恵方巻

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恵方巻/恵方巻き(えほうまき)は、「節分の日にその年の恵方の方向を向き、無言でまるかぶりして一気に食べる太巻き寿司」のこと、あるいはその風習を指す。もともとは「節分の巻き寿司」「幸運巻き寿司」であったが、セブンイレブンが名付けた「恵方巻」という名称が普及しており、「丸かぶり寿司」などとも呼ばれる。

なお、最新のコンビニ8社における恵方巻状況の定点観測は下記を参照のこと。

概要

恵方巻きは「切らずに、一気に、黙って、恵方を向いて食べる」のがルールであり、少々滑稽な雰囲気を醸し出すのが大阪発祥らしさを示している。なお、一気に食べるというのは、かぶりついたら最後までくわえたまま食べきるということである。途中でペースダウンしてもよいが、口から外してはならない。そして、その間はものを言ってはならない。当初は早食いも行なわれていたが、あまり本気でやると喉につまるので無理はしなくてよい。なお、「笑いながら」と付け加える作法情報がネットで散見されるが、それは何か別の風習と混同した誤った情報である。

なお、この「巻きずし」(関西式)は本来、すし飯に高野豆腐、厚焼玉子、カンピョウ、シイタケ、三つ葉などを巻き込んだ海苔巻きのことを指す(関東でいう太巻き寿司にあたる)。ただし、近年はスーパーやコンビニの展開の中で異なるタイプの巻きずしや、そもそも寿司でさえないロールケーキなどを関連商品として販売する例も増えている。

現存する最古の確実な資料としては、昭和七年の宣伝チラシの存在が確認されている。昭和五十二年ごろにすし業界・海苔業界・厚焼業界が宣伝を仕掛けて、大阪を中心とした関西圏で定着していった。これが平成に入る前後から西日本へと広まり、1990年代後半以降はコンビニ業界などの主導する広告活動によって全国へと伝わった。2000年代以降は新しい習慣として全国的に定着しつつある。

定着・伝播には業界の宣伝が大きく関わっている点で、バレンタインデーのチョコレートと同様のフォークロリズムであるとして批判的に見られることも少なくない。一方、「家族そろって夕食時に食す」風習であることが高く評価される面もある。

恵方巻の由来諸説

スーパーやコンビニなどのチラシ等で由来の古そうなことを書いていたとしても、それが正しいわけではなく、根拠のない伝統偽装が行なわれている可能性が非常に高い。大阪の業者の中には、マスメディアの取材を受ける際に必ず根拠なく「以前からの古い風習」と答えていたという証言もある。

戦国時代説

「戦国時代の武将(豊臣政権三中老の一人・堀尾吉晴とも)が、節分の日に太巻き寿司(あるいはそのようなもの)を丸かぶりして出陣したところ、戦に勝ったため、以後瑞祥としたことに端を発する」という説。ただし、巻き寿司という調理法は安永五年(1776年)『新撰献立部類集』が初出とされており、それ以前の戦国時代から江戸時代前半に由来することは100%ありえない。

江戸時代初期説

「船場の色街で女性が階段の中段に立って、丸かじりして願い事をしたらかなったという故事にちなむ」という説(スーパーU社ちらし)。この記載は井原西鶴あるいは近松門左衛門の作品中に出てくるともいわれる。

「西鶴か近松の作品」に書かれているという情報に従えば、江戸時代初期ということになる。ただし、そのような作品の存在は確認できないうえ、西鶴の没年は1693年、近松門左衛門の没年は1725年で、巻きずし初出の1776年より半世紀から一世紀も前ということとなる。したがって、西鶴・近松説を採用することはできない。

江戸時代中期説

「節分のころは新しい香の物が漬かる時期で、江戸時代中期、香の物入りの巻き寿司を切らずに丸のまま恵方を向いて食べ、縁起をかついだ。これが、やがて節分に恵方を向いて、巻きずしを丸かぶりすると、その年の福がさずかるという招福の習わしになった」という説(スーパーD社ちらし)。ただし、これは下記にあるとおり、「大正時代初め」説の年代を古く操作したものと考えられ、少なくとも時期については採用できない。

幕末から明治時代初頭説

「幕末から明治時代初頭に、大阪・船場で商売繁盛、無病息災、家庭円満を願ったのが始まりで、一説には若い女性の好きな人と一緒になりたいという願望から広く普及した」(鮓組合ちらし)。

毎日新聞2004年1月26日朝刊「巻きずしの「丸かぶり」ガブリ、もぐもぐ…「幸せ来~い」」記事では以下のとおり。

巻きずしに欠かせない、のりの流通業者らで作る「海苔(のり)で健康推進委員会」(東京)によると、この風習は元々、関西地方にあった。「江戸末期から明治の初めごろにかけて、大阪の船場で、旧暦の大みそかに当たる節分に、前年の災いを払う厄落としの一種として行われていた」と同委員会事務局の新留美紀さん(35)は説明する。
一般に広まったのは30年近く前、大阪ののり問屋の組合が販売促進イベントを行ったのがきっかけだ。関東でも15年ほど前から、同委員会などがキャンペーンを展開、ようやくここ4、5年で「節分に巻きずし」が知られるようになった。

読売新聞2005年1月27日朝刊「[彩事記]恵方巻 福への願い託す」記事では以下のとおり。

恵方巻の起源は諸説ある。ノリの消費拡大のため恵方巻のイベントを毎年開く「大阪海苔(のり)昭和会」(大阪市)によれば、江戸末期から明治にかけて船場の商家で盛んになったらしい。巻きずしを使うのは「福を巻き込む」「鬼の金棒がわりに食べて鬼退治」などが考えられ、切らずに丸かぶりするのは「縁を切らない」ためとも。節分に家族で恵方を向き、無言で願い事を念じながら丸かぶりするのが正しいそうだ。

これらの説は海苔業界などの説明でも繰り返されているため、記事などでもよく引用されているが、この時期に実際に節分に巻きずしが食べられていたという記録は今のところ見つかっておらず、何ら根拠がないため、採用することはできない(下記の大正時代説の時代を古く操作したものと考えられる)。

花街での遊び起源説

「船場の旦那衆が節分の日に、遊女に巻きずしを丸かぶりさせて、お大尽遊びをしていたことに端を発する」という説。これは時代不明で何とも評価しがたい。

ネタ起源説

恵方巻きっていうのは元々江戸から明治時代の島原遊郭(京都)での遊びが発祥なんだよね。節分の日の「豆まき(豆遊び)⇄寿司丸かぶり」ていうのは相互口淫の事で「陰核を巻き陰茎をくわえる男女の睦み姿鬼の如し」て赤丸稲荷の古文書に書いてる。これ知ってる人少ないかも。

2010年2月3日14:23, @heimin(平民新聞(平民金子)

って、さっきハッピーターン食べながら考えた嘘なんですけども。デマが広がりますように…

2010年2月3日14:30, @heimin(平民新聞(平民金子)

大正時代説

「節分に巻き寿司を食べる風習はすでに大正初めにみられたようである。それは主に花街で、ちょうど新香の漬けかかる時期なので、お新香を巻いた海苔巻きを丸のまま恵方を向いて食べたといい、一般の町家ではみられない風習であった。……昭和四十年前後までは、こうした花街での風習が一部の寿司屋などで太巻き寿司の形となって採用されたようである」(日本醫事新報No.3962(2000年4月1日)天理大教授 飯島吉晴)。

同様の内容として、篠田統『すしの本』では「節分と巻きずし」の項に以下のように記されている。

大阪市立博物館の平山敏二郎館長から「ここへ来る途中、阿倍野橋のすし屋の表に本日巻きずし有りという広告を見たが、何のことかしら」という質問あり。美登利鮓の久保登一氏の返事に、節分に巻きずしを食べる風は大正時代初めにはすでにあった。おもに花街で行われ、ちょうど新こうこうが漬かる時期なので、その香の物を芯に巻いたノリ巻を、切らずに全のまま恵方のほうへ向いて食べる由。

上記飯島教授の説は『すしの本』の記載をそのまま採用したものと思われる。ただし、これも確実な記録として残っているわけではない。また、美登利鮓の主張であるから「大正時代初め」という年代も伝統偽装の疑いが残る。しかし、逆に言えば美登利鮓も「大正時代初め」よりさかのぼらせることはできなかったわけで、それより古いという起源説はすべて否定してよさそうである。また、この説の時代を操作したものが「江戸時代中期」説ならびに「幕末から明治時代初頭」説と考えられ、これら二説を否定する根拠ともなる。

ただし、上記で船場の色街や遊女の説が見られることを考え合わせると、大正(の初めではないとしても大正年間)から昭和初年ごろにかけて、船場の色街(島之内)で遊女のあいだで流行った験担ぎの風習を、船場の旦那衆が面白がって取り入れた、という可能性は考えられなくもない、と思われる。

恵方巻の歴史年表

戦前の大阪

  • 昭和七年(1932年)、大阪鮓商組合後援会が発行したチラシが現存。現存する最古の確実な資料。

巻寿司と福の神
節分の日に丸かぶり

この流行は古くから花柳界に、持て囃されてゐました。
それが最近一般的に宣伝して年越には必ず豆を年齢の数だけ喰べるやうに巻寿司が喰べられてゐます。
これは節分の日に限るものでその年の恵方を向いて無言で一本の巻寿司を丸かぶりすれば其年は幸運に恵まれると云ふ事であります。
宣伝せずとも誰云ふともなしに流行って来た事を考へると矢張り一概に迷信とも軽々しく看過すべきではない。(中略)
一家揃って御試食を願ひ本年の幸運をとり逃さぬやうお勧め申します。

  • 昭和十五年(1940年)2月、大阪鮓商組合後援会が発行した「幸運巻寿司」宣伝ビラが現存。

幸運巻寿司
節分の日に丸かぶり

巳の日に巳寿司と云ふてお寿司を喰べるやうに毎年節分の日にその年の恵方に向かって巻寿司の丸かぶりすると大変幸運に恵まれるといふ習しが昔から行事の一つとなっていて年々盛になってゐます。
お得意様にも一家揃ふて御試食願ひ本年の幸運をとり逃さぬやうお勧め申上げます
昭和十五年 節 分 二月四日
   恵方西(申酉の間)
幸運巻寿司 一本 金二十銭
     大阪市東区上本町一丁目
     美 登 利
     電話一五六七
御得意様

戦後・大阪圏での宣伝と普及

昭和三十年に大阪のすし業界が宣伝を開始しているが、本格的な宣伝攻勢は昭和五十二年(1977年)からで、このときは海苔業界と厚焼業界が中心となっていた。

  • 昭和二十四年(1949年)、大阪鮓商協同組合が「土曜丑の日のウナギのかば焼」に対抗する販促手段として恵方巻の風習を復活させることを理事会決定。
    • 朝日新聞1990年1月29日夕刊「節分の食風習(お台所メモ)」では、「関西では恵方に向かって家族一同が無言でのり巻きを1本丸かぶりすると厄よけ、健康と運に恵まれるとか。昔の風習をすし商が昭和24年に復活させて節分行事に。」と記載されている。
  • 昭和三十年(1955年)12月、大阪海苔問屋協同組合設立(※1951年とする文献もある)。設立後しばらくして巻寿司の宣伝を開始。
    • 毎日新聞2004年1月26日朝刊「巻きずしの「丸かぶり」ガブリ、もぐもぐ…「幸せ来~い」」記事には、
      「大阪ずしの老舗「吉野寿司(すし)」(大阪市中央区)の大山雄市さん(68)は「兵庫県のすし屋に入った1955(昭和30)年頃の節分の夜。出前先で、仕事にあぶれた芸者衆が巻きずしを丸かぶりしていた。行儀悪いのに女の人がなぜこんなことを、と思ったが『いいだんなに巡り合えますように』という願掛けの意味があると教わった」と話す。
      「当時はごく一部の風習だと思っていた。後にこんなに盛り上がるとは」と驚く大山さんは「おせち料理のゴボウのように、長いもの、丸いものは縁起物の一つ。縁起物を食べて願いをかなえたい、何かにすがりたい、という思いは今の人も同じでしょうね」」
      との記載がある。
  • 昭和三十四年(1959年)、大阪府鮓商環境衛生同業組合(すしの業界団体)設立。
  • 昭和四十年代前半(1960年代後半)、大阪海苔問屋協同組合と大阪府鮓商環境衛生同業組合が協力してセスナ機からビラを撒くが一回限り。
  • 昭和五十一年(1976年)6月、関西厚焼工業組合(厚焼玉子の業界団体)設立。
  • 昭和五十二年(1977年)、大阪海苔問屋協同組合が近畿地方で新聞の折り込み広告「幸運巻ずし」を発行開始。昭和四十八年ごろから生産が増した国内産海苔の販売促進のため。これをもって本格的な「節分の巻ずし」宣伝攻勢の開始とみなせる。
    • 同年正月最後の日曜日、大阪昭和会(海苔問屋の若手経営者たち)が道頓堀でイベント開催(前年ごろから毎年同時期に開催)。海苔のチャリティーバザーや「巻きずしのまるかぶり早食い競争」でローカルメディアの注目を集めた。このときに取材で「ずっと昔からやっていた」と答え続けたために、由来が古いものとして認知される。このイベントならびに報道が大阪での風習定着において極めて大きな意味を持っていた。
    • 同年節分、関西厚焼工業組合が近畿を中心にビラを配布。
  • 昭和五十八年(1983年)、ファミリーマートが大阪府と兵庫県で販売を開始(コンビニでの節分巻きずしの最初)。
  • 昭和六十年(1985年)ごろに大阪で急激な流行となり、周辺都市部もその影響を受け始める。
  • 昭和六十一年(1986年)、小林信彦『唐獅子源氏物語』に「節分の夜に、家族そろって、巻き寿司を、一本ずつ、無言で食べると、その年は無病息災で過せるという言い伝えに、私たちは従っている」との記載があり、大阪ではすでに当たり前の風習として認知されていたことがわかる。
  • 昭和六十二年(1987年)、海苔業者が節分を「のり巻きの日」と定める。
    • 同年ごろから、関西厚焼工業組合が近畿圏のみならず岐阜・浜松・金沢・新潟・九州にもビラを送付。

平成・全国への普及

  • 平成元年(1989年)、セブン-イレブンの広島県内の店舗個人オーナー(大阪出身)が「大阪ではこんなものを食べる」と提案して商品化した。「縁起のいい風習」として紹介し、商品名を「恵方巻」とする。恵方巻という名称はここに始まる。
    • 同年2月3日放送「ミュージックステーション」に出演した南野陽子が節分に太巻きを食べる風習について知っている旨の発言をしたという。
    • 1986年1月~1990年6月に放送されていたラジオ番組「南野陽子 ナンノこれしきっ!」で南野陽子が節分の太巻きについて言及していたというブログ記事がある[1]
    • 南野陽子は他の番組でも節分の太巻きに言及していたという情報がある。
  • 平成二年(1990年)からセブン-イレブンでの販売エリアが次第に拡大。
  • 1995年、セブン-イレブンの関西以西の地区で恵方巻を販売。
  • 1996年以来、節分の日に札幌市中央区の北海道神宮境内で巻きずしが振る舞われるイベントを毎年開催。「海苔で健康推進委員会」北海道ブロックが海苔の消費拡大を狙って開始した。
  • 1998年、全国のセブン-イレブンで恵方巻きを販売。
  • 1999年、ローソンが全国で発売開始(前年までは近畿以西のみ)。
  • 2003年、ファミリーマートが全国販売開始(前年までは関西地区限定)。
  • 2004年、am/pmが全国販売開始。
  • 2005年、サークルKサンクスが全国発売開始。

コンビニ・スーパーでのバリエーション拡大

  • 2003年、ローソンが3本入りを東北限定で販売したところ好評だったため、翌年から3本入りを全国展開。
  • 2005年、セブン-イレブンがハーフサイズ販売開始。サークルKサンクスが全国販売開始、七福神にちなんで具材を7種類にした「丸かぶり恵方寿司」「ハーフサイズ」「丸かぶり寿司しあわせ4本セット」「節分そば」を販売。
  • 2006年、セブン-イレブンが3本セットと「節分そば」を販売開始。サークルKサンクスは4本セットに代わって「海鮮恵方寿司」登場。
  • 2007年、セブン-イレブンが太巻きの具を6種類から8種類に増やした「丸かぶり寿司(上恵方巻)」と「丸かぶりロールケーキ」(具はイチゴ・バナナ・キウイ)を販売開始。
  • 2008年、セブン-イレブンが「節分手巻き寿司」「節分二八なまそば」を販売。ローソンは「丸かぶり寿司」「海鮮丸かぶり寿司(ハーフ)」「ふっくら煮穴子の上海鮮丸かぶり寿司(ハーフ)」「節分冷やしそば御膳」「そば御膳」、バナナとイチゴ入りの「節分ロール」。サークルKサンクスは「丸かぶり恵方寿司」「丸かぶり寿司(ハーフサイズ)」「海鮮恵方寿司」「極の恵方寿司」「節分ざるそば」「節分とろろそば」7種のフルーツを巻き込んだロールケーキを販売。ミニストップは「幸福恵方巻」「海鮮恵方巻」「節分ざるそば」「フルーツロール」。
  • 2011年、セブン-イレブンは「丸かぶり寿司(恵方巻)」レギュラーサイズ・ミニサイズ、「丸かぶり寿司(恵方巻)3本パック」、「よくばりサラダ恵方巻」、「よくばりサラダ恵方巻き3本パック」、「節分二八なま蕎麦」、「節分蕎麦」、「節分カップかき揚げ蕎麦」、「極上丸かぶりロール」を展開。

定着度の統計

  • 1980年、堺女子短期大学細川喜重による同短大学生への調査では、296名中168名が節分に巻きずしを食べていた。
  • 2005年、アサヒビールお客様生活文化研究所の調査では、34.9%が「今年の方向を向いて太巻きを丸かぶりする」と回答(近畿地方では72.7%が食べると回答)。37.1%が「食べたことはないが太巻きを食べる習慣があることは知っている」と回答。
  • ミツカングループの恵方巻に関するウェブアンケート調査。
    • 2004年 認知率77.0%
    • 2005年 認知率88.5%
    • 2006年 認知率92.5%。食べた人、食べたことのある人の合計が54.9%(近畿地方では75.9%)。
  • 2005年2月15日毎日新聞朝刊全国版アンケート調査「日本のスイッチ」では、恵方巻き人気について61%が「(業者側の)作為を感じる」と回答した。
  • 2006年、青山学院女子短期大学松本美鈴による関東の大学に通う女子大生への調査で、節分を行なうと答えた328名中、巻きずしを食べると回答したのは42.4%。
  • 2007年、マイボイスコムのネット調査で「今年の節分にすること」は1位豆まき(49.1%)2位恵方巻きを食べる(38.6%)。差は10.5%だが、2005年は22.3%、2006年は14.5%。
  • 2008年、北海道文教大学の荒井三津子・清水千晶による調査で、同大学学生の認知度は79.5%、札幌市内の料理学校に通う女性では90%。
  • 2011年1月31日読売新聞大阪朝刊「[今月のノート]豆まきと恵方巻き」記事によれば、博報堂生活総合研究所が3大都市圏で節分行事を調べたところ、「恵方巻きを食べた」(48%)が「豆まきをした」(44%)を上回った。発祥の地、阪神圏では「恵方巻き」が7割にも達した。

参考文献・注

以下、実際に確認し、参考にした資料。

  • 岩崎竹彦「節分の巻ずし」(相模民俗学会『民俗』第137・138号)1990年12月
  • 岩﨑竹彦「幸運巻ずしについて―都市の一現象―」(原泰根編『民俗のこころを探る』初芝文庫)1994年12月
  • 天理大教授・飯島吉晴「質疑応答 節分と巻き寿司」(日本医事新報社『日本醫事新報』No.3962)2000年4月1日
  • 篠田統『すしの本』岩波現代文庫 2002年11月
  • 岩﨑竹彦「フォークロリズムからみた節分の巻ずし」(日本民俗学会『日本民俗学』236 特集〈フォークロリズム〉)2003年11月
  • 飯倉義之「恵方を向いてまるかぶれ――二〇〇五年・関東地方の「節分の巻寿司行事」広告資料――」(都市民俗学研究会『都市民俗研究』第11号)
  • 長沢利明「節分の恵方巻・丸かぶり寿司」(西郊民俗談話会『西郊民俗』第202号)2008年3月
  • 荒井三津子・清水千晶「食卓の縁起に関する研究I ―恵方巻の受容とその背景―」(北海道文教大学『研究紀要』第32号)2008年3月
  • 沓沢博行「現代人における年中行事と見出される意味―恵方巻を事例として―」(比較民俗研究会『比較民俗研究』23)2009年3月