瀟湘八景

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瀟湘八景(しょうしょうはっけい)は、瀟水と湘水という二つの河が合流する零陵(湖南省永州市)付近の八つの形勝を描いたものである。

北宋の文人画家・宋迪が選んだものであるとされているが、その画は現代に残らない。と宋の沈括『夢渓筆談』「書画」に解説されているのが最も古い例である。歴代の文人がこの光景を好んだ。

八景

瀟湘夜雨

「瀟湘の夜の雨」永州城の東。

湘水は湖南省永州市の領域にあり、瀟水と合流してからは瀟湘と呼ぶ。雨が瀟湘に落ちる夜景は、昔の文人が心を寄せた有名な景観である。

「涔涔湘江樹,荒荒楚天路。穏係渡頭船,莫教流下去」(元代の文学者、掲奚斯)

物寂しく助けもない心境が、夜の雨と同じくまといついてくるのに似ている、と描いている。千百年来、人々は山河の夜雨を好んだのか、それとも心の中の夜雨を好んできたのか。

平沙落雁

「平らな砂原に降りる雁」衡陽市回雁峰。

瀟湘は永州から数百キロ下り、南岳七十二峰の筆頭である回雁峰に至る。

「山到衡陽尽,峰回雁影稀。応怜帰路遠,不忍更南飛」

古人の地理感覚の限界から、雁は衡陽よりも南までは飛んでいかないと考えていた。北方の天候が寒くなって、雁が南へ陣を連ね、南方は秋風をさわやかに送り、陽は高く照らす。広々とした野原、平らな砂原、葦の茂みは、雁のやどりとなるのである。

烟寺晩鐘

「かすむ寺の晩鐘」衡山県城北の清涼寺。

湘江からまた北に数キロ、仏教の景勝地の南岳衡山を通る。夜遅く風が吹き、すべてのものは眠り、ただ寺の時を告げる古い鐘だけが朗々とした音を響かせる。江舟に乗っている旅人は、この鐘の声によって遠くへ来たことを知るのだ。

山市晴嵐

「山と里の晴れた日のかすみ」湘潭で長沙が接する昭山。

湘江は衡山の北150キロ余りのところで昭山に到着する。紫気が漂い、もやが人を襲い、雲が立ちこめている。一つの峰が川辺にそそり立ち、沐浴から出てきたばかりの仙人のように美しい。

江天暮雪

「川と空の夕暮れの雪」橘子。

橘子は古来の長沙の名所で、東は長沙を望み、西は岳麓を眺める。大雪が降りしきって、白雪によって河と天が同じ色に見える。世の中のすべてのものは寂しく声もなく、河の中の商船は帆を落として岸辺に泊まる。雪の光の上の暮色はけぶる雲と同じように流れて定まらない。思いは雪花のように舞い、このようなさわやかなのどかさは冬の本質的なのどかさに最も近いものだ。

遠浦帰帆

「遠い浦から帰る船の帆」湘陰県の川辺。

橘子から河に沿って北に行くと、約70キロで岳陽市湘陰県に至る。黄昏になると、遠山は青黒くなり、岸柳は煙のように見え、帰港する船の帆が点々と見え、漁歌が響き渡る。帰船を待つ漁師の妻や客を待つ女郎屋の女たちは、風と斜陽の中で待つ。村は暖かく忙しい光景となる。

洞庭秋月

「洞庭湖の秋の月」洞庭湖。

湘陰から北に行くと、果てしない洞庭湖に至る。秋の夜、月の色は銀のように輝き、空には何も覆うものはなく、八百里の湖面は碧い水が鏡のようで、風も浪をとめて静まる。空と湖面は互いに照り映えて、月光と湖の光は互いに溶け合う。湖面の船は特に情趣があり、君山や岳陽楼に上る者は、必ずや感動に溢れることだろう。

漁村夕照

「漁村の夕焼け」西洞庭の桃源武陵渓。

陶淵明は『桃花源記』の中で「武陵の人が魚をとることを仕事としていた」と述べている。武陵の人は魚をとるために桃花源を発見し、その人の住んでいた漁村というところも文人墨客があこがれの場所となった。昼間、漁師が洞庭に網を投げる。夕方、網を引き上げると、よく肥えた鮮魚が捕れる。夕日の中で夜の歌を歌いながら漁師は家に帰るのである。