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|後柏原||永正6||己巳||1509|| ||○9月18日慈眼大師城州あるいは江州に生まれる。足利11代将軍義澄男、母は奥州会津高田城主三浦盛高女也(福山藩三浦小五郎書上)|| ||1|| || || || || || || || || || 
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| ||永正7||庚午||1510|| ||○天海生、母は宇都宮正綱女熊野御堂、古河公方足利高基男也、幼字亀王丸(宇都宮弥三郎系譜、華頂要略、日光門跡代々年譜)|| ||2||1|| || || || || || || || || 
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| ||永正8||辛未||1511|| ||○寛永20年10月天海僧正寂、年133、すなわち本年生誕也(王代一覧、寛明事跡録)||△8月源義澄近江岳山に薨ず。||3||2||1|| || || || || || || || 
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2007年2月15日 (木) 11:02時点における版

このページは天海の事跡についての年表である。出典は『大僧正天海』、一部松永が表記を改めたところがある。

天海年表
歴代 年号 干支 西暦 年齢 事跡 事跡 異齢                    
             
後柏原 永正6 己巳 1509   ○9月18日慈眼大師城州あるいは江州に生まれる。足利11代将軍義澄男、母は奥州会津高田城主三浦盛高女也(福山藩三浦小五郎書上)   1                    
  永正7 庚午 1510   ○天海生、母は宇都宮正綱女熊野御堂、古河公方足利高基男也、幼字亀王丸(宇都宮弥三郎系譜、華頂要略、日光門跡代々年譜)   2 1                  
  永正8 辛未 1511   ○寛永20年10月天海僧正寂、年133、すなわち本年生誕也(王代一覧、寛明事跡録) △8月源義澄近江岳山に薨ず。 3 2 1                
  永正9 壬申 1512   ○御諱亀王丸東叡山開山贈慈眼大師実者義澄御子永正9年正月誕生(足利代々系譜)   4 3 2 1              
  永正10 癸酉 1513     △11月将軍義尹、名を義植と改める。 5 4 3 2              
  永正11 甲戌 1514       6 5 4 3              
  永正12 乙亥 1515       7 6 5 4              
  永正13 丙子 1516     △北条長氏、三浦義意を滅ぼす。 8 7 6 5              
  永正14 丁丑 1517     △12月8日葦名修理大夫盛高卒(葦名譜、塔寺長帳、新会津風土記) 9 8 7 6              
  永正15 戊寅 1518   ○元和元年、天海年積もりて106歳(本朝続々史記)
○慶長5年83歳(開運記)
 ともに本年の生誕也
△大内義興国に就き京師衰える
△三浦道寸亡び上杉氏衰える
10 9 8 7 1            
  永正16 己卯 1519     △8月北条早雲韮山城に卒す 11 10 9 8 2            
  永正17 庚辰 1520   ○寛永20年10月2日寂、124歳(門跡伝)すなわち本年の生誕也 △京師また乱れる 12 11 10 9 3 1          
  大永元 辛巳 1521     △2月7日葦名出羽判官盛滋卒す。弟盛舜嗣ぐ(譜、長帳、新風土記)
△3月23日後柏原天皇即位の礼を挙げる
13 12 11 10 4 2          
  大永2 壬午 1522     △葦名盛舜長子盛氏を生む(譜) 14 13 12 11 5 3          
  大永3 癸未 1523       15 14 13 12 6 4          
  大永4 甲申 1524     △北条氏綱江戸城を略す
△7月法然上人御忌を始修す。
16 15 14 13 7 5          
  大永5 乙酉 1525       17 16 15 14 8 6          
後奈良 大永6 丙戌 1526     △4月7日後柏原天皇崩、29日後奈良天皇践祚
△8月葦名盛高・盛安、伊佐須美大明神砂山祭の神輿を献ず(新風土記)
18 17 16 15 9 7          
  大永7 丁亥 1527       19 18 17 16 10 8          
  享禄元 戊子 1528     △8月20日改元
△大内義興卒す
20 19 18 17 11 9          
  享禄2 己丑 1529       21 20 19 18 12 10          
  享禄3 庚寅 1530   ○10月7日古河高基室天海を生んで後逝く(宇都宮系図)   22 21 20 19 13 11 1        
  享禄4 辛卯 1531     △7月古河公方政氏卒
△畠山高国敗死す。
23 22 21 20 14 12 2        
  天文元 壬辰 1532     △7月29日改元
△六角定頼、日蓮宗徒と山科本願寺を焼討す。
24 23 22 21 15 13 3        
  天文2 癸巳 1533     △細川晴元、一向宗徒と戦う。 25 24 23 22 16 14 4        
  天文3 甲午 1534       26 25 24 23 17 15 5        
  天文4 乙未 1535     △浅草寺火く
△山徒、法華宗号を禁ず
△大内義隆、本願寺光教即位の資を献ず
△10月足利高基卒す
27 26 25 24 18 16 6        
  天文5 丙申 1536 1 ○正月1日大師陸奥国大沼郡高田駅に生まれる、幼字兵太郎、舟木景光の男也、母は葦名氏 △豊臣秀吉生まれる
△大内義隆、太宰少弐となる
△山徒、蓮徒を懲す
28 27 26 25 19 17 7        
  天文6 丁酉 1537 2   △北条氏綱、川越城を抜く。仙波無量寿寺火く 29 28 27 26 20 18 8        
  天文7 戊戌 1538 3 ○端座泊然として逝く実に春秋一百六(日光山列祖伝)すなわち本年の生誕也 △足利義明、鴻の台に敗死す 30 29 28 27 21 19 9 1      
  天文8 己亥 1539 4     31 30 29 28 22 20 10 2      
  天文9 庚子 1540 5   △覚鑁に大師号を賜う。山徒これを阻む。 32 31 30 29 23 21 11 3      
  天文10 辛丑 1541 6   △武田晴信、父信虎を逐う
△北条氏康卒。
33 32 31 30 24 22 12 4      
  天文11 壬寅 1542 7 ○天海は古河高基の四男天文11年壬寅生る(三河松平系譜) △12月徳川家康生る 34 33 32 31 25 23 13 5 1    
  天文12 癸卯 1543 8   △葡萄牙始めて鉄砲を伝える 35 34 33 32 26 24 14 6 2    
  天文13 甲辰 1544 9   △正月、観智国師生る
△耶蘇教徒、薩摩に来る
36 35 34 33 27 25 15 7 3    
  天文14 乙巳 1545 10     37 36 35 34 28 26 16 8 4    
  天文15 丙丑 1546 11 ○大師、道樹山龍興寺に入り、弁誉舜幸を拝して薙染し、随風と号す △足利義晴、右大臣となり、義藤将軍となる 38 37 36 35 29 27 17 9 5    
  天文16 丁未 1547 12   △家康、尾張に幽せらる
△長尾景虎、越後を一統す
39 38 37 36 30 28 18 10 6    
  天文17 戊申 1548 13 ○天海は邑人舟木道光が子天文17年正月朔誕生(新風土記)   40 39 38 37 31 29 19 11 7 1  
  天文18 己酉 1549 14 ○大師初めて遊学の途に上り、下野国宇都宮粉河寺に投じ、僧正皇舜に師事す △徳川家康、駿河に質たり
△感誉存貞川越に蓮声寺を創む
△織田信秀卒
41 40 39 38 32 30 20 12 8 2  
  天文19 庚戌 1550 15   △右大臣源義晴、近江穴太に薨ず 42 41 40 39 33 31 21 13 9 3  
  天文20 辛亥 1551 16   △陶晴賢、大内義隆を弑す。明の交通絶え、耶蘇教進入す
△武田晴信、入道して信玄と号す
43 42 41 40 34 32 22 14 10 4  
  天文21 壬子 1552 17   △北条氏康、上杉憲政朝定を亡ぼす 44 43 42 41 35 33 23 15 11 5  
  天文22 癸丑 1553 18 ○大師初めて比叡山に登り、神蔵寺実全に学ぶ △8月21日、葦名遠江守盛舜卒す
△武田信玄、村上義清を逐う
45 44 43 42 36 34 24 16 12 6  
  天文23 甲寅 1554 19 ○大師7歳にして舜幸法印に随い出家す。この時永禄3年庚申(浮身観音縁記)すなわち本年の誕生に当たる △将軍義藤、名を義輝と改む
△徳川家康、初めて鎧を著す
△北条氏康、古河城を陥る
46 45 44 43 37 35 25 17 13 7 1
  弘治元 乙卯 1555 20 ○大師、三井寺に遊び、倶舎・性相を勧学院権僧正尊実に聴く △10月23日改元
△甲越の兵、川中島に戦う
△毛利元就、陶全羌を亡ぼす
47 46 45 44 38 36 26 18 14 8 2
  弘治2 丙辰 1556 21 ○大師、南都に遊び、日本書紀を成重に問う △正月、家康、駿河に加冠し、次郎三郎元信と称す 48 47 46 45 39 37 27 19 15 9 3
正親町 弘治3 丁巳 1557 22 ○大師、興福寺に寓し、法相三論を僧都空実に問う △9月、後奈良天皇崩ず
△10月、正親町天皇践祚
△家康、今川義元の女を娶り蔵人元康と改む
49 48 47 46 40 38 28 20 16 10 4
  永禄元 戊午 1558 23 ○大師、家母の嬰疾を聞き、遠く省覲す。幾もなく家母逝く。よって喪に服す △2月28日改元
△家康、三河に還り、初めて出征す
50 49 48 47 41 39 29 21 17 11 5
  永禄2 己未 1559 24 ○大師、丁喪 △本願寺光佐、即位の資を献ず
△3月徳川信康生まれる
51 50 49 48 42 40 30 22 18 12 6
  永禄3 庚申 1560 25 ○大師喪終わりて下野国足利学校に遊び、九華に就いて孔孟を学ぶ △正月、天皇位に即く。毛利元就、大饗の資を献じ、大膳大夫となる
△4月、織田信長、今川義元を桶狭間に亡ぼす
52 51 50 49 43 41 31 23 19 13 7
  永禄4 辛酉 1561 26 ○大師、足利在学 △3月、上杉謙信、近衛前嗣を奉じて北条を討つ。克たず
△10月、信玄・謙信、川中島に戦う
△織田信長、徳川家康と会盟す
△葦名盛氏、老し入道して止々斎と称す。
53 52 51 50 44 42 32 24 20 14 8
  永禄5 壬戌 1562 27 ○大師、足利在学 △上杉景虎、名を輝虎と改む 54 53 52 51 45 43 33 25 21 15 9
  永禄6 癸亥 1563 28 ○大師、足利在学 △徳川元康、名を家康と改める
△細川晴元、氏綱、尼子勝久等卒す
△北条氏康、里見義弘を鴻の台に破る
△毛利元就、十州を略す
△10月、三河一向一揆起こる
55 54 53 52 46 44 34 26 22 16 10
  永禄7 甲子 1564 29 ○大師、亮諶と共に上野国新川善昌寺に遊び、禅客道器に首楞厳・易経を聴く △三好長慶卒す
△信長、美濃を略し、岐阜城に徒り、家康、三河の東西を定む
56 55 54 53 47 45 35 27 23 17 11
  永禄8 乙丑 1565 30 ○大師、善昌遊学 △5月、三好義継・松永久秀、将軍義輝を弑す。一乗院覚慶、近江に奔る 57 56 55 54 48 46 36 28 24 18 12
  永禄9 丙寅 1566 31 ○大師、初めて善昌の一院に住す △一乗院覚慶、還俗して義昭と称す
△武田信玄、天台に帰し、毘沙門堂を創め、自ら法性院大僧正と号す
△12月、家康、従五位下三河守となる
58 57 56 55 49 47 37 29 25 19 13
  永禄10 丁卯 1567 32 ○大師、善昌住院 △10月、松永久秀、東大寺を焼き、大仏炎上す
△足利義昭、越前に入る
59 58 57 56 50 48 38 30 26 20 14
  永禄11 戊辰 1568 33 ○大師、善昌住院 △正月、家康、左京大夫と改む。三遠2国を定め、浜松城に居る
△2月、足利義栄将軍に拝す
△7月、信長、義昭を奉じて京師に入る
△10月、将軍義栄卒す
△この月、義昭、将軍に拝す
60 59 58 57 51 49 39 31 27 21 15
  永禄12 己巳 1569 34 ○大師、善昌を謙退して四方に遊学し、源誉存応と川越蓮声寺に論議す(三縁山志) △信長、幕府を二条に起こし、義昭を奉ず
△信長、伊勢を討つ
61 60 59 58 52 50 40 32 28 22 16
  元亀元 庚午 1570 35 ○大師、再び登岳を企つ。山門、重囲に陥るをもって果たさず。 △4月23日改元
△6月、信長・家康、浅井・朝倉と大に姉川に戦う
△7月、三好党兵を摂津に出し、信長と戦う
△9月、朝倉・浅井、近江を侵す。信長、反戦して比叡山に囲む
△10月、一向宗徒、乱を長島に作し、織田信興を殺す
62 61 60 59 53 51 41 33 29 23 17
  元亀2 辛未 1571 36 ○大師、また登岳を企つ。山門炎上するをもって果たさず
○冬、甲府に天台論議を開く。大師、鬮に講師に当たる。智弁縦横、大に信玄の帰敬を受ける。
○正覚院僧都豪盛に慧心流の印信を受ける
△5月、信長、長島を討つ。克たず
△信長、禁裏を造営す
△9月、信長、叡山を焼毀す
63 62 61 60 54 52 42 34 30 24 18
  元亀3 壬申 1572 37 ○大師、甲府淹留 △12月、信玄・家康、三方ヶ原に戦う 64 63 62 61 55 53 43 35 31 25 19
  天正元 癸酉 1573 38 ○大師、葦名盛氏の請に応じ、会津に帰錫し、黒川稲荷堂を別当す △4月、武田信玄卒す
△7月、信長、義昭を若江城に幽す。足利将軍滅ぶ
△7月28日改元
△8月、信長、朝倉義景・浅井長政を亡ぼす
△9月、信長、長島を討つ
△12月、沢庵宗彭生まれる
65 64 63 62 56 54 44 36 32 26 20
  天正2 甲戌 1574 39 ○大師、稲荷堂在住 △徳川家康、従五位上に陞る
△2月、家康二子秀康生まれる
△6月、武田勝頼、高天神を攻める
△7月、信長、長島を亡ぼす
△加賀門徒、越前を侵し、国を奪う
66 65 64 63 57 55 45 37 33 27 21
  天正3 乙亥 1575 40 ○大師、稲荷堂在住 △5月、勝頼・家康、長篠に戦う
△6月5日、葦名盛興卒す。二階堂盛隆を養うて家を嗣がしむ
△8月、信長、越前を討ち、一向宗徒を滅す
67 66 65 64 58 56 46 38 34 28 22
  天正4 丙子 1576 41 ○大師、大寧禅師に参して葉上流の禅を問う △5月、信長、本願寺を討つ。克たず
△7月、毛利輝元、海路大坂に糧を納る
△11月、信長、北畠具教父子を殺す。国司家滅す
68 67 66 65 59 57 47 39 35 29 23
  天正5 丁丑 1577 42 ○大師、錫を上野国世良田長楽寺に挂け、宣海春豪を拝して、葉上流灌頂大阿闍梨位を遂ぐ △2月、信長、紀州雑賀を征す
△11月、信忠、松永久秀を亡ぼす
△12月、家康、従四位下右近衛権少将に任ず
69 68 67 66 60 58 48 40 36 30 24
  天正6 戊寅 1578 43 ○大師、稲荷堂在住 △3月、上杉謙信卒す
△8月10日、足利学校九華卒す
△12月、信長、荒木村重を討つ。
70 69 68 67 61 59 49 41 37 31 25
  天正7 己卯 1579 44 ○大師、稲荷堂在住 △3月、長尾景勝越後を定む
△4月7日、家康三子秀忠生まれる
△5月、浄土僧安貞・日蓮僧日珖、安土城に宗論す
71 70 69 68 62 60 50 42 38 32 26
  天正8 庚辰 1580 45 ○大師、稲荷堂在住 △6月、葦名盛氏入道止々斎卒す
△8月、信長、本願寺と和す
△秀吉、播磨を定む
△9月、家康の四子忠直生まれる
△家康、従四位上に陞る
72 71 70 69 63 61 51 43 39 33 27
  天正9 辛巳 1581 46 ○大師、稲荷堂在住 △2月、天主教徒、信長に教徒に謁す
△5月、葦名盛隆、款を信長に通ず。盛隆、三浦介となる
△8月、信長、高野聖1200人を戮す
73 72 71 70 64 62 52 44 40 34 28
  天正10 壬午 1582 47 ○大師、天寧寺の善恕仁庵に参し、碧巌録の提唱を聴く △3月、信長、勝頼を討つ。武田氏亡ぶ
△4月、信長、甲斐慧林寺を火く。快川等150僧これに殉ず
△6月、明智光秀、信長・信忠を弑す
△神戸信孝・羽柴秀吉、織田信澄・明智光秀を誅す
74 73 72 71 65 63 53 45 41 35 29
  天正11 癸未 1583 48 ○大師、稲荷堂在住 △4月、秀吉、柴田勝家を亡ぼす
△5月、秀吉、神戸信孝を亡ぼす
△9月、家康第六子信吉生まれる
75 74 73 72 66 64 54 46 42 36 30
  天正12 甲申 1584 49 ○大師、稲荷堂在住 △2月、家康、従三位参議に任ず
△4月、秀吉・家康と長湫に戦う
△10月、葦名盛隆弑せられる
△この年、秀吉、豪盛全宗に延暦寺再建を命ず
△存応、増上寺に住す
76 75 74 73 67 65 55 47 43 37 31
  天正13 乙酉 1585 50 ○大師、稲荷堂在住 △2月、尊朝法親王、天台座主に補す
△3月、秀吉、根来寺を焼く
△5月、関柴備中叛き、伊達政宗を会津に誘う。葦名氏討って平らぐ
△7月、秀吉、関白となる
77 76 75 74 68 66 56 48 44 38 32
後陽成 天正14 丙戌 1586 51 ○大師、稲荷堂在住 △5月、秀吉・家康成を行なう
△10月、家康、正三位権中納言に任ず
△11月、正親町天皇譲位
△同月、後陽成天皇即位
△葦名亀王丸夭す
△11月、秀吉、太政大臣に拝す
△家康、駿府城に徒る
78 77 76 75 69 67 57 49 45 39 33
  天正15 丁亥 1587 52 ○大師、稲荷堂在住 △3月、佐竹義広を養うて葦名氏の嗣とす
△秀吉、九州を征す
△8月、家康、権大納言に進み、左近衛大将を兼ねる
△この年、耶蘇教を厳禁す
79 78 77 76 70 68 58 50 46 40 34
  天正16 戊子 1588 53 ○大師、稲荷堂在住 △足利義昭、落飾して道慶と号す
△4月、天皇、聚楽第に幸す
80 79 78 77 71 69 59 51 47 41 35
  天正17 己丑 1589 54 ○6月、大師、葦名義広を護りて常陸に落つ
○秋、江戸崎不動院に住す
△3月、秀吉、東山に大仏を創む
△6月、伊達政宗、会津を略す
△9月、尊朝法親王、叡山に法華大会を復興す
81 80 79 78 72 70 60 52 48 42 36
  天正18 庚寅 1590 55 ○大師、仙波無量寿寺に遊び、僧正豪海に師事し、名を天海と改む
○10月1日江戸城に登り、初めて家康に謁す
△3月、秀吉、小田原を征す
△7月、小田原落ち、後北条氏亡ぶ
△この月、葦名盛重(義広改名)江戸崎に封ぜられる
△8月、家康、江戸城に徒る
△この月、伊達政宗、会津を収公せらる
△家康、増上寺存誉と師檀の芳契を結ぶ
△この年、多賀谷経重、長沼宗光寺を破却す。僧正亮弁、久下田に移る
82 81 80 79 73 71 61 53 49 43 37
  天正19 辛卯 1591 56 ○大師、不動院ならびに北院を薫す
○葦名盛重、熟田20町を不動院に寄せ、大師を請ず
△正月、八州の将士初めて江戸城に拝賀す
△2月、京都七条の地を本願寺に寄す
△12月、秀吉、関白を秀次に譲る。太政大臣故の如し。
83 82 81 80 74 72 62 54 50 44 38
  文禄元 壬辰 1592 57 ○大師、不動院・北院を兼帯す △3月、秀吉、明韓を征し、肥前名護屋に陣す
△水谷蟠龍、久下田に新宗光寺を創め、亮弁を請ず
△12月8日改元
△この年、家康第七子忠輝生まれる
84 83 82 81 75 73 63 55 51 45 39
  文禄2 癸巳 1593 58 ○夏、常陸の地大旱す。大師、法雩を高田浦九重の淵に修す。膏雨大に来たり、枯稿ことごとく蘇らす △正月、正親町上皇崩ず
△この月、関白秀次、妻妾を拉えて叡山に猟す
△この年、徳川家康、藤原惺窩をして貞観法要を講ぜしむ
△初めて小笠原島を検す
85 84 83 82 76 74 64 56 52 46 40
  文禄3 甲午 1594 59 ○大師、北院・不動院を兼帯す △2月、秀吉、花を吉野に賞す
△3月、秀吉、比叡山に詣でる
△家康、第八子松千代生まれる
△初めて千住大橋を架す
86 85 84 83 77 75 65 57 53 47 41
  文禄4 乙未 1595 60 ○大師、葦名盛重夫人のために安産を祈る。明王威霊を現じ、夫人すなわち誕ず △7月、秀次、死を高野山に賜う
△家康、聚楽に留めたる聖像および宋版五経註疏を足利学校に還す
△8月、秀次の妻孥妾等を京師に刑す
△家康第九子仙千代生まれる
87 86 85 84 78 76 66 58 54 48 42
  慶長元 丙申 1596 61 ○2月10日、北院第26世権僧正豪海寂す。大師、第27世の法統を継ぐ △4月、秀忠一女千姫生まれる
△5月、家康正二位内大臣に拝す
△明使封冊を呈す。秀吉、無礼を怒って使いを逐う
△閏7月、京伏見地大に震う
△11月27日改元
88 87 86 85 79 77 67 59 55 49 43
  慶長2 丁酉 1597 62 ○大師、北院・不動院を兼帯す △正月、再び外征の師を起こす
△2月、青蓮院尊朝法親王薨ず
△4月、常胤法親王、天台座主に補す
△8月、足利義昭薨ず
89 88 87 86 80 78 68 60 56 50 44
  慶長3 戊戌 1598 63 ○大師、北院・不動院を兼帯す △6月、秀吉、園城寺を再建す
△8月、東山大仏殿を慶す
△この月13日、前関白太政大臣豊臣秀吉薨ず
△江戸貝塚増上寺を芝に移す
△11月、外征の将士還り、家康に伏見に謁す
90 89 88 87 81 79 69 61 57 51 45
  慶長4 己亥 1599 64 ○大師、北院・不動院を兼帯す △閏3月、大納言前田利家薨ず
△8月、妙法院に万僧供養を修し、秀吉の冥福を祈る
△9月、増上寺存応、紫衣を聴さる
△この年、秀忠第二女子々生まれる
91 90 89 88 82 80 70 62 58 52 46
  慶長5 庚子 1600 65 ○7月、大師、江戸神田薬師堂に法を修し、巻数を家康に献ず
○大師、12月12日明星を観んとして修法す。験あり
△6月、上杉景勝、兵を挙ぐ。家康・秀忠東征して下野に至る
△8月、宇喜多秀家・石田三成、兵を挙げて家康を襲う
△9月、家康西征して美濃関ヶ原に三成等を破る
△10月、三成・行長・安国寺慧慶を誅す
△和蘭諾尼利亞、来たって互市を通ず
92 91 90 89 83 81 71 63 59 53 47
  慶長6 辛丑 1601 66 ○大師、北院・不動院を兼帯す △3月、秀忠、従二位権大納言となる
△7月、上杉景勝、家康に謝し、出羽米沢に封ぜられる
△家康、禁裏御料を整理す
△佐渡生野金銀の出鑛多し。よって通貨を整理す
△家康、九郎本尊仏を増上寺に寄す
93 92 91 90 84 82 72 64 60 54 48
  慶長7 壬寅 1602 67 ○大師、北院・不動院を兼帯す △正月、家康、従一位に陞る
△2月、家康、鶴ヶ丘八幡宮を造営す
△家康、光寿をして東本願寺を興さしむ
△5月、佐竹義宣の封を収め、出羽秋田に転封す。葦名盛重、同国角館に徒る
△6月、江戸富士見文庫を創む
△10月、家康の母・伝通院逝く。小石川に葬る
△12月、大仏方広寺火く。
94 93 92 91 85 83 73 65 61 55 49
  慶長8 癸卯 1603 68 ○大師、11月をもって久下田新宗光寺を管す
○12月、三昧流灌頂大阿闍梨位を継ぐ
△2月、家康、右大臣征夷大将軍に拝す
△7月、秀頼、秀忠の女千姫を納る
△10月、家康、右大臣を辞す
95 94 93 92 86 84 74 66 62 56 50
  慶長9 甲辰 1604 69 ○大師、10月を以て長沼宗光寺を復し、久下田を全永寺と改む △正月、足利学校寒松、貞観政要を家康に献ず
△7月、秀忠長子家光生まれる
△この年、東海東山北陸三道に一里塚を築かしむ
96 95 94 93 87 85 75 67 63 57 51
  慶長10 乙巳 1605 70 ○大師、長沼宗光寺に住す △4月、家康、将軍を辞し、大御所と称せられる。秀忠、征夷大将軍に拝す
△この月、家康、林信勝を試問し、神龍院梵舜に神道を問う
△禁裏の宮域を広む
△崇伝以心、南禅寺に住す
△朝鮮と和す
97 96 95 94 88 86 76 68 64 58 52
  慶長11 丙丑 1606 71 ○大師、長沼宗光寺に住す △3月、秀忠二子忠長生まれる
△江戸城を改築す
△4月、家康上洛
△6月、水谷勝俊卒
△9月、江戸城成る
△三河大樹寺を勅願寺とし、常紫衣を聴す
△11月、家康、江戸に帰る
98 97 96 95 89 87 77 69 65 59 53
  慶長12 丁未 1607 72 ○大師、長沼宗光寺に住す △正月、家康、江戸城を秀忠に譲り、駿府城に老す
△7月、家康、駿府城に移る
△10月、秀忠女和子生まれる
△12月、公海生まれる
△駿府城炎上
△承兌西笑寂す
99 98 97 96 90 88 78 70 66 60 54
  慶長13 戊申 1608 73 ○大師、台命に応じて叡山に登り、学徒を勧む
○12月、梨本[ウ取]胤法親王に就き、法曼流三部灌頂を受く
○この月、書を梶井宮坊官に送り、極官を請う
△正月、崇伝以心、駿府に召される
△3月、駿府城成る
△8月、家康、存応に浄土の血脈を受く
△11月、増上寺を勅願寺とし、常紫衣を聴す
△12月、永楽銭の通用を禁ず
100 99 98 97 91 89 79 71 67 61 55
  慶長14 己酉 1609 74 ○大師、東塔南光坊に住す
○11月、勅に応じて法を宮中に講ず
○12月、大師権僧正に任ぜられ、智楽院の号を賜う
△正月、豊臣秀頼、大仏殿を再建す
△3月、沢庵宗彭、大徳寺に住す
△7月、肥前平戸において和蘭人に互市を許す
△10月、宮嬪公卿を謫す。公海の父花山院忠長、これに座す
△家康、高麗蔵を増上寺に寄す
101 100 99 98 92 90 80 72 68 62 56
  慶長15 庚戌 1610 75 ○大師、教に応じて駿府に抵り、初めて論議を開く
○9月、大師、款状を上りて天台法華会広学堅義探題を請う。勅してこれに補す
△正月、家康、駿府に金地院を興し、崇伝を住せしむ
△6月、権僧正豪盛寂す
△7月、天皇、存応に浄土宗戒を受け、普光観智国司の徽号を賜う
102 101 100 99 93 91 81 73 69 63 57
後水尾 慶長16 辛亥 1611 76 ○大師、権を転じて正僧正に任ぜられ、毘沙門堂門跡を賜う
○大師、教に応じて駿府に抵る。家康、天台血脈の相承を求む。許さず。まず諸宗の教義を究めしむ
○7月、家康、大師をして仙波無量寿寺に住せしむ
○11月、家康、川越に抵り、大師に寺領を約す
△正月、家康、太政大臣の内旨を拝辞す。詔して新田義重に鎮守府将軍、徳川広忠に大納言を送る
△3月、後陽成天皇譲位
△4月、後水尾天皇即位
△6月、加藤清正卒す
△11月、家康、大光院を金山に興し義重・義貞を、相応寺を岡崎に興し広忠を弔す
103 102 101 100 94 92 82 74 70 64 58
  慶長17 壬子 1612 77 ○4月、大師、山を出でて仙波に到らんとし、駿府を過ぎる。家康、寺領300石を寄せ、喜多院の号を付す
○11月、家康、喜多院に莅み、中院を境外に移す
○この月、後陽成上皇、星野山の勅額を賜う
△正月、家康、宗珊を召して、曹洞の問答を聴く
△5月、元佶三要寂す
△6月、家康、真言の論議を聴く
△8月、金地院崇伝、板倉勝重、寺社のことを管す
△12月、[ウ取]胤法親王、天台座主に補す
104 103 102 101 95 93 83 75 71 65 59
  慶長18 癸丑 1613 78 ○正月、大師、駿城に候す
○2月、駿城に天台論議を開く
○7月、駿城天台論議
○8月、同上
○8月15日、家康、安倍川小路の寓に臨む
○この月、仙波に帰る
○同月28日、秀忠、関東天台法度を喜多院に付す
○10月、江戸に候す。西城論議一句問答この時に始まる
○10月、家康、喜多院に臨み、論議を聴く
○この月、大師、日光山別当に補す
○11月、日光坐禅院に入る
○12月、江戸に候す。家康、喜多院に寺領500石を寄す
△6月、家康、紫衣の制を定む
△10月、家康、竹千代を以て世子となす
△12月、禁裏仙洞造営成る
105 104 103 102 96 94 84 76 72 66 60
  慶長19 甲寅 1614 79 ○正月、大師、江戸西城に候す、論議
○3月、駿城に候す。家康命じて、浅間社の能楽、法相真言の論議に陪せしむ
○この月、大久保忠隣のために陳情書を家康に呈す
○4月上洛、宮中論議
○この月、興聖寺円耳に長楽流の秘奥を授く
○5月、駿城に候す
○家康に天台血脈を相承す
○この月、天台論議
○日光銅山、銀を産するの報を受く
○6月、駿城論議
○7月、血脈相承
○駿城論議
○この月、家康、宋版一切経を喜多院に寄す
○8月、血脈相承
○大仏供養出役の天台僧座配に関し抗議を呈す
○大仏鐘銘の諮問を受く
○10月、仙波に帰る
○11月、上洛、家康のために仙洞の秘籍を拝借す
○大師、機を得て、主上・上皇・女御および家康の諧和に勗む。上皇、意漸く釈く
○12月、院使として家康の陣に向い、恩賜の薫物を付す
○初めて小栗某のために哀を乞う
△4月、家康、重ねて太政大臣の宣を受く。固辞す
△8月、大仏供養を停む
△10月、豊臣秀頼を大坂に討つ
△12月、大坂と和す
106 105 104 103 97 95 85 77 73 67 61
  元和元 乙卯 1615 80 ○正月、大師、院参して、万病円を献ず
○この月、参内、正を賀す
○2月、上皇に天台血脈を相承す、上皇、御衣・燕尾・霊杖を賜う
○上皇、殿舎一宇を大師に賜い、坂本に法勝寺を創めしむ。女御また一殿を寄す
○6月、二条城論議
○閏6月、二条城論議
○この月25日、家康に天台血脈を相承す
○7月、二条城論議
○この月2日、家康に山王一実神道を授く
○大師、氏家行広第四子のために哀を乞う
○8月21、23両日、宮中論議
○この月、駿府を経て仙波に帰る
△5月、大坂再征、豊臣氏亡ぶ
△6月、家康、大蔵一覧を諸山に頒つ
△7月、秀忠、江戸に還る
△この月13日改元
△8月、家康、駿府に還る
107 106 105 104 98 96 86 78 74 68 62
  元和2 丙辰 1616 81 ○2月、大師、駿府に急行して家康の病を看侍す
○3月、藤堂高虎に授戒す
○4月、教を奉じて大般若を浅間神社に転じ、家康の病を祈る
○家康、大師に身後の祭祀を遺言す
○大師、崇伝と葬祭の化犠を論ず
○5月、教を奉じて京師に抵り、神号を奏請す
○7月、大僧正に任ぜられる
○8月、正親町天皇の御忌を修す
○9月、大権現の命を拝し、江戸城に復命す
○10月、日光山に上り、宮社の準縄を施す
△正月、家康、田中城に病む
△2月、准后義演、宮中に家康の病を祈る
△3月、家康、太政大臣に拝す
△4月、太政大臣源家康薨ず。久能山に神葬す
△10月、本田正純、藤堂高虎に日光神廟の造営を命ず
108 107 106 105 99 97 87 79 75 69 63
  元和3 丁巳 1617 82 ○2月、大師の奏請容れられ、家康に東照権現の神号を賜う
○3月、東照大権現に正一位を贈られる
○この月15日、大師、久能山に登り、親しく霊柩を発掘し、奉じて日光山に遷殯す
○4月、霊柩を奥院に歛葬し、神位を正殿に奉安す
○この月、東照権現小祥神忌を修す
○6月、上洛。後陽成上皇の御悩に看侍す
○9月、後陽成天皇初月忌の供養導師を勤仕す
△2月、増上寺安国殿を慶す
△6月、秀忠上洛
△8月、後陽成上皇崩ず
△12月、久能山東照社正遷宮を行なう
109 108 107 106 100 98 88 80 76 70 64
  元和4 戊午 1618 83 ○2月、大師、片山法印與安のために哀を乞う。秀忠、これを赦す
○4月、江戸西城紅葉山東照原廟成る。大師、正遷宮を修す
  110 109 108 107 101 99 89 81 77 71 65
  元和5 己未 1619 84 ○5月、大師上洛
○6月、伏見城に登り、福島正則のために哀を乞う。秀忠、これに聴き、信州川中島に移す
○8月、後陽成天皇大祥忌を修せらる。大師、中日の導師を奉ず。主上、御行道在らせらる
○9月5日、宮中に論議を催す
○この月、尾州東照権現の正遷宮を修す
○10月、日光東照権現の祭祀を修す
○この年、春夢に桓武天皇を感じ、叡山に天皇の廟塔を得たり
△9月、直輔親王得度して知恩院に坐す
△金地院崇伝を僧禄司となす
111 110 109 108 102 100 90 82 78 72 66
  元和6 庚申 1620 85 ○2月、大師、花山院忠長の男を養うて子となす。久遠寿院公海これなり
○3月、秀忠、日光仙波の寺領の朱印を大師に付す
△6月、秀忠女和子入内す
△9月、竹千代元服、権大納言家光と称す
△11月、観智国師存応寂す
112 111 110 109 103 101 91 83 79 73 67
  元和7 辛酉 1621 86 ○正月、大師、日光釈迦堂跡に妙道院を創む
○3月、水戸東照権現の正遷宮を修す
○10月上洛、桓武天皇の廟塔を慶賛す
○11月、和歌浦東照権現の正遷宮を修す
  113 112 111 110 104 102 92 84 80 74 68
  元和8 壬戌 1622 87 ○4月、東照権現七回神忌を日光山に修し、大師、ために十僧を手度す
○5月、家光のために伊丹権六の孤を救護す。智楽院忠運これなり
○11月、秀忠、大師の住院を府内に創んとし、地を上野に相す
△4月、秀忠、急遽日光を発し、路を転じて帰営
△8月、本田正純を謫す
△11月、江戸本城成る
114 113 112 111 105 103 93 85 81 75 69
  元和9 癸亥 1623 88 ○6月、大師、公海を薙染す
○7月、上洛
○8月中、和門院落飾の戒師を奉ず
○9月、紀州和歌浦東照廟別当天曜寺を慶す
○10月、妙法院堯然法親王を灌頂す
○12月、皇女降誕を奉賀し、[ウ取]胤法親王に書を寄せて、将来、東叡山に皇子奉戴の希望を陳ぶ
○この月、名古屋に疾む。秀忠、官医を派して診療せしむ
△6月、秀忠上洛。将軍を辞す
△7月、家光将軍に拝す
115 114 113 112 106 104 94 86 82 76 70
  寛永元 甲子 1624 89 ○春、大師、江戸に帰錫す。秀忠、宴を花圃に設けて厚饗す
○秀忠、御殿山の別館ならびに銀5万両を寄せて、上野本坊の資となす
○家光、竊に大師に議りて、本城に東照廟の内宮を創む
△2月晦日、改元
△8月、甲斐忠長に駿遠2州を加封す
△11月、和子中宮に冊立す
116 115 114 113 107 105 95 87 83 77 71
  寛永2 乙丑 1625 90 ○2月、大師、東叡山の建立を剏む
○7月、家光、日光に賽し、大師、祭会を修す
○11月、上野本坊成る。東叡山円頓院と号す
△8月、増上寺廊山寂す
△11月、中宮皇女降誕
△局阿福、麟祥院を創む
117 116 115 114 108 106 96 88 84 78 72
  寛永3 丙寅 1626 91 ○夏、大師、藤堂高虎と議り、台命を奉じて、上野に東照権現の祠を営む
○8月上洛、宮中に論議を行なう
○この月、公海を九条家の猶子となし、毘沙門堂門跡を譲る
○9月、観音院忠尊を青蓮院の門室となし、智楽院を嗣がしむ
○11月、穴太流の灌頂を遂げ、東叡山をもって諸密兼学の地となす
△6月、秀忠、8月家光上洛
△9月、車駕二条第に幸し、蹕を駐むる5日
△この月、秀忠、太政大臣、家光、左大臣に拝す
△大相国夫人浅井氏薨ず。増上寺に葬り、崇源院と謚す
△11月、皇子降誕、二品に叙し高仁親王と称す
118 117 116 115 109 107 97 89 85 79 73
  寛永4 丁卯 1627 92 ○4月、東叡山東照大権現の神祠成る。
○9月、勅会をもって正遷宮を行なう。大師、これが導師たり
○12月、東叡山常行法華二堂成る。大師、これを慶賛す
  119 118 117 116 110 108 98 90 86 80 74
  寛永5 戊辰 1628 93 ○4月、東照大権現第13回神忌を日光山に執行す。天皇宸筆の御経法華二十八品の和歌を賜う。大師、これを供養す
○同18日、[ウ取]胤法親王、塔中に密灌を修す。霊雨の瑞あり
○同26日、大師、宸筆の御経を供養す。包紙に杜鵑の御製あり。雲間初音を漏らす。家光、深感非常の大赦を行なう
○この月、日光山妙道院を慶す
△6月、皇儲高仁親王薨す
△9月、第二皇子降誕次で薨ず
120 119 118 117 111 109 99 91 87 81 75
明正 寛永6 己巳 1629 94 ○2月、家光、痘を病む。大師、東照廟に祈り、験あり
○3月、秀忠、東叡山に賽し、大師の饗を享く。上野御成ここに始まる
○6月、家光また賽す。大師の坊に臨み、饗を享く
○7月、大徳寺の僧玉室沢庵、妙心寺の単伝東源を竄す。大師、崇伝と争って寛刑を主張し、これを容れらる
△5月、天皇、麻疹を病む。叡慮脱屧に傾く。幕府、これを諌止す
△8月、皇女降誕
△11月、後水尾天皇、位を明正天皇に譲る。中宮を尊んで皇太后宮となし、東福門院と称す
121 120 119 118 112 110 100 92 88 82 76
  寛永7 庚午 1630 95 ○2月、身延の僧、池上の僧と不受不施を争い、酒井忠世の亭に対論せしむ。大師、これを判して、池上派を謫す
○7月、大師・崇伝交々秀忠を勧めて小姓の盆踊りを観せしむ
△7月、中和門院薨ず
△9月、明正天皇位に即く
△この年、耶蘇教典の船齎を禁ず
122 121 120 119 113 111 101 93 89 83 77
  寛永8 辛未 1631 96 ○6月、秀忠、病篤し。大師、命に応じて熾盛光の法を修す。成らず
○9月、大師、日光山に病む
○11月、富永重師のために哀を乞う。赦さる
○12月、忠長のために勘気を宥めんことを乞う。許されず
○大師、旨を受けて、秀忠に身後神位を望むや否やを問う
△7月、家光、局春日を近江に遣し、秀忠の病を多賀明神に祈らしむ
△8月、上野仙波浅草に猿楽を法楽し、秀忠の病を祈る
△11月、忠長、浅間神社の山に猿を猟す狂を発して無辜を戮し、謹慎を命ぜらる
123 122 121 120 114 112 102 94 90 84 78
  寛永9 壬申 1632 97 ○5月、秀忠、死に瀕み紅葉山に賽せんとす。重臣、太だ艱む。大師、対機喩を設けてこれを諌止す
○この月、大師、命を奉じて秀忠を衡岳院と追号す。道春永喜、異を立て、互いに激論す
○4月、東照大権現第17回神忌を修す
○この月、日光山に万部経を修し、秀忠の冥福を祈る
○7月、松平忠利等のために哀を乞い、玉室沢庵単伝東源のために赦を乞う。ともに許さる
○8月、中院通村のために解恕に力む。通村、帰洛を許さる
△正月、太政大臣源秀忠薨ず。増上寺に葬らる
△2月、秀忠に勅して正一位を贈り、台徳院と号す
△9月、忠長を甲府に幽す
△11月、義直、聖堂を上野に興す
△12月、忠長を高崎に徒す
△この年、初めて疥癬行なわる。世に肥前瘡と称す
124 123 122 121 115 113 103 95 91 85 79
  寛永10 癸酉 1633 98 ○正月、大師、大将軍身の神像を造り、喜多院東照廟の神体となす
○3月、家光、東叡山に臨み、帰途、先聖殿に詣で、尚書を聴く。大師、これに陪す
○8月、二の丸東照祠成る。大師、遷宮の事を執る
△正月、本光国師崇伝寂す
△3月、院第三皇子降誕、素鶩宮と称す
△12月、忠長、高崎に自裁す
125 124 123 122 116 114 104 96 92 86 80
  寛永11 甲戌 1634 99 ○6月、上洛。東坂本に東照廟を創む
○閏7月、東坂本東照大権現正遷宮を行なう
○大師、宿積の志を遂げ、延暦寺諸堂の復旧に着手す
○酒井忠世のために救護す
△閏7月、院第四皇子降誕。今宮と称す
△8月、家光、京奈良大坂堺の市民に徳政を布く
△9月、家光、日光に詣ず
126 125 124 123 117 115 105 97 93 87 81
  寛永12 乙亥 1635 100 ○5月、日光山に登り、東照大権現仮殿遷宮の儀を修す
○6月、紅葉山東照廟祭祀の事を執る
○家光、東照縁起の撰述を大師に属す
○7月、家光、西園の苹果を大師に贈る
△11月、家光、東照縁起に宸翰を賜うべき命を拝し、金品を献じて恩を謝す
△この月、初めて寺社奉行を置く
127 126 125 124 118 116 106 98 94 88 82
  寛永13 丙子 1636 101 ○4月、日光山東照祠造営新に成る。大師、遷宮を行い、第21回神忌勅会法要を修す。また、宸筆縁起を神前に納め、法華問答を修す
○5月、大師、病む。家光、老臣を使わして看侍せしむ
○6月、病癒え、東叡山に帰錫す。家光、また慰問せしむ
○8月、家光、上野に詣で、大師の坊に臨む
○12月、韓使、日光山に詣ず。大師、これを饗す
△4月、上皇宸翰縁起を家光に賜う
△6月、寛永通宝を布く
128 127 126 125 119 117 107 99 95 89 83
  寛永14 丁丑 1637 102 ○3月、大師の請により、大蔵の新刊を東叡山に命ず
○4月、二の丸東照祠の廟基を定む。双鶴瑞を献ず。大師、祭文を作りて頌賀す
○7月、家光の長女に千代姫と命名す
○8月、江戸本城工成る。大師、安鎮の法を修す
○9月、二の丸東照廟正遷宮を行なう
○10月、家光、大師の坊に臨み、風流を観る
△4月、祐天生まれる
△10月、島原天主教徒、乱を作す
129 128 127 126 120 118 108 100 96 90 84
  寛永15 戊寅 1638 103 ○正月、仙波喜多院火く
○4月、家光、上野の本坊に臨む。大師、半〓驢庵・今大路道三・柳生三巌のために哀を乞う。許さる
○6月、仙波東照廟の工を刱む。家光、川越の旅館を寄せて、大師の本坊に充つ
○11月、大師、病む。請うて寺務を公海に付属す
○この月、家光、大師の病を問い、山王一実神道の要を聴く
△3月、島原の乱平らぐ
△4月、在府諸侯ことごとく上野東照社に詣ず
130 129 128 127 121 119 109 101 97 91 85
  寛永16 己卯 1639 104 ○2月、家光、老臣を遣わして大師の病を問う
○3月、家光、本坊に臨み、一実神道を相承す
○4月、延暦寺根本中堂立柱式を行なう
○5月、上野五重塔ならびに薬師堂火く
○9月、大師、真名縁起を再治す
○11月、真名縁起を家光に示す
○閏11月、尊純法親王、和歌縁起成る。家光、親王、大師を請じて茶を饗し、青蓮院に500石を寄す
○この年、後水尾上皇第四皇子今宮を大師の付弟とする勅を拝す
○家光、天台血脈を相承せんと請う。大師、これを許さず
○大師、晃海をして世良田長楽寺に住せしむ
△3月、良恕法親王、天台座主に補す
△8月、江戸本城火く
△9月、金地院を城内より芝の地に移す
131 130 129 128 122 120 110 102 98 92 86
  寛永17 庚辰 1640 105 ○3月、家光、大師の坊に臨む
○4月、大師、縁起に奥書して家光に捧ぐ。家光、奉持して日光神廟に納む
○この月、東照大権現第25回神忌を修す
○大師、奏請して公海を一身阿闍梨となす
○6月、日光山勅会大祭の終了を祝し、大師に猿楽を観せしむ
○7月、仙波喜多院を慶す
○秋、家光、大師の高寿を憂い、官医4名を常侍せしむ
△4月、江戸本城成る
△7月、堯然法親王、天台座主に補す
△11月、根本中堂を慶す
132 131 130 129 123 121 111 103 99 93 87
  寛永18 辛巳 1641 106 ○4月、日光山奥の院を石塔に改営す。旧塔を毀つ。夕、大師、夢に家康に謁す
○この月、家光、大師の上野本坊に臨む
○5月、大師、日光山に登る。家光、慰問絶えず
○大師、日光山上に慈慧堂を建て、家光の世子を祷る
○7月、祈願効なくんば再び山菅の橋を渡らずと誓う
○8月、家光の世子誕る。大師、竹千代と命名す
○9月、石の宝塔成る。大師、法華問答を修して慶讃す
○10月、日光山大雪大師、家光の社参を止む
○11月、家光、城辺に中邸を営み、大師を請ず
○この月、大師病む。家光、親問薬を薦む
○大師、家光に天台の血脈を相承し、前唐院の法櫃を進む
△正月、江戸大火 133 132 131 130 124 122 112 104 100 94 88
  寛永19 壬午 1642 107 ○2月、大師、紅葉山に登りて竹千代初参の儀を執る
○4月、家光、大師を本坊に問い、風流を観る
○この月、大師、日光山陵墓奉幣使を迎う。法会例の如し
○9月、大師、日光山相輪橖の議を立つ。家光、これに応ず
○11月、家光、大師の中邸に臨む
△2月、浅草観音堂火く
△5月、天下飢饉す
△12月、慈胤法親王、天台座主に補す
134 133 132 131 125 123 113 105 101 95 89
後光明 寛永20 癸未 1643 108 ○正月、大師、紅葉山斎会を修す
○この月、前田光高のために東照権現を開眼す
○5月、日光山に登り、相輪橖を慶す
○6月、家光、大師を城中に請じ、相輪橖落成祝賀の能楽を催す
○7月、二の丸新築成る。大師、安鎮の法を修す
○この月28日、大師、病に臥す
○8月、大師、葦名平四郎のために引見を請う。允さる
○9月、家光、大師の病を問うて薬を薦む。紀伊頼宣もまた薬を薦める
○同29日、家光、病床に就いて遺言を問う。曰く、照廟の増益、台門の隆興、弟子親王を諸宗に冠たらしむ、毘沙門堂の再興、遺命の徒を赦す
○10月1日、家光、探幽をして寿像を貌せしむ
○この月、弟子に遺命す
○同2日、唯識論を読み、盥咳更衣午時に至り、端然として化を示す。世寿一百八歳
○同3日、遺書遺宝を家光に献ず
○同4日、家光、四神足を召して営葬の事を議す
○同7日、全身を沐浴して納棺す
○同6日、霊柩東叡山を出づ
○同10日、日光山に入る
○同17日、大黒山に葬る
△正月、竹千代髪置の式を挙ぐ
△9月、局春日卒す
△10月、明正天皇、位を後光明天皇に譲る
△この月、天皇位に即く
135 134 133 132 126 124 114 106 102 96 90
  正保元 甲申 1644 滅後2 ○5月、家光、法親王下関の間、公海をして日光上野の寺務たらしむ
○10月2日、今宮を親王として幸教と称す
○この日、東叡・日光・星野三山に大師の小祥忌を修す
○同6日、幸教親王、青蓮院に入室、尊敬法親王と号す。干時11
○この月、家光、日光・上野・坂本に大師の影堂を創む
△12月16日改元                      
  正保2 乙酉 1645 3 ○3月、家光、論議を聴き、公海に比叡山東照廟神領を寄す
○10月2日、大祥忌を修す。家光、上野影堂に詣で、公海以下に金品を寄す
△11月、東照大権現に勅して宮号を賜う
△12月、沢庵宗彭寂す
                     
  正保3 丙戌 1646 4                          
  正保4 丁亥 1647 5 ○9月、無品尊敬法親王、東叡山に入る
○11月、尊敬法親王登営、家光・家綱と会見す
○この日、大僧正天海に大師号宣下の内旨を伝う。家光、金品を献りて恩を謝す
                       
  慶安元 戊子 1648 6 ○3月、入道尊敬親王、二品に叙す
○毘沙門堂門跡、公海大僧正に任ず
○4月11日、故大僧正天海に慈眼大師を勅謚す
○同16日、東照宮第33回神忌恩贈経を供養す
○日光山、法華八講を始修す
○同18日、後水尾上皇、木綿襷の御製を賜う
○この日、天海版大蔵経を家光の覧に供す
○同20日、家光、大黒山慈眼堂に詣ず
△2月15日改元                      
  慶安2 己丑 1649 7 ○7月、二品尊敬法親王上洛
○8月、公海等参内、謚号宣下の謝表を上る
○同13日、二品尊敬法親王を一品に除す
○10月2日、大師第七回忌を上野慈眼堂に修す。家光、これに臨む
                       
  慶安3 庚寅 1650 8                          
  慶安4 辛卯 1651 9                          
  承応元 壬辰 1652 10                          
  承応2 癸巳 1653 11                          
  承応3 甲午 1654 12 ○一品尊敬法親王、日光東叡両山に座す                        
  明暦元 乙未 1655 13 ○10月、一品尊敬法親王、天台座主に補し、護持僧となる
○11月、一品尊敬法親王、天台座主を辞す
○この月、一品尊敬法親王に輪王寺の号を賜う。親王名を守澄と改む
                       
  明暦2 丙申 1656 14                          
  明暦3 丁酉 1657 15                          
  万治元 戊戌 1658 16                          
  万治2 己亥 1659 17                          
  万治3 庚子 1660 18                          
霊元 寛文元 辛丑 1661 19                          
  寛文2 壬寅 1662 20                          
  寛文3 癸卯 1663 21                          
  寛文4 甲辰 1664 22                          
  寛文5 乙巳 1665 23                          
  寛文6 丙丑 1666 24                          
  寛文7 丁未 1667 25                          
  寛文8 戊申 1668 26                          
  寛文9 己酉 1669 27                          
  寛文10 庚戌 1670 28                          
  寛文11 辛亥 1671 29                          
  寛文12 壬子 1672 30                          
  延宝元 癸丑 1673 31                          
  延宝2 甲寅 1674 32                          
  延宝3 乙卯 1675 33 ○10月2日、大師第三十三回忌を修す。明正天皇、法華二十八品の文を題とし御製ならびに和歌の短冊を賜う。爾来、献詠の佳例行なわれ、近く明治年間に及ぶ。