.review論考「秋葉原のゲニウス・ロキ( #co_article015 )」
西田亮介さん(慶應義塾大学政策・メディア研究科助教)らによるプロジェクト「.review」に提出した論考の第三弾、「.review - 秋葉原のゲニウス・ロキ」が公開されています。論考へのご意見・ご感想等はツイッターにてハッシュタグ #co_article015 をつけてください。
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論考は「秋葉原のゲニウス・ロキ」ページにpdfファイルでアップされているので、ご参照を。おおよそ1万字の論考である。当該ページには、アブストラクト(概要)とツイッターでの言及も掲載されている。論考についてのご意見・ご感想は、ツイッターにてハッシュタグ「 #co_article015 」を付けてツイートのこと(ハッシュタグの前後には、半角空白をそれぞれ入れるようにしてください)。
アブストラクトのみ、こちらにも掲載しておく。興味を持った方は上記リンクから本文参照のこと。
中村雄二郎によれば「ゲニウス・ロキは、それぞれの土地がもっている固有の雰囲気であり、歴史を背景にそれぞれの場所がもっている様相である」と定義される。2008年、加藤智大はなぜ秋葉原を凶行の舞台に選んだのか。それは秋葉原のゲニウス・ロキに惹かれたからではないだろうか。
まずは「秋葉原」の範囲を定義する。それはかつて、下谷・湯島から続く低地であり、江戸時代に入ってからは神田山の下の外神田としての歴史を刻み始める。明治に入って火除け地と鎮火社(秋葉原の地名の由来)が生まれ、見せ物・興業も行なわれた。講武所芸者の存在は、現在のメイドが溢れる街としての秋葉原につながるようである。そして貨物駅・神田市場の登場によって物資の集積地の性質を持つようになる。戦後は学生街に近かったことからラジオ製作の内職の材料を提供する電気街として生まれ変わり、それがやがてパソコンの街、オタクの街、萌えの街として変貌していく。
この最後の段階については森川嘉一郎『趣都の誕生―萌える都市アキハバラ (幻冬舎文庫)』に詳しいが、その前後の歴史を補完し、秋葉原のゲニウス・ロキの正体を探る。
本当に一万字というのは短いので駆け足の論考だが、「講武所」や「秋葉神社」について結構いい加減な言説が(特にネットを中心に)広まっているので、そのあたりの正確な歴史をまとめてみた。秋葉原には江戸時代からモノが集まり、情報が集まり、雑多でごちゃごちゃな街並みが続いてきた。そんな「ゲニウス・ロキ」を読み取るきっかけになれば幸いだ。
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