「個人ホームページ不況」とマニア率・カリスマ論

今更ながら「個人ホームページ不況」について。maskinこと増田真樹氏が「3~5年前に比べれば個人ホームページ不況」と書いたことに対して、いくつかの反論が出ている。この件について思ったことをだらだらと書いてみる。

2003年11月30日11:58| 記事内容分類:ウェブ社会| by 松永英明
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yomoyomoさんの書評

ワタシが自分のサイトを始めたのが凡そ四年半前なのだが、それから現在に至るまで、ネットユーザ全般にしろ、ウェブページ作成者にしろ増えたという話は聞いても、減ったとか不況などという話は聞いたことがない。比較対象が「3~5年前」なのだから、少し前に話題になったテキストサイトの衰退の話とはまったく違うことになる。
・それに対するmaskinさん自身のエントリー
1998年頃に、「個人ホームページを公開中or過去に公開したことのあるユーザーは40.6%、今後公開したいと考えているユーザーは36.3%にのぼっている」(通信白書 平成10年 第二節 生活と通信)と、恐ろしい数字がでていた。これほど多くのユーザーが個人でホームページ開設に目を向けていたというのは、ある意味気持ちがいい状態だったなと振り返った。
それが現在どうなっているかというと7.8%にまで下がっている。
平成10年の時点で、約690万人近い個人ホームページオーナーがいたのに対して、平成15年では約541万人と明らかに減っているのがわかる。
・そのコメント欄で、ただただしさんが返答
平成10年時点での「ホームページ作成」には自力での掲示板設置や日記公開が含まれていると思いますが、現在ではそれらはレンタルで済ませられる(本人は「ホームページを作成した」とは思っていない)ため、単純に数を比較するのは無理があるのではないでしょうか?
・さらにyomoyomoさんがコメント
第一に、増田さんが根拠として挙げる平成10年の数字と平成15年の数字は、そのまま比較できるものではありません。
平成10年の情報通信白書における40.6%という数字は、「現在公開中又は過去にホームページを作成したことのあるユーザー」であり、平成15年の情報通信白書に載っている7.8%という数字は、「パソコンからのインターネットの利用用途」におけるホームページ作成の利用率です。後者は常識的に考えれば、前者に含まれる「過去にホームページを作成した」人たちは含まれないでしょう。
NOGさんによる元データの批判を引用させていただく。12/5追加。
平成10年の情報通信白書で40.6%というのは情報通信と生活に関するアンケート(9年12月から10年1月実施)でインターネット上でのオンラインアンケートに答えた層における割合。
調査方法もいい加減ですし、過去にホームページを作成したことのあるユーザーが含まれることも勘案すると過大な数字がでている可能性は非常に高いと思われる。
またインターネット人口約1,700万人というのはどんな調査でいつの時点でのものなのかが提示がない。
このふたつの数字をかけて意味があるとは思えない。

# ちなみに総務省調べだと平成9年末のインターネット利用人口は1155万人です

また平成15年の白書のケースは割合もインターネット人口も平成14年通信利用動向調査から持ってきてるのでいいとは思いますが、
7.8%はパソコンからのインターネットの利用用途ということなので、6942万人をかけるのは間違いで、パソコンからのインターネット利用者5722万人を使うべき。
平成13年の白書のケースも同様。

これによると下記の数字もかなり修正しなければならないところだが、下記の見解が強調されることはあれ趣旨に変更はないので、とりあえずそのままにしておく。maskin氏のいう数字を使ったとしてもそうは読めないでしょ?という意味では、以前の数字を使うことに意味があると思うので。
 上記二つの反論でおおよそ問題点は出ていると思うが、事実関係をまとめてみると、次のようになる。
  • 平成10年の690万人=ホームページ作成の「経験がある」
  • 平成15年の541万人=ホームページを「今、運営している」
 yomoyomoさんも挙げているとおり、「すでにやめてしまった」人は上には含まれ、下には含まれない。手を出してみたけどしばらくしてやめてしまった、という人が多いことは、先日のブログの氷山の話にも出たとおりで、仮に3分の1が生き残るとしたら上記の数字は3で割って、実数は230万人程度と見積もってもいいのではないだろうか。そうすると、サイト運営者は増えている、というyomoyomoさんの実感にもマッチする数字が出てくる。

 それはいいとしても、増田さんの基本的な考え方には大きな見落としがあると思う。それは、ネット初期のユーザーはマニア率が高く、利用者が増えるにつれて素人率が高くなるということだ。

 インターネットは、はっきりいって「マニア」の世界である。ホームページを作れる(HTMLを理解している)人たちの裾野が広がったとはいえ、やはり「ネットマニア」の世界である、ということを、ネットの住人は忘れがちのように思う。一般社会では、会社員なら「メールは一応使えるし、ブラウザでホームページを見たり、検索をしたりはできる」ことは要請されるだろうが、それ以上に「掲示板に投稿する」とか「日記を書く」とか、ましてやブログやアフィリエイトやSEOなんて言葉を平気で使う人は宇宙人扱いなのである(マジで最近経験していることである)。2ちゃんねるが「インターネットの掲示板」であって「ホームページ」とはニュアンスが違う、ということさえも、数年前の新聞はまったく理解していなかったが、今はようやく改善されてきた、というレベルであって、今も大多数の「非マニアネットユーザー」は、その違いなどどうでもよく、理解しようという気さえもない。

 それをふまえて言えば、90年代半ばのネットユーザーはまさにコアな人たちだった。プログラマーや、新しい形態での情報発信に関心のある人たち、そして学生を中心とするマニア層が主にネットに接続し、その中ではHTMLを覚えるだけの技能を有していた人が高い割合を占めていた、といえると思う。いや、そうでなければ、そもそもネットに接続しようという気にならなかったのではないか。maskinさんのいう「これほど多くのユーザーが個人でホームページ開設に目を向けていたというのは、ある意味気持ちがいい状態だったな」という感想は、裏を返せば、「マニアばっかりだった」ということでもある。

 付け足すと、そういうコアな層の中でも「ウェブシーン」を牽引する人物というのは案外限られたメンバーになってしまう、という実態もあるだろう。他に大きな影響力を与えるネットワーカーの数というのは、2桁か、それに毛の生えたくらいの数字、と言えると思う。それは表現力・表現技術・キャラクター等を備えた人、という意味である。ここでいうならmaskinさん、yomoyomoさん、たださん、といったレベルの人たちね。

 それが、携帯からのネット接続や、一般人への普及にともなって、「見るだけ」「とにかくつなぐだけ」のユーザーが増えるのは当然といえよう。その比率だけを見てレベルが下がったとか不況とかいうのは根拠にならない。層が広まればそれだけ薄くなるのは世の常である。しかし、ピンポイントで見れば、濃い層はやはり濃いままではないだろうか。そして、裾野が広がった分に比例するとはいえないものの、それなりに牽引力のあるネットワーカーも増えていることは間違いない。

 今、ブログでも同じことが起ころうとしていると思う。今、ブログを手にできるのは、ネットユーザーの中でも非常に濃い層だ。すでにサイト経験があるとか、掲示板CGIなんかよりは設置に手間取る厄介なブログツールをインストールできるとか、英語を読んでBloggerに登録できる人とかが中心で、先日のトロット夫妻の集いで目立ったのが「プログラマーとIT関係者とライターと学生」という実態は、まさに「マニアの世界」といえる(あと一部、パワーユーザー主婦もマニアのうちであるが)。ましてやblosxomのプラグインを自分で書けるようなユーザーは雲の上の人なんである。

 しかし、来年あたりはMyProfileに加えてココログ・ドブログやTypePad日本版が一生懸命裾野を広げようとするだろうから、ブログ界もどんどん「薄く」なるだろう。しかし、MovableTypeユーザー数は思ったほど伸びないだろう、と思う。なぜなら、ここで流入してくるのは、MovableTypeを設置し、運営できるだけの技能を備えたレベルの人たちではなく、比率的に言っても「レンタルで日記なら書けるかな」レベルの人たちが主体であることは論を待たないからである。

 だれでも簡単にブログが作れる、というのであれば、ホスティングサービスの登場によって可能になるだろう(T-Cup掲示板やさるさる日記という前例がある)。しかし、それで「HTMLを扱える」「CSSをいじれる」「MovableTypeを設置・カスタマイズできる」「blosxomのフレーバーをいじり倒せる」レベルのマニアが同じ比率で増える、などということはありえない。その伝でいえば、おそらく5年後、「ブログ不況」が叫ばれることだろう。

 何が言いたいかと言えば、W3Cまわりの人や、IT系/プログラマー系のネットワーカーの中には、「平均的なネットの使用者」の技術レベルをまったく理解していない人が多いのではないか、ということだ。

 たとえば「自分のブラウザの文字が大きいと思ったら、デフォルトのフォントサイズを小さくすればいい」と言い放つ人がいる。もちろんそうすれば可能だが、ごく普通のユーザーは「ブラウザの設定をいじるなんて、マニアの所行」と思っているのだ。ましてや「ユーザースタイルシートを使えばいい」というのは、サイト運営者レベルなら可能であっても、一般ユーザーには無謀なことである。文字サイズの大小だってあやしいくらいだ。

 私がこのサイトのデザインを考えるとき、現状で当サイトへのアクセスは「1024×768」の人が7割(1280×1024の人は1割にすぎない)、ブラウザはIEが9割以上、OSはWindowsが95%以上という現状を見、そしてそれらの人たちが「自分ではカスタマイズできず、与えられた環境でしか見れない」ということを前提としてデザインすることを考えている。その上で、サイトで「情報量」を強調したい時は小さめの文字にし、一文字ずつじっくり読んでほしい場合は大きめの文字にする、というような調整をする。本文は1em、というような教条的W3C原理主義思考はここでは頭でっかちの非現実的理想論にすぎない。逆に言えば、Operaや1600px大型モニターを使っている人たちはパワーユーザーなので、そういう人たちに負担を強いることになってもある意味仕方のない部分がある、と考える。こういうと誤解する人がいるので補足しておくが、私自身はOperaをガンガンにカスタマイズしている人間だ。IEをあえてカスタマイズしないで使うのは、多数の素人ユーザーの見方に合わせるためなのである。

 自動車の運転ができる人は増えたが、実はオートマ車でないとだめだったり、操作方法がわかりやすくなったから簡単に運転できるようになっただけのことであって、点検や修理、改造ができる人が劇的に増えたわけではない、というのと同じようなものである。


 ところで、テキストサイト系のところが不況に見えるのは事実だと思う。でも、それは当然なのだ。ReadMe!Japanが牽引し、ホソキン氏が話題を提供した上に、ちゆ12歳と侍魂という巨星が登場してテキストサイト黄金時代が生まれた。しかし、この2サイトが更新しなくなり(あと斬鉄剣も)、それに取って代わるだけのサイトが登場しないのだから、かつての激しいパワーがなくなって見えても当然である。ごく少数のサイトがネット界を牽引する、という構図は何ら変わらない。ネットではだれもが情報発信できて民主的ですね、というのは、それはそうなのだが理想論であって、実際には傑出したカリスマ運営者が大勢を決めてしまうのである。そういう意味で言えば、ムーノーローカルはムーノーデーに多数のサイトを巻き込むパワーがあったが、探偵ファイルやろじぱらにはテキストサイトを牽引するという意味でのカリスマ的オーラは残念ながらない、ということだ。これは個々のサイトそれ自体の面白さについて言っているのではない。他のサイトを追従させる(あるいは模倣される)パワーということだ。
 たとえばノンジャンル個人ニュースサイトでいえば、「俺ニュース」のあとも「カトゆー家断絶」があったから維持されているが、それに匹敵するレベルで更新されている次のニュースサイトはない。カトゆーさんがサイトをやめたら、はっきりいって今のノンジャンル個人ニュースサイト・コミュニティ帝国は崩壊するだろう。

このあたりだけを取り上げて一行コメントというサイトが多いので追記しておく。12/05。特定ジャンルに特化されたニュースサイトはもちろんあるが、ネットの記事を総合的にあれだけの規模で集めているサイトは現時点で他に存在しないといえる(だから「ノンジャンル」と述べた)。もちろん、今もあやしいわーるど系掲示板が2桁存在し、あめぞう系掲示板が残っているように、たとえ「カトゆー」がなくなってもニュースサイトに属する中小サイトは残るだろう。それをもって定着と呼んでもいいだろう。だが、他のサイトを牽引するサイトが新しく登場するか、といえば疑問だ、という話である。なんか、文脈も踏まえずちゃんと読解されていないコメントばかり目につくので追記した。あと、リンクする時は右上のトラックバック送信フォームも使ってもらえると嬉しい。つーか、テキストサイト/ニュースサイトの人は「自分たちが話題になっているところ」にしか反応しないという傾向がわかった。以上、追記終わり
 掲示板界なら、現時点でユーザー数、活力において2ちゃんねるがトップであることは事実だろう。だが、たとえばひろゆきが2ちゃんねるを閉じざるを得なくなったとき、その受け皿は存在していないのである。そのときには掲示板不況が訪れるか、だれかが新しいポスト2ちゃんねるを立ち上げるか、どちらかになるだろう。しかし、そのとき、掲示板コミュニティは大きく変質するはずである。今の2ちゃんねるを中心とするコミュニティーはひろゆきの色に染まっているからだ。
 そういえば、アンダーグラウンドサイトは不況だと思う。陰謀論サイトも不況だな。これは、ネットがマニアのものから一般人のものになってきたという流れによる必然だろうと思われる。今、ネットランナーのような明るいヲタ雑誌は流行っても、アングラな「インターネットマニア」誌の出番はない。

 ブログもやがてそうなるはずだ。日本でももうじき、カリスマブロガーがブログ界を牽引していく状況が定着するだろう。ArtifactやNDO::Weblogなどはそのさきがけであると思うが、これらのサイトがさらに影響力を増すか、あるいは別のカリスマブログが登場するか、いずれにしてもカリスマが登場する。そして小規模ブログが大挙して現われ、ブログという概念が定着する(つまり、ブログブームはこれからだ)。だが、カリスマが数人去った時点で、それは失速したように見えるだろう。
このへんも誤読されまくりなので12/05追記。当サイトは別にブログを持ち上げてるわけではなくて、他の記事を読んでもらえれば当然わかるように、日本の日記サイトやニュースサイトと区別しがたいジャンルとしてとらえている。だが、現実に「自分はブロガーだ」と自覚している人たちが登場している。ここでいう「ブログ界」は、そういう「ブロガーと自認している人」たちのコミュニティととらえてもらえればありがたい。だから、MTを使っていても日記圏の人や、はてなでもブロガーの人がいても問題ないし、自分のようにはてなでは日記・MTでブログみたいなつかいわけがあってもいいし、逆に日記もブログもニュースもかんけーねーよという人はそれでいい。
 インターネットは個人にとって、決して平等な世界ではない。機会均等は実世界より徹底しているが、しかし、それだけに実力主義で、それぞれの人のカリスマ的能力の差が際だつ世界でもあると思う。ブログのトラックバックで平等な網ができるわけではなく、トラックバックの集中するブログとそうでないブログに分かれていくはずだ。それは必然でもある。有用な情報を発信し、あるいは収集できる力があるサイトにはますます情報が集中し、そうでなければ細々とやっていくことになる。少数のカリスマがコミュニティを牽引する、という構図はおそらく、今後も変わることはない。
12/05追記。日記とかコツコツ書いている人はそれは何千、何万といるでしょう。だが、その中でも濃いサイト、新しいものを次々生み出す「カリスマ」は少数だ。90年代にはネットで「情報強者」「情報弱者」の格差が現われるという議論があったが、個々人の情報発信やアイデアに関する能力格差は当然出てくる。差別的だと感じられるかもしれないが、人には向き・不向きというものがある。なお、ネット向きの人が人格者かどうかはまた別問題。以上追記終わり。

 その一方で着実に右肩上がりのジャンルがある。企業サイトだ。企業のネット利用は拡大する一方だろう。カリスマとは関係なく、必要性があるからだ。増田さんはIT業界の視点で見ているから、おそらく企業サイトのこの性質を個人サイトにも当てはめてしまったのではないかと思う。しかし、個人サイトと企業サイトでは条件がまったく違うのだ。

 だんだんわけわからん話になったが、まあそういうことである。


【以下、20時40分に追加】 のらさんのところ経由で見つけた、「はてなダイアリー - 羊羹日記・風味」の2003-11-30■ [blog]サイトの流行廃り論の論拠考察 へのコメントを追加する。えーと、こういう場合は見逃すことがありえるので、ぜひ右側の「参照元逆リンクを作成」を使っていただけると幸いです。ぺこり。
・「ネットの素人でない人間」は住み分けをして居る。ニッチェ。
例えば「Webページを持っているだけの人間」「phpやMySQLやrubyを扱える人間」「エロゲオタ」「同人オタ」「腐女子」「鉄オタ」。これらをいっしょくたにして「ネット人口が増減」だの「衰技術を持たない」だのに意味はあるのか。各パイの割合やその役割、影響を考えない考察は短絡的とはいえまいか。
「ネットの素人でない人間」はすでに「ネットの素人」に比べて極めて率が低いと思います。サイト運営者7.8%というのは、全体の13人に一人にすぎないわけで、それがさらに分割されたところで、「濃い層は濃い、薄い層がこれから流入してくる母集団」という部分の大局的見解については影響を及ぼさないどころか、さらに強化されることになると思います。
・ニュースサイト効果(と仮称しておく)の影響はきちんと考えてあるのか。一夜にして数十万のビジタを発生させ、数日のうちにチリひとつすら残さない、まるで一昔前の「紅茶キノコ」の様な急激な流行り/廃れという点から侍魂やちゆを考察しておくべきではないのか。同様に2ch辺りからも。
面白い記事があれば何万人が拾い読みに来るだけ。ニュースサイトがひとつ潰れれば他に移るだけ、そんな感じのビジタが大半ではなかろうか。
どちらかというと侍/ちゆはテキストサイト系で今回分類してましたが(更新頻度は毎日じゃなかったし。なので「巨大サイトからのリンク効果」くらいのほうが適しているかと)。で、まあそれはどうでもいい点で、そのサイトからリンクされるとアクセス激増、というのも確かに現象として存在します。そして、その件については別途考察が必要でしょう。
 でも、それは今回の論点に何か関係するでしょうか? たとえば定期更新し、なおかつ網羅的にニュースを掲載し続けるニュースサイトを運営するだけの力を持った人が際限なく登場し続けるはずもない、という点で、難民の行き場がなくなることも想定されます。それこそブログなり別のサイトに流れることもあるでしょう。ここで言っているのは、そういう難民の受け皿となりえるサイトを運営する人が継続するのか、という問題です。
 例えばヴァーチャル・ネット・アイドル(VNI)サイトを独立ジャンルと見て言うならば、ちゆ本体がjpドメインに移る以前に比べれば明らかにパワーダウンした今、例えばちゆの後継として、「茜17歳」や「法律娘真紀奈」といったサイトがありますが、茜はやはりそれほどの規模ではないし(しかも他の有料メルマガの記事を自分の有料メルマガに無断転載するし)、法律娘は私もブックマークしているがやはり特化された専門サイトだけに「VNIの隆盛」というわけにはいかないし、他のVNIサイトは低調だし、といった現状は、やはり「ちゆがVNIサイトの牽引役だった」と言って過言ではないと思うわけです。
・「数万~数十万人規模のそういったビジタ」と、「ニュースサイトに反応する極少数の個人サイト」をまぜこぜにして「流行り廃れガ」「カリスマがいなければ」という言葉は空虚に聞こえる。ニュースサイトは数十も数百もあり。数万/dayを超えるサイトも数多くあり、代替も効き、多くのビジタは複数サイトを巡回しているものと私は推測する。なぜなら新聞と違い無料なのだから。
このへん、申し訳ないが趣旨が読み込めない。特に「ニュースサイトに反応する極少数の個人サイト」が何を意味するのかよくわかりません。
 例えば当サイトも数多くのニュースサイトからのアクセスがあるわけですが、「カトゆー」や「やじうまウオッチ」からリンクされると、そこからのアクセスは数千・数万単位に爆発します。しかし、他のニュースサイトでは数~数十、よくて数百アクセスの増加であり、まるで桁が違うわけです。しかも、「カトゆー」に載った途端に他のニュースサイトで扱う数が激増するという波及効果についても、やはり桁が違います。ニュースサイト内のランク付は明らかに存在します。
 また、ここで名前を挙げなかったにしても、数万/dayを超えるサイトはカリスマと呼んでいいでしょう。しかし、そういうカリスマサイトはやはりそれほど多くはないというのもやはり実情。本当にいつまでも代替が効くか、というと疑問が残ります。もし、代替の効くサイト運営者がゾクゾクと現われるなら、その間はニュースサイトは衰えはしないでしょう。
・>「俺ニュース」のあとも「カトゆー家断絶」があったから維持されているが
BRAINSTORM、あるいはTECHSIDE、変人窟、か~ずSP、ω、君のぞにゅーす、starlightparade、楽画喜堂、/.jp、j-o、最後通牒、電脳御殿、(略
これらのうちカウンタ/ビジタが何万人規模であるかご存知のサイトはありますか。ビジタの傾向は。ネタの傾向は。リンク波及傾向は。ニュースサイトの捕捉率/速度は。
等と書くにつれ、実はblog論の中でニュースサイトを持ち出す人は、あまりその内実を知らないのではないかと思う。
すべて知っております。というかReadMe!Japanトップクラス常連サイトはもちろん見ております。j-oさんとか、tentative nameとか、自分もブックマークして見てるクチですし、以前はReadMe!株式市場ゲームも参加してたし(笑)。だからこそ「ノンジャンル個人ニュースサイトでいえば、「俺ニュース」のあとも「カトゆー家断絶」があったから維持されているが」と、ニュースサイト内でも特に「何から何まで網羅的にリンクするサイト」ということで限定して表記していたのです。ここを飛ばして引用されるというのは不本意。

 個人ニュースサイトについては、今のところ、カリスマ的人材がまだ存在しているといえる。しかし、カトゆーさんがもしやめたとして、技術的情報メインのTECHSIDEさんや、趣味に一定の傾向のある変人窟さん(……その他、要するに専門特化型個人ニュースサイトということね)が後継者たりえるか、といえば、そのときに彼らが方向転換しない限り「難しい」といわざるを得ないわけです。あるいはBRAINSTORMさんは近いかもしれないが、一日の掲載リンク数を数倍にするだけのパワーがあるかどうか。あれば、その時点では個人ニュースサイトというジャンルはさらに発展するでしょう。しかし、後継者がいなくなった時点ですべては終わる。しかも、パワーあるカリスマサイトの寿命というのは案外短いというのが自分の印象です。この辺、いかが思われますでしょうか。

 それはさておき、今回、非常におもしろいと思ったことがあります。以前、ARTIFACT -人工事実- | テキストサイトの衰退?という記事に対して「テキストサイト界隈に疎い事は分かりますが」なんてコメントをつける人がいたわけですが、今回も「実はblog論の中でニュースサイトを持ち出す人は、あまりその内実を知らないのではないか」というコメントがつきました。いや、これが一番興味深い現象だと思いますね。

 まあ、いずれにしても、音楽雑誌風にいえば、ネットシーンをリードするカリスマたちは、数十人か百数十人か知らないけど、ある一定の数しかおらず、それに対してごく普通のサイト運営者たちが一定数いて、それは潮流そのものではあるが潮流を生み出すものではなく、さらに多数の「他に影響を与えない」サイト運営者や、9割を超える受け身の読者が存在する、という全体的構造は変わらないと思います。本当にパワーあるサイト運営者ってそれほど多くない。ここは異論のあるところかもしれないけど、自分の実感です。

 だから、VNIはちゆが更新を停滞させた時点で潮流としては滞ったし、侍魂や斬鉄剣がカリスマでなくなった時点でテキストサイトはパワーを失った――少なくとも次のカリスマが登場するまでは。しかし、その新しいカリスマは、おそらく、単に過去の形式を継承するだけでなく、新しいものをもっているだろうと思います。たとえばそれはブログという形態で復活するかもしれないし、ブログを超えるものをもってくるかもしれない。

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2003年11月30日11:58| 記事内容分類:ウェブ社会| by 松永英明
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skyward: 個人サイトとblog という記事を過去に書いたのだけど、どうやら早とちりというか、人の書いた文章を鵜呑みにしすぎていたことが判明。 METAMiX!の該当記事に反論コメントがよせら... 続きを読む

羊羹日記・風味 - 今日の言い訳 (2003年12月 1日 00:16)

自宅でほとんどネットできない環境なため、思いつきの中途半端な文章を放置し迷惑を掛けている形になった事を深く反省し羊羹で顔洗って出直してきます_| ̄|● 明日あたりあらため... 続きを読む

例の個人ホームページ不況にツッコミをいれておく。ことのはあたりでも間違ったままとりあげられてたし。ああいうガセ情報がネットに残ってるとロクなことにならん。つかれた。 続きを読む

Japan.internet.com デイリーリサーチ - 個人向け Weblog サービス、その受容性は?というアンケート結果記事で、全国の10代〓50代のインターネットユーザー300人を対象に行って、「Weblog を「日... 続きを読む

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サイトを作るような人はネットにも早くからつないでいただろうし、サイトも既に作ってしまっている。

ネットが成熟期に入ったということなのではないでしょうか。サイトの数は多くなっていても、加速度は小さいと。

「都会の孤独」を加藤諦造が言ったのは70年代でしたか。
ネットも、個人HPもただアップロードしただけでは全く「孤独」な存在です。無いに等しい。

しかし、やろうと思えば、バーチャルと違い、色々な仕掛けを講じる事ができる。

やろうと思うかどうか、がキー。その意味で、
>何が言いたいかと言えば、W3Cまわりの人や、IT系/プログラマー系のネットワーカーの中には、「平均的なネットの使用者」の技術レベルをまったく理解していない人が多いのではないか、ということだ。

この指摘は極めて重要。

だがここへきて「はてな」がでてきた、楽天広場」がでてきた。

「孤独」にしない仕掛けを、商売のインフラに仕立てる発想の持ち主が出てきた。
やはりブレークスルーするには「資本主義」が必要だということでしょう。商売人には[CS」があります。

今後幾何級数的に個人HPは増えるだろうと、思います。

>neroさん
大衆化・一般化の時期に入ったことを成熟化と呼ぶなら、そのとおりだと思います。

>sansaraさん
「商売のインフラ」についてはあまり興味がないので、その点については保留させていただきます。幾何級数的に増える「個人HP」は、あくまでもそのインフラで提供される範囲内でのものであり、数が増えれば平均するとレベルがどんどん下がるというのも事実だと思いますので、数が増えることだけを「発展」とは思えません。

その提供されたインフラ内で勝負するとしたら、やはり文章力や画力、アイデアにおける突出した少数の人間が牽引することになるでしょう。

そういう意味で、例えばメールマガジンなどは「IT技術と関係なく、文章力・情報収集力で勝負できる」フィールドであり、ページとはまたちょっと違った傾向を見せているように思います。しかし、そこでも更新すらおぼつかない多数のメールマガジンに対して、万単位の読者をもつ巨大メルマガ、という力関係が生まれます。

やはりネットにおいては、それが実力主義なるがゆえに、カリスマと、ある程度の貴族と、他に影響力を持たない大多数の一般大衆という力学が働いてしまうように思います。

ふと思ったのは「ネットシーン」ってなに?ってことです。私自身が「テキストサイトブーム」みたいなものに全く無縁だった(さすがに侍魂の先行者のページは見てたけど)んで。
 大部分のインターネット(というかwebですね)ユーザはasahi,com読んでいるか、買い物(オークションも含む)しているか、アダルトサイト見ているか、あるいは自分の趣味関連のサイトだけみてるかってところなんじゃないかと。昨今のblogブームにしたって、職場で昼休みにwebをふらふらしている人にとっては聞いたこともない世界なんじゃないでしょうか。

「ネットシーン」というのは造語で、まさに泥山田さんのおっしゃるとおり、意味不明だけどごく一部のトレンドという雰囲気があるので使ってみました(笑)。音楽雑誌ではよく「○○ミュージックシーンを切りひらいたなんたら」とか書いてますが、シーンって何よ?っていう感覚があって。

「昨今のblogブームにしたって、職場で昼休みにwebをふらふらしている人にとっては聞いたこともない世界」って、まさにそこなんです。今回の前半部分で言ってるのは。

しかも、テキストサイトの人は、テキストサイトのことは知ってても日記サイトや個人ニュースサイトのことは知らなかったり、というように、ネット共通の話題を共有できるわけがない、という実態もあります。それをふまえての論考のつもりです。

だってこのあいだ、ネット関連の本を多数扱っている編集者の方に「で、ブログって何なの?」と改めて聞かれたばかりですし、ネット関連やってない編集者の方には、もはや日記と掲示板の区別も理解不能なわけで、そのへんの感覚のズレをなんとか表現したかったということがあります。

MovableTypeの設置はどこのサーバーがいい?なんて、大多数のユーザーは宇宙人の会話にほかならない、ということをしっかり覚えておかないと、という話ですね。

ミュージックシーンって、特定のエリア、さらには特定のライブハウスのなかだけのできごとだったりするってのはよくある話ですね。「東京のクラブミュージックシーン」も「大阪のお笑いシーン」も大分に住んでいる人にはあまり実感のない人でしょうし。

松永さん NO4へ

確かに、プレゼ能力、押し出しのよさ、とかでなく、
中身で勝負という面が前面に出る、という事はあるんでしょうね。

ところで、どなたかに質問した事があるのですが、blogとメルマガって、本質的に何か異なる部分があるのでしょうか。

是非ご意見お聞かせください。

テキストサイト界の代表格といわれている「ちゆ12歳」ですが、ネットランナーに連載している記事を読む限り
仲間内にしか通じない文章としか思えません。
ARTIFACTの加野瀬さんがオタク系サイトと名乗っていても
誰が読んでも意味が通じるきちんとした文章を書いているのとは対照的だと思います。

テキストサイト界の衰退というよりは、国語力の衰退を見たような気がします。

>sansaraさん

メールマガジンは、以下の点がウェブサイトでの表現との違いだと思います。

・メールマガジンはHTMLの知識が皆無でもよい。すなわち、デザイン的要素やマークアップが必要なく、純粋に文章力の問題となる。したがって、文才はあるがHTMLを知らないという人たちが利用しやすい。

・ブログとの違いとしては、メールマガジンは一方的な送信が主体である。もちろんメールへの回答などもありえるが、ここのように、自動的に掲載されるわけではない。

・運営の仕方にもよるが、メールマガジンはブログより蓄積という要素が少ないかもしれない。

というふうに思います。

>コメンテーターさん

「ちゆ12歳」と加野瀬さんの違いは、オタクとオタク情報収集家の違いじゃないですかね。

もっとも、ネットでは狭い読者に対して書いていてもかまわないわけですし(=内輪受けの容認)、また紙媒体ほど文才を必要としないという要素もあると思います。

いわゆるテキストサイト界隈の文章って、自分は「テレビの話し口調のコピー」という印象がありますね。対話形式にしろ、「最近○○している△△ですこんばんわ」と毎回自己紹介を入れるスタイルにしろ。それで読めてしまうネットというのも不思議ですが、逆にいえばそれだけ文章力をもともと必要としていない表現形態なのではないかな、とも思います。

加野瀬さんはむしろ評論家的ですから、テキストサイトの人たちと違っていて当然でしょうね。まあお仕事の関係も当然ありますけど。

>文才はあるがHTMLを知らないという人たちが

そうするとウェブログ開設サービスが次々と出来たことによって、今までメーリングリストやメルマガに留まっていた文才のある人達が、クローズドな場からオープンな場へ出てくるわけで、質の高いネットコミュニティに発展する可能性は十分ありということでしょうか。

RSS/RDFがブラウザに統合されリストも簡単に更新出来るようになったとしたら羅列しているだけでは幾ら巨大なニュースサイトでも意味は薄れるんじゃないかな。勿論個人ページなども意識せず送信可能になっているという前提で。 Yahoo!などからほぼ自動でリストが更新され注目順・自分の動向でニュースが自動ソートされるとか。ジャンル分けされればCGサイトなんかも直ぐにリストアップされるよね。 まぁそうなるとは言わないけれど技術が変わると必要とされる物も変わってくるんじゃないかな。 ネット素人を改革するためには先ずIEが変わって貰わないと駄目なんだけどね・・・これには期待出来ないか?

このブログ記事について

このページは、松永英明が2003年11月30日 11:58に書いたブログ記事です。
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