幸福実現党の研究(13)「財産が増えなければ幸福はない」と断言する拝金宗教
先日、有楽町に行ったとき、幸福実現党本部前をとおりがかったので、本部前に置いてあった「幸福実現News」やミニパンフレットをもらってきた。バックナンバーすべてというわけではないが、幸福実現党/幸福の科学のアピールする理念を読むには格好の資料といえる。
そこでわたしは目を疑った。「給料の手取りと銀行預金が増えることで、幸福感は増す」と断言されているのである。これが財界の代弁政党であれば何とも思わないが、宗教性を前面に打ち出しているはずの幸福実現党の「幸福の定義」は財産が増えることだった。まさかの拝金主義にわたしは目を疑った。
昨年の都議選・衆院選前後の幸福実現党の動向を、主にその主張の分析によって解析してきたこの「幸福実現党の研究」シリーズは、幸福実現党の一次資料に当たることを旨とし、その政治的・宗教的な思想・信条についての調査研究を行なってきた。その方針を踏襲して、今年の参議院選でも研究を行なってみたいと思う。
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幸福実現党の研究 バックナンバー
「幸福実現党の研究」バックナンバーについてはこちらを参照のこと→絵文録ことのは: 幸福実現党の研究アーカイブ
「所得を増やすことなくして、国民の幸福はありません」
幸福実現News第7号(A3判両面カラー、2010年4月7日発行)の表面、トップのタイトルは、
「幸せって何?」と聞いて回る民主党vs.「10年で所得倍増」の幸福実現党
である。リード部分から引用してみよう。
鳩山由紀夫首相は「鳩山内閣における『成長』は、従来型の規模の成長だけを意味しない」(施政方針演説)と強調するが、果たして国民はGDP(国内総生産)の拡大、つまり所得の増加を求めていないのだろうか。
「従来型の規模の成長『だけを意味しない』」を「所得の増加を求めていない」と解釈するのは、すでに言いがかりともいえるだろう。not only は not want ではない。が、そこは置いておこう。続けて幸福実現党はこう主張する。
これに対し、幸福実現党の木村智重党首は、「具体的な幸福の実現こそが政治の使命です。所得を増やすことなくして、国民の幸福はありません」と現政権を一刀両断する。
「所得を増やすことなくして、国民の幸福はありません」とは、よく言い切ったものだ。所得増加がなければ幸福になれない、つまり「所得」が幸福の必要条件であるというのだ。
えぇっ?
この言葉を岩崎弥太郎やホリエモンが言ったのなら何とも言わない。だが、果たしてこれが本当に、宗教を母体とし、政策に教祖の考え方が直接的に反映されている政党の発言なのか、とわたしは目を疑った。幸福の科学とはこのような「拝金教」だったのか?
仏教にしろキリスト教にしろ、財産を蓄えること、所得を増やすことはむしろ「悪」とされる。たとえば、聖書から財産に関するイエスの言葉を引用してみよう。
- マタイによる福音書6章19~21節「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」
- ルカによる福音書12章33節「自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。」
- マタイによる福音書6章24節「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」 *ルカによる福音書16章13節「どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」
- マタイによる福音書13章22節「茨の中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで、実らない人である。」
- マルコによる福音書4章19節「この世の思い煩いや富の誘惑、その他いろいろな欲望が心に入り込み、御言葉を覆いふさいで実らない。」
- ルカによる福音書8章14節「そして、茨の中に落ちたのは、御言葉を聞くが、途中で人生の思い煩いや富や快楽に覆いふさがれて、実が熟するまでに至らない人たちである。」
- マタイによる福音書19章21節「イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」」
- マルコによる福音書10章21節「イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」」
- マタイによる福音書19章24節「重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」
- マルコによる福音書10章25節・ルカによる福音書18章25節「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」
神と富とに仕えることはできない。地上に富を積んではならない。持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば天に富を積むことになる――それがイエスの言葉である。つまり、(現世利益型拝金宗教でない限り)宗教というものと世俗の財産・富というものは相反するものだということだ。
もちろん、お金がないことは不幸に感じられるものである。しかし、本来、宗教というものはお金がなくても幸福になる方法(あるいはお金がない方が深まる幸福感)を追究するものである。
厳密に言えば、財産の有無と幸福は関係がない。財産がなくて不幸と感じる人もいれば、「お金はないけど幸せだね」という人もいる。地位や財産や名誉があってこの世の春を謳歌する人もいれば、「財産ならいくらでもあるが、まったく幸福ではない」という人もいる。財産の有無は基本的に幸福とは無関係だし、関係があるかのように思ってそこに縛られている人の思い違いを正すのが宗教の役目ではないのか。
お金があれば幸せになれる、所得が増えれば幸福感が増す、所得が増えなければ幸福はありえない……ブッダもイエスも、そんなことは一言も言っていないどころか、むしろそれと正反対の教えを説いているのである。
ブッダの言葉である『スッタニパータ』には「貪(むさぼ)ることなく、詐(いつわ)ることなく、渇望することなく、(見せかけで)覆うことなく、濁りと迷妄とを除き去り、全世界において妄執のないものとなって、犀の角のようにただ独り歩め」(中村元訳『ブッダのことば』岩波文庫)と説かれている。仏教では「貪瞋痴」(貪欲=どんよく・瞋恚=しんい・愚痴=ぐち)という三種の根本的な煩悩を「三毒」とも呼んでいるが、「貪」すなわち「貪欲」は厳しく戒められているのである。
ブッダなら絶対に「所得を増やすことなくして、国民の幸福はありません」などとは説かないだろうし、仮に弟子がそんなことを言ったとしてもたしなめたはずなのだ。
「金銭と幸福感は簡単には切り離せそうもない」「給料と預金が増えれば幸福感は増す」のウソ
幸福実現党の言葉に戻ろう。「金銭と幸福感は簡単には切り離せそうもないのが現実だ」として、日銀の調査を持ち出している。
日本銀行の09年までの調査によると、「心の豊かさ」を実感する人の割合は、「経済的な豊かさ」を実感する人の割合とほぼ連動している(グラフ1参照)。
しかも、「経済的な豊かさを実感するために大切なこと」について聞いたところ(複数回答)、「ある程度の額の年収の実現」(67.9%)が最も多く、「ある程度の額の金融資産の保有」(49.3%)が続いた。
単純に言えば、「給料の手取りと銀行預金が増えることで、幸福感は増す」ということだ。これは、経済学的に言えば、景気がよくなって、1人当たりのGDPが増えれば、幸福度が増すということを意味する。
何というか呆然とせざるを得ない論理の飛躍である。
まず第一に、このグラフは本当に「連動している」といえるのか。むしろ、これは彼らの主張をいきなり否定するグラフともいえる。なぜなら、「経済的な豊かさ」を実感している人たちはおよそ30~40%の範囲で推移しているのに対し、心の豊かさは50~70%の範囲で推移している。つまり、「経済的豊かさを実感している人の2倍、心の豊かさを実感している人たちがいる」ということである。心の豊かさを実感している人のおよそ半分は、経済的豊かさを実感していない。
つまり、心の豊かさを実感するために、経済的豊かさは(関係する場合はあったとしても)「必須」ではないし、それどころか経済的豊かさがなくても心の豊かさを実感している人が多いということである。「金銭と幸福感」は切り離せるのである。
さらに、経済的豊かさを実感している人たちのうち何%が心の豊かさを実感しているのか、ということは、このグラフではわからない。もしかしたら、経済的豊かさを実感していない人たちの方が心の豊かさを実感している可能性だってある。
第2段落は、まあいいだろう。「経済的豊かさ」を感じるのは年収や資産が増えることによる、というのは、理の当然というか、同語反復にも近い。
しかし、第3段落において彼らは飛躍する。「給料の手取りと銀行預金が増えることで、幸福感は増す」「景気がよくなって、1人当たりのGDPが増えれば、幸福度が増す」というのは、誤った論理である。
彼らの主張を整理しよう。
- 給料の手取りと銀行預金が増えれば、経済的豊かさを実感できる。←ここはよい。
- 経済的豊かさと心の豊かさは連動する。←この前提が誤り
- ゆえに、給料の手取りと銀行預金が増えることで、幸福感は増す←完全な論理破綻
そもそも、「給料の手取りが増えれば心が豊かになりますね」「銀行預金が増えないと心の豊かさは感じられません」などと直結させて回答する人がいるとすれば、少数の金の亡者か拝金主義者だ。そして、そういう拝金主義を肯定しないのが宗教のはずなのである。
幸福の科学は、こういう現世利益・拝金肯定宗教といえよう。
幸福実現党の隠した「都合の悪いデータ」
上記グラフを作成した元になったデータを見てみよう。家計の金融行動に関する世論調査[二人以上世帯調査] 平成21年調査結果[1] : 知るぽるとにその元データが掲載されている。
最新の「平成21年調査結果」の調査結果の一括ファイル(pdf)15ページに、この質問の結果が掲載されている。
4.経済的な豊かさと心の豊かさ
・ 経済的な豊かさについては、実感している(「実感している」と「ある程度実感している」の合計)とした世帯が4割弱となった。また、心の豊かさについては、実感している(「実感している」と「ある程度実感している」の合計)とした世帯が約6割となった。[図表22]。
・ 経済的な豊かさを実感するために大切なこととしては、「ある程度の額の年収の実現」が7割弱、「ある程度の額の金融資産の保有」が約5割となった。また、心の豊かさを実感するために大切なこととしては、「健康」が7割強、「経済的な豊かさ」が5割強、「家族とのきずな」が約5割となった[図表23]。
幸福の科学は、「経済的な豊かさを実感するために大切なこと」は引用したが、「心の豊かさを実感するために大切なこと」を無視したのだ。
その表をもとに、「心の豊かさを実感するために大切なこと」を多い順に並べ替えてみよう。
- 健康72.5
- 経済的な豊かさ54.9
- 家族とのきずな48.7
- 将来の生活への安心感32.0
- 時間的な余裕20.6
- 趣味の充実19.0
- 仕事の充実17.4
圧倒的な差で「健康」がダントツの一位である。カネより健康なのである。貧乏より病が不幸を招くと感じる人が多いのである。決して「所得を増やすことなくして、国民の幸福はありません」などということはありえないのだ。
第二位が経済的な豊かさ。この50%前後という数値は、先ほどの「経済的な豊かさを感じている人は、心の豊かさを感じている人の半分くらい」という数字と合っているようにも思われる。心の豊かさに経済的な豊かさは必ずしも必要ではないのだ。
第三位がほぼ近い数値で「家族とのきずな」。世の中では「お金はなくても、なかよし家族」がよいという考え方が強いように思われる。
「財産が幸福に必須」という幸福の科学・幸福実現党の主張は、データからも否定されているといえよう。
なお、「経済的な豊かさ」と「心の豊かさ」についてのクロス集計データは見あたらなかった。
「所得が上がることは幸福の条件」という迷妄
このNewsにおいて、「所得が上がることは幸福の条件」「経済成長によって所得を増やし、幸福を実感してもらう幸福実現党」と主張されている。
みんなの幸福を願うことはいいことだと思う。しかし、「所得・貯蓄が増えることが幸福の条件、だから所得を増やしてあげましょう」と主張するような宗教団体の主張をわたしは受け入れられない。
そして、彼らは実はみんなの幸福を願ってさえもいない。彼らは、「働かない/働けない」人たちに対して「わたしたちが汗水垂らして稼いだ給料から税金を奪い取られてばらまかれるのは許せない!」と街頭演説で叫んでいた。結局、自分が財産を手に入れたい、という人たちの思いを肯定しているだけなのである。
追記(6/25 01:20)
この記事を公開後、ツイッター上にて、幸福実現党シンパまたは党員と思われる人物たちから、悪口や人格攻撃に当たるツイートが連続して行なわれた。「アンチ乙」などはまだ可愛いもので、「こんな曲解をして分かった気になってるんだから、まぁ、学問的才能はありませんね。」というように内容に触れないで相手をバカにした表現や、「選挙が近づくと草加、壺売り、アカ系の工作が多くなりますね...アホやね」といったレッテル貼りによる名誉棄損表現、さらには悪意ある人格攻撃も始まっている。組織的ではないかもしれないが、内容についての真正面からの議論ではなく、単なる罵倒や人格攻撃を行なうことは、決して真っ当な手段ではないし、「正語」の実践からもかけ離れていることは間違いない。
なお、彼らの過去のツイートでは「自分と考えが一番近い政党は、幸福実現党(○○%) でした。」という毎日ボートマッチでの診断結果が共通して行なわれていたり、アイコンの多くに日の丸が入っている傾向が見られる。この記事のどこに彼らが脊髄反射し、過剰反応し始めたのかをぜひ読み取っていただきたい。
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すべての宗教は財を持つことを否定しなければならないのか?
また、「給料の手取りと銀行預金が増えることで、幸福感は増す」という意見は一般の国民に向けられたものであり、悟りに近づこうとしている修行者に対する説法であるとは限らない。よって、特に問題になることではない。
人間は生きている限り、欲から逃れることはできない。食べなければ、衣服をきなければ、寝なければ、性交をしなければ、その他自分の中に生まれる欲を満たさなければ生きられない。それには当然お金がいる。だからお金が増えると幸福感が増す、というのは至極当然の指摘である。
修行者は小欲を捨て、大欲を求めればよい。
なんでもかんでもごっちゃにして論ずるな。
私、クリスチャンですけどお金は大好きですよ(w
この書き物に反論が来るのは、名誉毀損でもなんでもなくズレた寝言だから言われているだけで、かの党のシンパだからやってる言われているわけでは無いと思います。
まず、大川隆法氏が「仏陀釈迦牟尼の転生」と主張しているというのが前提です。
もし同一人物であればここまで教えの内容が逆転することはないでしょう。
また、イエスもブッダも、上記のとおり財に「執着」することを完全に否定しています。
欲を満たさなければならない、というのはイエスやブッダの教えではありません。
(そうでない「キリスト教」や「仏教」は、イエスやブッダの教えではないというのが事実です)
「私、クリスチャンですけどお金は大好きです」などと臆面もなく言える人は、クリスチャンかもしれませんが、イエスの教えを何一つ知らないということになります。また、「ズレた寝言」というのも、なぜそこまで馬鹿にした物言いをあえてするのか、クリスチャンとは思えないですね。
「修行者は小欲を捨て、大欲を求めればよい」といいますが、小欲というのはまさに財産など。大欲とは悟り等々の高尚なものでしょう。衣食住や性交といった欲を満たすためにお金がいる、というのはまさに小欲そのものにほかなりません。そして、そういう小欲を(完全になくせとまでは言えないまでも)弱めましょう、というのがイエスやブッダの教えであって、「俗人は欲にまみれて結構、お金にしがみつきなさい」などという教えはありえません。
イエスやブッダの言葉は上記に引用したとおりであって、これに矛盾する教えはイエスやブッダの教えではありえません。
そして、「かの党のシンパ」(というより幸福の科学信者)であることは、彼ら自身がツイッター上で明白に表明しているとおりです。
まさにおっしゃるとおりです。
先の選挙でも
第三のビールよりもプレミアム・モルツを!
の掛け声で出陣していった候補者や信者・・・何をかいわんやです
この教団にはカント的見返りを求めない善意なんかありません
あくまで自分が天国に行く(教団幹部は現世でいい思いをする)って事がほとんどです
これが救済を説く教団の実情です
そもそもが救済と言うより破滅・壊滅した後の世界を支配するのが幸福の科学であると書いてありますし
批判者へのレッテル貼りは信者の常套手段です
私も何度もやられています
他の同席信者の妄言・虚言には一切批判すらしません
教団や総裁を批判する奴は地獄へ落ちるぞと言ってますがこの言葉に釈迦のしの字も感じ取れないでしょう