馬鹿でもチョンでも
馬鹿でもチョンでも(バカでもチョンでも)とは、「簡単に誰にでも」を意味する俗語である。「バカチョンカメラ」(絞り・ピントなどを調整しなくても撮れる簡易カメラ)などの用例がある。
本来、「ちょん」は日本語で「半人前、取るに足りない人」を意味する言葉であった。明治3~9年に刊行された仮名垣魯文著『西洋道中膝栗毛』に「仮染(かりそめ)にも亭主にむかって…ばかだの、ちょんだの、野呂間だのと」という用例がある。
ところが、現在、「チョン」は朝鮮人を指す差別語であると認識されることが多く、いわゆる「放送禁止用語」として扱われているが、上記のとおり、朝鮮人差別とは無関係なところから生まれた言葉であるため、「バカチョン」は差別語とは言えない。
ただし、朝鮮・韓国人に対して差別的意図を持って「チョン」という言葉を使う者が存在しているため、不用意にこの言葉を使うと、差別主義者として社会から糾弾されることになるので、使用しない方が無難である。
辞書
広辞苑には「ちょん」について次のような解説がある。
- たやすく物を切るさま。「首を―と切る」
- 拍子木の音。また、芝居の幕切れに拍子木を打つことから、物事の終了。「それで万事―になる」
- しるしに打つ点。ちょぼ。
- おろかな者、取るに足りない者としてあざけり言う語。西洋道中膝栗毛「仮染(かりそめ)にも亭主にむかって…ばかだの、―だの、野呂間だのと」
「馬鹿でもちょんでも」の「ちょん」の由来については、拍子木の音であるという説(wikipedia:チョン)と、踊り字の「ゝ」(ちょん)が「漢字にも満たない中途半端な文字」であることから「半人前の人」を指すようになったという説がある。
ちなみに、ちょんまげのチョンは「ゝ」に由来すると広辞苑に書かれている。
- ちょん‐まげ【丁髷】(チョンは髷が「ゝ」の形に似ているところからという) 男の髪の結い方の一。江戸中期以降、額髪を広く剃りあげ、髻(もとどり)を前面に向けてまげた小さい髷。のち男髷の汎称。「―あたま」
専門家による発言
「差別語といかに向きあうか」『毎日新聞』1997年3月14日夕刊、(シリーズ世の中探見―部落差別の現在(6))灘本昌久(京都産業大学講師)
- たとえば、有名なところでは「馬鹿でもチョンでも」のチョンが朝鮮人をさしている差別語だ、という話がある。しかし、この表現は江戸時代に庶民が使っていた言葉で、「チョンまげ」や読点の「チョン」と同根の言葉であって、朝鮮とは何の関係もない。現に、私が大学で教えている朝鮮人学生自身が「自分の父親でも使っている言葉なのに差別とはおかしい」と私に苦情を言いにくるほどである。もちろん、差別的に使われることが皆無とはいえないだろうが、普通の日本語の用法としては例外に属する。
失言
2004年5月2日、「サンデープロジェクト」で田原総一郎氏が年金に関連して「馬鹿でもチョンでも……」と発言した。その直後に本人が謝罪し、コーナー終了時にアナウンサーからも謝罪があった。
2004年10月19日、翌春開学が予定されていた「首都大学東京」をサポートする会員制クラブ「The Tokyo U-Club」の設立総会が都庁で開かれた。この中で、理事長予定者であった高橋宏氏(元郵船航空サービス会長)があいさつの中で、「大学全入時代、学校さえ選ばなければバカでもチョンでも、そこそこの大学に入れる時代が3年後に来る。首都大学東京は世界の共通の財産。有識者の声を反映した、いい大学にしたい」と発言し、批判を受けた。
ちなみに、同日の総会で石原慎太郎都知事は、「一部のバカ野郎が反対して金が出なくなったが、あんなものどうでもいい」「フランス語は数を勘定できない言葉だから国際語として失格しているのも、むべなるかなという気がする。そういうものにしがみついている手合いが反対のための反対をしている。笑止千万だ」等の発言を行ない、後に裁判にまで発展した。
類似の事例として、2007年7月19日、麻生太郎外相(当時)は富山県高岡市内での講演で日本と中国のコメの価格差について触れ、「標準米の1俵は1万6000円ぐらいだが、中国では7万8000円。7万8000円と1万6000円はどちらが高いか。アルツハイマーの人でもこれぐらいは分かる。ね。こういう状況にもかかわらず、中国ではおコメを正式に輸入させてくれませんでした」と発言し、批判を浴びた。麻生外相は20日午後、発言は不適切だったと認め、「不快の念を持った人におわび申し上げる」と陳謝した。