【書評】『グループアイドル進化論』:アイドル語りを誘発する本

マイコミ新書編集部より献本いただいていた『グループアイドル進化論――「アイドル戦国時代」がやってきた!』を何度か読み返している。「現場系」すなわちイベントに積極的に通うファンの立場からの視点として興味深い。ただ、私の思うところとはちょっと違うところもあるので、そのあたり含めて書評としてみたい。

グループアイドル進化論 ~「アイドル戦国時代」がやってきた!~ (マイコミ新書)
「グループアイドル進化論 ~「アイドル戦国時代」がやってきた!~ (マイコミ新書)」
 [新書]
 著者:岡島 紳士,岡田 康宏
 出版:毎日コミュニケーションズ
 発売日:2011-01-25
 by ええもん屋.com

2011年2月28日15:04| 記事内容分類:書評, 音楽| by 松永英明
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タグ:AKB48, Perfume, アイドル|
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全体の概要

第1章 AKB48という革命

この章はAKB48を成功例として、それがなぜ売れたのかということを考察している。ファンのニーズを積極的に取り入れ、ファンコミュニティを最大限に生かした点が評価されている。AKBについての考察として適切なまとめだと思うのだが、私個人としては多少違う視点もあるのでそれは後述する。

第2章 女性グループアイドルの40年史

ピンク・レディー、キャンディーズから始まって松田聖子、おにゃん子クラブ、ハロプロへの流れを概観してAKBやK-POP、アイドル戦国時代という本書の扱う時代につなげる内容。角川三人娘として我が永遠のアイドル渡辺典子の名前がちゃんと書かれていたのでホッとした(先日、某女優ムックを書店で立ち読みしたところ、薬師丸ひろ子と原田知世の写真を載せていながら渡辺典子だけ載せていなかったので、心の中で叩きつけて帰ってきた)。本書はグループアイドルを扱うとはいえ、この章はアイドル史概観としてよくまとまっていると思う。

ただ、1969年生まれの筆者は著者たちと7年・11年の年齢差があり、その点でどうしても「ああ、この時代は彼らにとってもう伝聞でしかないのか」と感じる点が多々あった。この点についても後述する。

第3章 グループアイドル戦国時代

「アイドル戦国時代」としてポストAKB(特に「ももいろクローバー」など)とK-POPについての考察。特にK-POPが若い女性に受けている理由などを検証した部分はタイムリーといえるだろう。ただ、この点についても私見があるので後述する。

第4章 グループアイドル全盛の時代とこれから

いよいよPerfumeが取り上げられる。Perfume、AKB48、ももいろクローバーの戦略が考察され、将来につなげられる展開となる。ヤンキー文化圏などのキーワードが押さえられているのもよいところだ。

このほかインタビューなども含まれ、私としては非常に関心をもって読むことができた。

世代差の違和感

私のアイドル歴

最初に私の「女性アイドル歴」をはっきりさせておこう。アイドルオタク的な域には達していないのだが、かなりミーハーであることは間違いないので、その前提をまず共有しておく必要があろう。

幼稚園のころは天地真理のファンだった。具体的な記憶はもうあまりないが、本書が小柳ルミ子・南沙織・天地真理の三人娘からアイドル史を描いていることを思うと、まさにアイドル時代と同時に生まれたようなものといえる。

その後はキャンディーズ、ピンクレディーが小学校時代、中学のころに松田聖子・中森明菜・小泉今日子らの80年代前半のアイドル全盛期を迎え、高校のころには80年代後半アイドル期に突入していた。ただ、中学まではテレビでみかける程度の認識で、特に好きなアイドルという認識はあまりなかった。

ところが、高校で(年齢的にも)かなりミーハーな世界をのぞき込むようになる。最初にはまったのは渡辺典子で、クラスに熱狂的な薬師丸ひろ子ファンと熱狂的な原田知世ファンがいたので三人でよくつるんでいた。渡辺典子はレコードは全部買ったが、さらにイメージビデオも購入した。角川三人娘中心の角川グラビア誌『バラエティ』も時々購読していた。また、ドラマの影響で伊藤麻衣子(現・いとうまい子)も好きだった。

さらに、学年でいうと菊池桃子あたりと同学年生まれということで、菊池桃子からネーミングされた『Momoco』というグラビア雑誌がドンピシャではまった(モモコクラブの桃組出席番号を受け継いだのがおニャン子の会員番号らしい)。ここに載っていた西村知美、島田奈美(現・島田奈央子)などはなじみが深いが、特にグラビアでデビュー直前に掲載された佐野量子(現・武豊の妻)にはまった。佐野量子はレコードを全部買っていて、兵庫県塚口市の「つかしん」で開かれたミニライブ握手会に参加した(たしか「雨のカテドラル」か「教科書のイニシャル」の発売イベント)。それから、ポスト聖子扱いだった高橋美枝はあまり売れなかったが好きで、みさき公園でのミニライブに行ったこともあるが、客が少なくて残念だった記憶がある。

一方で、放送開始時点で関西圏では夕やけニャンニャンが放送されていなかったこともあり、おニャン子クラブの波には乗り切れなかった(ベストテンなどに出てくるのを見る程度)。

大学に入っても基本的に高校時代の継続で新しいアイドルにはまることは少なかった。デビュー直前に関西ローカル「ざまぁKANKAN!」で紹介された川村かおりは例外だが、アイドルではなくアーティスト枠に入ると思われる。この時期からは、ざまカンテーマ曲を歌っていたGO-BANG'S、ライブに行ったことのある久松史奈、永井真理子など、ガールズロッカーに興味が移行していった。一方で、お笑い方向でもインパクトを受ける状況があり、デビュー当時のダウンタウン率いる心斎橋筋二丁目劇場(番組名なら「4時ですよーだ」)や、まだ槍魔栗三助名義だった生瀬勝久や古田新太、羽野晶紀、山西惇ら関西小劇場系若手役者が大活躍していた「週刊テレビ広辞苑」「現代用語の基礎体力」「ムイミダス」で爆笑していた。アイドルより女性アーティストやお笑いに関心が向いたのである。

それからはアイドル系に関してざっくりと言うと、遠藤久美子や升水美奈子を経て、モデル系の田中美保、加藤夏希に至る。音楽系では2003年の女子十二楽坊からC-POP(台湾のS.H.Eやシンディ・ワン、香港のTwins、日本で活動中のalanなど)にはまり、さらにしょこたん(中川翔子)とPerfumeはライブも欠かさず行くという状況である。

リアルタイムでの感覚とのズレ

そういう背景を踏まえていうと、世代差を感じずにはいられない部分があった。たとえば、リアルタイムに見ていた人間としては、

プロモーションに30億とも40億とも言われる巨額の投資をした少女隊やセイントフォーは、残念ながらその投資に見合うだけのヒットを飛ばすことはできなかった。

と同列に扱っている部分に疑問を感じる。この2グループでは知名度にかなり差があり、セイントフォーはアイドルファンでなければ知らないが(そういえばそういうグループもあったかな、程度)、逆に我々の世代で「一心同体少女隊」のキャッチフレーズを知らない人はいないだろう。同時期の類似名グループ少年隊には及ばないものの、男闘魂組よりは成功していたのではないかというのが実感だ。当時「金をかけたがさほどヒットしなかったアイドル」の例といえばセイントフォーと工藤夕貴が双璧であった(工藤夕貴は女優として成功したが)。

また、小泉今日子の「なんてったってアイドル」(作詞・秋元康)がアイドル幻想を壊したという文脈でおニャン子クラブが対比される。しかし、当時メタアイドル的視点を持っていた歌手を挙げるなら、キョンキョンと森高千里ではなかったか。彼女らはアイドル幻想を壊したというより、「アイドルを自覚的に演じているアイドル」という位置づけだったと感じる。

一方でアイドル幻想を壊したとするなら、バラドル(山瀬まみ、井森美幸ら)の存在ではないか。もちろん、おニャン子はアイドルを「高嶺の花」から「近所にいそうな普通の女の子でもアイドルになれる」存在へと引き下げたが、それは「会いに行けるアイドル」AKB48の先駆けだとすれば、キョンキョンと一括りにすることには疑問を感じる。キョンキョンも森高も、手の届かない存在であることには違いなかった(余談ながら、キョンキョンのアーティスト志向と木村カエラの方向性は、私には非常にダブって見える)。

アイドル雑誌の存在

現在の「アイドル戦国時代」と80年代アイドルの時代の大きな違いとして、アイドル雑誌の存在の大きさが挙げられるのではないか。『平凡』や『明星』は男女問わずミーハーに広く浅く押さえていたが、一方で特に男子の間でアイドル好きの情報源といえばA5サイズ雑誌の双璧『BOMB!』と『DUNK』(ならびに『ザ・シュガー』)が欠かせなかった。また、大きめサイズでは『Momoco』(そして角川の『バラエティ』)がアイドル情報を牽引していたのである。他に『GORO』『ACTRESS』『アクションカメラ』『投稿写真』『写真時代Jr.』あたりもあるが、このあたりになるとアイドルも載っているがむしろエロ雑誌という印象があった。

ネットがなかった時代のアイドル情報としては、テレビ・ラジオ以外にはこういった雑誌の存在が必要不可欠だった。また、これらの雑誌のモノクロページには泉麻人や南伸坊あたりのコラムや内田春菊・桜沢エリカ・岡崎京子あたりの漫画、つまりサブカル系の情報が潜んでいるのも特徴だった。

80年代アイドル雑誌の考察は本書のボリュームでは難しかっただろうが、ファンがどこから情報を入手するかという意味において見逃してはならないポイントだと思う。

アイドル・マーケティング

女子十二楽坊のマーケティング

私はProject .reviewにて、アイドルマーケティングに関連する二つの論考を発表した。

第2弾についてはCDパッケージ版 『.review 002』にも収録されている。この論考は二つでセットなので(第一弾はよいところ、第二弾は考察すべき余地のあった点を扱っている)、ぜひ続けてお読みいただければと思う。

『グループアイドル進化論』で、結成が中国とはいえ日本で最もヒットした女子十二楽坊について触れていなかったのは残念だ。というのも、上記論考でも書いたとおり女子十二楽坊を日本でヒットさせた仕掛け人・塔本一馬氏はソニー時代におニャン子クラブに関わっており、女子十二楽坊のプロモーションにあたってはおニャン子クラブの手法が使われたからである(たとえば、アルバム『Merry Christmas to You』のジャケット写真撮影時には、担当者に「こんな風に」とおニャン子クラブの写真を手渡したという)。

もちろん、おニャン子と楽坊の違いも大きく、特に「個々のメンバーの売り出し」をまったく行なわなかった楽坊ではそれが失速の原因にもなったと思われる。だが、アイドルではなくアーティストという扱いである以上、それも仕方なかっただろうか。

AKB48で見逃せない「多数の事務所への分散所属」

自分の論考も踏まえて述べるならば、AKB48最大の「革命的な要素」というのは、私は「メンバーがいくつもの異なった事務所に所属している」点であると思う。おニャン子クラブにしろハロプロにしろ、ソロや派生ユニット、シャッフルユニットは存在するものの、基本的に一つのグループであり、所属事務所もばらけるわけではない。つまり、事務所が作ったグループである。しかし、AKBの場合は採用後に複数の事務所に振り分けられる。つまり、AKBは事務所が主体ではなく、さらに大きな枠組みの中でのアイドルユニットということになる。

これはアイドルプロモーション界における革命的な変化ではないかと思う。私自身AKB48で顔と名前が一致するのは上位4人くらいのものなのだが、AKBだけで100名以上という大集団が控えている。そして、バラエティー番組などでも「AKB48のだれそれ」という肩書きで出演することになる。

これまで有象無象のアイドル候補生は、事務所が一人ずつ/1グループずつ売り込んでイベントを行なう必要があった。ところが、「AKB48メンバー」という肩書きが与えられたアイドル候補生については活動場所が与えられることになったのである。つまり、マイナーなアイドル候補生をAKB48ブランドにてまとめて売り出す仕組みが作られたわけだ。

事務所側からすれば、所属するAKBメンバーについては従来型のアイドル候補よりも「活動の場」を与えやすい(関門は厳しいとはいえAKB枠での劇場出演からテレビ、CD等への道が開かれている)。一方、秋本氏サイドも、自分の事務所で全部面倒を見るなどという大変なことをしなくてもすべて事務所側に下請けさせられる。

こう言ったら失礼だが、かわいいこと以外に特に差のないアイドル候補たちをまとめてパッケージとして売り込める場がAKBなのである。AKB48はいわば「アイドル事務所連合」なのだ。ハロプロやジャニーズが原則「同一」事務所の扱う巨大な「アイドルグループ群」であったのとは構造そのものが土台から違うのである。

「会いに行けるアイドル」として「ファンが育てた」グループである、という以上に、AKBが事務所連合であるという事実は分析上欠かせない視点ではないだろうか。これまで一人ひとりがそれぞれに売り込まねばならなかったアイドル、グラビアアイドル等々をすべてパッケージングし、ときには全体で、ときには選抜メンバーで、ときには切り売りで「今日はAKB48(のメンバーから3人)が出演!」と売り込む。これまでなら決して呼ばれなかったであろうレベルのアイドル候補生が、AKB所属というだけで巨大なブランドを背負って行動できる。こういう場を作り出したことは注目すべき点だと思うのだ。

「AKB商法」はあまりにも現実に即している

握手権を得るためにCDを何枚も買わせる、ランダム封入特典を揃えるために大量買いさせる……「AKB商法」が「あざとい」商法として問題視されているが、実のところ、この「CDが売れない時代」にあって程度の差はあれ「何とかしてCD以外の要素で買わせる」手法はごく一般的なものである。

たとえば「初回限定版DVDつき」「初回限定版CDのみ」「通常版CDのみ」の3バージョンを同時発売してジャケットを少しずつ変え、熱心なファンには全パターンを揃えさせる。握手会やハイタッチイベントに参加するには、イベント会場もしくは特定のCDショップで購入して握手券を手に入れることが必要……これらはすべてCDの売り上げ枚数としてカウントされているものの、「カード付きチョコでむしろチョコがおまけ」のように「むしろCDがおまけ」と化している。この状況はメジャーレーベルにおいてすでに常態と化している。AKBの場合はその順列組み合わせが多いために総額がひどいことになるというだけのことで、方法自体は決して目新しくはない。

また、特にバブル後世代を中心とする若年層では「CDを購入して聴く」という行動自体が身についていない。かzつて女子十二楽坊が高年齢層を狙って大ヒットしたのは、彼らが「いい曲が入っているアルバムならレコードなりCDなりを買って聴く」という行動が身についていて、それを実際行動に移したという側面もある。しかし、それも2003年だったからまだよかったのであって、2005年以後は音楽そのものが売れなくなっている。

その中で購買に結びつけるとすれば、「広く浅く」売ることはもはや考えていられない。「AKBのためならいくら出しても惜しくない、むしろカネならだすから会わせてくれ」という熱狂的ファン層を作り出していくしか道は残されていない。いわば、「ポトラッチ」(蕩尽)行動に近い状態、「いかに貢いだか」を競わせ、その蕩尽行為自体に満足を得るという熱狂的ファンがいてはじめて維持できる。その熱狂的ファンの存在によって、ようやく広く浅い認知度を獲得できるわけである。

したがって、高校生がAKB破産とでもいうような状況に陥ったり、プレミアのついた券による詐欺が横行したりといったマイナス面は別として、何百万つぎ込んだということで栄誉と満足を得るような熱狂的ファンを生み出すシステムを見事に作り上げたという意味では、特にマーケティングの観点から「AKB商法」を一概に否定することはできないだろう。

少なくとも、(対象は何であれ)熱狂的ファンにとって、「いかに安く手に入れたか」ではなく「いかにつぎ込んだか」が自慢の種となり、称賛の対象となるという現象は決してそれ自体非難されるべきことではないと思う(そこにはまることの是非は別問題)。

私の場合は好きであまり売れていないアーティストには応援の投げ銭のつもりでいろいろグッズを買いそろえたりする傾向があるが、特にAKBを初期から応援して「育てた」意識を持っている人たちとおそらく共通する気分なのだろうと思う。そこで「育て甲斐のあるアイドル」を提供してみせたという点で秋元康はやっぱりうまいと思うのである。

簡単にPerfumeについて

Perfumeについて。私はその存在自体は以前から知っていたものの、ファンだと自覚するようになったのはさほど古くないことを(特に知人の「古参」ファンに遠慮して)お断わりしておく。

現在のPerfumeは、中田ヤスタカのテクノ系楽曲において非人間的な音色の変換を行なわれた3人の「声」を楽器の一つとして扱い、独特のダンスと組み合わさって、まさにアンドロイド的な非人間性を打ち出す一方、デビュー時以来のアイドルらしさ、つまり生身の3人の女の子として、広島弁で語り、完全にキャラの立った三者三様の存在が親しみを与えている。

(三者三様という点では、台湾の3人組トップアイドルグループS.H.Eがさらに徹底している。ボーイッシュなElla・セクシー路線のSelina・黒髪純情系のHebeとはっきりと分かれているだけでなく、3人の音域・声質までもはっきり聞き分けられる特徴を生かし、3人で同じパートを歌うのではなく完全にコーラスとして設定している。ここまで3人の役割が明確なアイドルグループはC-POP、J-POP含めて少ないのではないかと思う。Perfumeの場合は声色の違いはあるが3人が別のパートを歌うわけではない)

つまり、Perfumeは完璧な計算で作られた「無機質なアイドル」を3人が完璧に演じているところに魅力が生まれていると考えられる。先に私は、キョンキョンと森高をメタアイドル的存在(アイドルとは何かを自覚的に演じている存在)と述べ、その系譜として木村カエラを取り上げたが、自覚的に無機質アイドルを演じるPerfumeを強烈にプッシュしてメジャーに押し上げた功労者の1人がその木村カエラであったことにおもしろさを感じる。

最後に

まあそういうわけで、本書はいろいろとアイドル語りを誘発する面白い本であったというのが感想である。アイドルへの見方はそれぞれに違うだろうし、同じアイドルファンでも女性ファンと男性ファンでも傾向の異なるところがある(現役時代からの松田聖子の男性ファンと、松田聖子を神と崇めるしょこたんでは、その位置づけはまったく違うはずだ)。

そんな中で本書の著者たちは「現場系」という視点で語っている。私の友人で台湾人のモーヲタ(ののたんファン)がいるのだが、彼は日本全国のコンサートを追っかけ、やがてBerryz工房に転んでいった。その後はちょっと落ち着いているが、やはりコンサート会場やイベント会場ならではの魅力というものは存在している。ただ、なかなか現場に行けない層の中からファンを開拓するのはどういう要素なのか、といった面にも、著者たちには今後触れてもらいたいと思う。

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2011年2月28日15:04| 記事内容分類:書評, 音楽| by 松永英明
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