文章は易しいという観念を持つべし
この幸田露伴の文章を長々と掲載しているのは、ここにいう「普通文章」を「ブログの文章」と置き換えていただければ参考になるのではないかと考えているためです。
- 幸田露伴『普通文章論』第12回
これはみな、文章は難しいものであるという観念が間接に、あるいは直接に一般の世の人に働いて、そして世人が筆をとり、紙に向かうことがやっかいだと思わせた結果である。個人にとっても世にとっても、まずもって打破しなければならないのは、不合理かつ不利益な悪い前提である。
楽しんでいけば険しい山道でも楽しむことができる。楽しまずに歩くなら、平坦な広い道も人を悩ますばかりだ。
文章は作ることができるということを信じて、そしてそのことに従えば、一字の推敲、一句の修正もみな楽しいことであるはずで、自ずから苦しいこと、心労を抱いている間であっても楽しい思いはできる。
その楽しい思いは、やがて精力を充実させ、意識を高め、勇気を持続させ、智慧をもたらし、十分な技量を我知らず発揮させるものである。楽しい思いが大きければ大きいほど、労苦を支える力は増大し、労苦を支える力が増大すればするほど、自分のなすことに対して熱心・忠実となり、自然とその結果は良好となる。もちろん、文章もよくできることとなる。
これに反して、文章は作りにくいものであるという前提を持っていては、文章を書く場合にどうしても楽しんでやるわけにいかない。いやいやながら試すことになるわけだから、その結果がよくないことは言うまでもない。
そして、楽しんでやった人がよい結果を得たならば、次にまた文章を書くときによい影響を与える一つの力となり、いやいややった人が悪い結果を得たならば、同様に悪影響を与える悪循環となるわけである。
- まとまって読みたい方はこちら→普通文章論 - 閾ペディアことのは
- 【広告】★文中キーワードによる自動生成アフィリエイトリンク