博客発展略史と基本的な史実
ブログについての歴史。様々な観点から見た「最初のブログ」諸説と、ブログの未来について。「博客中国」記事の日本語訳。
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著者:方興東 王俊秀 2003-9-10 17:38:21
出所:博客中国(Blogchina.com) 原典:《博客》
誰が博客の父?
博客の出現はここ数年のことであり、博客の歴史を書くことは必要なのだが、簡単な作業ではない。多くの史料は「骨董品」を掘り起こすように証拠を探さねばならず、さらに相違や論争が極めて多い。たとえば誰が「博客の父」か? この問題には一つの明確な解答というものがありえない。多くの名声がいろいろな人物と関連しているからである。
最初の博客の原型
まず、どれが最も早い博客ウェブサイトだろうか? 明らかに一番早い博客は、ネットワークの「フィルター」作用として現われたものだ。つまり、いくつかの特別なウェブサイトを選んで、簡単に紹介したものである。このため、ブラウザーの発明者マーク・アンドリーセン(Marc Andreessen)が開発したMosaicのWhat's Newウェブページが最初の博客ウェブページだという人もいる。ジャスティン・ホール(Justin Hall)の黒社会リンクウェブページ(http://www.links.net/vita/web/story.html)は最古の博客ウェブサイトの原型の一つである。
最初の博客預言者
その次に、誰が最もはやく博客と命名したのだろうか? 有名なSF作家ウィリアム・ギブスンは1996年に職業博客を予言していた(http://www.salonmagazine.com/weekly/gibson2961014.html)。「ネットワークをブラウズし、内容を選択して生計を立てる、ということはありえる。こういう存在は確かに需要がある」
最古の博客
Userland社CEOデイヴ・ワイナーは、1997年にScripting News(www.scripting.com)を開始し、まさに博客の基本的な重要な性質を備えるようになった。さらに、これらの機能を集めたフリーソフトウェア「Frontierスクリプティング環境」を作った。しかし、これはどうやら本当は最古の博客ではなかったようで、論争が多い。ある人は、形式的には、ジョーン・バーガー(Jorn Barger)が1997年に設立した現在もある博客ウェブサイトの土台こそがそれであるという(当時の原始的な模様はウェブ上で見られる。http://www.robotwisdom.com/)。
ネット管理者が使うlog(log files)は「システム記録ファイル」を指す。そのため、数年前にもしgoogleを使ってweblogを検索したならば、Seacloakのようなウェブサイトアクセス解析ソフトが検索され、今のような本当のweblogは見当たらなかっただろう。
最初の「weblog」という言葉の使用
1997年12月、ジョーン・バーガー運営の"Robot Wisdom Weblog"(http://www.robotwisdom.com/netlit/index.html)が最初にweblogをこの正式な名称として使った。現在に至るまで、博客領域では彼は非常に影響力を有する人物である。ジョーン・バーガーの貢献は、主に現在の形式を体現したことにあり、logの意義を航海日記に近づけ、旅行日記の「人称あり・個性有り」といった自由な記述に近かったものを、人称なし・客観的・機械的コピーにした。
マット・ホーヒー(Matt Haughey)から始まるコミュニティ博客ウェブサイトMetafilterは、広く批評されるものの、長い時間の中で、確かに他の博客ウェブサイトと比べてはるかに面白いものである。
最初の「blog」という言葉の使用
現在最も流行っている言葉"blog"は、一般にPeter Merholzが1999年になってやっと命名されたと認められている。2002年5月17日、Peter Merholzは「言葉遊び」をテーマとする記事の中でこのように回想している(http://www.peterme.com/archives/00000205.html)。
僕は言葉好きで、辞書を探して知らない単語を見つけるのが好きな子供だった。僕は言葉遊びが好きだった。語源学は特におもしろかった。僕の言葉・言葉遊び好きが実際に影響力を及ぼすような経験をするとは思いもよらなかった。1999年の4月か5月ごろ(正確な日付はわからない)、僕はホームページのサイドバーにこう投稿した。「僕は、"weblog"という言葉をウィー・ブログと発音することを宣言する。あるいは短くblogと」。僕は、そんなに大ごとだとは思ってない。僕は投稿の中でこの言葉を使い始め、それから何人かの人たちがメールを送ってくれたときにこの言葉を使った。Keith Dawsonは「blog」を「俗語検索」に入れた。1999年、Pyra LabsがBloggerを発表しなければ、この言葉はほとんど死にかけていただろうと思う。
Peter Merholzはここでblogを動詞にし、それからblogging、blogger、I blog、Blogsphere(ブログ世界)といった言い方が生まれた。
博客ソフトツール
1999年、博客が急激に成長した一年であった。主にBlogger、Pita、Greymatter、Manila、Diaryland、Big Blog Toolなど多くの自動ネット出版公開のフリーソフトが登場した。しかもそれらは無料サーバーで提供されることが多かった。そのために、一つの博客をコストゼロで自分のウェブサイトで発表・更新・維持できるようになった。その中で1999年8月、Pyra社が出品したBloggerは、最も流行し、最も影響を与えたツールである。
博客はこのように書いている。
「初めてbloggerのサービスを使ったとき、大きなショックを受けた。全体のインターフェースはこのように簡単に手に入れることができ、出版結果も人を感動せしめた。もしRadio Userlandを使った経験があれば、キーボード上に涙をこぼすことだろう。当時emacsが私に与えた感覚と似ている。できないことはなく、気楽に手に入れられる。私はこのソフトとサービスこそ、CSSとCMSの発展に最も寄与した(上、なおかつ助長さえした?)ソフトだと思う。CSSは内容と形式を分離する基礎を提供し、CMSはプログラムデザイナーに、新しいウェブページをさらに簡単なインターフェースを更新するための思考を提供した」
当時、Pyra社はネット出版ソフト「夢のチーム」を有していた。しかし、この成功も会社には利益をもたらさず、ついには財務的圧力のため、2001年1月、会社は人員を大幅に削減し、ついに究極に至った。正社員はただ一人Evan Williamsを残すだけとなったのだ。彼は創始者の一人である。夢のチームもバラバラに崩れた。もう一人の創始者はニューイングランド腎のMeg Hourihanである。それから2003年に至って、Blogger.comはGoogleに買収され、辛酸をなめるときは終わった。
博客の簡単な編年史
1993年6月:最古の博客原型――NCSAの「What's New Page」ウェブページ(http://archive.ncsa.uiuc.edu/SDG/Software/Mosaic/Docs/whats-new.html)は、主にウェブ上の新興ウェブサイトの索引であり、これは93年6月に始まって、1996年6月に終了するまで更新し続けた。
1994年1月:Justin Hall創立"Justin's Home Page"(Justinの個人ホームページ)はまもなく各種の地下秘密的リンクを収集し始めた。この重要な個人ウェブサイトはどうやら最初の博客ウェブサイトの一つのようである。
1997年4月1日:Dave WinerがScripting Newsを公開開始。このウェブサイトは初期のDavenetから変化したもので、一番早いのは1994年10月7日である。
1997年12月:Jorn Bargerが最初にweblogという言葉を、評論とリンクがあって持続的に更新されているウェブサイトを称するために使用した。
1998年5月7日:Peter Merholzはpeterme.comウェブサイトを公開開始(彼自身の記録による)。
1998年9月15日:Memepool公開開始。最初のリンクは"Alex Chiuの永遠生命装置"についてのものだった。
1999年:Peter Merholzは博客を略語"blog"と命名し、現在最も常用される用語となった。
1999年5月28日、Camは、個人博客ウェブサイトCamworldでこう記述した。「Dave Winerが最も最初の博客ウェブサイトを開始した。Camworldは隠さずに明かしておくが、Scripting Newsを模範とし、追随した」
2000年4月12日:Weblogs eGroupsのメーリングリストが終了し、Jorn BargerとDave Winerのどちらが始祖かという争いが顕在化し始める。
2000年8月22日:WineがFoRKのメーリングリスト中に投稿し、論争勃発。
2000年10月:Jakob Neilsenは記した。「......一般的な博客ウェブサイトはすべて読むに耐えない」。
2000年10月14日:Dave Winerが自分のScripting Newsが最初の博客ウェブサイトであることをほのめかし、その後、優雅にその栄誉を尊敬する先輩、すなわちWWWの発明者Tim Berners-Leeに帰した。
2000年11月:しかし、Winerは非常に速やかに自分自身に別の月桂冠を見つけ出した。Scripting Newsウェブサイトのスローガンは次のように変わった。インターネット上で運営機関が最も長い博客ウェブサイト、1997年4月1日開始。
2000年12月17日:UserLandがSuperOpenDirectoryを発表し、希望されたディレクトリを作るツールとなる。
2001年9月11日:世界貿易センタービルがテロ攻撃を受け、博客は重要な情報と、災難についての実体験についての重要な情報源となる。これ以来、博客は正式に社会的視野に入っていくことになる。
博客発展の3段階(先史段階、初級段階、成長段階)
上述したように、正確に言えば、博客の歴史は
第1段階(90年代中期から90年代末期):萌芽段階、あるいは啓蒙期と称す。
博客の原点をさかのぼるというのは、まぎれもなく厄介なことである。ある人は、1994年のJustin Hallが悪名を流した「ネット日記」が初期の博客形式であると考えている。こいつはウェブ上で、麻薬を吸い、セックスするという赤裸々な体験を載せ、少なからぬ人々の耳目を集めた。ある人は、1998年のJesse James GarrettがCam Worldで発表したウェブ旅行日記だという。これは博客コミュニティの導火線に火を付け、ここから博客は一つの新しい潮流となった。しかし、多くの人は、博客の最も正統な源がPyra(すなわち現在のBlogger.comの前身)にあると考えている。これは非常に小さなソフト会社で、3人の創始者が一つの複雑な「グループ」ウェアを開発して一つの小さなソフトウェアに組み上げ、博客方式で自分たちの交流と協力を保った。それから、この簡単で小さなツールが他の人たちにとっても非常に有用であることがわかったので、そこで1999年8月、ネット上のフリーウェアとしてBloggerソフトを公開した。これ以前、おそらく博客のひとはたいてい、ソースを手打ちしていた。その結果、こうなると、乾いた柴が火に出合ったようなもので、多くの人がこのソフトを利用して武器となし、博客の隊列に入るようになった。博客の隊列は迅速に広まり始めたのである。Pyraはこのまったく飾り気のない小さなソフトによって大いに名声を博した。
すなわち、この段階では主に、IT技術・ウェブサイト設計者・ニュース愛好者は、無自覚で理論体系もなく、個人の自発的な行為に限られていた。まだ定まったグループを形成しておらず、一つの現象としての社会への影響力は備えていなかった。ひっそりとした変化の過程の中にあって、いくつかの事件と人物が非常に関連する啓蒙と指導的な作用を果たしていた。博客革命の条件が準備されたのである。
第2段階(2000年~2006年ごろ):初級段階、あるいは興起期と称す。
2000年に至り、博客は非常に多く大量発生し始め、一つの人気のある概念となった。博客発展史上において、911事件は一つの重要な時刻である。まさにこのテロ攻撃は、生命のもろさ、人と人の交流の重要さ、即時的で最も有効な情報伝達方式について、人々にまったく新しい認識をもたらしたのである。一つの重要な博客のジャンルである戦争博客(WarBlog)はこれによってはやりはじめ、911事件について最も真実の、最も生き生きとした記述は、「ニューヨーク・タイムズ」ではなく、幸運にも生き残った人たちの博客日誌の中にあったのだ。事件に対する最も深刻な再考と討論についても、有名な記者の手中からではなく、多くの普通の博客のなかから生み出された。
概算統計によると、今日に至るまで、全世界で自覚して博客を実践している数は、50万から100万人に至るという。3億以上のインターネット利用者と比較するとまだまだ少ないように見える。しかし、これらの博客の影響力は、とっくに個人的な範囲を超え、仕事の領域にも入り込んでいるものさえある。主流なメディアの強烈な関心をひきはじめ、博客の興起はあからさまに伝統的メディアに対する突撃とも感じられる。同時に、それぞれの専門領域の博客が「雨後のタケノコ」のように次から次へと水面に浮かび出て、ますますこの専門的な関心の焦点となっている。米国を除いて、イギリス・ハンガリー・ドイツなどのヨーロッパ諸国の博客も勢いを増してきた。アジアは中国を含んで博客の脈動を感じ始めている。まとめると、ここ1~2年、博客はまさにインターネット不況の時期にあって最も重要な新現象の一つとなり、社会の関心を集めているのである。
第3段階(2006年~):成長段階、あるいは発展期と称す。
未来を予測するというのは永遠に馬鹿げたことである。特にインターネットを予測するというのは。博客の未来については、現在言えることは、確実に早すぎるということだ! しかも論議すべき内容は非常に大きい。しかし、わたしたちの研究と判断をもとに、この望見を犯して、少しばかり大胆な予測をしてみたいと思う。
2006年ごろには、一つの新しいメディア現象として、博客の影響力は伝統的メディアを超えるかもしれない。
専門領域の知識を伝播するモードとなり、ブロガーはその領域で最も影響力を有する人物の一人となるだろう。
社会交流ツールの一つとなり、博客はまさに電子メール、BBS、ICQ(IM)を超え、人々の間でさらに重要な意思疎通・交流方法となる。
明らかに、以上は主に全世界(アメリカ中心)の博客発展段階の簡単な区分である。中国では、すべてのインターネット革命と同じく、一定の「停滞度」を引き続き維持している。博客方面も例外ではなく、中国の発展段階は基本的に1段階遅れている。つまり、現在の中国の博客の発展はようやく啓蒙期・萌芽期に入ったところであり、2~3年かかってようやく本当の初級段階に入り、そのあとで興起期となるであろう。
しかし、ネットワークの発展に対してずっと最もよく関心を持ってきた「数字フォーラム」の構成員は、2000年ごろからすでに気付き始めており、極めて大きな関心を払ってきた。2002年、道義上断わることができず、「博客思想」を中国で広め、提唱する先鋒の役割を始めている。「博客中国」(www.blogchina.com)ウェブサイトは、その産物の一つだ。
「博客」が正式に中国語の言葉に付け加わっているが、それも2002年に成し遂げられたことだ。ただ、中国では、最も早く関心を持ち、追跡し、系統的に詳しく「博客」について陳述したのは、ニューメディアを研究してきた孫堅華である。彼は98年、99年に少なからぬ文章の中ですでに博客現象について記しており、2002年8月に完成した『博客論』は、国内で最初の系統的で全面的に博客について述べた革命的文章である。
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