金沢八景
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金沢八景(かねさわはっけい)は、神奈川県の金沢において、瀟湘八景を模倣して選ばれた八景である。なお、駅名などでは「金沢八景(かなざわはっけい)」と読まれているが、地名の古来の名称は「かねさわ」である。
寛仁年間(1017~1020)藤原道長がこの地を訪れ、素晴らしい眺めを見て、草庵を結んだのが「能見堂」の起源とされている。巨勢金岡が東国の親族を訪ねて旅をしたとき、能見堂跡付近から眺めた金沢の絶景を写生しようとしたが、あまりの美しさに書くことができず、とうとう松の木の根本に絵筆を捨ててしまったという。
元禄七年(1694)、中国から日本に亡命していた心越禅師(東皐心越)が、能見堂からの風景を瀟湘八景になぞらえて八首の漢詩に詠んだ。このとき、瀟湘八景の言葉に合わせた金沢八景が選定された。
その後、京極高門が歌を詠み、歌川広重が「金沢八景」を描いたために有名になった。
- Google Mapsを使った位置表示:金沢八景
武州能見堂八景詩
心越禅師作
- 洲崎晴嵐
- 滔々驟浪歛餘暉 滾々狂波遶竹扉
- 市後日斜人静悄 行雲流水自依依
- 瀬戸秋月
- 清瀬涓々不繋舟 風伝虚籟正中秋
- 広寒桂子香飄処 共看氷輪島際浮
- 小泉夜雨
- 暮雨淒涼夢亦驚 甘泉汨々聴分明
- 篷窓淹蹇無相識 腸断君山鉄笛声
- 乙艫帰帆
- 朝旨万派遠連天 無恙軽帆掛日辺
- 欸乃高歌落雲外 依稀数艇到洲前
- 称名晩鐘
- 夙昔名藍成覚地 華鐘晩扣若鯨音
- 幽明聞者咸生悟 一片迷離祇樹林
- 平潟落雁
- 列陣沖冥堪入塞 荻蘆簫瑟幾成隊
- 飛鳴宿食恁棲遅 千里伝書誰不愛
- 野島夕照
- 独羨漁翁是作家 持竿盪漿日西斜
- 網得魚来沽酒飲 披蓑高臥任堪誇
- 内川暮雪
- 広陌長堤竟没潜 奇花六出似鋪絹
- 渾然玉砌山河色 遍覆危峰露些尖
金沢八景
京極高門の詠んだ歌を添える。
- 洲崎の晴嵐
- にきはへるすさきの里の朝けふり はるゝあらしにたてる市人
- 瀬戸の秋月
- よるなみの瀬戸の秋風小夜ふけて 千里の沖にすめるつき影
- 小泉の夜雨
- かぢまくらとまもる雨も袖かけて なみたふる江の昔をぞおもふ
- 乙舳の帰帆
- 沖つ舟ほのかにみしもとる梶の をともの浦にかへるゆふなみ
- 称名の晩鐘
- はるけしな山の名におふかね沢の 霧よりもるゝいりあひのこえ
- 平潟の落雁
- 跡とむる真砂にもしの数そへて しほの干潟に落る雁かね
- 野島の夕照
- 夕日さす野嶋の浦にほすあみの めならふ里のあまの家々
- 内川の暮雪
- 木陰なく松にむもれて暮るるとも いざしら雪のみなと江のそら