ケータイ文化圏とネット文化圏の深い溝
主にPCを使ってウェブサイトを閲覧している人と、主にケータイを使っていてPCは全く(またはほとんど)使わない人では、たとえ同じページを見ていても、まったく行動や思考形態が違う。「ケータイ族」という言葉もあるが、ネットでの常識はケータイの人たちに通じず、ケータイの常識をネットばかりの人は理解していない。
入院中、ケータイしか使えない状況で4か月を過ごし、強制的に「ケータイ族」にならざるを得なかったのだが、そこで「ケータイ文化圏」と「ネット文化圏」の違いがわかってきたように思う。
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■ネットユーザーは実は特殊な人種
このブログを見ているような人は、おそらく、PCからアクセスして、ブラウザでウェブサイトを閲覧し、Yahoo!やGoogleを使って検索して自分で調べ物をできる人たちだろうと思う。そして、それくらいのことは当たり前にできることだと思っているかもしれない。
しかし、そういった人たちは、実は「ものすごくインターネットを使える人」なのだということを忘れてはいけない。ブログなどでやりとりしていたり、はてなブックマークを使っていたりする人は、「一般人」ではないのだ。「インターネットを使いこなす専門技能を持った人」なのである。
仕事で普通にインターネットが使える人、というのは、実のところ(Windowsの場合)「Outlookでメールの送受信ができて、IEでYahoo!Japanを開いて、そこから少しインターネットが見ることができ、Wordを使って文書作成が一応できて、ExcelやPowerPointをいじることができる」というレベルでしかない。ネットを使える人ばかりではない会社の人たちと話していると、「そのページってYahoo!からどういったら見れるんですか」という質問を何度もされたものだ。この質問が「検索キーワードを入れればいいのに、何を聞いているんだろう?」と疑問に思える人は、実は一般人ではなく、ネットオタクまたはネットエキスパート級の知識がある人なのである。
さらに、「インターネットなんて全然使わない」という人たちも多い。学校のレポートを書いたりするのにたまにPCを使うこともあるかもしれないけれども、ネット的な作業はすべてケータイでやっている人たちだ。いわゆる「ケータイ族」である。
そして、人口的には、ネットエキスパート=ネット族より、ケータイ族の方がはるかに多い。10代~20代前半の女性のかなりの割合、そして高年齢層の女性はケータイ族である。おばあちゃんが孫とケータイでメールのやりとりをしているという姿も見られる。こういった人たちは、PCと縁がない。
■ケータイ族こそが多数派
インターネットは便利なのだから、みんな使うようになるだろう――ネットエキスパートはそう考えがちである。たとえば、ケータイにフルブラウザを搭載しようとする発想は、モロにネット族のものなのだ。ソフトバンクが「Yahoo!のトップページをボタン一つで表示できる」ことをメリットとして打ち出しているが、正直言って、ケータイ族はそんなものを望んでいない。ネット族がケータイを使うときに便利なだけだ。そして、そんなフルブラウザやYahoo!がケータイでまで必要な人たちは、かなりの少数派であり、マイノリティであるという事実を見つめる必要がある。
ケータイ族は、ケータイで見やすいように構成されたケータイ向けサイトで充分だと思っている。別にそれ以上の機能なんて、便利かもしれないが使いたいとも思わないのである。このあたりの感覚の違いを理解した方がいいだろう、というのが、今回の記事の趣旨だ。
■Amazonと楽天ブックス
ここで実体験について書いてみる(この記述は2006年夏を中心としていることをお断りしておく。その後、サイトの状況が変わる可能性がある)。
入院当初はノートPCもなかった上に病院にネット接続できる環境がなく、ネット断ちとなった。入院1か月目ごろからAmazonや楽天ブックスで買い物をするようになったが、電池切れとの闘いが続く。つまり、mixiとショッピング以外にはケータイを使っていられないという環境に追い込まれたのだった。
この強制的な「ケータイ族」環境の中で、PCとケータイではサイトの使い勝手があまりにも違うことに気づいた。もちろんそれは当然のことなのだが、これまでは不便だと思ったらすぐにPCに逃げることができたので、それほど細かいところまで気づかなかったのである。
楽天でポイントがほしいので、楽天ブックスで注文してみようと思った。しかし、本を調べるなら情報が多いのはAmazonである。そこで、双方の携帯版を使って比べてみた。
明らかに、使いやすいのはAmazonだった。特に、複数の本を購入しようとするときに大きな違いが出てきた。検索し、本の情報を見て、カートに入れる。そこからページを戻って、検索結果に戻り、別の本を探してカートに入れる。……当たり前の作業なのだが、これがAmazonではできるのに、楽天ブックスではできないのだ。ページを戻って別の本をカートに入れると、それまでに入れた本のデータが消えてしまうのである。おそらくセッション管理をしているためだろうが、これはたとえば『吾輩は主婦であるDVD-BOX 上巻「みどり」』『吾輩は主婦であるDVD-BOX 下巻「たかし」』を続けて買いたいときには極めて不便なものだ。
ケータイではマウスを動かして操作することができない。これは、操作性が極めて落ちることを意味する。上下キーでリンクをたどらねばならないのだ。そのため、できるだけキー操作が少なくて済むようなインターフェースが必要となる。
このような使い勝手を考えると、楽天市場の方では実際にケータイだけで使う人のことをあまり考えず、単にケータイ「でも」使えるように移植しただけではないか、と、少々きつい言い方をしたくなってしまうのだった。
たとえば検索結果ページである。楽天ブックスで検索し終わって、希望の本が見つからず、別の検索ワードで調べたいと思ったとしよう。この時点で、画面は一番下まで下がっている。ところが、検索結果画面の一番下に、検索窓がない。もう一度上まで戻るか、トップページへ進むしかないのだ。Amazonではちゃんと検索結果の下に新たな検索窓が用意されている。
こういった些細な違いだが、ケータイ向けかそうでないかの違いが歴然と現れるのだ。おそらく、楽天ではケータイユーザーがチェックしていないのだろうな、という感想を持ったのは、こういう操作性の問題が一番大きい。
もっとも、Amazonにも使いづらいところはある。特に、PC版ではついている「今は買わない」機能がないのが痛い。検索して一度はカートに入れたが、今回は買わないでおこうと思った商品を、とりあえず保存しておく機能がないのはつらかった。ケータイの方が検索でも手間がかかるので、一度調べたものはやはり残しておきたい。
■使い物にならなかった価格.com
PCを使える環境ならば、自分はPC関連商品や電化製品を買う前に必ず価格.comをチェックする。入院中に、ネットにはつなげないが、ノートPCを買って原稿を書こうかと思って、携帯版価格.comで検索してみた。優先する条件は「軽さ」と「電池の保ち」と「値段」。
価格.comの携帯サイトはなかなかよくできている。買いたいPCを機能から検索することもできる。さらに、夏の間にクチコミ掲示板の仕様が変更され、非常に見やすくなった。具体的には、いくつもの投稿をまとめて表示するスタイルから、1投稿ずつ表示される形式へと変更されたのである。
ところが、結局、価格.com経由でノートPCは買えなかった。買わなかったのではなく、買いたかったが買えなかったのだ。
価格.comでは、実際の購入は各ショップサイトからということになる。ところが、買いたいと思ったショップが「注文はウェブサイトのフォームからお願いします。メールや電話での注文は受け付けていません」というのだ。無理にケータイでサイトに飛んでみたが、ケータイに対応しておらず、ページがまともに表示さえされない。となると、メールもだめだというのだから、結局注文が不可能ということになったのである。
ケータイからPCを買う客なんていないだろう、と思っているのかもしれないが、これは大間違いだ。実際、中古パソコンのデジタルドラゴン社長阪口氏によれば、ケータイからパソコンを買う客はけっこう多いという。ケータイしか持っていなかった人が初めてパソコンを購入する場合には、ケータイ経由で買うしかない、というのも、考えてみれば当たり前のことである。
まあそういうわけで、「PCを使って当たり前」の世界の人からは、「ケータイしか使わない」ユーザーの思考回路は見えにくくなっていると思った。というのも、自分がそれまでネットを基準に考えていたからである。
■ケータイは「比較」には向いていない
ケータイの最大の特徴は「比較」には向いていないということである。
たとえばAmazonの商品ページを見る場合を考えてみよう。PCで見ると、商品画像・商品名・価格・説明に加えて、レビューもいくつか並んでいる。1ページでいろいろな情報が載っていて、その情報を総合的に判断するのに便利だ。
ところが、ケータイ版Amazonは、レビューが別ページである。そして、レビューは一つずつが1ページになっている。不便なようだが、実はケータイだとこちらの方が見やすい。これは掲示板でも何でもそうで、情報がブツ切れの細切れになっている方が閲覧しやすいのだ。
情報がブツ切れで提供されるのだから、比較検討するのには弱い。逆に最初に与えられたブツ切れの情報の価値が高まる。レビューもいろいろ見て考えるというより、「レビューが載っているか否か」に意識が向かうように感じた。
ケータイは比較しない。比較する操作が面倒くさい。だから、提示された情報に納得すればそれで受け入れてしまう。ここに商機もあるわけだ。顧客が必要としている情報をピンポイントで届けることができれば、ケータイの世界では極めて有利となる。一方、PCは比較検討できる多くの情報をできるだけ豊富に届けることがポイントだと思う。
■ケータイとウェブは別メディアだと認識しなければならない
このような実例から、ケータイとウェブは、たとえ同じサービスを利用していても、まったく別の思考回路に基づく別世界だと考えた方がいい、と思うようになった。また、ケータイしかつかわない人ともいろいろやりとりをするようになって、それは確信へと変わっていった。
考えてみれば、ケータイはすでに家電である。家電とは、考えなくても使えることが基本である。テレビは家電で、誰でも使える。ゲーム機も家電といえる。HDDレコーダーでテレビ番組を録画するというあたりになると、機械音痴の人にはちょっと厳しくなってきたりする。簡単ケータイも含めれば、ケータイは完全に家電扱いしていいだろう。
しかし、PCは家電ではない。マイクロソフトが松下電器に買収され、アップルが日立に買収されれば話は別だろうが、PCが本当に「誰でも使える」ところまで機能を落とすわけにはいかないだろう。高機能なのがPCなのだから。インストールも何もかもボタン一つでできる方が怖い。PCは家電ではない。車を運転できる人よりも、PCを使いこなせる人は少ない。車を乗りこなすタクシーの運転手でも、カーナビを使えるかどうかというレベルであって、中にはまるでお手上げの人もいる。カーナビよりはるかに高度なPCは、自動車が運転できる人でも使えない高度な機械なのだ。
その高度なPCでやっと使える機能を、家電並のことができれば十分と思っている一般ケータイ族がほしいと思うだろうか。そんな「余計な機能」は高度すぎて必要ないのだ。
それを理解していないところに、ネット族の勘違いがある。
ケータイだけしか使えないとき、「フルブラウザを入れたらいいのに」と言われた。ところが、そんなものはほしくないのだ。フルブラウザがあれば、人力検索はてなも使えるのはわかっている。ブラウザからはてなダイアリーを更新し、リンク元をたどったりもできたはずだ。しかし、ケータイでそんなことをやりたくはないのである。
「そう思うのは、ケータイの機能が現時点では低いからにすぎない」と考える人もいるだろう。しかし、PCの機能がケータイに全部載っていたとしても、そんなものは多くのケータイ族には必要ない余計な機能なのだ。だったらその分安くしてもらうとか、絵文字をどのキャリアでも共通で使えるようにするとか、そっちに力を注いでほしいと思ってしまうのだった(ケータイ頭になっているときは)。
だから、ウェブ族の頭で便利なものをケータイ族に押しつけようとしてもダメなのである。ネットはネット、ケータイはケータイなのだ。
■続く
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これ、私自身も以前は信じられない、というか、んなわけねーだろ、って思っていたんですけどね。
両者のあまりの違いと、それを無視しているネット族に不安を覚えたことがあります。
ネット族は、「404 Blog Not Found」さんの意見みたいになんでも物量作戦なんですよね、結局。それが全然通用しないっていうことは、ケータイサイトを運営するとわかるんですが…(よっぽど金が儲かりますしw)。
調べ物をしたり知識欲を満たしたりする能動的なネット族とはまったく違って、ケータイ族は、キメ打ち(雑誌とかQRコードとか)とダラダラ(勝手サイト巡り)をうまく使い分けながら、受動で楽しんでる気がします。
記事が主張する通りだと思います。
ちょうど今日の夕食時、父とそんな会話を交わしました。
卑近な例ですが、PC版のekibus(http://www.ekibus.city.sapporo.jp))は、
まぁまぁのサイトですが、父曰く、ケータイ版のekibusは、正直ダメらしいです。
バスの時刻を知りたければ、バス停に行くのが一番間違いないわけですし。バス停の標識に、ちゃんと書いてありますから。
なるほど。参考になりました。私も今年はじめ入院するハメになり、携帯を使わざるをえない状況になりましたが、その使い勝手の悪さには辟易しました。ブログの更新も容易ではありませんでした。
でも、それって、「少数派」の感じる使い勝手の悪さなわけですね。
以前、アップルコンピュータ以外のPC(Windows搭載)は「家電」だと言っていた人にあいましたが、たしかにPCも家電のカテゴリーになりつつある、という感があります。
初めまして。
興味深かったので、僭越ながらコメントを残させて頂きます。
私も、この二者間のギャップは実感していたので、ネット文化圏に触れて居ない人と、ある程度触れている人とで、その都度対応を変えていたものですが、「考えずとも使えて当たり前」と家電を結び付けることは考えてもいませんでした。
情報に対して能動的になれるか、受動的でも構わないかという、根本的な思想の違いのような気が致しますが…。
ちなみに、どのように対応を変えていたかと言いますと、まず手取り足取り操作を教え、その上で疑問を投げかけられた場合に限り、「仕組み」や「概念」を説明するステップへ持っていってました。
・・・スイマセン・・・
ここまで考えてませんでした。
今回、考える切っ掛けを充てえて頂きありがとうございました。
技術者の陥りやすい罠といった感じを受けました。
この記事を読んで、当たり前ですが、使う側に立った物造りが必要だと改めて感じました。
私も暴走しがちなので抑えなければ・・・。
最後に、リンクをさせてもらいまして事を連絡します(礼)。
納得です。
私もケータイ族の人とネット族の人の違いを最近、よく感じます。
ネット上の知り合った人は、自分はもちろん、当たり前にネットに接続し、検索エンジンを使い、ブログやSNS、ソーシャルブックマークも使いまわす人ばかりですが、リアルな世界に向けてみると、どうやら、自分は、特別なようです。
私が当たり前にできることが周りの人が出来ないんです。検索や、掲示板の書き込み、ブログへのコメントsの仕方…。
何一つわからないとのこと。
リアルな友人は、連絡が来るときも携帯のメールから。
ネットはめったに使わないといいます。
彼らたちにはPCという意味でのネットというものが全く必要がないように感じられます。
逆の立場で考えて、私がケータイを使うときのことを考えると、フルブラウザケータイを持っていても、ケータイからネットのPCサイトにアクセスすることは稀です。
何より、使い勝手が悪いんです。
ネット族の人のことを考えて盛り込んだ機能でしょうけど、とてもじゃないけれど、ネット族の要望を満たすような代物じゃなく、使い勝手が悪くて使う気がしないのです。
中途半端な機能を盛り込むなら、やっぱり、ケータイ族の人のことを考えて、ケータイはケータイと割り切って、ケータイ族に使いやすい方向性に行くべきじゃないかと思います。
僭越ながら感想を・・。
近頃ケータイユーザーとの価値観の相違というか(そんな大げさなものでも無いんですけどね)隔たりのようなものを漠然と感じていたのですが、この記事で少なからず両者の違いを理解できたと思います。
確かに言われてみれば携帯には「家電」的な要素が多い・・。使用する機器の違いが結果的に目的の違いに繋がるのですね。