのオーナーの本多さんが、日本初の個人劇場を造ってメディアを使って宣伝したことのより、
演劇人という特殊な人種が集まるようになりました。音楽市場よりマイナーな演劇市場は、より貧乏な若手を生み出します。
かくして若手が貧乏で枠に囚われない(常識なし)2業界の人達が多数集まる唯一の街になりました。
・そこで見えてくる本当の対立構造
元々、南口と北口は賑やかさに違いがあった。南口は夜、北口は昼の街として栄えていた。
住宅地の人間、特にファミリー層は、夜の街=ネオン街がすぐ近くあるのは、好まない。
学校がある地域には条例で各種風俗店が営業禁止になっている。
条例で禁止にするほどだから、ネオン街の傍で子供を育てようとする親も少ないだろう。
ネオン街を好む2業界の貧乏な若手が集まる街とマスメディアで喧伝され街全体
にそのような人を客とする店が集まってきてしまった。また、そのようなチープな店が
多数集まっている街と喧伝され、業界に関係なく貧乏な人でも楽しめる街として有名に
なってしまった。周辺に高級住宅地を抱えているので、それなりに高級な店もあったが、
貧乏な若者が大挙して訪れるため、住民のシモキタをスルーして新宿、渋谷等へ直行する
ようになった。ますます高級な店は少なくなりチープな店ばかりに。
交通の便が抜群で閑静な街だが、日用品が手に入る庶民的な商店街もあり気が利いた高級な店もあるのが好きだった住民は、
この街から逃げ出している。
閑静さ、日用品が手に入る商店街、高級な店を愛するものには、年々住みづらくなっている。
・そして最後に私の個人的な意見
貴方の好みにあれこれ言っても無意味ですね。
昔の北口は自由が丘の雰囲気のお嬢様来ていた。その伝統があるから最近スイーツの名店が北口及び街外れに増えてきた。
・都市論として:下北沢ヒルズは要らない
商人以外の住民は外から人が来て欲しいとは思っていない。むしろ来ないで欲しいと思っている。
来て欲しいと思っているのは、客の大多数が地元住民以外が商人のみでしょう。つまり住民の極一部。
住民は、自分たちが利用する商店以外はノイズと感じ、あるだけならまだしも多数の好まざる人種を
呼び込むなら消えて欲しいと思う。そんな商店ばかりの商店街なら無くなっても結構と思っている。
日用品の買い物は、車がなくても交通の便が良いのでそれほど不自由しないからです。
更に昔と違い大概の商品は品揃え豊富、最安なネットで手に入るので尚更です。
駅まで10分以内の私は、昔から生鮮食料以外は、多くの品揃えを求め、渋谷、新宿等に直行していました。
小中学校の同級生も大学生ぐらいから私同様な行動を取っていました。渋谷、新宿に10分以内ですからね。
貴方が宝と思っているものをがらくたあるいは害をなすゴミと思って捨てる人がいることを理解しよう。
所有権がない人が捨てるなといくら言っても、捨てるよ。価値観を全く異にするは多数存在する。
その人の所有権を制限するような言動をするべきでない。それらが欲しければ、土下座して頼めば良い。
それを上からの目線で、「文化を壊すな」などと言ったて無視されるだけ。「安易に捨てるな」は禁句。
各種商店が密に存在するシモキタを統一規格で開発できないでしょう。六本木ヒルズ等の劣化コピーには成りようも無い。
・徒歩で回遊する街と、車のための街
>自動車通行量自体が減っているという事実>
地元の人も商店会の人もそんなこと分かりきっているよ。それでも反対が少なく、認可されてってことは
地元の人たちはゴチャゴチャしたのを守るべきものと思っていないということだ。
補助54号線自体もシモキタのためだけの道路でなく、区、都の交通をスムーズにするための道路です。
そもそも補助54号線他で道路で回遊する街が失われないよ。多数の路地があり、路地以外の場所も歩行者に占有されて
車が入っていってもなかなか退かないよ。駅前への車の流入を制限する案がいろんな団体で検討されている。
「徒歩で回遊する街」を守ろうと方向は、再開発賛成派も持っている。
でも防災上の変更や駅のバリアフリー化が最重要視されるのは当然。
・観光地に聞いてみろという意見について
>家を改築するのもままならない明日香村の状況も身近なもので、それでも「観光者」を排除してはそもそも成り立たない状況については体感して育ったんですけど?
もし飛鳥や斑鳩の住民が「住民の利便性が最優先、ヨソモノがガタガタ言うな」とか言ったらおそろしいことになってしまう。下北沢も同じだ。下北沢はすでに住宅地だけの場所ではなく、小さな繁華街でもある。必要なのは「人を呼べる街づくり」と「住む人にやさしい街づくり」の調和と調整であって、住民至上原理主義はその街を寂れさせる以外の何の効果も持たないだろう。
まあ、こうやって「外来者排除」とか言ってる下北沢に対して、近くの街が「じゃあうちに来ないかな」と舌なめずりしているのかもしれないが。
>
「観光者」に食わせてもらっているのは、商人だけだよ。商人は住民の極一部だし、住商一体の商人は少ない。
長く商売している人も少ないし、儲からなければ他の街に移転が容易なテナント借りの商人が多い。
住民にすれば、「人を呼べる街づくり」不要で、街を寂れさせても問題ない。
なぜなら、すぐ傍に新宿、渋谷があるから。こういう大繁華街があるから、シモキタの変な店が出来ても別に気に
しなかった。その結果、どんな人種、お店も受け入れてくれる自由な街と勘違いした人達が集まり過ぎた。
さすがに閑静な住環境が壊されつつあるので、今回の新道路を中心とした開発で客、店の傾向が変化すると思い、
駅前部分に関しては、賛成としている人が多いと思う。その他の部分について強力な反対で山手通りと環七を繋ぐのには
30年ぐらいかかるでしょう。
住民は、自分が不要な店が繁盛するのはノイズが増えたと認識して、そういう店は、渋谷、新宿他、自分の眼に入らない
遠くの街に移転してくれと願っている。
・いくつかの誤解・ミスリード
面倒なのでコメントなし
・結論
面倒なのでコメントなし
反論のコメント待っています。出来ないならこれ以上いい加減な情報、ずさんな論理での下北沢再開発問題への意見しないで下さい。
しばらく多忙なので後日回答しますが、
「出来ないならこれ以上いい加減な情報、ずさんな論理での下北沢再開発問題への意見しないで下さい」
というような感情的・暴力的な反論封じに応えること自体がおかしいとも考えています。
それが回答ですね。それで終わりで結構。
そう煽らないで^^;
折角、長文の意見を書いたんだから
ブログ主の反論を待ちましょうよ
大筋で№10さんに賛成なだけに
反論を見てみたい
「即座に回答がなければ勝利宣言」というのは、ネット上で一部の困った人がやる悪習で、それをやり始めると「口をつぐんだ方が負け」みたいになるという恐ろしい循環が延々と続き、有意義な対話にならないので、そういうことはやめましょう。
ということで、とりあえず双方の意見は明確になってきていると思いますが、とりあえず回答を簡潔にまとめます。
>・下北沢再開発「賛成」と「反対」の現状
これはあくまでも現状分析であり、私の意見を代弁したものではありませんので、上記と矛盾するとは考えません。
>下記の部分も切り離して補助金得られるようになったと反対派のサイトのある。
制度の変更により、補助54号線がなくても小田急の立体交差工事が可能になったのに、54号線計画が継続している、ということについて、だったら54号線やめればいいのに、という反対の声がありますね。この点については確かに書き漏れです。
>道路ができることによる建築規制の緩和
>実際、どの程度の緩和がなされたかを明記しようよ!
http://www.big.or.jp/~solar/shimokitazawa.html から簡単に引用しますと「区の誘導に従えば、実際は現状の平均2.7階から、同じ地域が平均5~7階、最高17階までと、2~6倍の高さになる」「ほとんどが3~5階以下の低層の建物でできていることが、いまの下北沢の居心地のよい町並みをつくっていることがわかる」。
>そもそも景観を守る必要があるか?
破壊力抜群の発言だと思います。もうこの時点で「必要がある派」「必要がない派」が鋭く対立してしまいます。この問いに「正解」はありませんので、あくまでも個々の「選択」の問題となります。私は、緩やかな変化はやむを得ないものと考えていますが(あらゆる変化をすべて拒否するとは一度も言っていません)、抜本的に急激に変えることに疑問をもっています。
>・街路10号線
>駅前ロータリーは歩行が困難な高齢者には必須のものです。
自動車を引き込む駅前バスロータリー計画がなくても、バリアフリーの駅舎計画は十分に可能だと思われます。少なくとも小田急地下化で改築は必須なのですから、車椅子等が使いやすい駅舎計画がなされることは必要だと思います。ただし、あの外観デザインはどうかと。なお、西口(井の頭線改札)にエレベーターが付くとよいとさらに思います。
> 劇場なんか無くても何にも困らないが、超高齢化が進む日本には必須のものであり続けると思う。
「劇場なんか無くても何にも困らない」という発言に、私は悲しみを覚えます。下高井戸シネマが存続の危機にあって地元の人たちがこぞって支援したというのと、まるで逆の事例に、私は悲しみを覚えます。
>上記の部分で賛成、反対派ともに街の活性化を望んでいるわけでなく、邪魔なものを排除しようと考えていると思う。
邪魔なものの「排除」というのは悲しい話です。
>活性化を考えるのは商人だけでしょう。シモキタは交通の便が抜群に良いので、渋谷、新宿を街代わりに利用している人が多数居ます。
このあたりは完全に「住む場所としての下北沢」に愛着する人と、「(商店などの)街としての下北沢」にこだわる人のすれ違いだと思います。渋谷・新宿に出れば何でも揃うからシモキタに何もなくていい、というのは、住む場所にこだわる人の極論だと私は思います。
>ただ、足の悪い高齢者等が駅前自宅間を車を使用したい場合、不便です。
たとえばの案ですが、小田急地下化でできたオオゼキ横の空間を利用して、北沢タウンホールから駅までのバリアフリーな通路(動く歩道など)を導入するというような方法も可能ではないでしょうか。
>メリットは住環境の改善とバリアフリーの駅前。
上記に述べたとおり、バリアフリーの駅前は今の計画を白紙化しても矛盾せず作れると考えています。
>住商一体の商人 ≧ 住商別の商人 ≧土地持ち住民 ≧ 賃貸住民 >>>>>>>>>>> 外部の人
この不等号の使い方はアングラ系ネット歴が長いように思われますがそれはさておき。
>土地持ちの住人と違い、儲からなければ簡単に街を見捨てる人達に強い発言権を与えるのは大問題だ。
このような排除の論理ではなく、儲かる儲からないではなく、この街が好きで店を開いた人、この街が好きで住むようになった人が定着するような発想はないのでしょうか。
>今では、本多劇場竣工以降の商店の数が多数を占めているので補助54号他の再開発の成り行きが心配だったが主要な商店会が再開発推進と表明し、工事の認可もされたので安心している。
私は不安になっています。
>闇市前から栄えていたよ。新宿、渋谷にすぐ出られる電車網があったのはシモキタだけ。
とりあえず『下北沢通史』は全部読んでます。もちろん小田急と帝都電鉄の開通後に住宅地化が進んでいますので「栄えていた」のは間違いないと思いますが、戦後に特に外部からやってくる人たちを客とする意味での「商業化が進んだ」という趣旨で書いています。
>かくして若手が貧乏で枠に囚われない(常識なし)2業界の人達が多数集まる唯一の街になりました。
かなり悪意がこもった表現だと思います。ただ、それは(少なくとも一部の)「地元」の意見ではあると思います。
>そこで見えてくる本当の対立構造
南口と北口の対比は非常に興味深い内容です。南口にキャバクラ・ガールズバーができているのもその流れなんでしょうかね。
「貧乏な若者が大挙して訪れる」「高級な店は少なくなりチープな店ばかり」というあたりには苛立ちと悪意をともに感じます。ただ、下北沢はいわゆる「貧乏な若者」から見れば結構「高嶺の花」的な印象が強いのも事実で、下北沢に住んでいると言えば(たとえ賃貸でも)そこそこのステータスがある状態です。交通も便利なだけあって家賃も比較的高いし、高級料理店も多いし(このあたりは比較の問題なので、絶対的基準における高い低いではありませんが)。
「閑静さ、日用品が手に入る商店街、高級な店を愛するものには、年々住みづらくなっている」という意見はあるとして、それが駅前再開発でどう「改善」されるのかがまったくわかりません。グルメシティが再建されれば、とかそういう話なんでしょうか。
> 貴方の好みにあれこれ言っても無意味ですね。
お互いにそうだと思います。
>商人以外の住民は外から人が来て欲しいとは思っていない。むしろ来ないで欲しいと思っている。
駅前周辺の商業地としての下北沢と、その周囲の住宅地の広域下北沢がごっちゃになっていると思います。そして、外部の人を排除するこの村的発想、「下北沢ナショナリズム」といわれる排除の構図は非常におそろしいものにみえます。
>貴方が宝と思っているものをがらくたあるいは害をなすゴミと思って捨てる人がいることを理解しよう。
あなたががらくたあるいは害をなすゴミと思って捨てようとしているものを、宝だと思っている人がいることも理解していただきたいことです。
>それらが欲しければ、土下座して頼めば良い。それを上からの目線で、「文化を壊すな」などと言ったて無視されるだけ。「安易に捨てるな」は禁句。
なんという「上からの目線」。「安易に捨てさせるな」も禁句ではありませんか。
>各種商店が密に存在するシモキタを統一規格で開発できないでしょう。六本木ヒルズ等の劣化コピーには成りようも無い。
地価高騰、建築制限の撤廃、それによって路面店や旧来のビルが退去を余儀なくされ、広範囲の土地買収と大規模施設の建設が進む(マサコの閉店はその前兆)と考えます。そして、街全体が統一的に再開発されるのではなく、小規模なヒルズ的開発が行なわれ、完全に「劣化」コピーとなることを、わたしはあえて「予言」します。
>地元の人も商店会の人もそんなこと分かりきっているよ。それでも反対が少なく、認可されてってことは地元の人たちはゴチャゴチャしたのを守るべきものと思っていないということだ。
>そもそも補助54号線他で道路で回遊する街が失われないよ。多数の路地があり、路地以外の場所も歩行者に占有されて車が入っていってもなかなか退かないよ。駅前への車の流入を制限する案がいろんな団体で検討されている。
ゴチャゴチャの街を作り上げている要素である多数の路地こそが問題なのか、それは失われないといっているのか、よくわかりません。ただ、私は「駅前バスロータリー」という空虚かつ車優先歩行者二の次の空間が嫌いですし、一般車の流入を制限したら、車で来る高齢者のアクセスは全然関係ない話になりますね。
>「徒歩で回遊する街」を守ろうと方向は、再開発賛成派も持っている。
それはよいと思います。ただし、54号が街を分断するのは間違いないことです。
>でも防災上の変更や駅のバリアフリー化が最重要視されるのは当然。
それを否定したつもりはまったくありません。ただ、そのために54号や10号の計画である必要はまったくないと考えています。防災や駅周辺一帯のバリアフリーを進める別の計画があってよいと思います。
>「観光者」に食わせてもらっているのは、商人だけだよ。商人は住民の極一部だし、住商一体の商人は少ない。
このような文化、あるいは街のアイデンティティーを無視した発言を、おそろしいと考えています。斑鳩の住人も、観光で食っている人はごく一部。しかし、1300年の歴史のある文化の街、聖徳太子のお膝元の街、藤ノ木古墳のある街、ちはやぶる神代もきかず竜田川の紅葉のある街、というアイデンティティーを大切にしているのが斑鳩の住人です。
今回の反論は、一言で言えばすべて「利便性」ということになると思います。しかし、人間が街を作る以上、利便性だけで物事は決まらない。私は「劇場やライブハウスを追い出した街」などという歴史を、下北沢に背負って欲しくないと思っています。
>さすがに閑静な住環境が壊されつつあるので、今回の新道路を中心とした開発で客、店の傾向が変化すると思い、駅前部分に関しては、賛成としている人が多いと思う。その他の部分について強力な反対で山手通りと環七を繋ぐのには30年ぐらいかかるでしょう。
そうなると54号の意味は本当にないですね。それこそ、茶沢通りをスズナリの前からUターンさせて10号の駅前ロータリーにつながる部分だけでも目的は果たせるのではないですか?
>住民は、自分が不要な店が繁盛するのはノイズが増えたと認識して、そういう店は、渋谷、新宿他、自分の眼に入らない遠くの街に移転してくれと願っている。
この排除の論理がおそろしいと考えています。ただ、そのような敵愾心・敵対心を懐いている住人が少なくないという事実は、しっかりと認識しておきたいと思います。
とりあえず、現時点で双方の「見解の相違」については浮き彫りになったのではないでしょうか。ですから、少なくとも「答えられないなら口をつぐめ」などという乱暴な発言はやめてほしいと思います。
「半世紀以上シモキタ」さんと殆ど同意見の地元人だが、あの粘着質の彼の再反論が無いのは、このブログがコメント承認制になったからと推測する。都合の悪いコメントは載せないようにしたってことだろうな。
コメント承認制にしていませんよ。設定は何も変えていません。あなたの投稿も即座に反映されているでしょう?
「都合の悪いコメントは載せないようにした」などという事実に反するデマを流して人格攻撃を始めるわけですか。いい加減にしてください。
何度か投稿しましたが、前回は承認が行われるまで内容は表示されないとの旨のページが表示され、以前のように投稿がリアルタイムに表示されませんでした。
何度か投稿しましたが、前回は承認が行われるまで内容は表示されないとの旨のページが表示され、以前のように投稿がリアルタイムに表示されませんでした。
なんかCGIがおかしいみたいですね。書き込みでサーバーエラーが表示され、再表示させたら複数書き込まれました。次回は、貴方の都合の悪い経歴を明記して投稿します。それが表示されなければ、承認制があったことが明確になります。
wikiにある松永英明の経歴にある都合の悪いキーワードがあったら承認を得なければ表示されないシステムだろうな。
wikiにある松永英明の経歴にある都合の悪いキーワードがあったら承認を得なければ表示されないシステムだろうな。
もう少し建設的な議論をしようよ
とても有意義な議論の場だと
おもうんだがな。。。
うわさに惑わされないで
むずかしい単語を使わずに
だれでも分かるようなやさしい議論を
ねがいたい
こんな場所で建設的議論なんかできないだろう。
議論をするのは様々な資料が必要だが、それすらも理解しない人ばかり。そもそも権利がゼロに近いシモキタ非在住者が多いみたいだし。もう既に認可決定していること。反対派の団体は、既にあり起訴とかで着実に認可を撤回させる運動も行われている。ブログ主を含めて、本気で反対運動を手間隙掛けてやろうとしていないだろう。別に難しい単語などないのに誰でもわかる議論とか言っているアホのいることだし、無理無理。
縦読みじゃん
文章・文脈おかしいだろ?
つか、それくらい気づけよ
半年ROMってろ
wiki 松永英明でわかるじゃん。縦読みなんて凝ったことするなんてアホじゃん
どこまでいっても、私がまえに指摘させていただいたように、ある「立場」とある「思い込み」からの発言ですね、松永さん。
もちろん、半世紀以上シモキタさんの、やや感情的な書き方にも否はあると思いますが。
「排除の論理がおそろしいと思います」という一文。
そういう書き方(つまり、京大-サヨク-反戦NGOの文体!)に、多くの人が違和を感じることぐらい、ブロガーとして高名な方なら理解されていると思うのですが。
いっけん冷静そうなその文体にじつは論理はなく、人を説得することはできませんよ。
人間社会はなにも排除せずに成立などできません。
なにを排除するか、が問題なだけで、排除自体は善でも悪でもないのです。
そこを飛び越えてしまうのは、そういう党派的前提に流されているからにすぎません。
ここがチラシの裏なら、誰も文句はいいませんが、公開ブログでここまで長文を書き、下北沢再開発問題に影響を与えようという意図が明らかなのでしたら、もうすこし、自分の書きたいことだけ書く、という姿勢から抜け出てみてはいかがでしょう。
もしくは、単純に「俺はいまのシモキタが好きだ!文句あるか!」といえばいいのですよ。
へんに人を説き伏せようとはせずにね。
詳細に書くのは最後だと思います。
> http://www.big.or.jp/~solar/shimokitazawa.html > から簡単に引用しますと「区の誘導に従えば、実際は現状の平均2.7階から、同じ地域が平均5~7階、最高17階までと、2
> ~6倍の高さになる」「ほとんどが3~5階以下の低層の建物でできていることが、いまの下北沢の居心地のよい町並みをつ
> くっていることがわかる」。
荒っぽい引用ですね。以前の基準が適用された10数階建ての本多劇場ビルは例外なんですか?
> 自動車を引き込む駅前バスロータリー計画がなくても、バリアフリーの駅舎計画は十分に可能だと思われます。少なくとも小
> 田急地下化で改築は必須なのですから、車椅子等が使いやすい駅舎計画がなされることは必要だと思います。ただし、あの外
> 観デザインはどうかと。なお、西口(井の頭線改札)にエレベーターが付くとよいとさらに思います。
具体的にどういうデザインが良いのですか? どういう構造ですか? 京王井の頭線と小田急の敷地がどこまでで、それを今後
どう調整して変更していこうとするか把握していますか?
> 「劇場なんか無くても何にも困らない」という発言に、私は悲しみを覚えます。下高井戸シネマが存続の危機にあって地元の
> 人たちがこぞって支援したというのと、まるで逆の事例に、私は悲しみを覚えます。
自分が好きな場所が無くなるのは悲しいことは、誰でも同じです。しかし、自分が所有しているものでないので彼是言っても
権利が限りなくゼロなので言ってもしょうがないと判断する。それに持ち主の経済的事情で行われると考えると彼是言うのは
粋じゃないと思います。
> このあたりは完全に「住む場所としての下北沢」に愛着する人と、「(商店などの)街としての下北沢」にこだわる人のすれ
> 違いだと思います。渋谷・新宿に出れば何でも揃うからシモキタに何もなくていい、というのは、住む場所にこだわる人の極
> 論だと私は思います。
そういう住民が多数居て、住商一致の商人を含めて商人は住民の中では少数派であると理解してくれればOK。
商人はやたら声が大きいと言う事も理解してください。その商人たちの多くが加入している主たる商店連合会も推進の立場。
> >住商一体の商人 ≧ 住商別の商人 ≧土地持ち住民 ≧ 賃貸住民 >>>>>>>>>>> 外部の人
> >土地持ちの住人と違い、儲からなければ簡単に街を見捨てる人達に強い発言権を与えるのは大問題だ。
> > このような排除の論理ではなく、儲かる儲からないではなく、この街が好きで店を開いた人、この街が好きで住むようになっ
> た人が定着するような発想はないのでしょうか。
貴方が昔所属した×××と違って、個人の所有権を最重視する国に居ることを忘れないで下さい。
> >かくして若手が貧乏で枠に囚われない(常識なし)2業界の人達が多数集まる唯一の街になりました。
> かなり悪意がこもった表現だと思います。ただ、それは(少なくとも一部の)「地元」の意見ではあると思います。
地元の少数意見でなく、一般の人も安定した勤め人でない芸能関係者を歓迎しません。
それが良くわかるのは賃貸物件を探すときです。経済的な面と騒ぐ体質が嫌われています。
> 「閑静さ、日用品が手に入る商店街、高級な店を愛するものには、年々住みづらくなっている」という意見はあるとして、そ
> れが駅前再開発でどう「改善」されるのかがまったくわかりません。グルメシティが再建されれば、とかそういう話なんでし
> ょうか。
遊びに来るだけで住んでいない貴方達には到底分かりませんよね。
> 駅前周辺の商業地としての下北沢と、その周囲の住宅地の広域下北沢がごっちゃになっていると思います。そして、外部の人
> を排除するこの村的発想、「下北沢ナショナリズム」といわれる排除の構図は非常におそろしいものにみえます。
私道すら気に入らない人に使わせない権利がある国です。その権利を許す法体系自体を問題にして下さい。
> >それらが欲しければ、土下座して頼めば良い。それを上からの目線で、「文化を壊すな」などと言ったて無視されるだけ。
> 「安易に捨てるな」は禁句。
> > なんという「上からの目線」。「安易に捨てさせるな」も禁句ではありませんか。
非常に低レベルの回答としか言いようがありません。
> ただ、私は「駅前バスロータリー」という空虚かつ車優先歩行者二の次の空間が嫌いですし、
ほぼ権利を保持しない貴方が嫌いだから何?
> それはよいと思います。ただし、54号が街を分断するのは間違いないことです。
> それを否定したつもりはまったくありません。ただ、そのために54号や10号の計画である必要はまったくないと考えています
。
住んでもいない人がよく断言できますね。評論家?ってそういう人種ですものね。
当事者で無いのに文句を言って、もしその文句が採用されてうまくいかなかった場合は言い訳ばかりする人種。
> >「観光者」に食わせてもらっているのは、商人だけだよ。商人は住民の極一部だし、住商一体の商人は少ない。
> > 斑鳩の住人も、観光で食っている人はごく一部。
そうなんだ。そちらの住人は文化と思っているが、シモキタの多くの住人は文化と思っていないということ。
> そうなると54号の意味は本当にないですね。それこそ、三茶通りをスズナリの前からUターンさせて10号の駅前ロータリーにつ
> ながる部分だけでも目的は果たせるのではないですか?
本多氏なども補助54号線第一期工区の認可が下りるまで強い反対を表明していませんでしたが、スズナリが道路用地になる第
二期工事には、反対を明確に表明しています。いいとこどりを商人も住民も考えています。その結果が認可済みの工区です。
> >住民は、自分が不要な店が繁盛するのはノイズが増えたと認識して、そういう店は、渋谷、新宿他、自分の眼に入らない遠
> くの街に移転してくれと願っている。
>
> この排除の論理がおそろしいと考えています。ただ、そのような敵愾心・敵対心を懐いている住人が少なくないという事実は
> 、しっかりと認識しておきたいと思います。
たとえば、ごみ処理場、火葬場、刑務所、ソープランド等が自分の街に出来たり、計画があれば貴方もそう思うでしょう。
そういう排除の論理があり、実際反対運動とか行われたことのよりいわゆる高級住宅地は存続しています。
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近郊の街を利用し自分の街に無関心な住民が多かったので、外部の人には自由な街と感じ好きなようにされた結果できたのが
今のシモキタです。たぶんこれからもそうで資本によってどんどん変化して行くでしょう。しっかり認識しておいて下さい。
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されず貴方のブログの宣伝しかならないと思えるので、よっぽど事実誤認がある場合しかコメントしないつもりです。
「即座に回答がなければ勝利宣言」「口をつぐんだ方が負け」とは思っていません。管理人に勝つことは不可能です。
反戦NGOなどに所属したことは一度もありません。
何らかの党派に現在属しているかのごときデマを流さないでください。名誉棄損に該当します。