明治の「八百長」は「意図的引き分け」だった。板垣退助も激怒した八百長相撲
大相撲の八百長問題が発展してついに春場所は中止と決まった。角界が自力で八百長を防げないというのなら、「国技」などと称するのをやめてプロレスのような見世物と割り切ればいいとも思う。プロレスがどこまで本気か、などと「ハッスル」の試合で言う人間がいないように、スポーツではなく興業だと思えば別にどうでもよい話だ。ただ、そのためには「特例民法法人」格と「国技」の肩書きを捨てるべきである。
大相撲は国技館を出て回向院に戻ればいいんじゃないか。そもそも相撲が「国技」とされたのは、明治四十二年(1909年)に常設館が建設されて「国技館」と名付けられてからわずか百年ほどのことでしかない。相撲そのものの歴史は古くても、国技としての歴史は浅いのだから、一度返上してやり直すのもいいのではないか。
ところで、事物起源探求家としてはそういう話よりも「そもそも八百長という言葉の由来は?」「明治時代にはどのように使われていた?」ということが気になる。
八百長は八百屋の斎藤長吉が由来、という新聞記事が見つかった(ウィキペディア等では「八百屋の長兵衛」と書かれているが、新聞記事では表記が違っていた)。また、当時の八百長とは談合して勝ち負けを決めるというより「勝ち負けが決まらないように引き分けまたは預かりにするような取組をする」という意味で使われていたことがわかった。明治の相撲の腐敗批判記事は、今にもそのまま当てはまる。相撲界は100年間何の進化もしていなかった(ある意味、明治の伝統をそのまま受け継いでいるともいえる。ただしそれは悪習を、である)。
【今回の内容】
- 八百長の語源「八百屋の斎藤長吉」と明治の用法
- 明治・大正の八百長
- 板垣退助、八百長を叱る
- 明治の新聞、相撲を叱る
- 「ポリリークス」の目的は「相撲賭博のあぶり出し」?
八百長の語源「八百屋の斎藤長吉」と明治の用法
今回調べた内容については、「八百長 - 閾ペディアことのは」にもまとめてあるので、原文等はこちらを参照していただきたい。
さて、ウィキペディアを初めとして一般の資料では、語源の由来が「八百屋の長兵衛が伊勢ノ海五太夫との碁でわざと負けたりした」ということになっているが、今回調べた範囲では「長兵衛」ではなく「斎藤長吉」の死亡記事が讀賣新聞に載っていたのが新聞での唯一の記載である。この点については今後継続して調査が必要だ。
わたしが調べた範囲では、七代目伊勢ノ海五太夫が囲碁好きで、同じく野菜売りの「八百屋の長吉」と仲良くなり、さらに相撲茶屋の島屋の株が売りに出たのを長吉に買わせたりした(八百長ヤオチョウであると同時に島長シマチョウとも呼ばれたようである)。
二人の囲碁は勝ったり負けたりの互角勝負であったが、やがて伊勢ノ海の家の前に碁の会所ができた。ここには二人とも通っていたのだが、ある日、長吉と本因坊が碁を打っているところを伊勢ノ海が目撃する。自分と打つ碁とは真剣みが違うと思った伊勢ノ海が長吉に聞いてみると、長吉は「五目ほど置いてもらった」という。伊勢ノ海は帰って激怒した。「あいつはもっと実力があるのに、手加減していやがった!馬鹿にしやがって!」と。その話を伊勢ノ海はあちこちで言いふらしたので、八百長の手抜き碁の話は広く知られるようになった。八百長は相手に勝たせることでご機嫌を取っていたわけである。
さらに、伊勢ノ海が相撲の興行権の売買価格を決めるとき、高く買ってもらう代わりに賄賂を渡したりしていた。それを「あそこには高く売れたが、いくらの八百長を取られたので美味しくない」というように言ったことから、賄賂の隠語として広まったという。
この話からすると、「(ご機嫌取りに)わざと手加減すること」「賄賂」の二つの意味が本来の語源であるといえる。
明治時代の新聞記事を見ると、八百長は「わざと引き分けや預かりにすること」の意味で使われていることがわかる。今の八百長が「わざと負ける(相手を勝たせる)」というふうに勝敗を決する意味で使われていることから考えると、ずいぶん意味の違いがある。
明治・大正の八百長
八百長という言葉は八百屋の長吉に由来するので明治半ば以降であることは間違いないが、「八百長」に該当する行為はそれ以前からあった。有名な江戸時代の横綱・谷風も八百長をやったという。しかし、それは弱くて貧乏だが親孝行な力士を可哀相に思って湯島天神の興業でわざと負けてやったというものだ。谷風に勝った佐野山にはご祝儀600両が集まったが、感涙した佐野山は故郷大阪に帰って相撲をやめ、米屋を始めて成功したという。
明治四十三年、朝潮と国見山の一戦で、国見山が脱臼したことに気づいた朝潮がかばって支え、それに気づいた行事が水入りにした。再度の対戦では国見山も強気に出られず、ついに引き分けとなった。
大正初年ごろの大阪には小若島と小染川という花形力士がいた。ひいき客が「どちらも負かしたくない」というので、お客同士が八百長談を成立させ、両力士に伝えてどちらも負けないように八百長相撲を取れと伝えた。客が言うのでいつも分か預りを続けていたのだが、一般の観客もそれを喜んで満足していたという。
この頃の八百長は、今とはちょっと雰囲気が違うように思われる。その他の例は「八百長 - 閾ペディアことのは」を参照のこと。
板垣退助、八百長を叱る
調べてみると、板垣退助は相撲ファンだったようで、常設館(国技館)の建設にも大いに尽力したようである。そんな板垣が、国技館落成の翌年(明治43年=1910年)1月27日に友綱部屋に赴いて、当時の人気力士の太刀山を初めとする力士たちを一同に集めて訓示した。そして、契約書を書かせたのである。その文面を現代語訳すると以下のとおり。
力士たる者はその本分を守り、相撲道の弊風を矯正すること。
土俵上の勝負は神聖に決すること。いやしくも私情にわたり、情実に流れ、見苦しい行動はなさないこと。
以上の精神に基づき、部下の育成につとめ、相撲道を奨励し、理想的発展させるという目的を達すること。以上の契約は天地神明に誓い、必ず違反あるまじく、一同証明捺印する。
「国技館」と命名されていよいよ相撲が「国技」扱いになったと思ったら、いきなりこの始末である。引退させるはずの国見山がまた出場したとか、いろいろとこの当時の相撲界にも不祥事がついてまわっていたため、相撲好きの老伯爵が乗り出すことになったようだ。
板垣の願いむなしく、100年経ってもまったく改善されていない。
明治の新聞、相撲を叱る
明治の新聞記事の中には舌鋒鋭く相撲界を批判しているものもある。特に1910年(明治四十三年)6月の朝日新聞記事の舌鋒は鋭い。
6月14日の「角觝評話(十日目)」はいきなり小見出しが「猪口才(ちょこざい)なる八百長」である。「二段目や十両取の分際で星勘定をした結果、猪口才な八百長政略をとるのは、小腹の立つことおびただしい。二段目や十両取がいたずらに星を計算し、昇進目当てで相撲を取るべき時ではない」(現代語訳)と批判する。
翌15日・16日と続けて朝日新聞に連載された「相撲と競技」記事では、「何だと、相撲が元気を鼓舞すると。嘘を云へ、此の頃のやうな八百長ばかりの角觝(すもう)が元気を鼓舞するなんてえことがあるもんか。病気をかこつけに休場ばかりして居る相撲が元気を鼓舞するッ、笑はせあがるな」(原文ママ)とまでこき下ろされている。
この記事の最後は「角觝(すもう)は堂々たる国技館などで取らしめるものではねえ、矢張り回向院の小屋がけで沢山だ。分不相応なことをすると何によらず物は衰微するものだ。如何だい、今度の場所のざまつたら」と締めくくられている。これは現状にも当てはまるのではないか。今の日本相撲協会も公益法人などではなく一般の団体(株式会社とか)に変えてしまい、国技館ではなく回向院の小屋に戻せば、そちらの方が伝統にもかなっている。
「ポリリークス」の目的は「相撲賭博のあぶり出し」?
さて、今回の八百長騒動で一つどうしても気になるのが、「ポリリークス」(©松永)すなわち警察が別件(野球賭博)で押収した携帯電話のメール情報をリークしたということである。これは手続き的にはかなりまずいんではないかとも思われる。少なくとも別件での情報の扱いだ。
妙ですねえ。何か気になりませんか。もしこれらのメールが直接、何らかの違法行為に絡んでいるなら警察も「立件」に向けて動いたはずだ。しかし、立件できない状況であった。だからこそ、こういうイレギュラーな方法で情報を漏らしたのだ――正規ルート以外で別件をリークしたという非難を受ける可能性を充分に理解した上で。しかし、それだけのリスクを冒しながら、あえて警察はこの情報を漏らした。そこには何らかの計算なり「裏」、言い換えれば「勝算」があったと考えるのが素直ではないか。
もし裁判沙汰になれば、八百長をやったとされる力士側は「正当な手段で得られた証拠ではないから、証拠能力がない」と主張すれば法廷で闘える。しかし、そのリスクを冒しても勝算があると警察は考えたのだ。
わたしは「相撲賭博」をあぶり出そうとして、このような挙動に出たのではないかと考える。しかも、それは相撲協会の「組織ぐるみ」の犯行ではないという判断があったのではないか。今回の八百長騒動について日本相撲協会が八百長を事実と認めた上での処分を発表するタイミングがあまりにも早かった。大麻のときは刑事にも絡むという条件の違いはあったかもしれないが、かなり時間をかけた調査があったが、今回はあっさりと認めている。警察が証拠を集めるより、相撲協会に証拠を自主的に出させた方が確実だという読みがあったのではないか。
あ、それから、もう一つだけ。相撲協会は今や「仕分け」されかねない瀬戸際にある。国技の名を振りかざした公益法人として、今までは協会にメスを入れること自体が(死人が出たり大麻をやったりしない限り)はばかられてきたが、今やそのタブーが薄れ、警察から見ても「もう相撲民営化でもいいんじゃないの」くらいの状況になってきているのではないかとも思われる。あるいは公益法人格を失うか否かという錦の御旗を突きつけて、一挙にその膿を出そうとしているのか。
この八百長疑惑をせめて「分」または「預り」に持って行けるかどうか、相撲協会はまさに大きな岐路に立たされているといえよう。
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