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双葉病院「患者置き去り」誤報を福島県が認めて謝罪、メディアは反省せず
8月31日、毎日新聞でこの記事が発表された。
当ブログではこの件について発表された直後に、関係者のツイート等をまとめて、報道内容が誤報であると伝えてきた。今回、福島県が誤りを認め、謝罪を行なったことになる。ただし、福島県の発表をそのまま裏取りもなく垂れ流したメディア各社は、福島県のせいにして謝罪を行なっていない。
以下、当ブログでの扱いを振り返ってみる(一部、第十二回文学フリマで頒布した『東日本大震災でわたしも考えた』=残部僅少=に書いた文も収録)。
震災一年目に読み直してみた鴨長明『方丈記』の地震記述
あの大地震から一年。復興はまだこれからの段階である一方、「一つになろうニッポン」のかけ声とは裏腹に新たな対立と罵り合いが繰り広げられた一年であったと思うが、少なくとも多くの人たちが「今まで考えていなかったこと」を考える契機になったとは思う。
わたし自身は昨年6月の文学フリマで『東日本大震災でわたしも考えた』を発表したが、基本的にはわたしのスタンスは「我が身を守ることに汲々とするより、今、ここでできる範囲の無理のない貢献」ということで、ささやかながらできることをやってきたつもりである。たとえば、震災後に買った米は今まで一年間ずっと福島県産である。もちろん昨年秋の収穫分についても、放射線量が厳重にチェックされた会津喜多方産を購入しているため、放射性物質に関してはまったく心配していない。
そんな中、ふと読み直してみたいと思ったのが鴨長明『方丈記』だった。ここには、大地震を含めていくつかの天変地異や遷都という大きな変化をきっかけに、鴨長明が強い無常感を抱くことが記されている。震災をきっかけにいろいろと考えることになったという点に限ってではあるが、現代のわたしたちとも共通しているところがあると思う。
今回は、方丈記の冒頭および元暦大地震関連の記載部分を改めて訳し直してみた。
「災害ユートピア」と「震災ナショナリズム」
「災害時にも沈着冷静で礼儀正しい日本人」――それは実は、全世界の被災地で普遍的に見られる現象だった。
6月12日の文学フリマに合わせて作った個人誌『東日本大震災でわたしも考えた』では、ブログに掲載した記事をさらに拡張・加筆修正を加えただけでなく、いくつかの書き下ろしも入っている。その一つが『「災害ユートピア」と「震災ナショナリズム』」という文章である。
ここでは、その前半部分をそのまま掲載する(一部囲み記事や図版は省略)。
石原"不謹"慎太郎の「津波は天罰」という妄言を批判する
東京都知事・石原慎太郎が「津波をうまく利用して我欲を洗い落とす必要があるね。積年たまった心の垢をね。これはやっぱり天罰だと思う。被災者の方々、かわいそうですよ」と発言した。これはありとあらゆる意味で誤った発言であると思う。
石原都知事が言いたかったことを最大限好意的に推測するとしても、ここで天罰という言葉を使う必要は全くないし、完全に不適切な発言である。この失言一つだけでも辞職してしかるべき大失言だ。そして、このような言葉づかいしかできないというのでは、作家としても都知事としても不適格であるのみならず、人間としても失格である。
今日になって「石原知事は、東日本大震災に関して「天罰だ」との発言内容を撤回、被災者に陳謝」と報じられたが、そもそもこの発言の何がどのように問題だったのか、きちんと整理しておきたい。