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No.101:駒沢給水所、双子の給水塔からキャロットタワーへ

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◎双子の給水塔

10月1日は都民の日らしいです(東京で生まれ育った人にはおなじみなのか もしれませんが……)。この日に、年に一回、駒沢給水所が一般公開され ています。

「桜新町の双子の給水塔」としても知られる給水施設で、建造は大正十二 年(1923)。ちょうど関東大震災を挟んで完成したのですが、地震でもま ったく損壊がなかったそうです。およそ90年近い寿命のこの建物は、王冠 のように見えるデザインの給水塔が二つ並んでいて、かわいい感じもしま す。

駒沢給水塔風景資産保存会 - 愛称:コマQ
http://setagaya.kir.jp/koma-q/

この給水塔のある駒沢給水所は、年に一回一般公開されています。外から は何度か見ていますし、このメルマガ(有料版時代)でも一度取り上げた ことがあります。
(No.040:世田谷・駒沢給水塔(桜新町の双子の給水塔)2009年06月22日)

今回撮影した写真から。
http://f.hatena.ne.jp/GeniusLoci/No101/?sort=old
(古い順でスライドショーがおすすめです)

駒沢給水所 双子の給水塔

13時からの1回目の公開に参加しました。 開門の12:40ぎりぎりに現地に到着。一般の参加費500円を払うと、会誌 『そうとう』最新版や資料を渡されます。 世田谷区が出しているフリーペーパー情報誌「GAYAGAYA≧50s」秋号(最新 号)にも「駒沢給水塔と水道の道」特集記事が載っているとのことで、そ れももらいます。

その横で販売物もあり、ごっそりまとめ買いをしました。

・『そうとう』バックナンバー(No.3~6)
・駒沢給水所の昔の絵はがきの復刻版
・コマQ制作のポストカード
・コマQ制作のDVD3枚
  双塔 駒沢給水塔への水の道 2007年12月
  私たちの近代化遺産 駒沢給水塔を守ろう 2008年12月
  給水塔を残そう 世田谷の歴史遺産 2010年8月

このDVDを制作された大塚光彦さんは先日他界されたそうです。

◎見学会

さて、集まった100人ほどの参加者を前に、コマQと東京都水道局の関係者 の方が簡単に挨拶した後、3班に分かれて実際に給水所を案内していただき ました。前半は曇り、最後にかなり天気がよくなりました。

駒沢給水所はもともと都市化する「渋谷町」への給水のために作られた施 設で、「世田谷町」の中でもとりわけ高いこの駒沢の丘の上に給水塔を建 て、丘の標高からさらに18メートルの高さに貯めた水を流すことで、自然 落下の力で渋谷まで水を供給していたのです。この施設は日本初の本格的 な配水塔として建造されました。塔の高さは30メートルです(ちなみにガ ンダムが18メートル)。

二つの貯水塔は王冠のようなデザインで、おとぎ話のお城のようにも見え る楽しい建物です。三つめの塔も計画されていたようですが、戦争が始ま って結局着工されませんでした。

現在は地元の緊急時のための水瓶となっているとのことです。

正面入り口すぐのところに昭和七年建造レンガ造りの第一排水ポンプ所が あります。レンガのおかげで今もまったく耐久性には問題がないとのこと。

その前を通って、小さな池へ。心字池と呼ばれる池には魚やアメンボもい ます。

その奥をぐるりと回って記念碑へ。給水塔をバックに、ライオンの口もつ いた記念碑+池がきれいに作ってあります。正式には「渋谷町水道布設記 念碑」で、表の銘板には「昭和二年 東京府豊多摩郡渋谷町町長従六位勲 五等 藤田信次郎」の署名で非常に長文の解説が刻まれています。

最近、この記念碑の中に建設関係者の名前を書いた定礎も見つかったとの ことで、その中身も見せていただきました。碑文の建設費が当時の価格で 7500円だったこともわかります。

さあ、いよいよ給水塔へ。手前の第一号給水塔には「清冽如鑑」(清冽な ることカガミのごとし)という文字が刻まれています。文字を書いたのは、 内務大臣・水野錬太郎。給水に込められた当時の思いが伝わってきます。

この給水塔を回ったところに鉄の蓋がありました。「渋谷町 阻水弁」と 刻印されていますが、「町」の字の旁が丁ではなく「巧」の右側のように なっています。また、弁の字は正確には「合」の下に「廾」を書いた字で す。さらにもう少し古いものだと町が「甼」字になっているとのこと。こ んなところにも歴史を感じます。

二つの給水塔の間にはトラス橋がかけられています。安全のために登るこ とはできませんが、その上からの眺めはすばらしいようです。

第二号給水塔には「滾々不盡」(滾々=コンコンとして尽きず)の文字。 こちらも渋谷町にとって水問題は非常に重要な課題だったことが伺えます。

その先に今は使われていない地下の弁室があり(酸欠になるらしい)、そ して敷地の先にベンチュリー・メーター室が建っています。こちらはぼろ ぼろの小屋ですが、量水計すなわち給水塔から送られる水量を自動調節す る設備が置かれていました。

そして、その先、敷地の角のところで案内してくださった職員の方が指を 指します。その先には三軒茶屋のキャロットタワー。「ここから三軒茶屋 まで一直線の水道道路が走っていたんです」。つまり、駒沢から三軒茶屋 まではまっすぐに水道が走り、その先の渋谷へとつながっていたようです。

一通り回って、再びポンプ所へ戻ります。今度はポンプ所の中へ。案内の 職員さんが「この中で霊感が強いとおっしゃる方はいらっしゃいませんか? ここは幽霊が出るっていう噂なんですよ」と怖いことを言います。幸か不 幸か私は霊感が強くないので何も感じませんでしたが……。

単に四角い建物に見えますが、入り口の意匠など非常に優れたものに思い ます。これもぜひ残したい建物だと感じました。

ここを出て案内は一通り終わり。ところが、ここから空も晴れ上がり、絶 好の撮影環境となりました。これはもったいないので、少し戻って給水塔 などを撮影しに行きました。カメラを構えた参加者が粘りに粘っていい写 真を撮ろうとしています。

こうして見学会は終了しました。やはり間近で見ると迫力が違います。

◎水道道路を歩く

さて、このあと少し時間がありましたので、先ほど話を聞いて気になった 水道道路の方へ向かうこととしました。

西門から桜新町の駅の方に向かう水道道路は以前歩きましたので、今度は 反対側を目指すことにします。敷地をぐるりとまわって裏側に出ると、確 かに給水所から三軒茶屋に向かってまっすぐ伸びる道路があります。その 道路の先にはオレンジ色のキャロットタワーが小さく見えます。

これくらいの距離ならば、歩いてもいいでしょう。

最高地点の給水塔から丘の坂を下っていきます。その先の駒沢中学校のと ころで左から来た道路と合流します。これが弦巻通り。二車線の弦巻通り がまっすぐ三軒茶屋まで向かっていきます。

ちょっと交通量が多いように感じたので、そのすぐ北にある蛇崩川緑道の 方を歩くことにしました。昔の川の跡で暗渠の上の緑道です。当時はこの あたりが谷底だったはずです。

駒留陸橋で環七通りにぶつかりますが、水道道路と緑道は相変わらず並行 してまっすぐ進んでいきます。三軒茶屋小学校の裏手を進んでいくと、や がて緑道が大きく右に曲がって水道道路と交差します。そこに書かれてい たのが「すいどうばし」という名前。まさに渋谷町水道道路との交点の橋 だからというわかりやすいネーミングです。

そしてついに三軒茶屋の町へ。世田谷通りにぶつかって、今の水道道路は 終了となります。キャロットタワーを見上げて、「確か展望ロビーがあっ たよな」と思い出します。ここで展望ロビーに向かうのは初めてでした。

26階展望ロビーは、東半分が展望レストラン、西半分が一般開放のロビー で、FM世田谷のスタジオもあります。幸い、双子の給水塔は南西方向で すので、展望ロビーからよく見えます。

……足下からまっすぐに伸びる道路があります。その突き当たりには小さ な丘と森があり、その中に双子の給水塔が確かに見えました。少し向こう に用賀のビジネススクエアヒルズのビルがそびえ、その手前にちょこんと 不思議な形で見える給水塔がしっかりと見えます。その間、およそ1.5km ほどでしょうか。

キャロットタワーから給水塔まで、一直線に(緑道に寄り道しつつ)行っ てみるのも楽しいかもしれません。

駒沢給水所
東京都世田谷区弦巻2丁目41番


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