《松永英明のゲニウス・ロキ探索――「場所の記憶」「都市の歴史」を歩く、考える 》はまぐまぐで発行されているメールマガジンです。

No.112:「グリーンライン下北沢」と「七福神」

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前号に引き続き、グリーンライン下北沢について考えていきます。

2011年7月22日、「グリーンライン下北沢」のキックオフセミナーの第2回に参加していました。

「グリーンライン下北沢」キックオフ・連続セミナー
「鉄道あとち」が「あとち」ではなくなる未来に向けて

  • 第1回:7月9日(土)世田谷区案と上部利用検討委員会案の比較検証
  • 第2回:7月22日(金)上部(あとち)利用、今後の展望と話し合い

このとき、実際に「あとち」の模型を見ながら参加者みんなで思いついたことをぺたぺたと付箋で貼っていくというワークショップもあり、楽しい雰囲気の中でいろいろなアイデアが出ました。

この中で、今回取り上げたいのはある参加者が提案した「七福神のようなものを設定して、それをめぐるようにすれば楽しいのではないか」というアイデアでした。

わたしはこの意見には諸手を挙げて賛同します。七福神巡りはこのメルマガでも過去に扱いましたが(No.065:小石川七福神、No.066:深川七福神)、スタンプラリーがあるとついつい参加してしまうわたしのような人間にとって、いろいろ巡るポイントがあるというのは非常に魅力的です。

ただし、七福神といっても通説の七福神に従わなければならないということはないと思います。それよりは地元の伝承などを踏まえて作ってしまってもかまわないのではないかと思います。

上記の小石川七福神は平成七年(1995)に始まったものです。そもそも七福神のメンバー自体が江戸時代半ばにようやく確定したもので、それ以前には定説もしっかり定まっていなかったものです。

下北沢近辺の地域になじみの深い、平成の新しい七つの福の神を設定するのも、これまでの伝承を踏まえてさらに積み重ねるという点では面白いのではないかと思います。

そういうわけで、一アイデアとして「下北沢の新七福神」を考えてみました。本当は「スズナリの隣のカトリック世田谷教会の岩窟のマリア像」なども入れたいとは思うのですが、さすがにキリスト教を混ぜるのは無理かと思い、神道・仏教系に絞ってあります。同様に、東北沢よりも東で代々木上原駅の領域と思われるモスク「東京ジャーミイ」も入れていません。

◎下北沢の寺社・祠

まずは下北沢周辺の既存の寺社や祠をピックアップしてみましょう。

  • 森巌寺の大黒天・弁財天(浄土宗八幡山浄光院、淡島さま)
  • 真龍寺の大天狗(曹洞宗大雄山真龍寺、しもきた天狗まつりの主役)
  • 北沢八幡宮(森巌寺の並び)
  • 代田八幡宮(世田谷代田駅から環七を挟んですぐ)
  • 円乗院
  • 南口の庚申堂(餃子の王将前の広場の祠)
  • 北口の庚申塚(スロコメ・般゜若の手前の石仏)
  • 北沢の延命地蔵
  • 下北沢二号踏切の踏切地蔵

森巌寺の淡島堂に本尊の淡島様(少彦名神)とともに祀られている大黒天と、その隣の新しいお堂に安置されている弁財天は、ともに通常の七福神にも含まれるレギュラーメンバーです。

もちろん、下北沢の節分を彩る天狗まつりの大天狗も見逃すわけにはいかないでしょう。

それから、北沢八幡神社は文明年間(1469~87)に吉良氏によって、また代田八幡神社は1591年に吉良家家人七家によって創建された、江戸時代以前にさかのぼる由緒ある神社です。どちらも下北沢周辺の神々としては外せません(昔からの代田地区の住人には、「うちはシモキタじゃない、代田だ」という誇りもあるようですが、グリーンラインの範囲を基準に考えれば下北沢の西の要として重要な場所にあると思います)。

また、代田八幡神社の近く、北沢川緑道と環七の接するところにあるのが円乗院。吉良家家人七人衆によって1625年に建てられたということで、いわば代田八幡の兄弟寺院のようなものといえます。また、ここには円乗院遺跡という弥生時代の遺跡が発掘されています。

円乗院に接して、小さな神社ですが三峯神社があります。

街の中の祠として有名な南口の庚申堂は、映画などでも象徴的な場所として扱われており、また下北沢の商業地区の南端に近いところにあって「外界から村を守る」存在として貴重なものといえます。一方で、同じく商業地域の北端に近い北口の庚申堂があり、南北で街を守っているかのように見えます。

それ以外の石仏や小さな祠などは、細かいものまで見て行くと大変なことになるのですが、ランドマークとしてそれなりに存在感のあるものを二つピックアップしてみました。

一つは、東北沢と池ノ上をつなぐ東京都道420号線沿い、計画中の補助54号と交わるあたりにある延命地蔵尊です。この向かいには大正時代のものですが富士講の碑もあり、ちょっと古い記憶をとどめる一画となっています。

もう一つは、下北沢駅の西にある下北沢第二踏切脇の通称「踏切地蔵」。踏切事故をなくしたいという祈りを込めた地蔵で、こういう「線路の記憶」もきちんと残して伝えていきたいものです。

◎「下北沢の新七福神」案

こうしてピックアップすると、すでに「七」を超えています。ひとまず気にせず、さらに考えてみましょう。

どうしても一つ、ここで追加したいのが「ダイダラボッチ」です。代田という地名自体が巨人ダイダラボッチ伝説に由来しています。守山小学校の近くにダイダラボッチの足跡と伝えられた沼の跡地もあり、通称ダイダラボッチ川の跡は下北沢に深い谷を刻んでいます。

柳田國男の研究でも取り上げられているくらいですから、この伝説の巨人も下北沢・代田地域ならではの「福神」の一に数えていいでしょう。そこで、「あとち」とダイダラボッチ川跡の交わるところ、世田谷区案でも公園になる場所(世田谷保育所や、最近までスポーツクラブのあった谷付近)にダイダラボッチ記念スペースを置いてみます。

以上、マッピングしてみたのがこの地図です。
より大きな地図で 下北沢「新七福神」ことのは案 を表示

では、七にするにはどうするか。二つ考えがあります。

まず、近いものをまとめてエリアとして考えてみます。東北沢に近い方から、次のようになります。

  • 延命地蔵
  • 北の庚申堂
  • 真龍寺の大天狗
  • ダイダラボッチと踏切地蔵
  • 南の庚申堂
  • 北沢八幡と森巌寺(大黒天と弁財天)
  • 代田八幡神社から円乗院・三峯神社

代田八幡と円乗院は代田七人衆ゆかりの寺社としてセットにしています。このエリア別七福神だと、周遊ルートが設定しやすいのも魅力です。たとえば……

代田八幡→円乗院・三峯神社→北沢川緑道→森巌寺・北沢八幡→森巌寺川緑道→南の庚申堂→ダイダラボッチ川跡→踏切地蔵・ダイダラボッチ→グリーンライン→下北沢駅→商店街→真龍寺→北の庚申堂→延命地蔵

という川沿いをたどるルートがきれいに描けます。

もう少しすっきりさせるためには、同じ神様が重複する場合に一と数えること。実際、小石川七福神でも弁財天が二箇所にあったりします。そこで残念ながら円乗院と三峯神社はカットすることにしましょう。

そうするとこんな感じで七尊になります。

  • 大黒天(森巌寺)
  • 弁財天(森巌寺)
  • 八幡神(代田八幡、北沢八幡)
  • 大天狗こと道了尊(真龍寺)
  • 庚申様(北口、南口)
  • お地蔵様(延命地蔵、踏切地蔵)
  • ダイダラボッチ

グリーンラインに接しているのは代田八幡・踏切地蔵と新設のダイダラボッチだけではありますが、こんな感じで下北沢の新七福神を設定しても楽しいと思います。

◎都市の弁天軸

故・毛綱毅曠という異端の建築家がいます。毛綱氏は建築に神秘学的な視点を盛り込み、派手にぶっ飛ばしたアイデアを出していた人物ですが、その提唱の一つに「都市の弁天軸」という概念があります。

毛綱毅曠『七福招来の建築術』には、「都市の弁天軸」についてこのように書かれています。一部引用しましょう。

 神社仏閣があれば、その前で歌や踊りなどの芸能が奉納される。それが定着して見世物小屋や劇場ができる。お詣りかたがた、そうした娯楽を目的にして人が集まってくる。さらには、神社などにいる巫女が転じて、遊女になって体を売ったりする。それを目かけて、また男が集まる。もう、どんどん集まっちゃうのである。

 交易のための市場ができる。そこでは、もちろんいろいろな珍しい品物、必需品を売る店が並ぶ。それを買いにやってきた人たち目あての、食い物屋も出る。ついでに体も売っちゃう女が立ったりする。どうも女が必ず出てくる。こういうところにも、人が集まってくる。人間は、いかがわしいことが好きなのだ。

 そうなのだよ。この市の立つ場所、これを無縁の地というんだけれど、そのとっつきは市姫サマという女性の神様をまず勧請してから、モノや情報や愁波の交換が始まるんだ。わかるかな。そんなところから私はこれを「都市の弁天軸」とひそかに呼んでいるのだが、建築学界では、いまだに誰も、相手にしてくれないのだ。

 東京の浅草は、そういう右脳都市の典型だったのではなかろうか。浅草寺の観音サマは、六二八(推古三六)年、漁師の網にかかった金の観音像を祀ったのが始まりといわれている。その後、近隣の人びとの信仰を集めたが、とくに鎌倉幕府を開いた源頼朝の尊崇を受けて、大いににぎわったらしい。

 それと同時に、浅草は古くから帰化人の技術者集団が棲みついていた土地であった。瓦や陶器を焼く窯業の民、金属の鋳鍛や細工をする金属工、建築にたずさわる大工など、これらの技術者は、第三章でも述べたように、いわば異界に棲む「鬼」と見なされた人びとだ。当然、これらの技術者が造り出す物品を目あての人たちが集まってきて、活気ある市場を形づくっていたことだろう。

 一説では、頼朝が鎌倉幕府を開いたとき、その街造りのために、多数の技術者が浅草から徴発されたという。それほど、彼らの技術が高く評価されていたわけだ。

 やがて、徳川家康が江戸に居を構えたとき、江戸城という左脳都市の中核の出現によって、江戸は世界一の巨大都市への道を歩み出す。そのとき、浅草の地に龍宮城のような「吉原」の遊廓を置いたことは、まさに都市として画竜点睛の「快挙」だった、と言ったらヒンシュクを買うだろうか?

補足しておくと、日本のイチキシマヒメ=市姫さま(市寸島比売命)が市の中心に勧請されるわけですが、そのイチキシマヒメは実はインドのサラスヴァティー女神(弁才天/弁財天)であると考えられてきました。もともとは学芸・芸能の神ですが、弁財天とも書かれたことから福徳の神ともされるようになっていきます。

また、弁財天は宇賀神とも同一視されるようになりました。宇賀神は人頭蛇身で蓮に乗る姿をしている出所不明の神で、琵琶湖の竹生島や江ノ島などでは宇賀弁才天として祀られています。

サラスヴァティーは河の神、イチキシマヒメは宗像三女神の一人で島の神様(神に仕える島の女神という名前)、宇賀神は蛇の姿ということで、いずれも水と深い関係があると考えられています。

後に七福神の一人にも取り入れられた弁天様。モノや情報の交差点としての市姫=弁天が都市の一画に右脳的(直感的・感覚的)な存在としてたちあらわれる、というのが都市の一要素として必要不可欠だった、というのが「都市の弁天軸」という考え方ということになります。

今回の下北沢「新七福神」について調べ始めたとき、森巌寺に弁財天がいらっしゃることに気づいておらず、どこかに弁財天を新設しないといけないかとも思っていたのですが、ちゃんと下北沢の南に弁天様はいらっしゃいました。「音楽と演劇」の街でもある下北沢にとって、技芸の神でもある弁天様はもちろん重要です。

また、大黒天と大国主は由来こそ違えど同一視されてきた神格で、森巌寺で大黒天と一緒に祀られている淡島様=スクナビコナはまさに大国主のパートナーの神様です。

真龍寺は昭和四年の創建と新しいのですが、その天狗まつりはすでに定着しています。特に「鬼は外」と言わず「福は内」だけ言うという非・排他的な風習はすばらしいものです。このお寺は小田原の大雄山最乗寺の分院で、大天狗こと道了尊はもともと修験道の行者だったとのこと。

八幡神は応神天皇を神として祀ったものですが、軍神として、また出生の状況から安産などの神様などとしても知られます。

ダイダラボッチの御利益など知りませんが(笑)、武蔵の平地にいた巨人というだけでも親しみが持てるでしょう。

庚申はいくつもの神々が習合したものです。日本の「塞(さえ)の神」は境界をまもり悪を内側に入れない神であり、それが中国系の道祖神とも同一視されました。また、天の神に人間の悪事を報告する虫を天に行かせないようにみんなで集まって徹夜するという風習も加わり、「地域の人々のコミュニケーション」の象徴ともなっています。

そして、地蔵菩薩は以上の神々とは格の違う「菩薩」ですが、子供をはじめとして人々を大地のように優しく包んで守り、慈悲の心によって救うといわれています。

弁天・大黒・天狗・八幡・ダイダラボッチ・庚申・地蔵の「下北沢の新七福神」は、きっとこれからも下北沢の街を守ってくれるだけでなく、盛り立ててもくれるのではないかと思うのです。

もちろんこれはブレーンストーミング的に出してみた一つのアイデアでしかありません。こんな風にいろいろと考えてみるのも楽しいのではないか、という提案です。

■グリーンライン下北沢3回連続セミナー 第3回告知

12月4日(日)13:30~16:30 代沢小学校講堂(体育館)

「みんなでつくるグリーンラインと下北沢~公共空間を楽しもう!」

*保坂展人(世田谷区長) *吉見俊哉(東京大学大学院情報学環教授) *太田浩史(建築家/東京大学生産技術研究所講師/東京ピクニッククラブ) *柏雅康(しもきた商店街振興組合理事長) *吉田圀吉(下北沢南口商店街振興組合理事長) *渡辺明男(おやじネット下北沢代表) *首藤万千子(羽根木プレーパーク世話人) *高橋ユリカ(グリーンライン下北沢代表)

小林正美(明治大学理工学部教授)モデレーター

*主催:グリーンライン下北沢 *共催:しもきた商店街振興組合 *後援:世田谷区 *協力:下北沢南口商店街振興組合、おやじネット下北沢

ちらしの写真はこちら→ http://bit.ly/tjmUbg

グリーンライン下北沢 http://www.greenline-shimokitazawa.org/

いろいろな立場の人たちが勢揃いする有意義なパネルディスカッションになりそうです。

※前号・前々号でグリーンライン下北沢のリンクが前身である「あとちの会」へのリンクになっていましたので、訂正しました。


101号より無料化!無料分バックナンバーは全公開しています。

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