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世田谷弦巻の「ホットスポット」現地報告(蛇崩川の谷さんぽ)
世田谷区弦巻の区道の一部から高い放射線量が検出され、一時はホットスポットではないかと疑われた。しかし、夕方になって「家の床下に置かれていた段ボール箱の中にあった瓶から極めて高い放射線量が検出された」と報じられた。結局、原発によるものではなかったわけだ。
しかし、そのことが判明する前にわたしは現地に向かっていた。現場に着いたのは午後五時過ぎで、夕方の報道はまだ見ていなかった。とりあえず、現地の様子を地理的な関心も含めて報告しておく。
【書評】鈴木妄想『新大久保とK-POP』★★★★★
鈴木妄想著『新大久保とK-POP』(毎日コミュニケーションズ/マイコミ新書)を編集部から献本いただいた。非常に興味深い内容で、最後まで一気に読み切った。
本書はタイトルどおりK-POPから入って、新しいタイプのコリアンタウン化している新大久保を題材に扱っている。私自身がライフワーク的なテーマとして関わっている「アジアンポップス」と「場所論」と「多文化共生」が存分に盛り込まれていることもあって、まさにこういう本を待っていましたという内容である。
ここ数日の「フジテレビ韓流ゴリ押し」問題とも絡み合うという意味ではタイムリーとも言えるが、それ以上に新大久保・K-POPを論ずるときに欠かせない一冊として長く参照されることになるはずである。ちょうど森川嘉一郎『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』がアキバ論で必須の文献となっているように。
以下、自分の興味に引き寄せての感想である。
.review論考「秋葉原のゲニウス・ロキ( #co_article015 )」
西田亮介さん(慶應義塾大学政策・メディア研究科助教)らによるプロジェクト「.review」に提出した論考の第三弾、「.review - 秋葉原のゲニウス・ロキ」が公開されています。論考へのご意見・ご感想等はツイッターにてハッシュタグ #co_article015 をつけてください。
ゲニウス・ロキ2010カレンダー
メールマガジン「「場所の記憶」「都市の歴史」で社会を読み解く――松永英明のゲニウス・ロキ探索」も1周年を迎え、現在で60号を配信するに至りました。そこで今年は、あちこち歩き回って撮影した写真でカレンダーを作ってみることにしました。
このカレンダーのデータを一挙公開します。
「3月のライオン」空想お散歩マップでお散歩・撮影してきた
月島を舞台としている羽海野チカ『3月のライオン』。1巻が出たときについてきた「空想お散歩マップ」を持って、お散歩しながら撮影してみた。その写真をマンガのシーンと対比させてみたい。
初の「軍艦島上陸ツアー」参加記録(前編)グラバーと「端島」
「軍艦島ツアーに行ってきます[絵文録ことのは]2009/04/24」で書いたとおり、軍艦島上陸が解禁され、その最初のツアーとなる軍艦島上陸ツアーに参加してきた。
結果から言えば「波が高く、軍艦島には上陸できなかった」のだが、NPO軍艦島を世界遺産にする会の坂本道徳理事長(6歳から19歳まで実際に軍艦島で生活していた)の事前解説ならびにクルーズ同行が非常に意義深く、上陸できなかったことを差し引いても充分に満足できる内容であった。逆に言えば、坂本理事長の話抜きで上陸できたとしても、ここまでじっくりと軍艦島(端島)について知ることはできなかったと思う。
いずれまた上陸には挑戦してみたいが、今回のツアーについてのレポートを記すことで、観光としての「軍艦島上陸」の難しさ、そして軍艦島(端島)とは一体何なのかについて考えたことを伝えられたらと思う。
軍艦島ツアーに行ってきます
長崎県の炭坑跡である軍艦島への上陸が長崎市から許可されることになったというニュースが流れている。注目を浴びる軍艦島ツアーであるが、これは行くしかないということで、ツアーに申し込んでいた。
申し込んだのは25日~26日の二日間のコース。宿泊込みのコースとしては、上陸許可後最初のツアー「軍艦島の本質を探るツアー」第一弾の一つとなる。
もしかしたら上陸できないかもしれない、というリスキーなツアーであるが、「参加することに意義がある」と考えてためらわずに申し込みをした。
SMAP草彅剛(草なぎ剛)が泥酔した「檜町公園」のゲニウス・ロキ
SMAP草彅剛(草なぎ剛)が酔っぱらって全裸になってしまい、逮捕されたという「檜町公園」。ここは東京ミッドタウンの裏にある庭園の一つである。
先日(4月10日)、たまたま東京ミッドタウンで打ち合わせがあり、その帰りに檜町公園を散歩して写真を撮っていた。その写真をまとめ、檜町公園の場所の記憶(ゲニウス・ロキ)をたどってみたい。
結核の街・清瀬を歩く。結核療養所のすべて
結核の街として知られる清瀬を歩いてきた。埼玉県との境に位置する清瀬市は、日本でも多くの結核療養所が集中して建てられている「結核の街」だった。東京府立清瀬病院を皮切りに、公営・民営の結核療養所が集まり、最終的には15の療養所を数えることとなったとされている。
ここでは俳人・石田波郷や、吉行淳之介が療養生活を送っていたことでも有名だ。
これらの療養所は、今は結核専門ではない。結核の治療法が変わり、結核が「薬を飲めば治る病」になって、療養所は役目を終えたといえる。しかし、あるものは廃院となり、あるものは一般病院となったとはいえ、結核の街の記憶は消えるわけではない。
そんな清瀬の「ゲニウス・ロキ」をたどるべく、現存する病院すべてを実際に訪ねてみた。
「自由が丘」の範囲ってどこからどこまで?地図で示す「街の範囲」2
先日の記事「「代官山」の範囲ってどこからどこまで?地図で示す「街の範囲」[絵文録ことのは]2009/02/27」は、はてなブックマークのコメントではおおむね好評であった(→はてなブックマーク)。
その中でid:p-_-qさんから「次は自由が丘でお願い」とのコメントがあった。そこで今回は、「自由が丘の範囲」を前回とまったく同様の手法――すなわち、「自由が丘」「自由ヶ丘」「jiyugaoka」等の名称を含む建物・ビル・アパート・マンション等の中でGoogle Map=ゼンリン住宅地図に記載されているものをすべてマッピングし、それによって自由が丘の範囲を可視化するという方法――で表示してみることとした。