オンライン脱抑制効果
オンライン脱抑制効果(Online Disinhibition Effect)は、通常の対面の場面では存在している社会的制止・抑制が、インターネットで他者と対話する場合に緩んでしまうこと(もしくは完全に放棄されること)である。つまり、普通であればしないこと、言わないことを、ネットではしたり言ったりしてよいと思ってしまう現象をいう。
目次
総論
抑制がなくなるため、ネットユーザーの中にはよい傾向を示す者もいる。実生活よりも愛情深くなったり、他の人に打ち解けやすくなったり、感情についての防御が弱まったり、感情浄化(カタルシス)を行なおうとするときに感じることについて他者に話すようなこともある。心理学者ジョン・スラー(John Suler)によれば[1]この特別な現象は「良性脱抑制」と呼ばれている。
良くない行動については、ネットユーザーが実質的報復を受けることをおそれもせずに思い通りの行動をしたり発言したりすることがよくみられる。たいていのネット掲示板では、不適切な行動に対して与えられる最悪の罰であっても、そのサイトを出入り禁止にされるくらいである。しかも、実際にはこれはほとんど役に立たない。サイトから排除された人間も、単に別のユーザー名で登録し直して前と同じ行動を取ることで回避できるからである。スラーはこれを「有毒性脱抑制」と呼んでいる[1]。
1970年代の市民ラジオでも同様の不適切な行動が見られた。
市民ラジオで聴けることといえば、退屈なこと(トラック運転手がスピード違反取り締まりについてお互いに警告)か陳腐なこと(女子生徒が宿題についてのメモを交換)が大半であるが、ときには――非合法に――最悪なことにアメリカの無意識の最深部にパイプラインを打ち込んでいる。限りなく見境のない人種差別の音や、聞く限りレイプに等しいマスターベーションの妄想が耳に飛び込んでくる。ゴヤの絵のタイトル「理性の眠りは怪物を生む」にならっていえば、市民ラジオの匿名性は怪物を出現させるのだ。[2]
スラーは、通常の対面の状況とネット上で根本的に異なった行動をとることがある背景として、6つの基本要因を挙げている。
あなたは私を知らない
「解離匿名」と関連する。
「あなたは私を知らない」という考えは、単純に匿名性から生まれる。人が匿名にとどまるとき、守られたように思ってしまう。それがインターネットの枠組みに入ると、ネットユーザーは、素性を示す要素が何もない状態、あるいはユーザー名以外に特徴を区別するものがない状態で行動することになる。このような保護状態は、他人を困らせるかもしれないことを行ってもかまわない、という気にさせてしまうという解放感を与えることもあるが、その一方で、非社交的な行動や有害な行動へのはけ口ともなりうる。
あなたは私に会えない
「不可視性」と関連する。
インターネットでユーザーは保護される。インターネットで他者と相互作用するときに受け取る情報は、ユーザー名もしくは偽名のみであり、その名前もキーボードの向こうにいる実在の人間と結びついているか結びついていないかわからない、ということがよくある。このため、自分自身の本当の姿をゆがめて見せかけることができる。たとえば、オンラインでは男性も女性になることができるし、逆もまた然りである。さらに、インターネットの不可視性によって、標準的な社会的キューを読み取ることができない。表情、声の調子、目線などの小さな変化はすべて、通常の対面のやりとりでは特別な意味を持っている。
この不可視性の側面は匿名性とも重複する。この二つは似た特質を持っているからである。しかし、自分のアイデンティティーが知られており、匿名性が取り除かれた場合でも、実際に相手に会うことができないことで抑制は緩められてしまう。インターネットでは通常、物理的に見られることがない(ウェブカメラを通じてでない限り)。そのため、表情や声の調子は劇的に失われ、ときには皆無となる。
ではまた今度
「非同期性」と関連する。
インターネットの非同期性も、抑制に対して影響を与えることがある。インターネット掲示板上では、会話がリアルタイムでは行なわれない。回答が数分以内に投稿されることもあるかもしれないが、誰かが答えてくれるまで数か月あるいはそれ以上かかるかもしれない。そのため、一方的に「意見を投げつけ」ておいて逃げることも簡単である。非常に個人的な感情的非難や煽動的なコメントを一つだけ残し、それから二度とログインしないだけで逃げることもできてしまう。聴衆も同じくらい見えないのであるが、それでもこのような方法で感情を「声に出す」ことによって、感情浄化が達成されることになる。
しかしながら、インターネットの非同期性の効能として、言うことをじっくり吟味して、慎重に言葉を選ぶことも可能になる。そのため、直接に対面してのやりとりが難しい人であっても、掲示板、あるいはIRCやインスタントメッセージなどのテキストチャットシステムのメッセージに対しては、雄弁かつ礼儀正しく振る舞えることもある。
それはすべて私の頭の中にある
「唯我独尊的な取り込み」と関連する。
対面時の視覚的なキューがないため、インターネットの対話において「人」に対して性格や特徴を割り当てようとする心性が生まれる。他の人のメッセージを読むことで、意識の中に、その人についての姿や声などのイメージが生まれ、こういったイメージがその人のアイデンティティーとして精神の中に植え付けられる。意識はあるユーザーに対して、自分自身の欲望や必要や希望に従って特徴を当てはめる――しかし、その特徴は現実の人物は有していないものかもしれない。
さらに、意識の中で妄想が展開されることにもなりうる。ユーザーは感情、記憶、イメージの精巧なシステムを構築できるからである。ユーザーと、対話している相手が役割を演じるとき、ユーザーの意識の中にしか存在しない相手の「リアリティ」はさらに強化されていく。
ただのゲームでしかない
「脱抑制的な想像力」と関連する。
「唯我独尊的な取り込み」と想像力が結びつくとき、現実逃避感が生まれる。それは、結果について心配する必要もなく、特別な必要性を扱うために実際の世間への意識を捨て去るものである。スラーによれば[1]、エミリー・フィンチ弁護士(サイバースペースにおけるアイデンティティ窃盗を研究している刑事事件専門弁護士)と話した際、フィンチは「サイバースペースを、日常の会話の清浄なルールが当てはまらない一種のゲームと見る人たちがいるかもしれない」と述べた。これによって、 ユーザーは、オフラインのリアリティからオンラインのペルソナを脱抑制することができる。つまり、ログオンとログオフを切り替えるだけで、そのペルソナを身につけることもできれば脱ぎ捨てることもできるのである。
我々は平等である
「権威の最小化」と関連する。
オンラインでは、自分のステータスは他の人に知られていないことがしばしばである。このため、上下関係が失われ、他者とのやりとりが変化する。あるユーザーに会えないなら、他の人はそのユーザーが勤務中の警察官なのか、国家の元首なのか、あるいはコンピューター上の住民としてぶらぶらしている「ふつう」の人であるのか、知るすべはない。現実世界でのステータスがインターネットでのステータスに与える影響は小さい上、正確な対応もしていない。その代わりに、コミュニケーション能力、考えの品質、忍耐力、技術力などがサイバースペースにおける自分のステータスを決めることになる[1]。
さらに、権威者の前では話すことをためらいがちである。報復や不賛成されるおそれのために、公言したいという思いは弱められる。しかし、インターネットでは、現実生活では存在しているかもしれない権威が、まったく存在しないこともある。そのため、現実社会では上下関係になりうる関係であっても、対等の関係に変わってしまう――そして、上司よりも対等の相手に話す方が話しやすいものである。
今後の可能性
多分、オンライン脱抑制効果の結果として最も深刻なのは、近年のサイバーいじめの多発である。ウェブサイト「overcomebullying.org」(いじめ克服.org)では、「電子メール、チャット、テキストメッセージ、携帯電話などの現代的通信が広まり、ウェブサイト、ブログ、FacebookやMySpaceのようなソーシャルネットワークサイトを使ってオンラインで簡単に何百万人に届くようなメッセージを公開できるようになるとともに、いじめの到達範囲と社会的影響力は幾何級数的に増大した」と述べている。続けて「おそらく、インターネットそのものがこの無関心を招く結果をもたらしている。いじめを行なう者は、その行動の犠牲者も見なくて済むし、いじめの責任を取る必要もない」としているが、これは「あなたは私を知らない」と「あなたは私に会えない」概念とも合っている[3]。
同様に、オンラインの脱抑制効果は、ブログやYouTubeなどのコメント欄での「炎上」状態の原因となりうる。「ウェブ上の匿名コメントをやめよ」ブログなどでは、匿名性によってインターネットユーザーが「誇張、徹底的なウソ、暴力のおそれ、露骨な人種差別で満たされた」コメントをするようになっており、「こういった読者コメントの大多数は完全な匿名で投稿されている……」と主張している。そのため、「この匿名性のせいで、我々の社会がともに有しているきずなを引き裂くようなコメントや主張にも寛大であったり、それどころか促すような環境がはぐくまれてしまっている」という[4]。
オンラインのユーザー名や匿名によって生み出される見えない煙幕さえなければ、平均的なインターネットユーザーはそんなコメントや振る舞いをしないだろう、というのが一般的な感覚であろう[4]。ノーマン・H・ホーランド(Norman H. Holland)によれば、オンラインでコミュニケーションをとるとき「人は退化する」という。理由はいろいろあるが、特に、他のユーザーとの物理的な距離とボディーランゲージや肉体的反応を受け取れないがゆえに、直接のフィードバックができないことが大きい[5]。
オンライン脱抑制効果は、雇用保証ならびに将来の雇用機会に対して潜在的に悪影響を与える可能性がある。16歳のキンバリー・スワンはFacebookページ上で自分の仕事について否定的なコメントを述べたためにクビになった[6]。別の悪名高い事例ではヘザー・アームストロングという女性がネット上で同僚を「からかった」ために解雇された[7]。
総じて、これらは社会的制約の鎖から解かれたと思い込んでしまったネットユーザーの末路ということになる。「オンライン脱抑制の6つの原因」の著者は「対面の交流と比べて、オンラインでは普段よりも自由に望むがままに行動したり発言したりしていいように感じてしまい、その結果、なしたり言ったりすべきではないことをやってしまうのである」と述べている[7]。
出典
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 Suler, John(2004). “The Online Disinhibition Effect”. CyberPsychology & Behavior 7 (3): 321–326.
- ↑ Tynan, Kenneth(1978年2月20日). “Fifteen Years of the Salto Mortale”. The New Yorker 2011-03-16閲覧。
- ↑ Overcomebullying.org, http://www.overcomebullying.org/cyber-bullying.html
- ↑ 4.0 4.1 Stop Anonymous Online Comments, http://www.stopanonymouscomments.com/p/about-this-site.html
- ↑ Norman H. Holland, The Internet Regression, http://www-usr.rider.edu/~suler/psycyber/holland.html
- ↑ Facebook remark teenager is fired, BBC News, http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/england/essex/7914415.stm
- ↑ 7.0 7.1 Six Causes of Online Disinhibition, PSYBLOG, http://www.spring.org.uk/2010/08/six-causes-of-online-disinhibition.php