自費出版商法が利用する「本を出したい」気持ち
藤原新也氏の日記で、ここしばらく「新風舎」なるどうもちょっと気になる出版社についての情報が継続して載せられている。
この件以外にも、いわゆる自費出版業界にまつわるトラブルは非常によく目にする機会がある。しばらく前には碧天社の倒産によるトラブルがあったことも記憶に新しい。
「本を出す」ことは、大きな喜びとなることも多い。しかし、本を出すのにどれくらいの費用がかかるのか、あるいはどういう方法があるのかを知らないと、「自費出版商法」で「だまされた」と感じることもあるかもしれない。
今回は、本を出すいろいろな方法についてのまとめである。
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■ことのは過去記事の関連
■藤原新也氏の日記より
- 「新風舎」なるどうもちょっと気になる出版社
- 「新風舎」の件つづき
- 新風舎に関わった人
- 誤解
- 「新風舎」に関わった人々(2)
- とっくの昔に「新風舎」の件は知っていた
- 追いつめるためのものではない
- 「新風舎」の体験談続編
■「自費出版」「共同出版」では「著者が客」
本を一冊出すにあたって、著者はいくら金を払うのか。これは、「本を作る」ということにいくつかのルート、あるいは流れがあることを再確認する必要がある。
- 一般の出版社から本を出すという場合、著者は一銭も払わない(もちろん何らかの経費は発生することがある)。そして、契約に従って印税または原稿料を受け取る。この場合、当然ながら一般書店に流通することが大前提であり、出版者側も最大限の営業努力・広告宣伝を行なう(営業によって売れ行きは大きく変わる)。
- 同人誌を作って出す場合、著者は印刷・製本にかかる費用を印刷屋に支払う。たとえば、文学フリマのために私が作った冊子は、40ページ100部のパンフレット風で数万程度。ただし、一般の書店流通には乗らない。
- 自費出版の場合、著者は、印刷・製本に加えて、本文のリライトやイラスト制作にかかる費用も含めて自費出版会社に支払う。この場合、ISBNコードを取得し、一般書店に流通することが「可能」であるが、どの程度営業努力や広告宣伝をしてくれるかは保証の限りではない。
- 共同出版の場合、ある程度書店で売れると思ったら自費出版会社が制作費用を一部負担し、その分、売り上げを折半するということになる。この場合、もちろん自費出版と同じく一般書店に流通するし、ある程度、自費出版会社側の営業努力も期待できそうに思われる。
ここで、一般の出版社から出る本と、他の形態(まとめて自費出版と言ってもいいだろう)の本では、大きな違いがある。それは、
- 一般の出版物を発行する出版社の利益は、著者ではなく、本を買った読者から得られる。*1
- 自費出版物を発行する自費出版社の利益は、読者ではなく、本を作った著者から得られる(共同出版でも大半は著者からの収益となる)
ということである。つまり、一般の書籍では「読者が客」であり、著者は出版社と同じく「メーカー」に属する立場となる。一方、自費出版では「著者が客」であり、それが市場で売れるかどうかよりも、「お金を出して本を作りたい著者」をいかに集めるかということが、自費出版会社の営業の中心となってくるわけである。
つまり、「本ができる」という結果は似ているが、この二つは全く違う事業を行なっているのだということを忘れてはならないのである。
■自費出版を求める「著者」の勘違い
実は、自費出版会社からの仕事の下請けで、「著者」となって本を作る人の原稿をリライトする仕事をしたことがある。原著者の意図をふまえつつ、読みづらいところを適宜変えていくのだが、そのバランスが難しかった。商業ベースで出版社から出る本なら、文芸ものはともかく、とにかく読みやすくすることが求められるのだが、あくまでも自費出版なので、著者がこうだと言ったらそれに従わなければならない。あまりに精神的負担が大きいので、その後は請ける気がしない。
それはともかく、その著者の勘違いが気になった。自費出版なのに、「この本が何万部売れたらどうこう」ということを平然と書いているのである。そもそも、一般の商業ベースの本でも一万部売れたら万々歳のご時世、宣伝も広告もない自費出版で何万部も刷ったら在庫の山が大変なことになる。いや、それ以前に、この自費出版が、一般商業ベースの本とは違う「自己満足」の世界だということに気づいていないのが怖いと思った。
こういう人は、「自費出版会社が営業努力をしてくれないから売れない」と後から苦情を言ってくる。もちろん、あたかも本を作れば売れるかのように宣伝して売らない自費出版会社が「諸悪の根源」ではあるのだが(だって、著者に制作費を請求した時点で、利益の回収は終わっている。本を売る努力など無駄)、自費出版と商業出版ではまったく違うのだということを理解していない著者にも責任はあるだろうと思うのだ。
金を出してでも自分の本を作りたい。その気持ちはよくわかる。自分も商業出版で本を出させていただいており、そこで自分が費用を負担するどころか、印税収入を得て生活しているわけである。それなのに、先日の文学フリマではわざわざ印刷・製本代を払ってまで冊子を作った。だから、自分で自分の思いのままの本を作りたいという、その欲求は決して否定しない。問題は、それが自己満足のものであることを忘れてしまい、マーケティングにのっとって作られる一般商業ベースの本とはまるで別物だという認識を持っていないことにある。
売れっ子の同人作家ならともかく、自費出版で本を作って、それが売れまくるというような幻想は抱いてはならない。「本を作る」→「多くの読者に読んでもらう」という二つの希望のうち、自費出版なら「本を作る」ことだけで満足し、「読んでもらう」欲求はあきらめるべきである。せいぜい、知人に配って読んでもらうだけで満足すべきだ。それ以上はほとんど期待してはならない(文学フリマみたいなところで数冊売れればものすごくうれしい、というレベルである)。
繰り返すと、「本を作りたい」という欲求の裏には「多くの人に読んでもらいたい」という願望があるはずなのだが、多くの人に読んでもらうためには、出版社の選定、出版社のカラーに合わせた企画、マーケット市場調査に基づく企画の修正、多くの人に読まれるための内容的な編集、営業努力、広告宣伝活動といった内容がすべて必要となる。営業はやりますよ、と自費出版会社は言うだろうが、それ以前に、自費出版本=自己満足本の内容で市場に通用する商品となるかといえば、それは絶望的だと言わざるをえない。
だから、自費出版する人には、「本を手に取れたら、それだけで満足した方がいいですよ」と言いたい。そこで満足できれば、不幸にはならない。
■最大の問題点「受賞出版商法」
そういうわけで、私は自費出版そのものを否定するわけではない。
たとえば、お医者さんが自費出版で自分の経歴や理念をまとめた本を自費出版し、それを患者さんに配る、というような例はけっこうあるように思う。それによって患者さんも安心し、お医者さんもどういう方針で医療を行なっているのかが伝わる。もちろん、配布なのだから、すべての費用は著者持ちで、直接の収入はない「作り捨て」になるわけだが、それで誰も不幸にはならない。
ここまで割り切っていれば問題はない――というのが今回の内容の一つのまとめ方である。しかし、割り切れないように自費出版会社側が宣伝して客集めをしているものがある。それが多くのトラブルを招いているように思うのだ。
それが「受賞出版商法」である。ネーミングは今、私がここでつけてみた。
自費出版・共同出版の会社は、最近、「○○社文学賞」や「○○写真賞」などの名前で作品を募集している。「優秀作品は本になります」というふれこみである。
しかし、ここに大きな罠があったりする。最優秀賞の場合は出版社が全額負担――というのは誰もが当たり前だと思うだろうが、一次審査、二次審査を経て、「優秀賞」や「佳作」「準佳作」などを「受賞」した場合(つまり、最優秀ではなかった場合)、「一部著者が負担すれば本が出せます」というのである。もちろん、賞のレベルによって負担額が違ったりする。場合によっては、選に漏れた人に「費用を出して本を作りませんか」と持ちかけてくる。
一般の出版社の賞の場合、著者が費用を出すことはありえない。たとえ佳作だろうが、選外受賞だろうが、それは間違いない。ある会社の賞に漏れて、他の出版社から出る場合でも、決して費用負担は発生しない――たとえば『バトルロワイヤル』はそのパターンだが、著者が費用負担して作った本が売れたというわけではない。
ここで気づかなければならない。ははぁん、本を出したい人を、賞という名目で集め、出版費用をその人たちから集めようという腹づもりだな、と。
受賞して本にしますよ、というのだから、営業してベストセラーにしてくれるのかな、と淡い期待を抱かせるのがこの「商法」のまずいところで、実際には本を作りたい「カモ」を集めるための便法にすぎないのである。これがトラブルを生んでいる。
つまり、自費出版・共同出版というものは、もともと「本を作るお手伝いはしますが、本を売るお手伝いはそれなりにしかしませんよ。お金を負担するのは著者であるあなたで、売れたらいいけど期待しないでね」というのが本来の姿であり、それを納得して本を作るなら問題はないのに、そうではなく「あなたの原稿を本にしますよ」と持ちかけながら「じゃあ200万円ほど出してね」と後から言ってくるのが問題を生むわけである。
ただでさえ勘違いされやすい自費出版・共同出版業界なのに、さらに紛らわしい「著者(=カモ)集め」をするから厄介なことになるのだ。
新風社文庫大賞の規定にはこう書かれている。
諸権利 入賞作品の出版権は主催者に帰属。出版化の場合は増刷時より小社規定による印税をお支払いします。
備考 応募作品のうち、とくに出版をお勧めしたい作品には新風舎の「出版実現プログラム」※による個別のご提案書をお送りします。
※出版費用の一部(制作費)を著者が負担することで出版を実現します。
今の出版界の現状を知っていれば、増刷なんてありえない、と考えるはずだ。
場合によっては、負担ゼロの受賞者は皆無で、その回の応募者は(○○賞をもらっていても)すべていくばくかの負担をしていることもある。さて、その賞の過去の実績は? その本は売れてますか? Amazonでの順位は? 何万円の賞金は、単に自費出版費用の割引に当てられてませんか?
大体、権威ある文学賞を受賞したからといって本が売れているわけではないという「出版界の現実」を見れば、そんな出版界の辺境にある自費出版会社の賞にはまったくブランディング上のメリットはないことがわかるだろう。出版関係者なら、「ああ、そこって自費出版系でしょ」と気づいて、評価が落ちることさえある。もちろん、自費出版と商業出版(つまり普通の本)を平行して出しているところもあるのだが、だからといってそれが商業出版と勘違いしてもらえるわけではない。自費出版大手で、結構売れた本も出している「文芸社」(母体はたま出版)でも、「これは自費出版なのかなあ、どうなのかなあ」と考えてしまう。
そういうわけで、「○○賞出版商法」であるが、とりあえずここでは「詐欺」とは言わない。事前に「費用が発生するかもしれませんよ」ということは、きちんと広告にも明記されている。したがって「これは通常の賞ではなく、自費出版の費用を負担したい顧客を獲得するための便法である」ということをしっかり理解した上で、応募するなり応募をとりやめるなりすればいいと思う。
たとえば、自費出版会社から金を払ってでも本を出したい。でも、まけさせることができればラッキー、という人にとっては、こういう賞で割り引き(運がよければ負担ゼロに)してもらって安く本を出せるかもしれない、と考えれば、おいしい話ではあるだろう。
■本を作る価格の相場
こういうのは、価格相場を知っておけば、断るにしても楽だろう。
まず、ライターや作家が本を作る場合、基本的に費用負担はゼロである。打ち合わせの費用なども出版社持ちになる。取材費が出ない場合もあるが、それは原稿料や印税でカバーできるかどうかを考えて交渉することになる。
自分で作る場合は、まず自費出版会社ではなく、製本もやってくれる印刷屋さん、あるいは同人誌専門の印刷屋さんの相場を見ておこう。この場合、レイアウトやデータ作成などは基本的に自分でやることになるが(別料金でやってくれる印刷屋さんもある)、印刷・製本・発送までやってもらって、数万円から数十万円くらいのオーダーである。質と冊数を抑えれば、1万円から形にすることも可能だ。市販の本のような製本を求めないのなら、ポケットマネーで本は作れる。文学フリマのときに使わせていただいたコーシン出版の資料によれば、132ページフルカラー5000部で50万円前後でできる。もちろん、書籍と言うよりは冊子という仕上がりだが、それでも一冊単価100円程度でできるわけだ。
しかし、自費出版や共同出版では、数百部で150~200万円を超える請求となる。もちろん、同人誌とは違って本格的な本の制作となり、
- 本文をリライトするライター
- 場合によってはイラストレーター
- デザイン、レイアウトするDTP
- 表紙デザイン
- 市販書籍と同様の製本、カバー
- その他管理費、出版社の利益分
などの費用が発生することになる。しかし、仮に300部180万円を請求されたとしたら、一冊当たりの単価は6000円。どんな本ですかそれ。澁澤龍彦特上豪華装丁限定本でもそんな値段はしない。この辺で何かが間違ってると気づくべきだ。
■本の値段について
本の制作単価は、冊数が多ければ多いほど安く作れる。というのも、おおざっぱに分けると費用的には
- 版下制作費(これが一番高いが、一つ作ればいい)
- 印刷代(冊数に比例する)
- 紙代(冊数に比例する)
- 製本代(冊数に比例する)
で、版下制作費が極めて高く、印刷代・紙代・製本代はかなり抑えられている。ということは、冊数関係ない固定費としての版下が一番高いので、冊数が増えても総額はそれほど変わらない=冊数が多ければ多いほど単価は下がる、ということになる。
ただし、売れ残った場合、その在庫を保管する倉庫代がまた高くつくので、できるだけ在庫を少なくなるような冊数に抑えつつ、その範囲でできるだけ多めの冊数を刷る必要がある。
大体採算ベースというのは数千部のラインだったりする。だから、実用書で初版6000部とかのラインが多いように思われる。文芸書はもっとシビアな数字だと聞いている。万単位売れる本は珍しいのである。
そこから考えると、300部で発行するなどというのは、もはや「店頭で売る気がない」としか思えない数字だといえる。
とりあえず、自費出版を持ちかけられたら、一冊あたりの単価を計算してみてください。たとえば、普通の本の定価が1500円くらいとして、その8がけで1200円。それを超える単価なら、出せば出すだけ赤字になるわけで、そもそも商品として成り立っていないわけである。では、出版社にとって、この本ってどこが儲けどころなの?といったら、もちろん「著者」ということになる。
■自費出版を否定はしないけれど
何度も繰り返しているように、私は自費出版そのものを否定はしない。自分で金を出してでも本を作って読んでほしい、というニーズは確かに存在しているからだ。
しかし、「著者」の側も、自費出版と一般の商業出版を混同すべきではない。
商業出版は、平たく言えば、「著者から原稿を買って(正確には、原著者の著作物に対して出版権を購入して)、それを一般読者に販売する」という業態である。
一方、自費出版・共同出版は、「著者が本を作る対価として、本の制作に関わる費用を著者に請求する」ものであり、その結果作られた本をさらに一般読者「にも売る」ことがある、というのは補助的な働きである。
著者から買うのか、著者に売るのか。方向性が180度違う。
それを理解していれば、「だまされた」とは思うまい。300冊の本を一冊6000円かけて作るという「道楽」は、お金に余裕があるなら楽しいものかもしれない。しかし、もし商業出版の世界における著者になりたくて、うっかり自費出版の著者になってしまったら、それは不幸の極みであろう。
そして、自費出版・共同出版の会社は、賞をえさに著者という名の顧客を獲得するという手法をやめてほしい、と個人的には強く思う。
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