《松永英明のゲニウス・ロキ探索――「場所の記憶」「都市の歴史」を歩く、考える 》はまぐまぐで発行されているメールマガジンです。

No.032:「点」としての出島、長崎中華街

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……江戸時代に日本は決して閉ざされていたわけではありませんでした。オランダを通じてヨーロッパの情勢も詳細に理解していましたし、蘭学も禁じられてはいませんでした。ただ、その外交・通商を幕府と辺境の大名が独占していたということです。

幕府がヨーロッパに向けて開いた小さな窓口、それが出島でした。

(もう一つ指摘できるのは、琉球もアイヌも当時は外国であったということです。国境というものが明確に意識されるようになるのは、ヨーロッパの帝国主義、近代的な定義による「国家」というものが生まれてからのことであり、日本では明治維新政府以降ということになります。)……

出島

  • 「鎖国」のまぼろし
  • 「点」としての出島
  • 唐人屋敷
  • 開国とその後の長崎
  • そして幕末・維新と「軍艦島」

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