【第2部】我が国の文字上の歴史
- 幸田露伴『普通文章論』第15回
なぜ文章を書くことが容易ではないと考えられたか。さあ、この問題を研究・考察しよう。
前にも言ったとおり、同じ文章を書くにも、善を尽くし、美を尽くしたものを書こうとするのと、まず普通のものを書こうとするのでは、難易度ははるかに違っている。善・美を尽くしたものを得ようとすれば、なるほど、容易でないことは明白なことだ。しかし、普通のものを得ようとすれば、どう考えてもそれほど困難であるべき道理はない。
しかし、世の中の人がこれを難しいと考える理由がどこからくるかと考えると、まず第一には、我が国の文字上の歴史が、世の中の人に作文は難しいと感じさせる一因となっている。日本の文字の歴史は今なお明々白々ではない。しかし、大体においては、
- 上古は文字がなかったこと(神代文字についての論議は、今ここではその有無のどちらにも賛成しないとしておいて、とにかくそれが広く民衆に使われていた形跡は認めがたいということにしておく)
- 支那の文字が輸入されたこと
- 支那の文字が、意味なく音だけをあらわす表音文字として用いられ、ついにひらがな・カタカナを生ずるに至ったこと
- 我が国の文字は現在の実際において、象形文字・表音文字が併用され、しかもその文字と言語が関連したり離れたりしていること
- 言い換えれば、世の文字と人の意識との距離が非常に大きいこと
などは、誰でも肯定することである。これらはすべて、一般人にとって、作文が容易でないと感じられる大きな原因である。
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