とても
とても(迚も)は、現在「非常に」「大変」と同義で使われることが多い肯定的な意味合いの言葉であるが、もともとは否定的な意味合いである。
私自身は、「とても」という言葉を「非常に」といった肯定的な意味で使うことがとてもできない。この「とても」という言葉が肯定の意味で使われるようになったのは、明治末期以降のことである。
明治40年代、学生のあいだで「とても」を肯定の意味で使う「誤用」が広まった。それは芥川龍之介も眉をひそめる表現だった。だが、昭和に入って次第に流行語として定着し、今では教科書(特に英語)でも堂々と肯定表現として使われるようになった。今やそれは正当な意味の地位を占めるようになったといえよう。
辞書表記
とて‐も【迚も】
副(「とてもかくても」の略)
(1)(否定を伴って) どんなにしても。なんとしても。所詮。とうてい。盛衰記三八「―のがれ給ふ御身ならず」。「―できない」
(2)どうせ。ともかく。謡、関寺小町「―今宵は七夕の、手向けの数も色々の」
(3)非常に。たいへん。「―大きい」
—広辞苑
とても〔副〕
(1) どんなにしても。とうてい。「―出来ない」「―だめだ」
(2) 程度が大きいこと。たいへん。とっても。「―いい」「―きれいだ」
▽「迚も」と書いた。「とてもかくても」の略で、本来は、下に必ず直接的・間接的に打消しを伴った。
—岩波国語事典(第五版)
【迚】 8画 国字
《訓読み》 とても
《意味》
(1)とても。どうにもこうにも。とうてい。「迚もできない」(2)とても。非常に。▽本来1は、下に否定の語をともなった。「迚も楽しい」
《解字》
会意。「しんにょう+中」で、途中まではともかく、しまい(実現)まではいきつけないことをあらわす。
—漢字源
今は2の意味で使われることが多く、1も多少は使われる、という感じだろう。しかし、どういうわけか私はとても2の意味で使うことができないのである。
ルーツを訪ねる
言葉のしおり
昭和39年10月6日付朝日新聞「言葉のしおり」というコラムより。
言葉のしおり 全然
このごろの若い人たちは「あの映画は全然いいんだ」とか「あそこの食事は全然うまいよ」とかいう。この場合の「全然」は「非常に」「大変」という意味である。
しかし、「全然」は、本来は「全然出来ない」「全然感心しない」のように、否定の言い方を伴う副詞で、意味は「まるっきり」である。それを「全然いい」「全然うまい」と肯定表現に使うものだから、年寄りたちからは、とんでもない使い方だと非難される。
ただし、このような使い方は、前例がないわけではない。今、東京では「とてもきれいだ」「とてもうまい」のように、「非常に」「大変」の意味で「とても」を使う。しかし、本来は「とても出来ない」「とても動けない」のように、「とても」は「どうしても」の意味であり、否定表現を伴う言い方なのだ。それが、明治四十年代ごろから、学生たちの間に愛用されて、今では、東京の口頭語としては普通の使い方となってしまっている。
今様こくご辞書
石山茂利夫著『今様こくご辞書』(読売新聞社)という本には、芥川龍之介の名前が挙げられている。
中でも有名なのが芥川龍之介の「とても考」で、「とても」は必ず否定を伴っているはずなのに、数年前から「とても安い」「とても寒い」などと使われている、といったことを大正末年に書いている。
この「とても考」というのは、大正九年に書かれた『澄江堂日記』の「とても」と「続「とても」」のことであろう。
芥川龍之介「とても」
「とても」
「とても安い」とか「とても寒い」とか云ふ「とても」の東京の言葉になり出したのは数年以前のことである。勿論「とても」と云ふ言葉は東京にも全然なかつた訳ではない。が、従来の用法は「とてもかなはない」とか「とても纏まらない」とか云ふやうに必ず否定を伴つてゐる。
肯定に伴ふ新流行の「とても」は三河の国あたりの方言であらう。現に三河の国の人のこの「とても」を用ゐた例は元禄四年に上梓された「猿蓑」の中に残つてゐる。
秋風やとても芒はうごくはず 三河、子尹
すると「とても」は三河の国から江戸へ移住する間に二百年余りかかつた訳である。「とても」手間取つたと云ふ外はない。
続「とても」
肯定に伴ふ「とても」は東京の言葉ではない。東京人の古来使ふのは「とても及ばない」のやうに否定に伴ふ「とても」である。近来は肯定に伴ふ「とても」も盛んに行はれるやうになつた。たとへば「とても綺麗だ」「とてもうまい」の類である。この肯定に伴ふ「とても」の「猿蓑」の中に出てゐることは「澄江堂雑記」(随筆「百艸」の中)に弁じて置いた。その後島木赤彦さんに注意されて見ると、この「とても」も「とてもかくても」の「とても」である。
秋風やとても芒はうごくはず 三河、子尹
しかしこの頃又乱読をしてゐると、「続春夏秋冬」の春の部の中にもかう言ふ「とても」を発見した。
市雛やとても数ある顔貌 化羊
元禄の子尹は肩書通り三河の国の人である。明治の化羊は何国の人であらうか。
「続春夏秋冬」は明治38年に河東碧梧桐が編纂した句集。とすると、「とても」が肯定の意味で使われるようになったのは、どうやら明治末のことで間違いないようである。
モダン語漫畫辭典
それから十年ほど経った昭和六年、中山由五郎著『モダン語漫畫辭典』によると、こんな流行語として描かれている。
トテシャン
琴の音色ぢや無い。「トテモ」と「シャン」とが合成した略語で「おいトテシャンが行くぜ」とか「妾トテシャンでせう」なんて、モボ、モガに使はれる言葉だが、あんまり上品なもんぢやァない。
とても
元来「とても」なる言葉は「とても駄目だ」とか「とても敵(かな)はない」と云つた具合に、否定の語を伴ふべき筈であるが、これが一たび近代式使用法に従ふと、反對に「とても好き」とか「とても善い」と云つた風に、最上級を現はす場合に使はれて、しかも百パーセントの效果を収めてゐるから面白い。時には「とても」の次に置くべき語を省いて、近代味を一層漂はせることもある。例へば「信子さんは帝大のMさんと、とても……なんですつて」の如く。
とてもろ
「とても」と「もろ」とが私通して出來た言葉である。女學生間に勢力のある語で、とてもウルトラな「とても」である。「今日の試験、とてもろに難しかつたわ」と云つた具合で、實に鮮やかなもんである。
このころには肯定的「とても」がかなり定着していたようだ。
このように、「とても」は本来否定表現なのだが、肯定表現として使われるようになり、現在に至る。