著作権保護は死後ゼロ年でいい。著作権保護期間延長って意味わかんない。
著作権は、著作者が死んでから50年の間は保護されて、誰もが自由に使えるわけではない。しかし、その期間を70年にしようという動きがある。
著作者の立場として言う。自分の場合は、死んだら即、保護してもらわなくていいような気がしている。著作者人格権、すなわち著者名の明記と、俺が言ってもいないことを言ったとかいうようなことの禁止だけは永遠に守ってほしい気がするが、どっちにしても、死後、私には金は入らないのだから、著作権保護なんか必要だと思わない。
そんなことより、せめて「初版発行部数の10%」の印税が確実に手に入るようにしてください。そこを保護してくださいよ、死後の他人の利益より、今現在の本人の生活費を。
ま、著作権延長とか、著作権保護強化とか言ってる人たちは、よほど恵まれている人たちなんだろう。
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■最初に関連リンク
この辺見ておけばわかりやすいだろう。
■著作権保護期間延長派のごまかし
著作権は、著者の死後も保護される。そして、その著作権保護から発生する利益(つまり、利用料)は遺族や、その権利を得た企業などが手にする。したがって、保護期間が長ければ長いほど、著作権者の権利を譲られた人たちが独占的に潤うことになる。
しかし、よく考えてほしい。著作者は死んでいるのである。ここには3種類の関係者がいて、それぞれの利害を主張していると考えられる。
- 著作者本人
- 保護期間がどうであろうと、本人は死んでいるのだから、何らかの利害関係が生じるわけではない。
- 著作者の遺族または権利を有する企業
- 保護期間が長ければ、その著作物の利用を独占し、そこから利益を生み出すことができる。
- 著作者とまったく関係ない第三者
- 保護期間が長ければ、その間はすべての関係者からの許可を得ない限り、その作品を利用することができない。
つまり、簡単にまとめると、
- 著作者本人――保護期間が長かろうと短かろうと無関係
- 著作者周りの人々――保護期間は長い方がいい
- 著作者と無関係の人々――保護期間は短い方がいい
となるわけである。ところが、上の二つ(著作者本人と、その遺族など)を一つのものとして扱い、「保護期間が長い方が、著作者にとって有利」と主張しているのが、著作権保護期間延長派なのである。
自分の場合は遺産相続する相手がいないから、死ねばその権利を保護する意味もない。仮に将来的に嫁さんをもらって、子供ができたら、その家族を養うために著作権を主張するだろうか、と考えてみたが、よく考えてみたら、一般的に死んだ人が利益を生み続けるという話はおかしいのである。まあ、会社からの見舞金や生命保険の金が一時的に入るかもしれないが、50年も70年も子孫がそれで食うことが可能などというのは、明らかに異常な権利保護ではないか。大体、50年先、70年先まで自分の子孫だけが自分の作品を使えるとか、某企業だけが使えるとか、そういう状況に何のメリットがあるのか。それだけ長い間保護してもらえるなら創作意欲が湧くんだけど、そうでないと湧かない、という人は、創作なんかやめた方がいい。
それよりは、自分の作品を利用して何らかの創造的な作品を新たに生み出してくれた方が、よほどうれしいと思う。その新作自体は自分では見られないわけだけど。
したがって「著作権者」を保護すると言いながら、実は著作権者本人には何のメリットもなく、遺族などを保護することばかり主張しているところで、すでにおかしいわけである。「著作権料生活者の家族や権利を有する企業を保護せよ」と正直に言えばまだ筋が通るものを、なぜ「著作権者のため」という大うそばかりつくのだろうか。
ほんとに意味わかんない。
■著作権者だからこそ、著作権保護をゆるめることを主張したい
著作権そのものはしっかり保護してもらわないと、著作権者として困る場合が多い。しかし、著作権保護期間は著作権者本人とは何の関係もない。これが大前提。
となると、「著作権者の遺族」と「著作権者と関係ない第三者」のどちらの立場に立って考えるべきか。
実は、母方の祖父である大岡欽治の遺作『関西新劇史』を新たな形で利用したければ、遺族は自分と妹になるので、私の許可を得なければ不可能ということになる。しかし、今、このことを書くまですっかり忘れていた。そして、出版社側も私の連絡先を知らなければどうなるか。この本は消え失せるしかないわけである。しかし、これがパブリックドメインであれば、その作品は消えない。
したがって、「著作権者の遺族としての権利」を行使するよりも、それが活用されているのを見る方がうれしいと思う。もちろん、カネをくれるというなら受け取るが、爺さんの死後50年も経って著作権料を受け取ることを商売にするような生き方はしたくない。
もう一つ、「著作権者と関係ない第三者」としては、これは日常的によく遭遇する場面である。ほとんどの著作物は、第三者として接することになるからである。
となれば、この問題については「著作権を有しない第三者」としての利害関係で語ることが、自分にとっては最もふさわしいと思う。第三者の立場からは、原著作・原著者に相応の敬意を払うことを前提とした上で、自由に著作物が利用できる方がうれしい。
だから、著作権保護期間の延長には反対する。というか、延長した方がいいという意味がわかんない。
ジェームズ・アレンはイギリス国外での死後の著作権をすべて放棄した。だから、外国ではジェームズ・アレンの著作を自由に訳したり出版したりできる。だからこそ多くのファンを生んだともいえる。一方、著作権保護延長はつまるところディズニーが権利を独占し続けようとして行なった行為だ。どちらが人間として素晴らしいか、言うまでもあるまい。
■死後の保護より今のカネ
著作権者本人としては、死後のことは無関係だからどうでもいい。そんなことより、今の著作権料を確保してほしい。
たとえば、よく「印税は発行部数×定価×10%」が相場とされるが、そんなに「払いのいい」会社はほとんど経験がない。
たとえば「発行部数×定価×5~8%」というのは結構よくあるパターンである。8%だと極めて良心的な部類に入る。しかし、「発行部数ではなく、実売部数×定価×10%」という場合もある。これは痛い。つまり、専門的な内容の本だと実売数百部ということもないではないので、それでは時給数十円くらいになったりもする。場合によっては「初版は発行部数の8%、増刷からは実売の10%」ということもある。
翻訳の場合は、原著者と訳者で印税を折半することになるので、訳者の分は4~6%くらいになったりする。この率は大体出版社ごとに決まっている。で、どうも腑に落ちないのだが、すでに著作権切れの古い洋書を翻訳した場合にも「翻訳書基準」ということで印税率を4~6%に下げられたりする場合があることだ。原著者に払わなくていいのに、なぜその分、訳者に回らないのか。まるで意味わかんない。
そういうわけで、アマゾン・アソシエイトの報酬が売り上げの3~5%(+α)だったりするのを考えると、自分の印税とどちらが高いかということを考えて暗澹たる気分になったりする。むしろ、アフィリエイトで少しでも引かれた印税を取り戻すしかない、などと情けないことを考えてみたりもする。
そんなわけで、死後の保護期間を20年延長するくらいなら、その分、印税を「発行部数×定価×10%」ラインを確実にしてくれるとか、あるいは死後の保護期間なんて放棄してゼロでいいから、今の印税を15%とか20%にしてくれるとか、そういうふうにしてほしい。
もちろん、これは出版業界の構造の問題だと言われるかもしれないが、死後の利益を増やして生前の利益に無頓着というのは本末転倒だと思う。本当に意味わかんない。
■今回の記事は
あえてタイトルとか極端に書いています。
■ブックマークの反応に関して追記
2006年12月08日 sirouto2 2権利 ああ、ゼロ年はダメなんですよ。極端な話、億単位の金を産む著作権者が殺される可能性もあるし。死後より今金をくれというのはよく分かりますけどね。
なるほど。でも、ふと黄金の卵を産む鶏を殺してしまう話を思い出した。
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問題の発端と本質はディズニーの我がままでしょ・・・・結局、著作者の事なんてどうで 続きを読む
もう一度、出版社立ち上げるしかないっすね。
印税で儲けると言うのはもはや搾取されるのに甘んじて生きるということです。
松永さん名義でやるとまた因縁つける人がいるから、名義だけ知人を社長にして、実際の社長は松永さんみたいな。
ちなみに、わたすは、搾取に甘んじないよう、出版社立ち上げを計画してますが。
著作権といえば、宮沢賢治の遺族は結構うるさかったんじゃないですか?
アメリカはディズニーの著作権を守るために法律で保護機関を延長しまくってるらしいですね。ディズニーの場合は商標権でなく、あくまで著作権延長でないといけないのかという疑問はありますが。
わたしが思うのは、著作権者ではなく、出版社のほうにある程度権利を認めるような形にしたほうがいいような気がしますね。その代わりに著作者に対し相応の対価を払うというシステムになるのが望ましいと思います。基本のベースラインを高めにして、売れた分は歩合とするような。基本給は売上に関わらず一冊50万円で、さらに売上のインセンティブを支払うという形。そうすれば、ライターも収入が多少は安定します。(たぶん)
著作権を持っている先祖がいるだけで普通の人より経済的に恵まれるのは公平ではないと思うので、松永さんの意見に全面的に賛成です。