桃井望
桃井 望(ももい のぞみ、1978年9月23日 - 2002年10月12日)は、キカタン(企画単体)のAV女優。本名は渡邉芳美(渡辺芳美)。
2001年にAV女優としてデビュー。このとき、1980年生まれとして2歳サバを呼んでいた。ウイナーズアソシエーションに所属。ロリータ系の企画単体女優として人気を博し、「のんたん」の愛称で親しまれた。合計200本以上のAVに出演。人気AV女優4人によるアイドルユニット「minx」にも参加していた。同じ事務所に所属していた堤さやかとは親しかった。
また、劇団「ストレス発散計画」の舞台にも「渡邉芳美」名で出演している。舞台女優を志望していた。
2002年10月12日、長野県塩尻市の奈良井川河川敷で起こった「アベック焼死事件」で怪死。現在に至るも事件の全貌は明らかになっていないが、彼氏とともに第三者によって殺害された可能性が高い。享年24歳。
目次
プロフィール
以下のプロフィールはAV女優としてのものである。
- 血液型:A型
- 身長:148cm
- サイズ:B86cm(E-65)、W56cm、H85cm
- 出身地:東京都
- 趣味:ショッピング
活動年表
- 2001年
- 4月6日発売の「青い性欲 桃井望」(ドグマ)でAVデビュー。その後、合計200本に及ぶAVに出演することになる。
- 11月2日~4日、新宿pamplemousseにて、劇団「ストレス発散計画」の11月公演「ON AIR 私の街からこんばんわ!!」(全5回公演)に「渡邊芳美」名義で出演。役名は「本庄ヒロ」。演劇の舞台は初めてだった。
- 2002年
- 5月、身長150cm以下の人気AV女優4人(桃井望、堤さやか、長瀬愛、樹若菜)でアイドルユニット「minx」を結成。ビデオ同梱CDで歌手としてもデビューする。
- 6月、『NOZOMI―桃井望写真集』(高橋生建、双葉社)発売。
- 10月12日午後8時55分ごろ、長野県塩尻市広丘郷原の奈良井川の河川敷で、「乗用車が燃えている」と通行人の男性から119番通報。車は全焼し、車内と、車から数メートル離れた場所から、2人の焼死体が見つかった。
アベック焼死事件
2002年10月12日午後8時55分ごろ、長野県塩尻市広丘郷原の奈良井川の河川敷で、「乗用車が燃えている」と通行人の男性から119番通報があった。車は灯油をかけられて燃やされていた。
現場はJR塩尻駅の北西約3キロ。周辺に人家はない。すぐ上の堤防道路は軽自動車がやっとすれ違えるほどの狭さで通行量も少ない。
松本広域消防局の消防車が出動、間もなく消し止めたが、車両の中と外にそれぞれ計2人の遺体が見つかった。
遺体は東京都中野区本町、会社員渡辺芳美さん(24)と塩尻市広丘堅石、会社員酒井宏樹さん(24)と判明。渡辺さんは脇腹と背中に複数の刃物の刺し傷があり、これが直接の死因になった。
渡辺さんは車から10メートル離れた場所で、酒井さんは車内の後部座席で、いずれも焼け焦げた状態で見つかり、酒井さんは焼け方が激しかった。酒井さんの遺体は焼損が激しく死因は不明だが、左手(利き手ではない)のあたりに刃物があった。
自動車は酒井さんのもので、オデッセイ。
塩尻署は、無理心中と殺人事件の両方の可能性があるとみて捜査していたが、殺人事件としての捜査本部は設置されなかった。
事件に至る流れ
渡邉芳美さん
- 渡辺さんは長野県伊那市出身(小学校のころに引っ越してきたという報道もあるが、自宅の近くの保育園に通っていたという)。6歳違いの兄がいた。また、生後まもなく亡くなった姉がいた。
- 小学校では学校のミニバスケットボール・チームに入る。中学、高校でもバスケットボールを続けていた。選手として活躍したころには県大会優勝も経験している。K子さんはこのころからの幼なじみ。
- 高校は、駒ヶ根市の長野県赤穂高等学校の普通科。
- 東京の短大に進学した年、家族は父の仕事の都合で埼玉県に引っ越した。都内の短大で食物栄養の勉強をし、栄養士の資格を取得した。さらに上級の資格を取るために都内の専門学校に進む。
- このころ、ミニバスケット・チーム以来の友人M子さんは、渡辺さんから妊娠したと打ち明けられている。相手はスーパーのアルバイトで知り合った25歳くらいの男性。妊娠を知った男性はすぐに結婚を決意したが、渡辺さんは迷い、結局堕胎手術を受ける。
- 同じ専門学校の彼氏とつきあい、半同棲といえるほど頻繁に、西武沿線沿いにあった彼氏のアパートに泊まり込むようになる。しかし、専門学校卒業式当日、部屋で二人で過ごそうとした渡辺さんのもとに彼氏は帰らず、他の女性と卒業祝いのパーティーに出かけてしまった。渡辺さんは夜半までアパートの前で帰りを待ったが、諦めて帰る。深夜、号泣しながらM子さんに電話を入れた。
- 専門学校を出てからは、病院の食事を作る仕事に就いた。
- 都内に住む伊那出身の男性と交際するが、その男性と別れた後は「駅でナンパされた男性の後をついていった」など奔放になっていったという。
- 病院での仕事は1年ほどで辞める。「きついから辞めたいな」と言い続けていた。
- その後、JR新宿駅東口アルタ前でスカウトされ、AV業界入りする。AV業界のモデル事務所社長(兼プロデューサー)と同棲(minxを企画したオブテインフューチャーの代表・樋口裕士氏とも言われている)。
- 2000年末、プロフィール用の写真撮影。
- 2001年2月、初のビデオ収録を行なう。4月、AV女優としてデビュー。
酒井宏樹さん
- 酒井さんは長野県伊那市出身。1977年12月20日生まれ。
- 渡辺さんと同じ駒ヶ根市の長野県赤穂高等学校の普通科に通っていた。酒井さんは渡辺さんより学年が1つ上。当時、渡辺さんは酒井さんのことを知っていたが、酒井さんは渡辺さんのことを知らなかったという。
- 名古屋市内の専門学校に通っていた。高校・大学を愛知県で過ごしたK子さんとも親しかった。
- バンドのボーカル担当でもあった。
- 3年来の交際を続けている彼女がいた。
- 酒井さんは伊那市内にある大手家電メーカーの工場を退職し、2001年8月ごろから、塩尻市内の施工会社で大手メーカーが販売するユニットバスの据え付けを担当していた。同社社長は、伊那の家電工場での上司であったが、独立したのをきっかけに酒井さんに「一緒に働かないか」と声をかけた。歩合制のため上下はあるが、手取りで35万円ほど。月末に実家に戻ると、そのうち15万円ほどを母親に託していた。
- 実家は伊那市だが、2001年から仕事の関係で塩尻市に住んでいた。
二人の出会い以降
- 2001年
- 5月のゴールデンウィークに渡辺さんが長野県伊那市に戻り、幼なじみの友人K子さんの家に遊びに行く。K子さんは塩尻市内でエステの勧誘のアルバイトをしていた。そのとき、酒井さんからK子さんに電話があり、一緒に飲まないかと誘われる。酒井さんが連れてきた男友達2人とともに、5人で飲み会。これ以降、酒井さんと渡辺さんは連絡を取り合うようになる。
- 連絡を取り合うようになって早い時期に、渡辺さんは酒井さんにAV女優であることを打ち明ける。地元友達には初めて打ち明けたという。その後、メールや電話のやりとりが続く。
- 7月ごろから、渡辺さんは塩尻に通うようになる。
- 11月、劇団公演。その前に、渡辺さんは友人のM子さんと新宿の喫茶店で会い、「将来は女優になれたらいいな」と2枚のチケットを手売りした。M子さんは仕事の都合で劇団の公演には行けなかった。M子さんに渡辺さんに連絡したのはこれが最後。
- 11月ごろ、「桃井望が引退したいと言っている」という話が関係者から出ていた。
- 2002年
- 年初に桃井望が仕事を1か月ほど休業している。この業界で1か月休むと通常は「終わり」であるが、桃井望は復帰した。
- 4月、桃井望の取材が「ゼンカイ(全解)」になる。ゼンカイとは、アダルト系の情報誌にしか掲載が許可されなかった女優が、コンビニや駅売りの一般週刊誌に載ることも可能になること。この4月はゼンカイになった女優が多かったが、週刊誌記者のインタビューに対して桃井は「他のゼンカイ組に負けないように頑張ろう」と明るく話している。
- 4月末日、酒井さんは「金銭消費貸借契約証書」という不審な契約書を書いている。債権者名は「酒井宏樹」、債務者は「I」。「利息は無利子」として、80万円を用立てている。Iという名前は家族も友人も誰も聞いたことがなく、前後の卒業生名簿にもない。死亡する2週間ほど前の9月末日に一括返済の期限を設定しているが、通帳には記録がない。貸し付けにあたって、口座から金を引き出した様子はない。
- 5月12日朝、酒井さんは利き手の右腕が急に動かなくなった。実家に戻って、仲間と酒を飲み、珍しく泥酔して寝違えたと会社に報告している。そのため、医者にも通ったが、1か月近くも右腕が充分に利かなくなった。「グーになったきり自分の意志では指が伸ばせなくなって、仕事を1か月休んでいる」(上司)。それから職場に復帰するまでの時期、当時まだ交際中だった地元の彼女には、電話するたび「いま仕事で長野市にいる」と忙しそうに話していたが、仕事は休んでいた時期であり、長野県北部の都市に会社の仕事もなかった。
- 5月15日、酒井さんは地元銀行のカードローンに申し込んでいる。銀行で30万円、消費者金融で30万円を借りているが、その契約書類の筆跡が本人のものと違うらしい。誰かが銀行まで付き添って契約した可能性があるという。返済はどちらも月々約1万円で、返済は亡くなるまで滞りなく続けられていた。
- 仕事を休んでいたころ、酒井さんはアパートの隣に住むMさんと仲良くなり、マルチ商法に関わっていた。5月か6月ごろ、K子さんは酒井さんに誘われ、Mさんと3人で説明会に行っている。このマルチ商法は「ユナイテッド・パワー」であると推測される(下記マルチ商法の節参照)。この配当金は未払いになっていたという。アパートからは「お兄ちゃんは悪魔だ。だまされた」というメモも見つかっている。捜査関係者によると、このマルチ商法は、松本でも被害届が2件出ているという。
- 8月ごろ
- K子さんは1年間の海外留学から帰ってきていた(帰国自体は5月~6月ごろ?)。K子さんは留学中に、以前の飲み会で一緒に飲んだ男友達からメールで、渡辺さんがAVに出ていることを知らされていた。帰国後、渡辺さんと長いつきあいの女友達と伊那で食事をしたところ、仲の良かった誰にも自分の仕事を打ち明けていないことを知り、渡辺さんに電話をかけた。「みんな知っていたとは思っていたけど、いいづらくって」「後悔はしていないから」と渡辺さんは話した。
- 9月ごろ
- 酒井さんが、3年来つきあっていた彼女と別れた。渡辺さんが原因ではない。別れた彼女は「お互いやりたいことがあるなら別れようよと私から言ったんです」と言っている。その夜、伊那の町に友人らと飲みに行っている。
- AV関係者によると、渡辺さんは周囲の関係者と、AVをやめるやめないでもめていたという。本人自体はアイドル志望でもないので、minxをあまりやりたがっていなかった。10月15日からminxのメンバー8人でAV大作の撮影に入り、18日にはライブイベントをやる予定だったが、事件直前、渡辺さんは「撮影やりたくない」とゴネて、トラブルになっていたという。
- 10月9日(水曜日)
- 渡辺さん、酒井さんを訪ねて、東京から塩尻へ。
- 10月10日(木曜日)
- 酒井さん、オメガの腕時計を修理に出す(心中の動機を否定する行動と認定されている)。
- 10月11日(金曜日)
- 14時ごろ、酒井さんが仕事を終えて帰宅。
- 15時ごろ、友人へメールの返事を送る。
- 18時ごろ、K子さんがエステの勧誘のアルバイトをしている塩尻市内のビデオレンタル店に、2人が車で会いに来る。渡辺さんとK子さんは、2001年のゴールデンウィークの飲み会以来の再会だった。K子さんは仕事をさぼり、、3人で車に上がって話をした。「つきあってるの?」とK子さんが尋ねると、2人とも「つきあってはいない」と答えている。酒井さんがトイレに行くと、渡辺さんは「宏樹君が好きだから、社長とは別れたの」と話した。
- このとき、渡辺さんはギャラについても語った。ビデオの出演は単独もので1本100万円ほど。ただし、単独ビデオは2~3か月に1回しか撮れず、間に他の女優と絡む仕事が入る。これは1本20万円ほどにしかならない。貯金は500万円ほど。「どうせ今しかできないんだし、稼げるだけ稼いだらやめようかな」とも漏らした。深刻さはなかった。両親にはAVのことを知らせていなかった。
- このときの会話。酒井さんがAV女優と知り合いだということを知った年上の友人から、「金を払うから、一度女とやらせろ」と詰め寄られて困っているという悩みを話した。相手の交友関係が裏社会につながっているため、要求をきっぱり断り切れず、「いま連絡がとれなくって」とごまかし続けてきた。これに対して渡辺さんは、「こっちには、もっと大きいバックがついているんだから、なに言われても断ればいいのよ。へたにそういうこと言わない方がいいってね」と強気で言った。
- 車中で1時間半ほど話した後、K子さんはバイトを切り上げ、3人で酒井さんの部屋に向かう。酒井さんは部屋で、格闘技のテレビ番組を見ながら、メールで自分のライブの案内をメールであちこちに送付していた。渡辺さんとK子さんも世間話をして、軽くビールを飲みながら1時間半ほど過ごす。
- 21時半ごろ、K子さんは部屋を出て、酒井さんの車で元の駐車場まで送ってもらう。「また日曜日(13日)には伊那に行くから、そのときゆっくり話そうね」と約束。
- その後、すぐに渡辺さんがK子さんへメールを送る。
- K子ちゃま。今日はあえて嬉しかったでしゅ。かなり感激(T_T) 。K子はびっくりしたと思うけど……。これからもずっと友達でいてね
- (K子さんからの返事)「どんな仕事をしてても、ずっと友達じゃない。宏樹君とがんばってね」という内容。
- うん、ひろきくんの彼女になれたらいいな~うふっ
- (K子さんからの返事、応援)
- うん、ひろきくんとのこと応援してね。1つ聞いていいかな~。あの人はいい人だよね~
- (K子さんからの返事)「彼は女性にもてるから大変だと思うけど、いいやつだから」
- まあね、オトコとオンナってのは難しいよね~。でも好きになっちゃたらしょうがないよね。ガンバロー。ありがちょ。またTELしま~しゅ(「TEL」は絵文字。送信時刻22時58分)
- その後、2人は南へ車で移動。上伊那地方の箕輪町へ。箕輪町には、渡辺さんの小中学校時代の同級生が開いているショットバー(スナック)があった。
- 午後11時半ごろから翌12日午前3時ごろまで、箕輪町のショットバーで、酒井さんのバンド仲間の男性と飲食。この男性によると「バンドの話で盛り上がった。13日の練習を、渡辺さんも見に行きたいと話していた」という。酒井さんは、翌日の予定を「夜は会社の飲み会があるんだ。ヨッちゃんはカノジョとして連れていく」と語る。
- 10月12日(土曜日)
- 2人は酒井さん宅に朝帰り。
- 9時ごろ、酒井さんは勤務の予定だったが、勤務先に 「体調が悪いので休む」と連絡。
- 15時すぎ、渡辺さんにK子さんからメール。「また今日も来てるよ」(前日と同じ場所でバイトしていることを伝えた)
- 15時51分、渡辺さんがK子さんにメール返信。「おー↑、ガンバレ~!! まだ先は長いけどーっ」(K子さんは夜遅くまで拘束されるので励ました。これが渡辺さんの最後のメールになる)
- 16時、酒井さんが名古屋の専門学校時代の友人に電話。11月2日に予定されていたこの友人の結婚式の二次会参加者をまとめており、その経過報告、ならびに、結婚式を楽しみにしているという話をした。酒井さんは仲間をまとめる役回りだった。
- 16時45分、バンドメンバーのMさんに電話。翌13日に伊那スキーリゾートで行なわれる音楽祭に出かける。ライブ終了後の午後1時からバンドの練習をする。この練習には渡辺さんも見学に行く――と告げる。
- 17時ごろ、酒井さんが、退院したばかりの祖母の家に電話。「退院したの? おめでとう。今週は帰れんけど、来週は買えるから」
- 18時ごろ、酒井さんが電話で母親と会話。酒井さんが実家に持ち帰った郵便物の中に3か月分の水道料金の督促状があり、5日ほど前に母親が払い込んでいた。水道が止まっていないかと心配になり、母親が確認の電話を入れた。今週末は帰ってこれる?との問いに「いや、今週は帰ってこれんな」との返答。
- 18時すぎと18時40分ごろの2度、酒井さんが別のバンド仲間にメール送信と電話の連絡。PCから、13日のライブの挨拶文案を送信。返事をしないでいたところ、確認の電話があった。
- 19時47分、酒井さんがまた知人女性にメール送信。携帯から、13日のライブに来るかどうかの確認。
- 19時53分、酒井さんが高校時代の友人である下平晃さんに電話をかけるが、下平さんは音楽祭スタッフとして忙しく、用件を聞かずに「ゴメン、いま忙しいから後でかけ直す」と電話を切ってしまう。酒井さんの声は明るかった。下平さんは別のバンドを持っているが、酒井さんのバンドと双方に掛け持ちメンバーもいるほど近い間柄だった。16日にはジョイントライブの約束もしていた。
- 20時03分、下平さんが酒井さんの携帯に電話をかけ直す。電話がかかった瞬間に切れ、酒井さんは電話に出なかった。小刻みにプップップッという音がしていたため、電波が届かないような場所にいたのではないかと下平さんは推測している。
- 20時55分、河川敷にて2人が殺害され、車と共に炎上しているのを、通行人の男性が発見し、119番通報。
- 22時、酒井さんの遺族に、警察が「心中の可能性が高い」と告げる。このことについて、殺人事件と見なしていなかった初動捜査のミスが指摘されている。
- 10月13日(日曜日)
- 伊那スキーリゾートの音楽祭で酒井さんのバンドのライブ、その後13時からバンドの練習が予定されていた。
- 10月15日
- minxのメンバーによるAV大作の撮影開始予定。
- 10月16日
- 酒井さんのバンドと下平さんのバンドのジョイントライブが予定されていた。
- 10月18日
- minxのライブイベント予定。
- 11月2日
- 酒井さんの名古屋の専門学校時代の友人の結婚式が予定されていた。酒井さんは二次会のまとめ役だった。
- 11月19日
- 酒井さん、2級ボイラー技士の資格を取るため、試験を受ける予定になっていた。
死亡時の状況
- 渡辺さん
- 車の後方7~10メートルのところに倒れていた。身体は右手の藪に向かっている。
- 腹部、背部に致命傷の刺傷が数カ所。死後に火を放たれたが、うつ伏せの状態であったため、顔には火による影響はほとんどない。目は見開かれ、顔は赤黒く変色。髪はチリチリ。
- 裸足。素足だけが白く焼け残っていた。靴は、長野に履いて行ったブーツしか持っていなかったのに、そのブーツは酒井さんのアパートに残っていた。
- 酒井さん
- 車の後部座席と助手席の間でうずくまり、遺体は原形をとどめないほど焼けこげていた。
- 司法解剖の結果、肺の中にはタバコ1本分の煙しか入っていなかったが、これは死後に火を放たれたためと考えられる。
- かろうじて焼け残っていた左手のあたりに、柄のない包丁が見つかったが、上司によると酒井さんは右利きで、刃物が苦手だったという。また、包丁の持ち主も不明。
- 警察で遺体写真を見た酒井さんの近親者によると、頭蓋骨真ん中がへこんでいるか割れているように見えた。殴られた跡のように見える。
- 裸足。
- 携帯電話が行方不明
- 数日後、車の鍵が車中から発見される。
不自然な状況
警察は主に無理心中として捜査しており、第三者による殺人事件としての捜査本部は設置されていないが、無理心中ではなく殺人事件であることを伺わせる状況証拠が数々指摘されている。
- 第三者によって連れ出された可能性を伺わせる状況
- 2人とも死亡時には裸足。靴が酒井さんの自宅に残っていた。
- 酒井さんの自宅のパソコンはつけっぱなしだった。
- 凶器の刃物とポリタンクが現場に残っていたが、いずれも酒井さんのものではない。自宅アパートには2本の包丁がそのままおいてあった。ポリタンクもアパートに4個置いてあり、なくなったものはない。
- 酒井さんの車はシャコタンであり、車を大切にしていた。河川敷に降りるとシャコタンでは車に傷がつくため、酒井さんが自発的に移動したとは思われない。
- 渡辺さんが自殺ではなく殺されたことを伺わせる状況
- 渡辺さんの背中にも刺し傷があった。
- 司法解剖により、肺の中からタバコ1服分の煙が検出された。これは、死亡してから火を放たれたことを意味している。
- 第三者によって酒井さんが殺されたことを伺わせる状況
- 車の所有者である酒井さんが、運転席ではなく、後部座席と助手席の間で亡くなっていた。渡辺さんは運転免許を持っていないため、心中であれば酒井さんが運転していたはずである。
- 司法解剖により、肺の中からタバコ1服分の煙が検出された。これは、焼死ではなく、死亡してから火を放たれたことを意味している。
- 酒井さんの遺体の頭蓋骨にへこみがあったという近親者の証言がある。
- 燃えた車のドアはすべてロックされていた。車の鍵は車内にあった。
- 現場には血痕・指紋などは残っていない。
- 犯行時間はわずか1時間ほどであった。
- その他
- 事件後、酒井さんのアパートを母親が整理していると、撮りきっていないレンズ付きフィルムが出てきた。フィルムの最後のコマは、服装などから、事件当日の夕方にその部屋で撮ったと思われる笑顔のツーショットだった。この2人の写真で酒井さんが着ている緑色のトレーナーがいまだ見当たらない。友人は「宏樹はジャージ姿ではめったに外出しない」と言っている。2人は部屋でくつろいでいたところ何者かに拉致され事件に巻き込まれた可能性が高い。
- 遺族関係者によると、押し入れにあった写真ネガの束がない。警察の押収品リストにもないので、誰かが部屋に入り持ち去ったようだ。また、裏のサッシの前に誰かが2度、野花を積んで供えているが、友人たちは皆、焼死現場に花を供えている。誰が来ているのかわからない。(2002年12月28日付東スポ情報)
その後の捜査、酒井さん遺族による真相究明
- 2002年11月5日
- 同日付東京スポーツより。長野県警は酒井さんのアパートを再検証。血痕・指紋採取は事件以来初めてだった。他殺の可能性を考え始めたらしい。県警上層部から指摘された、とのこと。今回の現場検証は、遺族が現場に呼ばれていきなり行われた。
- なくなったとみられていたオデッセイの鍵が、車中から見つかった。一度遺族に「オデッセイの鍵です」と返されたものが、じつは酒井さんの仕事用のバンの鍵だと遺族から指摘されて再捜索した。
- 11月14日
- 「無理心中は考えられない」とする酒井さんの遺族が、長谷川洋二弁護士を通じて、塩尻署長あてに10点の質問書を郵送。質問書は、酒井さんが遺体で見つかる約1時間前まで友人らに盛んにメールなどをし、翌日にバンドの練習の予定があり、深刻な様子もなかったことなどを指摘。「無理心中を決行するだけの動機や客観的な証拠は皆無」として、二人の死因や現場にあった包丁やプラスチックタンクの入手経路、無理心中とする動機や原因が客観的に説明できるか、など10点を聞いている。
- 「宏樹のベッドルームのゴミ箱には、多くのティッシュが捨てられており、事件の直前に(桃井さんと)セックスした跡がうかがわれるが、セックスの直後に無理心中を決行する理由がないし、また無理心中の決行場所をその部屋でなく、わざわざ河川敷まで出向いて行う必要がない」という指摘までしている。
- 質問書では、事件現場に「寄生獣」という猟奇殺人漫画の燃え残り、そしてバラ3本をさしたワインのビンとワイングラス2つ、ローソク2本があったという新事実も明かしている。
- 元恋人A子さんによると、「宏樹は漫画好きで、その単行本は友達に貸してくれと頼まれていたんです。いつ会えるか分からないから、つねに車に積んでいたんじゃないかな」とのこと。また、酒井さんはビールと焼酎が好きで、「友達が来て飲むのに、ワインの買い置きは部屋に一本あったけど、自分で買ってまで飲む人じゃない。ワイングラスも部屋になかったはず」。また、ロマンチストとはいえ「現場にあったのは赤いバラだそうですが、宏樹から誕生日にバラだとか花束なんてもらったことがない」という。
- 11月21日
- 長谷川洋二弁護士が塩尻署を訪れ、質問書の回答を受けた。同署はこの日、質問に対し「捜査中で申し上げられない」と明確な回答をしなかった。同署はこれまでに、無理心中/両者了解の上での心中/殺人 の3点で調べているが、長谷川弁護士は「(車内から見つかった)包丁などの入手経路や男性の死因など判明していないという。どの点でも明確な証拠証拠はなく、捜査は難航しているようだ。また同署によると、現場にあったとされるワイングラスとろうそくなどは事件には関係ない」という。
- 11月25日
- 酒井さんの遺族らが、塩尻署に被疑者不詳のまま殺人の疑いで告訴状を郵送した(告訴状参照)。
- 伊那市役所内で記者会見。酒井さんの父親・母親・代理人長谷川弁護士・友人3人(下平晃さん、矢野亮太さん、大槻龍さん)が出席。
- 父親「できる限りの調査をして、宏樹が心中をした証拠が全くなく、何者かによって無残にも殺害されたのだという確信が強くなってきた」「当初から殺人事件として報道されなかったために、本来いるかもしれない目撃者や犯人に結びつく多くの情報が、警察に届いていない恐れがある」
- 母親「息子はおばあちゃん子で、10月12日の午後5時ごろに病弱なおばあちゃんを心配して、来週帰るからがんばれと電話をよこし、全然変わりなかった。おばあちゃんが悲しむことは絶対しない子です。死ぬことはない」
- 友人「無理心中のはずはない」「宏樹は自殺するようなやつじゃない」
- 12月1日
- 伊那GRAMHOUSEにて「ヒロキチ1012」ライブ。
- 12月25日
- 2人の友人有志が「無理心中は考えられない」として原因解明を求めた約7300人の署名を塩尻署に提出しようとした。しかし、同署は「中立公平な立場から捜査する」などとして受け取りを拒否。
- 署名活動をしているのは、2人の出身地である伊那市内の友人ら(代表:矢野亮太さん)。2人が死亡する直前まで友人らと電話やメールで連絡を取り合い、死ぬそぶりがまったくなかったことから、無理心中以外の可能性が高いとして、事件の一週間後から、真相究明を求める署名集めを開始。この日、代表の4人が同署に署名を持ち込み、第三者による殺人事件として本格的に捜査するよう口頭で求めた。
- これに対し、同署の松井哲夫副署長は「外圧は避け、中立の立場で捜査を続けたい」とし、署名を受け取らなかった。
- 2003年1月16日
- 遺族の告訴受理されず。「形式に不備がある」などとして、これまで3回の提出をいずれも受理せず。最初は、渡辺さんについて書類に盛り込んでいたために、「向こうの遺族の了解なしに訴える権利はない」という理由で受理されなかった。その後は、ハンコがないなど形式の不備。
- 1月17日
- 酒井さんの遺族が被疑者不詳のまま殺人容疑で塩尻署に出した告訴状について、同署は「内容が整った」として受理した。
- 4月14日
- テレビ朝日「奇跡の扉 TVのチカラ」で扱われる。超能力者による霊視も行なわれた。
- 4月18日
- 酒井さんの友人が中心となって集めた、殺人事件としての捜査を求める約1万人分の署名が、当時の長野県知事・田中康夫に手渡された。
- 12月16日
- 真相究明求め、酒井さんの遺族が提訴。長野県警に殺人事件としての捜査本部設置を求める行政訴訟の訴状を長野地裁に送付。県警では、捜査本部は設置していない。
- 2004年2月13日
- 捜査本設置請求訴訟 初弁論。長野地方裁判所で開かれた第1回口頭弁論で被告の県警側は「初動捜査に落ち度はなく、捜査方法は警察の判断に委ねられていて、今回の事件で捜査本部を設置する義務はない」として全面的に争う姿勢。
- 6月25日
- 長野地裁、捜査本部設置の求めを却下。辻次郎裁判長。判決理由で辻裁判長は「捜査本部の設置は、警察内部の捜査手法の一つで、公権力の行使とはいえず、抗告訴訟の対象とならない」とした。
民事裁判
- 2003年12月
- 酒井さんは、受取人を母親として住友生命保険に入っていたが、保健会社は「支払い責任開始から2年以内の自殺(心中)だから支払い義務はない」と保険金支払いを拒否していた。酒井さんの両親が、「何者かに殺害された」として2003年12月に民事訴訟を起こし、保険会社に支払いを求めた。
- 2004年3月1日
- 保険金支払請求訴訟 初弁論。長野地裁伊那支部。酒井さんの遺族が保険会社を相手に3600万円余りの保険金の支払いを求めて提訴。保険会社側では自殺の疑いがあるとしてこれまで保険金の支払いを拒否。「保険金の正式な請求書や事故を証明する書類が提出されておらず、依然自殺の可能性が高い」
- 2007年1月23日
- 長野県塩尻市内の河川敷で02年10月、燃えた車の内外で男女の遺体が見つかり、同県警が自他殺両面で捜査を続けている事件について、死亡した同市の会社員酒井宏樹さん(当時24)の遺族が、死亡保険金約3500万円の支払いを求めた民事訴訟の判決が23日、長野地裁飯田支部であった。松田浩養裁判長は「第三者による他殺と認められる」と認定し、「自殺」と主張して保険金を払っていない生命保険会社に支払いを命じた。
- 事件は04年10月12日夜、塩尻市の奈良井川河川敷で宏樹さんの乗用車が燃え、車内で宏樹さん、宏樹さんが交際中の東京都の女優の女性(当時24)が車外で遺体で見つかった。女性には複数の刺し傷があった。
- 判決は、宏樹さんの亡くなる前のメールのやりとりなどの状況証拠を積み重ね、「死の直前まで、自己の生存ないし生活の継続を前提として暮らしていた」と指摘。「凶悪かつ激烈な行為を行ったことを合理的に説明することは極めて困難」とし、「(宏樹さんと女性は)第三者である何者かに殺害されたと考えるのが自然」とした。
- 宏樹さんの遺族は2人に死亡について、殺人事件として県警に捜査本部設置を求める行政訴訟を起こしたが、04年6月に却下されていた。(朝日新聞)
- 2007年3月7日
- 酒井さんの両親が、事件解明に結び付く有力情報があった場合、提供者に懸賞金として最高300万円程度を支払う考えを明らかにした。4月中に情報提供を呼び掛ける活動を始める。両親らは長野市を訪れ、県会総務警察委員会が事件の経過を聞くために開いた会合に出席。県警に「殺人事件として捜査するよう働き掛けてほしい」とする上申書を提出した上で、懸賞金の考えを示した。酒井さんの母親は終了後、「ちょっとした目撃情報や当時の様子でも、知っている人が出てきてくれればうれしい」と話した。
告訴状
以下の内容は、PINKちゃんねる掲示板「桃井望はなぜ殺されたのか」スレッド(3~4)に投稿された内容であるが、2002年11月25日に遺族によって提出された告訴状からの一部抜粋・転記と思われるため、ここに再録しておく。
- 【告訴の主旨】
- 住所不明並びに氏名不詳の被告訴人は、平成14年10月12日午後8時10分頃、 塩尻市広丘郷原の奈良井川河川敷において、酒井宏樹(昭和52年12月20日生まれ・24歳)と渡邉芳美(24歳)の腹部等を包丁で刺し、さらに瀕死の状態の両者に対して灯油等を多量に注ぎかけた上で、これに火をつけ、同日午後9時頃、同所で両名を焼死、あるいは刺殺したものである。
- 【告訴の理由】
- 1 被害者らの身上・経歴
- (1) 告訴人・酒井覚は酒井宏樹の父親であり、告訴人酒井倫子は酒井宏樹の母親である。
- (2) 酒井宏樹(以下、宏樹という)は、伊那市に生まれ、県立赤穂高等学校を卒業後、名古屋の専門学校を卒業して、○○(注・訴状では実名)に就職し、その後塩尻市内の会社に勤めていた。
- (3) 渡邊芳美(以下、芳美という)は、広樹と同様に県立赤穂高等学校を卒業後、埼玉県さいたま市に転居し、東京の短期大学を卒業後、いくつかの仕事を経て、ビデオ映画等の女優をしていた。
- 2 被害者らの関係
- (1) 宏樹も芳美もともに赤穂高等学校の同窓であり(宏樹が1年先輩)、平成13年5月に両名の共通の友人である○○(注・訴状では実名)を介して、知り合い、平成14年5月頃からは、親しく交際するようになったものである。
- なお、高校時代、芳美は宏樹を知っていたが、宏樹は芳美を知らなかったものである。
- (2) 芳美は、東京でビデオ映画等の女優をしており、業界では、いわゆる売れっ子のアイドル女優であり、デビュー後1年半で200本の作品に出演していた。
- (3) 芳美は、宏樹と交際を始めた後は、宏樹に対して好意を抱くようになり、平成14年の7月頃からは週末には、長野県にきて、宏樹と交際することが多くなった。
- (4)~(5)略
- 3 事件に至る経緯
- (1)~(4)略
- (5) 翌(注・10月)12日も宏樹と芳美は一緒に行動していた。
- (中略)
- なお、宏樹の友人は午後7時53分に電話で話をしており、その後8時3分に宏樹に電話をしたところ話し中であった。
- その後の宏樹の行動は不明である。
- (6) そして、午後8時55分頃、塩尻市広丘郷原の奈良井川河川敷において、クルマが燃えていると通行人から119番通報があり、宏樹の所有するホンダ・オデッセイから宏樹の焼死体と、そこから約10m離れた場所から顔以外が焼けた芳美の死体が発見された次第である。
- 4 事件後の動き
- 略(署名活動など)
- 5 宏樹と芳美が殺害されたことについて
- (1) 略
- (2) このうち、芳美が宏樹を殺害した上での無理心中ということは、芳美の体に致命傷に及ぶ刃物の刺し傷が存在していたことから、考えにくいので、除外すると、残るのは
- ①宏樹と芳美の同意のもとによる心中事件
- ②宏樹による芳美を殺害した上での無理心中事件
- ③第三者による宏樹と芳美を殺害した殺人事件
- である。
- (3) しかし、①と②の心中事件ということは、これまでの入手した情報や証拠等によれば、あり得ないことである。
- 以下、その理由を述べる。
- 記
- ① 宏樹は、(中略)午後7時47分にメールを送り、『13日の音楽祭の開始時間は午前11時であり、来るのか?』いう問い合わせをした。
- しかし、その約1時間後の午後8時55分頃には、通行人が事件現場でクルマが燃えているという119番通報を行っいる。
- となると、宏樹が無理心中を図ったとすれば、包丁やポリタンク、灯油かガソリン等の用意をする必要があったことから、1時間前に突然、無理心中を思い立ったとは考えにくいことから、早くても数時間、あるいは数日前から無理心中を意図していたと解さざるを得ない。
- しかし、現実には、翌13日にはバンドでライブをする予定があり、かつそのライブに友人に出席を促すメールを午後7時47分に入れているわけであるから、その時点で、無理寸中を決行することを考えていたとは到底考えられないことである。
- ② 告訴人らが現像した写真フイルムによると、緑のジャージを着た宏樹と芳美が仲むつまじく写っている写真がある。
- これは、宏樹の遺留品の中から緑のジャージが発見されないことから、宏樹がこのジャージを着たまま焼死したものと解され、事件当日に撮ったものと思慮される。
- しかし、写真の両者のツーショットの笑顔や雰囲気からして、無理心中を決意した雰囲気、様子は全く見当たらない。
- ③~⑤ 略
- ⑥ 宏樹には金、女性、仕事等生活のいかなる面でもトラブルももめごとはなかった。
- ⑦ 宏樹は、バンドのボーカルの他、作詞作曲も手掛けており、詩を書く能力があり、ロマンチストであった。
- そのような性格の宏樹が、恋人と無理心中を図るについて、詩や遺書等のメッセージを残さないということは考えにくい。
- ⑧~⑩ 略
- ⑩ 死亡現場は、普段から人が寄りつかないような荒れ果てた河川敷であり、少年時代をそこで過ごした地元の人以外の人では、河川敷への入り口も分からないほどの辺鄙な場所である。
- しかし、宏樹も芳美も高校卒業までは伊那市で生活しており、本件現場に土地勘があるとは到底思えない。
- 彼らは、自分たちが来たこともない、知らない場所で亡くなっているのである。
- また、死亡現場は、あまりにも殺伐としており、特に夜などは全くの暗黒の世界である。
- 24歳の若い二人が無理心中を決行する現場としての説得力がない。
- 死亡現場は、人通りが皆無の誰も寄りつかない寂れた河川敷であり、まさしく第三者が2人を殺害するのに、目撃者もいない最良の場所であり、この場所の選択基準は、宏樹が無理心中をするという観点から選択された場所ではなく、第三者によって、宏樹と芳美を殺害してもばれない場所として選択された場所である。
- ⑪ 宏樹は、日頃、クルマを非常に大切にしており、オデッセイをシャコタンにしていたが、死亡現場に行くには、車道からはずれた小石がゴロゴロしている砂利道を河川敷に向かって下りていくしかなく、シャコタンのオデッセイでは、クルマのスポイラー等が小石とぶつかり破損する恐れがある。
- しかし、そこまでして、大事なクルマを傷つけて殺風景な場所まで行って無理心中を図る必要性も理由もない。
- ⑫ 事件現場にあったとされる包丁やポリタンク、並びに灯油やガソリンを宏樹が入手したという客観的な事実が不明である。
- ⑬ 宏樹は、右手が利き手であったが、本年6月頃から右手を負傷したということで右手では重いものを持てないということであったが、そのような手の状態で、芳美を包丁で刺殺しようと意図することが不可解であり、また、宏樹の遺体の左手側に包丁がおいてあったというのも、殊更に、右手を使えないことを知っていた者が左手を使って芳美を刺殺したと思わせる様な作為を感じる。
- ⑭ (前略)なお、宏樹のオッデイセイには、包丁もなければ、灯油の臭いもしなかったし、二人の様子は深刻そうなことはなく、いつもの二人であったと述べているが、事件前日の宏樹と芳美の様子は仲がよいことは伺われるが、無理心中を感じさせる要素は皆無であった。
- (4) 以上に指摘した通り、宏樹には、
- ①芳美と無理心中を図る動機や事情が全く存在しない。
- ②宏樹の遺品からは心中に繋がる何の証拠も発見されていない。
- ③宏樹や芳美の死亡前日や死亡直前における友人との会話やメール、電話等のやりとりにおいて、心中を推測させるような様子や雰囲気や事情は皆無である。
- ④死亡の原因となった包丁や灯油・ガソリン等の入手経路が不明であるが、宏樹が無理心中をしたのであれば、包丁や灯油等の入手経路を隠す必要がないことから、宏樹の生活圏内の店から入手したものと解される。
- しかし、未だに入手経路さえ不明だということは、殺人犯たる第三者が宏樹の生活圏内以外の場所で購入したということになる。
- ⑤~⑦ 略
- ⑧宏樹が無理心中を図ったとすれば、芳美と自分に灯油等をかけて燃やす必要がない。
- ⑨宏樹が灯油による遺体の燃焼を考えたとすれば、その動機は、芳美を独占した死にたかったものと解される。
- しかし、そうであれば、芳美を車内に引きずりこみ、自分以上に灯油等をかけるはずであるが、現実には、芳美は車外で亡くなっており、しかも宏樹の体の方が完全に燃え尽きている。
- これは、第三者による証拠隠滅としか思えない。
- 6 結論
- (1) 以上の次第であり、宏樹には、無理心中を図る事情は何ひとつ存在しないことから、本件事件は、第三者による宏樹と芳美の殺人事件として考えざるを得ない。
- 宏樹は、芳美を殺害した事件の犯人ではなくて、芳美と同様に殺人事件の被害者なのである。
- そして、2人を殺害した殺人犯は、現在もどこかで蠢いているのである。
- (2) よって、告訴人らは、本件告訴状を提出して、貴警察署に対して、強力かつ迅速な捜査を求める次第である。
- 7 添付資料
- (1)委任状 ―――――――――― 2通
- 以上
以下の内容も同スレッドに投稿された内容であるが、上記で略された部分のいずれかに含まれるものと思われる。
- 芳美の友人の○○[注・実名](=保育園、小学校、中学校も一緒でミニバスケットも一緒の関係)は事件前日の11日の午後6時15分頃、塩尻の○○[注・大型書店]の駐車場で、芳美と一緒にいる宏樹と会い、その後1時間位、○○[同書店]の駐車場で宏樹のオデッセイの中で3人で話をした。
- その後、宏樹の家に行き、テレビをみながら雑談をしたが、その間、宏樹は11月に行うライブの知らせを携帯電話で登録してある知人にメールで送っていた。
- その後、9時30分頃に友人は宏樹らに送ってもらって自宅に帰ったが、その30分後から、芳美からメールが来て『宏樹君と付き合いたい、応援してね』等の連絡があった。
- そして、日曜日(13日)の夜に伊那で会うという約束をした。
- 翌12日(事件当日)にも宏樹と芳美にメールを送ったら芳美から返事がきた。
酒井さんの副業とトラブル
事件発生当時、警察はミイヤコーポレーション事件との関連を疑っていたが、その後の報道ではこの件は話題に上っていない。
酒井さんは中古車販売の副業を個人で2001年からおこない、2002年にはアパートの隣人M氏からマルチ商法に誘われていた。
中古車販売
酒井さんは2001年から個人で中古自動車販売に乗り出していた。伊那の友人たちがこのサイドビジネスを知ったのは2001年12月ごろであった。
K子さんには「(売買は)正式なルートではない。けど、もうかるんだよね」と語っている。
マルチ商法
酒井さんは2002年5月か6月ごろにマルチ商法に関わっていた。これはアパートの隣人M氏から誘われたものである。
『新潮45』記事には以下のように記載されている。
- 東京都港区に本社を置く。
- 事業内容は「インターネット端末機の販売」「インターネット接続会員の募集」「インターネット通販・ショッピングモールの運営」などなどである。
- このネット・ビジネスに参加するには、まずは専用の端末機、つまりパソコンを購入して「モニター代理店」として認可されねばならない。下部に代理店が増えれば、増えるほどネット市場が広がり、自然と上部にいる代理店の収益が上がってゆく仕組みらしい。
- ここでいう自販機にあたるパソコンの値段は、約四十万円である。
この条件に当てはまるものを検索すると、「ユナイテッド・パワー[1]」が該当する。
なお、ユナイテッド・パワーは2007年8月10日、特定商取引法違反により6か月間の業務停止が命ぜられた(特定商取引法違反事業者に対する行政処分について(METI/経済産業省)、ネット端末「up.net」の連鎖販売、特定商取引法違反で6カ月の業務停止)
しばらくして、酒井さんはM氏傘下の代理店として加盟することになったが、M氏自身が契約せずに会員リストだけ集めていたことが発覚。M氏とも会社とも連絡が取れなくなった。
この件はそれほど深刻な問題にはならなかったようである。酒井さんから誘われたK子さんも被害を受けていなかった。
東スポ報道
- 2002年11月27日付東スポの独自取材内容
- 酒井さんは2002年5月ごろ、近所の知人男性A氏からマルチ商法を持ちかけられ、金策に走り約80万円集めている。また、友人らも聞き覚えのない名前の男性に、酒井さんが4月末に80万円貸し、事件前の9月末に全額返済される旨が書かれた書類も見つかっている。ある地元関係者によると、酒井さんはA氏の仕事を手伝うなどし、パチンコを教わるなどA氏やその仲間とつるんでいたという。そのうち、長野県内在住の1人が事件のあったころ、忽然と姿を消していた。地元不動産関係者によると、「海外に行くかもしれない」と、迎えにきた女性と車に乗りアパートを出て行ったという。「大手メーカー勤務と言いながら、実際は無職同然だった。Aさんの中学だか小学校だかの同級生だと言ってたが、名前は偽名。腕に入れ墨をしていた」。B氏は、家賃を向こう1年分払い「1年経って戻ってこれなかったら部屋の荷物は処分して」と言い残したそうだ。同様に、A氏もまた事件後、アパートの滞納家賃数か月分や光熱費などを一括で払っている。この2人の存在は塩尻署も確認しているが、「事件との因果関係がハッキリせず、突っ込んだ捜査が出来てない状態」(県警関係者)。
- 10月27日午後、酒井さんの伊那市の実家に無言電話が十数回あり、遺族は塩尻署に通報。「ウチの近くの50代位の人がちょっと面白くてやったそうで、警察からは『事件とは関係なさそう』と言われました」(遺族)。
- 酒井さん・桃井さんと事件前夜飲んだ友人によれば、酒井さんは「明日の夜何やってんの?」と聞かれ「会社の飲み会がある」と答えたという。本業の職場で飲み会など無く、酒井さんは何を指して「会社」と言ったのか?(醍醐竜一)
- 2002年12月13日付東スポ
- 『人気AV女優変死事件に地元ストーカーの影』
- 今年3月頃酒井さんの実家がある長野県伊那の飲み屋でのこと。地元風俗関係者によると、酒井さんが桃井さんメールや電話のやり取りをしているのを聞きつけた知人の男性が、「俺にも桃井望を紹介してやらせてくれ」等と酒井さんにしつこく電話していたという。 酒井さんは困り果て、飲み屋で顔見知りになったある男性に相談。「その人はこの辺じゃ幅を利かせてて、身内にヤクザもいる。プライドが高く、飲み屋で鉢合わせした客が自分のことを知らなかったりすると、『殺しちまえ』とか言って手下にヤキ入れさせたり、恐喝までしてました」(風俗関係者)。酒井さんが自宅アパートに泊めたり塩尻で飲むなどしていたこの男性の圧力で、チンピラの”ストーカー行為”はおさまった。ところが今度は、この男性が同様の行為をやり始めたという。酒井さんは6月末頃、「今度は『俺にやらせろ』とか言うメールがずっとなんだよ、この人。こまったなあ」と周囲に漏らしていた。事件前日の10月11日にも、この男性は酒井さんに「AVの女とやらせろ」などと電話。一緒にいた桃井さんは「私の東京の知り合いにはもっと怖いのがいるから、そういうのは断っちゃっていいよ」と言い、酒井さんはその旨を伝えて電話を切ったという。そして翌日、事件は起きた。男性は事件後、「ヤツら、俺の言うこと聞かないからこんなことになるんだ。いい気味だ」等と漏らしていたという。長野県警幹部によれば「塩尻署は、その男の存在は噂レベルでしか把握していないようだ」という。(醍醐竜一)
- 2003年1月19日付東スポ
- 県警関係者によれば、同署は現在、酒井さんの電話履歴(発信のみ)の事件前3~4か月分を調べている途中。「通話相手から話を聞き、東京へ行っている。だが事件に直結しそうな人物はまだ挙がっていないようだ」。昨夏ごろから酒井さんへ「AV女優の女とやらせろ」などとしつこく迫り、事件前日も同様の電話をしたとされる”地元ストーカー”についても、遺族の話で同署は把握済み。しかし「その男は酒井さんと面識のあることは認めた。ケータイ履歴なども調べたが、塩尻署の見解は『潔白』。ストーカーうんぬんの話までは突っ込んで聞いてない」(県警関係者)という。
- また、酒井さんに悪徳マルチ商法を持ちかけ、多額の借金を彼に背負わせた近所の男性についても「事件当初に3回呼び出して話を聞いただけ。塩尻署は『事件とは関係なし』としているようだ」と県警関係者。(醍醐竜一)