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- 1 ロシア人力士大麻疑惑と北オセチア
- 三人は「ロシア国籍」だが「オセット人」
- オセチアの歴史
- 2 相撲の発祥地:奈良県當麻郷
- 3 阿波忌部氏と麻植郡・総国
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■1 ロシア人力士大麻疑惑と北オセチア
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「ロシア人」力士が大麻を使用していたという疑惑がニュースとなり、大 麻利用疑惑のあがった力士がいずれも解雇される事態となりました。
●若ノ鵬寿則(ガグロエフ・ソスラン・アレクサンドルヴィチ)
ロシア連邦北オセチア・アラニヤ共和国ウラジカフカス出身。
大麻の含まれたタバコの入った財布を落としたことから発覚。
部屋と自宅の家宅捜索で吸引具も発見された。
8月21日に解雇。
9月12日、不起訴処分となった。
その後、解雇を不服として地位確認を求める訴訟を起こしている。
●露鵬幸生(ソスラン・フェーリクソヴィッチ・ボラーゾフ)
ロシア連邦北オセチア・アラニヤ共和国ウラジカフカス出身。
●白露山佑太(バトラズ・フェーリクソヴィッチ・ボラーゾフ)
ロシア連邦北オセチア・アラニヤ共和国ウラジカフカス出身。
露鵬の弟。
露鵬と白露山は、9月2日の抜き打ち検査で大麻の陽性反応が出たと報じられた。二人は大麻使用を否定。その後の精密検査でも陽性反応が出たとされ、9月8日に解雇されることが決定した。
この事件については、非常に微妙な状況があります。実際に所持・吸引の 事実が証拠として出ており、本人も大麻(マリファナ)吸引を認めている 若ノ鵬はともかく、本人たちがかたくなに否定している露鵬と白露山を早 々に解雇したことについては、早急な対応ではないかと思われてなりませ ん。
大麻の検査については、大麻以外の成分が反応してしまう「擬陽性」の問 題もあります。「基準値の5、10倍の大麻成分が検出された」という発表に ついても、具体的に何の成分がどれだけ検出されたのか、きちんとしたデ ータを発表しない姿勢に疑問が残ります。
重要なのは、本当はどうだったのかということを厳密・公正に調べること でしょう。「マリファナはだめ、だから疑惑をもたれただけでもよくない。 許すことなく厳しい対応を」という乱暴な処罰では、将来にわたって禍根 を残すのではないでしょうか。
◎三人は「ロシア国籍」だが「オセット人」
さて、このメルマガでは、別のポイントに注目してみたいと思います。 兄弟である露鵬と白露山だけでなく、若ノ鵬も含めて、三人とも「ロシア 人」と報じられていますが、厳密に言えば「ロシア連邦 北オセチア・ア ラニヤ共和国ウラジカフカス」出身なのです。
三人ともロシア国籍ではありますが、スラヴ系のロシア人ではなく、ロシ ア連邦を構成する北オセチア・アラニヤ共和国のオセット人です。オセッ ト人はイラン系民族の末裔とされています。
このほか、大相撲では若ノ鵬のいとこの阿覧欧虎(アラン・ガバライエフ) も同じくオセット人ということになります。
オセット人といえば、八月にグルジア紛争で登場した「南オセチア」が思 い出されるところです。実は、四人の力士の出身地「北オセチア・アラニ ヤ共和国」と、グルジアから独立しようとしてもめている「南オセチア」 は、どちらもオセット人の居住地です。
◎オセチアの歴史
オセチアはカフカース地方にあります。英語読みのコーカサス地方という 呼び方でご存じの方も多いでしょう。
一部のブログなどで「コーカサス地方は大麻の原産地」という情報が書か れていますが、これは誤り。カフカース地方から中東にかけてが原産とな るのは「亜麻」であって「大麻」ではありません。大麻はヒマラヤ山脈の 北西部山岳地帯が原産とされており、これはカフカースからは離れていま す。
さて、カフカース山脈の北に北オセチア、南に南オセチアがあります。 南オセチアはグルジアの領土にくさびのように打ち込まれた形となってい ます。
カフカース地方は民族的に非常に混乱したところであり、歴史的にいろい ろな民族や国家が成立してきました。山脈の南にはグルジア、アゼルバイ ジャン、アルメニアなどの国々が繁栄し、時代によってその領域を大きく 変化させてきました。
山脈の北側には、ロシアからの独立戦争で有名なチェチェン、イングーシ などがあります。
その中で、オセチアは特別な地位を占めてきました。カフカース山脈の北 と南に居住するようになったオセット人は、ロシア帝国がカフカース地方 へと勢力を伸ばしてきたとき、ロシア人に協力したのです。オセチアはロ シアに併合されましたが、その運命を受け入れました。しかし、ロシアに 抵抗したグルジアにとって、南オセチアはロシアから打ち込まれたくさび のように思われたのです。
ロシアがソ連になったとき、北オセチアはロシア共和国の中の「北オセチ ア自治州」となり(1924年)、さらに1936年には「北オセチア自治共和国」 に格上げされます。
一方、南オセチアはグルジアに編入され、1922年に南オセチア自治州とな りました。こうして北と南は別々の国の自治州・自治共和国としての歴史 を歩むことになります。南オセチアではグルジア化が進められました。
1980年代から南オセチアの独立運動が始まります。しかし、ロシアとオセ ット人に対抗意識を持ち、ソ連の中では少数民族にあたるグルジア人はそ れを認めようとはしませんでした。
ソ連内の少数民族グルジア人、そのグルジアの中で少数民族となるオセッ ト人。それぞれの独自性を守ろうとして、民族紛争が起こってしまうので した。
やがてソ連は消滅します。北オセチアは自治共和国から「北オセチア共和 国」に昇格し、ロシア連邦の一員となります。一方、南オセチアでは独立 に関する住民投票が行なわれ、「南オセチア共和国」が独立を宣言します が、グルジア軍とのあいだに軍事紛争が展開されました。
◎正解のない民族紛争
それから約20年、2008年になってグルジアと南オセチアの問題は再燃して います。
- 南オセチアの独立をロシアが承認
- グルジアをアメリカが支援
直接的にはグルジアと南オセチアの問題ですが、南オセチアとロシアが組 んでいることに対してアメリカが介入してきたわけです。ちょうどカフカ ース地方は、黒海・カスピ海に挟まれた要衝の地であり、パイプラインな どの権利に関しても係争の場所となっています。
ロシアからカフカース/グルジアに打ち込まれたくさび、南オセチア。 この独立問題については、どこが正しいという正解はありません。 南オセチア、グルジア、ロシア、それぞれに主張があります。 アメリカが介入することについても、その背後に隠された意図を見ていく 必要があるでしょう。
(カフカース地方からカスピ海沿岸についての紛争については、また改め て取り上げたいと考えています)
このグルジア・オセチア問題の起こっている今この時期に、オセット人力 士三人が解雇される事態に陥りました。それが政治的背景のない、単なる 偶然であることを祈るばかりです。
ちなみに、グルジア出身の大相撲力士としては、栃ノ心、黒海、臥牙丸の 三人がいます。
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■2 相撲の発祥地:奈良県當麻郷
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さて、相撲と「麻」の字には、実は切っても切れない関連があります。
相撲の発祥地は、奈良県の葛城市――かつて大和国葛下群當麻郷と呼ばれ ていた地域にあるのです。當麻(当麻)は「たいま」と読みます。
日本書紀によれば、この地が相撲の発祥地とされています。
――垂仁天皇七年秋七月、群臣が奏上した。「當麻邑に勇敢な人物がいま す。名を當麻蹶速(たいまのくえはや/たいまのけはや)といいます。そ の人となりは、力持ちで角をこわし、鉤をのばします。常々周囲の者に、 四方を探しても自分の力に及ぶ者はいないだろう。強力な者に会って、生 死をかけて力比べをしてみたい、と述べています」と。
天皇はこれを聞き、諸卿に告げた。「當麻蹶速は天下の力士であると聞い た。この人に比べられる者はいないか」と。
ある臣が進言した。「出雲国に勇士がおり、野見宿禰(のみのすくね)と いいます。試しにこの人を召して蹶速に当たらせたいと思います」。
その日のうちにすぐ、倭直(やまとのあたい)の祖である長尾市(ながお ち)を遣わして、野見宿禰を呼び寄せた。野見宿禰は出雲からやってきた ので、當麻蹶速と野見宿禰に角力(すもう)を取らせた。
二人は向かい合って立ち、それぞれ足を上げて蹴りあった。野見宿禰は、 當麻蹶速の脇骨を蹴り折り、腰を踏み折って殺してしまった。こうして當 麻蹶速の土地を没収して野見宿禰に与えることになった。そこでこの邑に は「腰折田」というところがあるのである。野見宿禰はここにとどまって 天皇に仕えた。――
當麻蹶速は敗れ去ってしまったわけですが、これが日本の相撲の起こりだ とされています。
葛城市には、相撲館『けはや座』があり、相撲発祥地としての資料を伝え ています。 http://www.city.katsuragi.nara.jp/katsuragi/shisetu/42.html
ちなみに葛城市は2004年に當麻町と新庄町が合併してできた市で、わたし の幼少時からの記憶ではやはり當麻町という名称が印象深いものです。
では、當麻という地名の由来は何かということになりますが、実は植物の 「麻」とは特に関係ありません(期待を持たせてすみません)。もともと、 當麻は「當岐麻(たぎま)」と呼ばれており、後に「タヘマ」「タイマ」 と音便化して呼ばれるようになりました。
タギとは、古代の言葉で「曲がりくねった難路」のことです。ちょうど當 麻の西には、大阪(河内)との境界に二上山があります。「たぎたぎし」 という形容詞は、凹凸があること、あるいは道が歩きにくいことを指すこ とばです。
日本書紀では當麻蹶速に由来するとされる「腰折田」という地名も、「山 裾の折れ曲がった田」と解釈することができますから(日本書紀の地名説 話は後からのこじつけのことも多くあります)、當麻はもともと曲がりく ねった地形が多いところだったのかもしれません。
ちなみに、まったく関係なくなりますが、北海道上川支庁上川郡に当麻町 (とうまちょう)があります。この地名の由来は、アイヌ語の「トオマナ イ」――すなわち「ト」(湖沼)、「オマ」(に入る)、「ナイ」(川) とのこと。こちらも麻とは関係ないわけです。
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■3 阿波忌部氏と麻植郡・総国
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これだけでは何とも中途半端なので、日本の地名で植物の「麻」と本当に 関係のある地名をピックアップしていきましょう。
まず、阿波国麻植郡(おえぐん)が挙げられます。麻殖郡とも書きますが、 これは現在の徳島県吉野川市と、美馬市の一部にあたります。
『阿波志』七巻麻植郡によると、昔、天富命(あめのとみのみこと)と天 日鷲命(あめのひわしのみこと)がこの地に穀物と麻を植えました。ゆえ に「麻殖郡」とよぶことになったといいます。
この天富命と天日鷲命の子孫が忌部氏(阿波忌部)です。忌部(いんべ) とは「けがれを忌む」すなわち宮中祭祀をつかさどる一族でした。のちに 齋部と表記するようになりますが、同じ一族です。
古来、日本では麻は神聖な植物として認識されてきました。伊勢神宮では、 御神札を「神宮大麻」と呼んでいます。これは、罪・けがれを祓う霊力の ある「大麻(おおぬさ)」で祓ったためであり、かつては「御祓大麻」と 呼ばれていたのです。
天皇の即位後最初に行なわれる践祚大嘗祭でも着用される麻布の「麁服 (あらたえ)」は、阿波忌部氏が献上するものとされてきました。これは 現在も忌部氏の末裔である木屋平の三木家が献上しているといいます。
このように、日本では大麻は神聖な植物でした。もっとも、この大麻には 幻覚成分はほとんどなく、「繊維性大麻」と呼ばれるものでした。
ちなみに、この阿波忌部氏の末裔に、故・後藤田正晴氏、そして現在の衆 議院議員・後藤田正純氏がいます。後藤田正純氏は女優の水野真紀との結 婚式を、徳島市の忌部神社でおこないました。
さて、この阿波国麻植郡の忌部氏は、その後、東方に向かいます。そして たどりついたのが今の千葉県、房総半島でした。『古語拾遺』という本に は次のように書かれています。
――天富命はさらに豊かな土地を求め、阿波齋部(忌部)の中から一部を 率いて東へ進んだ。麻・穀物を撒き植えたたところ、麻がよく生えたとこ ろを総(ふさ)の国といい、穀物がよく生えたところを結城という。――
麻がよく生えた土地を「総国(ふさのくに)」と名付けたというのです。 「ふさ」とは麻のこと。この「総国」が後に「上総」「下総」の二国に分 かれました。また、その南側の土地は阿波の忌部氏が住んだことから、同 名の「安房」と名付けられたのです。ちなみに、「阿波」も「安房」も、 語源は「粟がよく生えるところ」の意味です。
今は「房総半島」という地名がこの古名の名残を伝えていますが、「安房」 +「総」という二つの国名はいずれも阿波忌部氏と深い関係がありました。
2006年、千葉県の八日市場市と野栄町が合併して匝瑳(そうさ)市となり ました。この地名も古い由来のあるもので、『倭名抄』によれば狭布佐、 すなわち「狭(さ)」=「美しい」、「布佐(ふさ)」=「麻」というこ とで、「美しい麻」のとれる場所という意味だったのです。
このように神聖な「麻」と「忌部」の名残は、地名に刻まれているのです。
このほかに、大麻と関係のある地名は少なくありません。 その中には、麻の生えるところ、すなわち「麻生」も含まれています。
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