【書評】鈴木妄想『新大久保とK-POP』★★★★★
鈴木妄想著『新大久保とK-POP』(毎日コミュニケーションズ/マイコミ新書)を編集部から献本いただいた。非常に興味深い内容で、最後まで一気に読み切った。
本書はタイトルどおりK-POPから入って、新しいタイプのコリアンタウン化している新大久保を題材に扱っている。私自身がライフワーク的なテーマとして関わっている「アジアンポップス」と「場所論」と「多文化共生」が存分に盛り込まれていることもあって、まさにこういう本を待っていましたという内容である。
ここ数日の「フジテレビ韓流ゴリ押し」問題とも絡み合うという意味ではタイムリーとも言えるが、それ以上に新大久保・K-POPを論ずるときに欠かせない一冊として長く参照されることになるはずである。ちょうど森川嘉一郎『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』がアキバ論で必須の文献となっているように。
以下、自分の興味に引き寄せての感想である。
この記事のリンク用URL| ≪ 前の記事 ≫ 次の記事
タグ:ゲニウス・ロキ, 多文化共生, 音楽|
(旧: )
アジアン・ポップスの視点から
わたしはC-POPファンである。主に台湾・香港から発信され、大陸から東南アジアにかけての地域で聴かれている中華圏のポップスである。日本に大胆に進出してきているK-POPに比べて、C-POPサイドが日本上陸する意欲に欠けることを残念に思っている一人である。五月天と張惠妹の日本公演には毎回行っているし、女子十二楽坊とS.H.Eについては北京・上海・台北へ「遠征」もしている。
そんなわたしがマーケティングの観点から.reviewの論考として以前書いたのがこれだ。
タイトルにもあるとおり、論考の最後では少女時代とKARAのプロモーションを比較している(鈴木さんには申し訳ないが、戦略的にはKARAの方が上手だと結論づけている)。
そういうわけで、K-POPについては、C-POPファンとして横目で眺めてきた。エイベックスがエイベックス・エイジアをアジア圏で展開していながら、BoAとalanを除いて、日本デビューさせてもその後のバックアップをしない態度に正直「使い捨てじゃないのか」といういらだちを感じたりもしてきた。
そういう意味では、Perfumeファンだった鈴木さんが少女時代のとりことなってK-POPファンになり、海外遠征までしてしまう流れについて、いろいろと思い当たる節があった。
わたしが見る限り、「韓流ブーム」は三期に分かれ、その客層が次第に推移している。第一期はヨン様冬ソナ期で、韓流の主な支持者は杉良太郎ファンとイメージのかぶる「おばさま」層中心だった。第二期は東方神起期で、ジャニーズファンと重なるもう少し若い女性層が加わってくる。そして第三期が少女時代&KARA期で、若い女性ファンを押えつつ男性層を大々的に獲得することに成功した。鈴木さんは第三期からの観察になるため、第一期・第二期の記述が伝聞口調になるのは少々残念だったが、それでもよくまとめられていると思う。もちろん、前史としてのチョー・ヨンピルや桂銀淑、あるいは韓流ブームとは直接絡まないが重要なBoAの存在も本書ではきちんと押えられている。
韓流が「つくられたブーム」だという陰謀論への反証もしっかりまとめられており、2011年現在のK-POPを取り巻く状況を把握することができる。
新大久保のゲニウス・ロキ
それから、第二のテーマである「新大久保」だが、わたしのライフワークテーマである「ゲニウス・ロキ」――すなわち、それぞれの場所が持っている歴史を踏まえた雰囲気のようなもの――とは、まさに本書で詳細に描かれた「新大久保の歴史と現在の雰囲気」を記録しておくことが目標となっている。江戸時代の百人町から始まって、明治のツツジ園芸地帯の歴史が描かれる。さらに、軍事拠点だった北側の戸山と、戦後の新宿歌舞伎町に挟まれて発展した新大久保の歴史を押えているのも素晴らしい。
ロッテ工場があったから新大久保に韓国系の人たちが集まったのではなく、もともと韓国・台湾系の人たちのバラックが先にあった、という指摘は重要なポイントだと思う。戦後闇市やドヤ街やバラックの記憶が(ある意味黒歴史として強制的に)消されつつある現在だが、そういう闇市系のパワーは街の潜在的エネルギーとして何十年も伝わるものである。そんな歴史を踏まえた上での場所論として、本書はまさに価値ある一冊といえる。
ところで、これに絡めてわたしの見聞したことを補足しておこう。一つ目の証言は中国人留学生によるものだが、「高田馬場近辺の日本語学校は、以前は中国人もかなり多かったけれど、今は圧倒的に韓国人に占められている」。もう一つの証言は、高田馬場には学校を持たず、池袋・新宿・渋谷などに教室のある某日本語学校の関係者によるものだが、「以前は韓国人学習者が多かったのに近年になってうちの学校では激減し、相対的に中国人が多数を占めるようになってしまった」という。
新大久保・高田馬場とその周辺地域でまったく逆のことが起こっている。つまり、韓国人留学生が新大久保から高田馬場近辺に集中し、新宿・渋谷や池袋からは逆に韓国人留学生が撤退しているようなのである。ちなみに、この現象は震災以前からのものである。
なお、震災で一時帰国した日本在住の外国人は非常に多いし、震災後は外国人留学生数そのものがかなり減っているのは事実であるが、日本滞在期間が長期にわたる人ほど帰国しない、あるいはすぐに戻ってくる率が高いという。また、留学生本人はそれほど不安にはなっていないが家族が心配するので一時帰国「せざるをえなかった」人が多数のようである。キャンセルが非常に多かったのは4月から留学予定だった学生である。
- 関連:秋葉原のゲニウス・ロキ
多文化共生
そしてもう一つ、わたしは「多文化共生」思想に深く共感している。そのため、大久保/新大久保の多国籍タウンから多文化の問題に踏み込んだ部分も非常に興味深く読んだ。
新大久保は決してコリアン一色の町ではない。以前はタイなどの東南アジア系も非常に目立った記憶がある。また、以前はC-POP系の曲を大量に用意している「華流 中華カラオケ店 マイク103」という店が大久保駅と新大久保駅の間にあり、わたしもmixiの「チュウカラ部」コミュニティなどで行ったことがある。大久保近辺は、アジア圏中心の雑多な町であった(さらに以前は大久保の「立ちんぼ」という街娼もいたようだが、中南米出身者なども含まれていたのだろうか)。
本書では「決してコリアンだけではなかった」というだけではなく、コリアンの中のオールドカマー(いわゆる在日韓国人)とニューカマー(近年移住してきた人たち)の違いにも触れている。その上で、最近の「多文化主義は失敗」というメルケル発言も取り上げられている。この点については紙幅の都合もあってか深い掘り下げというわけではないが、理論的な話よりも実際の多国籍タウンとしての新大久保を取材した内容が多文化の楽しさを伝えてくれている。
ちなみに、多文化がただ単に混在しているだけでは、文化衝突も起こって当然という部分がある。「多文化混在」ではなく「多文化共生」、すなわち相互理解しようとする努力を土台とし、お互いに尊重しあうことを前提とした上での共存(必ずしも自分が相手の文化を「取り入れる」必要はない)が重要だとわたしは思っている。つまり、多文化主義は失敗したかもしれないが、多文化共生思想がその解決にはどうしても必要ということだ。
現在、一部では排他・排外的な思想が肯定される状況であるが、逆に言えばそれは、世界中の人たちとよりよく交流していくために欠かせない多文化共生の考え方を身につけていく必要が高まっているということでもある。
総論
そういうわけで、この『新大久保とK-POP』という本は、わたしが極めて関心を持っている3つのテーマについて、わたしの知識の及ばなかった角度から切り込んでくれている本だったので、非常に興味深く読むことができた。文句なしの星五つである。
- 【広告】★文中キーワードによる自動生成アフィリエイトリンク
この記事のリンク用URL| ≪ 前の記事 ≫ 次の記事
タグ:ゲニウス・ロキ, 多文化共生, 音楽|
(旧: )