反射区理論(リフレクソロジー、ゾーンセラピー)の起源を探る(1)中国起源説はウソ
最近、座骨神経や大腿神経に痛みが走っていてブログ更新どころか仕事にも困るくらいだったのだが、そうなると街中の「マッサージ」とか「鍼灸」といった文字に目が行ってしまう。
そんななかで、最近目立つようになったのが「英国式リフレクソロジー」など足裏系の「反射区」療法である。「反射区」というのは、足の裏とか手のひらとか(実は他に耳というパターンもある)の「この部分は心臓に対応」とか、「この部分は胃に対応」といったように、それぞれの部分を刺激すれば体の別の部分に効果をもたらすという考え方だ。
ところが、よく勘違いされていたりするのだが、これは伝統的な経絡・ツボ・鍼灸(はり・きゅう)の理論とはまったく違う。全身のエネルギーの経路である経絡と、その要所要所にあたるツボは、足の裏のゾーンとつながっていない。
そもそも、足の裏にツボは「湧泉」一つしかないのだ。
というところまでは前からわかっていたのだが、じゃあその反射区理論はどこから生まれてきたのか。それを改めて調べてみようと思った。
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■経絡・ツボ理論で足の裏を見る
まず、漢方・中医学で伝統的に受け継がれている経絡・ツボの理論を確認しておこう。これは、気(生気)の通る道筋を12本の正経などのラインで表現し、その中の気のポイントとなる部分をツボと呼んでいるわけである。だから、明確なラインとポイントで表現される。
さて、この経絡の多くは手の指・足の趾(あしゆび)から体の中心に向かって伸びているわけだが、今回のポイントはあくまでも足の裏にこだわらなければならない。実は、足の裏にある伝統的なツボは「湧泉」ただ一つで、これは「足の少陰腎経」に属する。これ以外に足の裏にツボはない。それ以外の足のツボは、たとえば足の爪の外側角だったり、足の横だったり、と、すべて足の裏以外の場所に存在している。
簡単に言えば、「伝統的な経絡・ツボは、足の裏をほとんど使わない」ということになる。
ここで引用させていただいた図版は、木下晴人著『臨床経穴図』(医道の日本社)からのものである。
■ゾーンセラピーの反射区
さて、一方の反射区理論(リフレクソロジー)だが、これはゾーンセラピーという理論が元になっている。これは全身を10の「ゾーン」に分割する。そして、同じゾーンに属する部分のどこかが悪くなれば同じゾーンの他の部分にも影響が現われ、逆にゾーン内で適切な刺激を与えれば、同じゾーンに対応する器官の病気もよくなる、というものだ。
そういうわけで、足の裏にはゾーンに対応するマップができあがる。そして、それぞれの内臓器官に対応した足の裏のゾーンを刺激すれば、病気などにいい影響がある、という考え方だ。
図版は、『フジタマキのリフレクソロジーパーフェクトガイド』から引用している。
ちなみに同書では反射区とツボの理論について要領よくまとめているので、簡単に引用したい。
○違い1 理論が違います!
反射区 10本のエネルギーラインが理論のベースになります
ツボ 経絡が理論のベースになります
○違い2 とらえ方が違います!
反射区 面としてより広い範囲をとらえます
ツボ 点としてより狭い範囲をとらえます
○違い3 身体への反応の仕方が違います!
反射区 身体の一部分に全身が反射投影されます
ツボ 全身に分布します
■反射区理論を中国にさかのぼる
というわけで、この二つの理論は根本的に違うことをまず把握いただけたと思う。そして、経絡・ツボ療法に関しては、出典が明らかで、『黄帝内経素問』『黄帝内経霊枢』『黄帝八十一難経』『黄帝内経太素』といった中医学の古典や、『黄帝内経明堂』『黄帝三部鍼灸甲乙経』などの鍼灸の古典が存在している。
しかし、反射区理論はこれらの本のどこにも載っていない。素直に考えれば、中国には反射区理論がなかったと考えるのが妥当なラインだろう。
■検索によるリフレクソロジーの歴史
そこで、リフレクソロジー側ではどう主張しているか、まず検索してみた。
中国古代の有名な医学書「黄帝内経」(こうていだいけい)の中に「観趾法」(かんしほう)という記述があります。この「観趾法」というのは、足のツボに刺激を与え、その刺激に身体が反応する原理を利用して治療効果を得ようとする方法でした。
漢の時代になり華陀(かだ)という聖医が「観趾法」をわかりやすくまとめた「華陀秘笈」(かだひきゅう)という本を著わしました。この本が唐の時代に日本に伝わってきて、今日の鍼灸術「足心道」になっています。「指圧」も、この「観趾法」から発展したものです。
「観趾法」はその後、ヨーロッパやアメリカにも伝わっていきます。20世紀始め
1913年米国人医師であるウィリアム・フィッツジェラルド博士が、西洋医学の観点から「観趾法」を研究しています。その成果は米国医学界に「健康のための反射学」として発表され「区域療法」(Zoon Therapy)として注目されました。
- DIVE DIVE/footer(系統図がある)
中国古代の有名な医学書「黄帝内経」の中の「素女編」という部分に、「観趾法(かんしほう)」という記述があったと言われています。 この観趾法というのは、足のツボに刺激を与え、その刺激に体が反応する原理を利用して治療効果を得ようとする方法だったようです。
やがて、漢の時代になり、華陀という聖医が観趾法をわかりやすくまとめた「華陀秘笈」という一冊の本を著わしました。これが唐の時代に 日本に伝わり鍼灸術や指圧へと発展していきました。
しかし、その後の歴代王朝の交代や天災、戦争などで黄帝以来の「観趾法」は、正当に評価され医学として発展することはありませんでした。
とはいえ、「観趾法」はその後、幾多の困難を乗り越え欧米諸国に伝わっていきました。まず、米国人医師のウィリアム・フィッツジェラルド博士 が、西洋医学の観点から「観趾法」を研究し、「区域療法」として、一躍注目されました。
中国語のサイトで検索してみても、同様の記述が見られた。
■存在しない古典
というところで、なるほど、と納得するのはまだ早い。ここで出てくるキーワードを抜き出してみると、
- 「黄帝内経」素女編の「観趾法」
- 名医・華陀が著した「華陀秘笈」
- 「足心道」
- ウィリアム・フィッツジェラルド博士
ということになる。そこで、中国古典で関係あるという二つの文献を調べてみた。
まずは「黄帝内経」素女編だ。ところが、これが実は現存しないものなのだ。『黄帝内経素問』『黄帝内経霊枢』と、その解説書『黄帝内経太素』のいずれにも「素女編」などという篇は存在しないのである。「素女経」という後世の図書はあるのだが、これは房中術、すなわちセックスを利用して健康になるための技術書であって、足裏とは何の関係もない。
もちろん、この原典が存在しなくても、後世の本にその名残が伝わっている可能性はある。もしかしたら、三国志にも登場する神医・華陀の「華陀秘笈」に書かれているかもしれない――と期待して「華陀秘笈」という本を調べてみたのだが、これがまったく見つからない。そういう題名の本があるなら、タイトルだけでも中国語サイトでひっかかるはずだが(中国語サイトでは古典籍の蓄積が膨大なのだ)、足裏の歴史という上記の内容以外にまったく出てこないのである。これは異常な事態だ。偽書だとしても、名前くらいは出てくるはずなのに。もちろん、ネット外の文献検索でも見つけることはできなかった。
いや、一つだけ引っかかった情報があった。「魔域僵尸(魔境のキョンシー)」という2004年の台湾映画で、「邪王派魔女チン・ティンはかつて華家荘に行って『華陀秘笈』を奪い、キョンシー丹の錬成方法を完全なものとしていた」と書かれている。
そういうわけで、「黄帝内経」素女編も、「華陀秘笈」も、「死霊秘法(ネクロノミコン)」や「セラエノ断章」くらいの実在性しかない(つまり架空の書籍)といえそうである。おそらく、ミスカトニック大学附属図書館なら読めるのかもしれないが、通常はお目にかかることもできないであろう。
冗談めかして書いたが、要するに、中国古典にリフレクソロジーの起源は求められないということである。また、鍼灸は「華陀秘笈」ではなく、上記『黄帝内経素問』『黄帝内経霊枢』『黄帝内経明堂』などが伝来し、日本でも研究され、発展を遂げたものである。
■「足心道」の歴史は昭和から
もう一つのキーワード「足心道」について調べてみよう。上記サイトでは「この本(華陀秘笈)が唐の時代に日本に伝わってきて、今日の鍼灸術「足心道」になっています。」と書かれており、「足心道」は非常に古いもののような印象を受ける。
しかし、「足心道」ではこの点について、いたずらに起源を古く求めることなく、正直に表わしている。足心道の公式サイト内「足心道とは?」の記述によれば、
昭和初年、足心道の創始者 柴田和通は、東洋医学の考え方、ことに「十四経絡(じゅうしけいらく)」を踏まえながら、実際に多くの人々の足を観察。手足と内臓との関連を体系づけるとともに施術の方法を研究しました。そして、まったくオリジナルな手足の観察法「観趾法」と施術法「操法」からなる<足心道>を確立したのです。
と書かれているのである。
これによれば、「観趾法」も「操法」も柴田和通氏のオリジナルであり、その組み合わせから成るのが足心道ということになる。「足心道」と命名されたのは昭和23年。「華陀秘笈」だの「素女編」だのという怪しげな文献は登場しない。
念のため、足心道三代目本部長・柴田當子氏の著書『足ツボ健康法―簡単よく効く足心道』を借りてきて読んでみたのだが、歴史については同様の記載があった。足心道の「足ツボ健康法」の内容は、伝統的な経絡理論と、足裏反射区理論を合わせて活用しているものである。
こうなると、東洋にリフレクソロジー・足裏健康法の起源を求めることは難しそうである。そこで、次の手がかりはアメリカの「ウィリアム・フィッツジェラルド博士」だ。次回に続く。
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世界各地に気と同様の発想があります。 続きを読む
存在しない古典について
真偽の程は知りませんが、否定するならせめて最低限、図書館で文献にあたるくらいのことはしたほうがいいんじゃないでしょーか。ネットで検索したから出てこないってのは、短絡的すぎる気が。
世の中ググっても出てこない情報ってまだまだ沢山あることは、ちょっと学のある人ならみんな感じてることだと思いますけどー。
図書館その他中国文献資料の調査もしています。OPAC縦断検索その他。
「失眠」は、ツボではなかったのかぁ……?
■普段から内経医学を勉強していますが、
『黄帝内経』にと言う篇は無いです。
■ただし、本文にある『素女経』ほか、『素女妙論』に〈九姿篇〉があり、「素女」と「黄帝」がSEXする時の体位について討論しています。和風に言えば“48手”ですが、中国医学の内容を含めているので、健康増進のためのSEXについてのハウツー内容です。つまり、本文中にもある「房中術」の解説です。
■引用者は「黄帝」が出てくるので『黄帝内経』だ!と勘違いしたのかも知れませんね。
■足の裏は「湧泉」「失眠」だけでなく、他にもいろいろなツボがありますが、経絡の流注は足少陰腎経だけです。
■『華陀秘笈』に関しては、情報が非常に少なく、日本も中国も、どれも「・・・『華陀秘笈』に記載された“足心道”が日本に伝来して足療法の起源となった・・・」の類の記載しかありません。肝腎の『華陀秘笈』自体の存在は謎のままです。
■本文にあるように、伝説のための伝説として、お互いに引用し合っているだけ、と言う可能性もありますね。
■華佗は後漢末の医師で、按摩の達人と言うよりも、麻酔による外科手術を能くしたと言う伝説が残っています。
↑
▼わかりにくい表現をちょっと訂正
一、
『黄帝内経』にと言う篇は無い。
二、
黄帝内経とは全く別の本として『素女経』『素女妙論』にがある。これはセクソロジーのテキストである。
三、
『華佗秘笈』は伝説として引用がみられるだけで、書籍本体の存在は不明。