「世界」と一致するもの

中国留学生がアメリカ・フィラデルフィアを感動させた一幕の「不倫の恋」

 妻とともにアメリカに渡った中国人留学生が、アメリカ人の女の子と「重婚」するという事件があった。だが、それは『失楽園』『愛ルケ』などとはまるでかけ離れた美しくも悲しいストーリーで、その留学生も「重婚」「文書偽造」について無罪判決を下されたのだった。

 中国のネット界ではちょっとした話題になっているこの「美しい不倫物語」を人民網から全訳しておとどけする。

 ただし、これは「中国ではこのように報道された」という事実のみを伝えるものであり、このストーリーが実際にあったかどうかなどについては未検証である。もし英語での現地報道などソースをご存じの方がいれば、ぜひご教示願いたい。

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「ハチの巣ブログ」と「群れブログ」――ブロゴスフィアにおける戦い【全訳】

 Tom Maguire氏のブログに掲載されたJustOneMinute: Battle For The Blogosphere:という記事が、一部ブロガーの間で話題となっている。

 この記事が取り上げられたのは、2ちゃんねるでの抄訳がきっかけのようだが、原文に当たってみたところ、少々ニュアンスが違うように感じられる部分も多かったので、ひとまず全訳してみる。

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「漢城ではなく首爾と書け」ソウル市長の発表に中国人・華僑は当惑

 1月19日、ソウル市長がソウルの中国語表記「漢城(ハンチョン=中/ハンソン=韓)」を「首爾(首爾)(ショウル)」に変更するよう求めると発表した。

 これについて、中国側の反応は冷ややかなようである。中には韓国の民族主義を指摘する声もあり、一筋縄ではいきそうにない。中国のニュースや掲示板などでの代表的な反応を集めてみた。

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君を愛する100の理由【中国的バレンタインデー(4)】

 「100の質問」ってのはよくありますが、「君を愛する100の理由」を列挙した人がいるのにはびっくりした。よく書くなぁ。まあ半分ウケ狙いもあるみたいですが、中国の易游網から拾ったデータの翻訳です。ごゆっくりどうぞ。

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表音文字と表意文字

 もし文字が音声を示すために便利な表音文字であって、そしてその国の言語と言語運用法が完全に統一ルールのもとにある場合は、文章=言語、言語=文章であって、言語はもちろん心の中で指し示すものを発表するのであるから、文章を書くということは、文字の教育さえ受ければ女性でも子供でもできるはずである。だが、そういうことは学者の頭の中の理想ではありえるかもしれないが、現在の世界ではまだ出現していない。

 また、もし文字が意味を示すために便利な表意文字であって、そしてその国の文字と文字運用法が完全に定まっているときは、文=心、心=文字であって、文字の教育さえ受ければ女性でも子供でもできるはずである。しかし、これもまた理想ではそうかもしれないが、実際にはそうなっていない。

 そこで、現在の世界各国の状態を見ると、

  • 第1:声音をあらわす文字を主として用いている国
  • 第2:意義をあらわす文字を主として用いている国
  • 第3:声音をあらわす文字と意義をあらわす文字とを混用している国
  • 第4:声音をあらわす文字と意義をあらわす文字とを両用している国

などがある。

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米中ハッカー大戦史まとめ ~ 中国紅客連盟の指導者Lionの独白

 中国のハッカー組織解散 気象庁も攻撃 現地紙報じる(02/08 13:33)という共同通信の記事が報道された。

 8日付中国系香港紙、文匯報によると、米ホワイトハウスの公式サイトなどへの攻撃で知られた中国最大のハッカー組織「中国紅客連盟」が昨年末に解散し、運営サイトも閉鎖した。創設者はネット上で「当時のような興奮が得られなくなった」などと解散理由を説明した。

 今回は、この中国紅客連盟の代表「Lion」と、2001年の「米中ハッカー大戦史」について徹底的にまとめてみた。

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著作権ジャイアニストの理論武装に抵抗する

 Proving grounds of the mad Internet: そして退屈へからトラックバックがあって、週刊!木村剛 : 「BLOG of the Week」の再開に向けてという記事を木村剛氏が書いたことを知った。

 おそらく、わたしの意見は「著作権の侵害だと考えられる第三者の方々もいらっしゃいまして難渋しておりました」という部分に含まれているのだろう。まあ、転載した人でもされた人でもないから「第三者」というヨソモノの横槍扱いなのだろうが(そして、そこで「第三者」を明記しないいやらしさは相変わらず変わっていないのであるが)、それはともかく、「投稿」と明記されたトラックバックのみを転載するという方針そのものについては、別に何も問題はないと思う。お互い納得しているなら別に口を挟む必要はない。

 しかし、木村氏はなぜ「自分のブログに転載する」=「他人のものを自分のものとして取り込む」ことにこだわるのか。この点を掘り下げて考えていくと、世界的な潮流の中での「知的所有権の解放と保護」という大問題にぶつかってくる。

 著作権を保護しようとする旧勢力、解放しようとする自由主義者――しかし、ことはそれほど単純ではない。著作権の解放を唱える人にも2種類ある、というのが最近のわたしの感想である。それは、「自分が利用するため」に他人に著作権の一部放棄を求める人と、「自分のものをもっと利用してもらえるよう」に自分の著作権を一部放棄する人の2種類である。

 そこで、ネット内での著作権に絡む問題をおおざっぱにまとめた上で、いろいろ意見を述べてみたい。

(★なお、このブログの記事に対する「適正な引用」はご自由に)

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文章は難しいという観念を打破する必要性

 さて、こういうふうに難しいという思いが生じてくる源を観察して、そしてこれを排除することを工夫してみるならば、まず第一に「文章は作りにくいものである」という前提観念を打破することが大必要である。なぜならば、このような前提的観念がいつのころから一般の人々の間に起こったことであるか不明であるが、とにかく甚だしい有害無益の観念であって、この観念は確実に実用的文章を作る人を失敗させる主な原因となっているに違いないのである。

 なぜならば、何ごとによらず、自己の目的を遂げることが無理だとか、遂げることは難しいと信じるならば、物事に当たる勇気を減殺し、精力の充実を妨げ、智慮を萎縮させ、技量を衰えさせて挫折させるための条件となるからである。したがって、文章は作りにくいものであるという観念が前もって定まっているのは、確実に一般の世の中の人に文章を書きにくくさせている一大原因なのである。

 力士が二度も三度もある力士に負けてしまうと、ついにはその力士に対して勝ちにくいものであるかのような予想をしてしまう。で、一度その予想をしてしまうと、その力士に対するときは、他の力士に対して力をふるうときのように存分に働くことができない――俗に言う「固くなる」という状態になってしまって、敵を呑む勇気はすっかり削がれ、精力は満ち足りることがなく、妙にある点にのみ偏ってとどまり、智慮は萎縮して判断力は敏捷さを欠くようになり、技量はありながら「持ち腐れ」になってしまって、ついに不覚をとりがちの形勢になる。

 すると世の中の人は、某力士は某力士の「苦手」であると評するのが常であるが、実際にまた苦手な相手に向かっては、勝つべきところでも負けがちになるものである。

 これは要するに、最初に何度かの偶然の結果からついに面白くない「予想」を生ずるに至った、その「予想」のために自己の本領を発揮できず、その本領発揮が妨げられたところから不幸・不満の結果に至ることは間違いない。

 何ごともこのとおりで、消極的な予想は著しく勇気を削ぎ、したがって縦横に手腕をふるうことができなくなってしまうのである。

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新年明けましておめでとうございます

 今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 本年は「長文ブログ」として読みごたえのある記事やアイデアを提供していきたいと考えております。内容としては、個々の話題について掘り下げた「まとめ」記事、あるいはまとまった資料を目指していきたいところです。

年末年始のアクセス増に驚く

 さて、新年早々ですが、大みそかから引き続いてアクセスが急増しており、「特別なことがない限り、クリスマス以後、三が日明けまではアクセスが激減する」という自分の中の常識が2年続けて裏切られることとなりました。

 2003年末には、レコード大賞と紅白歌合戦に女子十二楽坊が出演し、1月2日には武道館コンサート、そして翌日「女子十二楽坊は十三人いた」とスポーツ紙に掲載されたことから、年末から年初にかけて女子十二楽坊関連記事へのアクセスが急増しました(現在、楽坊関係は独自ドメインへ移行)。

 今度もテレビ効果で、2004年12月31日、ビートたけしのTVタックル「嵐の大ゲンカ超常現象ファイナルウォーズ」で<2012年人類滅亡!? フォトン・ベルトの謎>が放送されたことから、フォトンベルトで検索しての来訪者数が異常なほど多くなっています。このウェブログでは一貫して「フォトンベルトは存在しない」ことを証明してきましたが、関連記事は以下のとおりです。

 これからも読みごたえのある記事、資料的価値のある記事を提供できるようにがんばっていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

木村剛「転載こそネット流」理論は完全に破綻――隠された「安倍ぬすみ主義ジャイアニズム」

 だから、そういう書き方がいやらしいと言ってるんですよ、木村剛さん。

 週刊!木村剛 powered by ココログ: 「引用」は「リンク」に対する冒涜なのか?において、私が先日書いた「木村剛氏の「ブロガーとしての資質」を問う――自分のものとして取り込みたがる人々」記事に対応すると思われる「反論」が掲載されているが、その書き方は前回指摘したいやらしい方法をそのまま踏襲している。

 「読者の利便を優先」したいという木村剛氏は、「こうした手法に反対の方々も少なくないようです」「ネット界の重鎮の中には、「ネット社会に対する冒涜」と捉える方もいらっしゃるようで、ネット界もなかなかに難しいものだと感じさせられる今日この頃です」と書きながら、そういう風に「反対」している人たちが誰なのか、具体的にどのようにとらえられているのかということについては、お得意の「全文転載」どころか、リンクも出典の提示もまったくしない。この「謎めき系」のいやらしい書き方について、「先日のエントリー「トラックバックからの転載」に木村剛氏が反応したわけだが(笑わせんなヴォケが!)」でも「なぜ本文中にその旨の言及が全くないのか疑問です」と記されている。

 まあそれはともかく、木村剛氏のコメントは真っ正面からの問題提起に答えていないどころか、完全に論理破綻したひどいものなので、以下に再反論しておきたい。

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