"博客中国"の博客内容の基本定義と理解
ブログとはどういう内容を持つか、そして既存のものとは何が違うのかを説明しています。「博客中国」記事の日本語訳。
作者:方興東 王俊秀 2003-9-10 16:59:33
出所:博客中国(Blogchina.com) 原典:《博客》
博客は一種の「ゼロによる障害突破」のネット上の個人出版方式であり、「ゼロによる障害突破」は主に「4つのゼロ」の条件を満たしている(編集ゼロ、技術ゼロ、コストゼロ、形式ゼロ)。
博客の概念は、一般に3つの要素を含んでいる(当然、これらの定義に限られる必要はないが)。
●ウェブページの主体の内容は不断に更新され、個性に満ちた「書き付け」を構成する。
●それらは時間順に配列され、かつ逆順方式であるため、最新のものが一番上にあり、最も古いものが一番下にある。
●内容は様々なテーマ、各種の外観配置、各種の創作の風格を有することができるが、文章の内容は「スーパーリンク」を主要な表現方式とする。
博客の三代主要作用とは、
●個人の自由な表現と出版
●知識の濾過と蓄積
●深い交流疎通の新しいネットワーク方式
しかし、何が博客であるかを本当に理解するのに最もよい方法は、自分で行って少し実践することだ。本当の知識は実践から生まれる。もしあなたが現在博客についてよく知らないなら、直接、一つの博客を設置できるウェブサイトを探しに行くべきだと提案する。まずは自分の博客のアカウントを取ろう。登録して投函する郵便物より遙かに簡単で、費用は一銭もかからず、つまらなくなったらすぐに捨てることもできる。
博客の概念で必ずはっきりさせておかなければならない誤解
博客は個人日記と同じではない。博客は個人ウェブサイトと同じではない。しかし、博客は個人メディアであり、個人ネットワーク誘導であり、個人サーチエンジンでありえる。
つまり、blogという言葉は「ウェブ日誌(Web Log)」から来ており、「ウェブ日記(Web Diary)」ではないのである。両者の重点は完全に異なっている。
日記(Diary)は、個人が毎日発生したこと、経歴、観察したものごとを書いた記録を指す。個人性、秘密性のものであり、主に自分のために書く。
日誌(Log)は、航海記録であり、船の早さ、船の針路、船上で発生した航海に関する事件の記載である。個人的ではなく、公開性がある。主に他の人のために書く。
つまり、博客は個人性と公共性の結合体であり、その精髄は個人の思想を表現することが中心なのではなく、個人の日常の出来事を記録するのが中心なのではなく、個人的視点から、インターネット全体を視野に収め、自分がインターネット上で見た素晴らしいないようを精選して記録し、他人に手助けを提供し、共有価値を高めるのである。
博客精神の核心にあるのは、自分の娯楽のためではなく、ましてや個人の表現の自由などではない。そうではなく、一種の利他的分かち合い精神を体現しているのである。他人のために手助けを提供する。個人の日記と個人のウェブサイトは、「小さな自分」を表現することが中心だが、博客表現は「大いなる自分」なのである。形式上は非常に似通っているかもしれないが、内在する本質には違いがある。そのため、優秀な博客サイトの中では、本当に作者の個人的な内容を表現したものは非常に限られており、そういうものはせいぜい飾りを添えるだけで、個人サイトのように核心とはなっていないのである!
デヴィッド・ワインバーガー(David Weinberger)はこう言っている。
「インターネットはわたしたちにこのような一つの道理を教えてくれる。わたしたちは一つの巨大で公共の群体の一部分となることができ、しかもわたしたちの個性的な顔を維持することができる。しかし、これには、わたしたちがさらに多くの時間を公共の場所で過ごすことが必要だ。インターネット上では、日記的な概念はすでに変化している。公共的な日記が出現しているのだ。今後、あり得る状況としては、世界中の公衆と私人の自我の間にあった明確な境界線は、一歩一歩腐食して崩壊していくかもしれない」と。
彼は、未来には一人ずつがみな少なくとも15人の崇拝者を持つことになるだろうと考えている。そして、博客は必ずや個人の影響力の重要な手段を作り上げるのだ。
もちろん、博客は素早く変化する形式であり、しかも本当に草の根の力であるため、博客を理解するためにはあまり形式にこだわる必要はない。
博客世界の内幕と博客行為の辺境
2002年9月10日、《ニュージーランド・ヘラルド》(New Zealand Herald)は博客に関する2つの文章を発表した。第1は《博客世界の内幕》(Inside The Blogosphere)であり、博客が燎原の火の如く発展している状況を紹介している。
この文章では、博客がまさに爆発的に発展しており、現在博客の数は50万に達しているという。さらに40秒ごとに1名の新しい博客が加入している。主流のインターネット・メディアには目もくれず、次から次へと博客に参加し、取り残されないようにしている。企業界も博客方式を企業内部ネットワークや会社ウェブサイトに導入しつつある。
たとえばJim Romenesko MediaNews),Glenn Reynolds(Instapundit),Dan Gillmor(eJournal),Virginia Postrel(The Scene),Doc Searls(The Doc Searls)とAndrew Sullivan (Daily Dish)といったブロガーたちは、みなすでに博客界の重要人物となっている。
どのようにブロガーの境界を区切るか? 形式を除けば、当然、ブロガーとはこういうものだ。彼らは蜂蜜を探す蜂蜜のように、それぞれのウェブサイトの間を頻繁に検索し、おもしろいニュース記事にリンクし、自分のコメントを加える。一つの文章がある有名な博客ウェブサイトに選ばれると、この文章への訪問数はあきらかに違ってくる。文章をそのまま「コピーペースト」した過去の方法と比較されかねないが、博客方式は明らかに上品で気前がよくみえる。博客のコメントは手当たり次第に行なうことはできず、面白い冗談を体現し、伝統的権威のまずいところを風刺して皮肉る。BBS上でむやみやたらと叫ぶ「誰が誰よりもバカだ」というようなゲームとはまるで違っていて、博客世界は「誰が誰に比べてさらに智慧がある」という競争である。博客は吠えることもできれば、気前よくなることもでき、評論もできれば、批評もできる。しかし、読者にはあなたの独自の智慧を示すことが必要だ。さもなくばだれも喝采しない。
その他の社会集団と同じように、博客世界は独自の「言葉」を持っている。たとえばブログロール(blogroll、好きな博客ウェブサイトの一覧)、ブロゲリーア(bloggerrhea、大出血のように、一時に大量の書き付けを投稿する。ブロ下痢)、ブログスティペーション(Blogstipation、ブロ下痢の反対。ブロ便秘)、ブログディーヴァ(blogdiva、毎日ブログウェブサイトに千万回もクリックする)。愛好者が運営する一部の博客ウェブサイトが現在、価値を高めはじめ、商業社会に食い込みつつある。たとえばSlashdot、Metafilter、Blogcriticsなどである。
もう一編の文章は《博客の曖昧な境界線》(Blurred lines of weblogs)をテーマとする。その趣旨は、多くの博客を探訪した状況についてであり、その結果、本業の仕事の職務を軽んじているという。電子メール、インスタントメッセージ、ネット上のチャット、ネットのブラザでのショーとメッセージなど、すでにどこまでが個人の私事であり、どこまでが仕事の範囲なのかという境界線が曖昧模糊となってはっきりせず、今や博客がさらに「乱の上に乱を加え」ている。
会社はしっかりとイントラネット博客を作り、知識を管理する新しい方式とするべきだ、とある人が提案している。この種の博客は現在すでに専門用語を持っている。k-logsだ。従業員がコメントを発表し、意味のあるネットワーク資源にリンクし、双方が意思疎通して交流することを促進する。博客のこの種の方式はローコストで簡便な知識管理ツールであるばかりか、非人間的な仕事に対して多くの「人の声」を取り入れるようになる。当然、どれほどうまく新興の博客を使ったとしても、容易に事情が解決するというわけではないが。
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