天海(年表)

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このページは天海の事跡についての年表である。出典は『大僧正天海』、一部松永が表記を改めたところがある。

歴代年号干支西暦年齢事跡事跡異齢          
       
後柏原永正6己巳1509 ○9月18日慈眼大師城州あるいは江州に生まれる。足利11代将軍義澄男、母は奥州会津高田城主三浦盛高女也(福山藩三浦小五郎書上) 1          
 永正7庚午1510 ○天海生、母は宇都宮正綱女熊野御堂、古河公方足利高基男也、幼字亀王丸(宇都宮弥三郎系譜、華頂要略、日光門跡代々年譜) 21         
 永正8辛未1511 ○寛永20年10月天海僧正寂、年133、すなわち本年生誕也(王代一覧、寛明事跡録)△8月源義澄近江岳山に薨ず。321        
 永正9壬申1512 ○御諱亀王丸東叡山開山贈慈眼大師実者義澄御子永正9年正月誕生(足利代々系譜) 4321       
 永正10癸酉1513  △11月将軍義尹、名を義植と改める。5432       
 永正11甲戌1514   6543       
 永正12乙亥1515   7654       
 永正13丙子1516  △北条長氏、三浦義意を滅ぼす。8765       
 永正14丁丑1517  △12月8日葦名修理大夫盛高卒(葦名譜、塔寺長帳、新会津風土記)9876       
 永正15戊寅1518 ○元和元年、天海年積もりて106歳(本朝続々史記)
○慶長5年83歳(開運記)
 ともに本年の生誕也
△大内義興国に就き京師衰える
△三浦道寸亡び上杉氏衰える
109871      
 永正16己卯1519  △8月北条早雲韮山城に卒す1110982      
 永正17庚辰1520 ○寛永20年10月2日寂、124歳(門跡伝)すなわち本年の生誕也△京師また乱れる121110931     
 大永元辛巳1521  △2月7日葦名出羽判官盛滋卒す。弟盛舜嗣ぐ(譜、長帳、新風土記)
△3月23日後柏原天皇即位の礼を挙げる
1312111042     
 大永2壬午1522  △葦名盛舜長子盛氏を生む(譜)1413121153     
 大永3癸未1523   1514131264     
 大永4甲申1524  △北条氏綱江戸城を略す
△7月法然上人御忌を始修す。
1615141375     
 大永5乙酉1525   1716151486     
後奈良大永6丙戌1526  △4月7日後柏原天皇崩、29日後奈良天皇践祚
△8月葦名盛高・盛安、伊佐須美大明神砂山祭の神輿を献ず(新風土記)
1817161597     
 大永7丁亥1527   19181716108     
 享禄元戊子1528  △8月20日改元
△大内義興卒す
20191817119     
 享禄2己丑1529   212019181210     
 享禄3庚寅1530 ○10月7日古河高基室天海を生んで後逝く(宇都宮系図) 2221201913111    
 享禄4辛卯1531  △7月古河公方政氏卒
△畠山高国敗死す。
2322212014122    
 天文元壬辰1532  △7月29日改元
△六角定頼、日蓮宗徒と山科本願寺を焼討す。
2423222115133    
 天文2癸巳1533  △細川晴元、一向宗徒と戦う。2524232216144    
 天文3甲午1534   2625242317155    
 天文4乙未1535  △浅草寺火く
△山徒、法華宗号を禁ず
△大内義隆、本願寺光教即位の資を献ず
△10月足利高基卒す
2726252418166    
 天文5丙申15361○正月1日大師陸奥国大沼郡高田駅に生まれる、幼字兵太郎、舟木景光の男也、母は葦名氏△豊臣秀吉生まれる
△大内義隆、太宰少弐となる
△山徒、蓮徒を懲す
2827262519177    
 天文6丁酉15372 △北条氏綱、川越城を抜く。仙波無量寿寺火く2928272620188    
 天文7戊戌15383○端座泊然として逝く実に春秋一百六(日光山列祖伝)すなわち本年の生誕也△足利義明、鴻の台に敗死す30292827211991   
 天文8己亥15394  313029282220102   
 天文9庚子15405 △覚鑁に大師号を賜う。山徒これを阻む。323130292321113   
 天文10辛丑15416 △武田晴信、父信虎を逐う
△北条氏康卒。
333231302422124   
 天文11壬寅15427○天海は古河高基の四男天文11年壬寅生る(三河松平系譜)△12月徳川家康生る3433323125231351  
 天文12癸卯15438 △葡萄牙始めて鉄砲を伝える3534333226241462  
 天文13甲辰15449 △正月、観智国師生る
△耶蘇教徒、薩摩に来る
3635343327251573  
 天文14乙巳154510  3736353428261684  
 天文15丙丑154611○大師、道樹山龍興寺に入り、弁誉舜幸を拝して薙染し、随風と号す△足利義晴、右大臣となり、義藤将軍となる3837363529271795  
 天文16丁未154712 △家康、尾張に幽せらる
△長尾景虎、越後を一統す
39383736302818106  
 天文17戊申154813○天海は邑人舟木道光が子天文17年正月朔誕生(新風土記) 403938373129191171 
 天文18己酉154914○大師初めて遊学の途に上り、下野国宇都宮粉河寺に投じ、僧正皇舜に師事す△徳川家康、駿河に質たり
△感誉存貞川越に蓮声寺を創む
△織田信秀卒
414039383230201282 
 天文19庚戌155015 △右大臣源義晴、近江穴太に薨ず424140393331211393 
 天文20辛亥155116 △陶晴賢、大内義隆を弑す。明の交通絶え、耶蘇教進入す
△武田晴信、入道して信玄と号す
4342414034322214104 
 天文21壬子155217 △北条氏康、上杉憲政朝定を亡ぼす4443424135332315115 
 天文22癸丑155318○大師初めて比叡山に登り、神蔵寺実全に学ぶ△8月21日、葦名遠江守盛舜卒す
△武田信玄、村上義清を逐う
4544434236342416126 
 天文23甲寅155419○大師7歳にして舜幸法印に随い出家す。この時永禄3年庚申(浮身観音縁記)すなわち本年の誕生に当たる△将軍義藤、名を義輝と改む
△徳川家康、初めて鎧を著す
△北条氏康、古河城を陥る
46454443373525171371
 弘治元乙卯155520○大師、三井寺に遊び、倶舎・性相を勧学院権僧正尊実に聴く△10月23日改元
△甲越の兵、川中島に戦う
△毛利元就、陶全羌を亡ぼす
47464544383626181482
 弘治2丙辰155621○大師、南都に遊び、日本書紀を成重に問う△正月、家康、駿河に加冠し、次郎三郎元信と称す48474645393727191593
正親町弘治3丁巳155722○大師、興福寺に寓し、法相三論を僧都空実に問う△9月、後奈良天皇崩ず
△10月、正親町天皇践祚
△家康、今川義元の女を娶り蔵人元康と改む
494847464038282016104
 永禄元戊午155823○大師、家母の嬰疾を聞き、遠く省覲す。幾もなく家母逝く。よって喪に服す△2月28日改元
△家康、三河に還り、初めて出征す
504948474139292117115
 永禄2己未155924○大師、丁喪△本願寺光佐、即位の資を献ず
△3月徳川信康生まれる
515049484240302218126
 永禄3庚申156025○大師喪終わりて下野国足利学校に遊び、九華に就いて孔孟を学ぶ△正月、天皇位に即く。毛利元就、大饗の資を献じ、大膳大夫となる
△4月、織田信長、今川義元を桶狭間に亡ぼす
525150494341312319137
 永禄4辛酉156126○大師、足利在学△3月、上杉謙信、近衛前嗣を奉じて北条を討つ。克たず
△10月、信玄・謙信、川中島に戦う
△織田信長、徳川家康と会盟す
△葦名盛氏、老し入道して止々斎と称す。
535251504442322420148
 永禄5壬戌156227○大師、足利在学△上杉景虎、名を輝虎と改む545352514543332521159
 永禄6癸亥156328○大師、足利在学△徳川元康、名を家康と改める
△細川晴元、氏綱、尼子勝久等卒す
△北条氏康、里見義弘を鴻の台に破る
△毛利元就、十州を略す
△10月、三河一向一揆起こる
5554535246443426221610
 永禄7甲子156429○大師、亮諶と共に上野国新川善昌寺に遊び、禅客道器に首楞厳・易経を聴く△三好長慶卒す
△信長、美濃を略し、岐阜城に徒り、家康、三河の東西を定む
5655545347453527231711
 永禄8乙丑156530○大師、善昌遊学△5月、三好義継・松永久秀、将軍義輝を弑す。一乗院覚慶、近江に奔る5756555448463628241812
 永禄9丙寅156631○大師、初めて善昌の一院に住す△一乗院覚慶、還俗して義昭と称す
△武田信玄、天台に帰し、毘沙門堂を創め、自ら法性院大僧正と号す
△12月、家康、従五位下三河守となる
5857565549473729251913
 永禄10丁卯156732○大師、善昌住院△10月、松永久秀、東大寺を焼き、大仏炎上す
△足利義昭、越前に入る
5958575650483830262014
 永禄11戊辰156833○大師、善昌住院△正月、家康、左京大夫と改む。三遠2国を定め、浜松城に居る
△2月、足利義栄将軍に拝す
△7月、信長、義昭を奉じて京師に入る
△10月、将軍義栄卒す
△この月、義昭、将軍に拝す
6059585751493931272115
 永禄12己巳156934○大師、善昌を謙退して四方に遊学し、源誉存応と川越蓮声寺に論議す(三縁山志)△信長、幕府を二条に起こし、義昭を奉ず
△信長、伊勢を討つ
6160595852504032282216
 元亀元庚午157035○大師、再び登岳を企つ。山門、重囲に陥るをもって果たさず。△4月23日改元
△6月、信長・家康、浅井・朝倉と大に姉川に戦う
△7月、三好党兵を摂津に出し、信長と戦う
△9月、朝倉・浅井、近江を侵す。信長、反戦して比叡山に囲む
△10月、一向宗徒、乱を長島に作し、織田信興を殺す
6261605953514133292317
 元亀2辛未157136○大師、また登岳を企つ。山門炎上するをもって果たさず
○冬、甲府に天台論議を開く。大師、鬮に講師に当たる。智弁縦横、大に信玄の帰敬を受ける。
○正覚院僧都豪盛に慧心流の印信を受ける
△5月、信長、長島を討つ。克たず
△信長、禁裏を造営す
△9月、信長、叡山を焼毀す
6362616054524234302418
 元亀3壬申157237○大師、甲府淹留△12月、信玄・家康、三方ヶ原に戦う6463626155534335312519
 天正元癸酉157338○大師、葦名盛氏の請に応じ、会津に帰錫し、黒川稲荷堂を別当す△4月、武田信玄卒す
△7月、信長、義昭を若江城に幽す。足利将軍滅ぶ
△7月28日改元
△8月、信長、朝倉義景・浅井長政を亡ぼす
△9月、信長、長島を討つ
△12月、沢庵宗彭生まれる
6564636256544436322620
 天正2甲戌157439○大師、稲荷堂在住△徳川家康、従五位上に陞る
△2月、家康二子秀康生まれる
△6月、武田勝頼、高天神を攻める
△7月、信長、長島を亡ぼす
△加賀門徒、越前を侵し、国を奪う
6665646357554537332721
 天正3乙亥157540○大師、稲荷堂在住△5月、勝頼・家康、長篠に戦う
△6月5日、葦名盛興卒す。二階堂盛隆を養うて家を嗣がしむ
△8月、信長、越前を討ち、一向宗徒を滅す
6766656458564638342822
 天正4丙子157641○大師、大寧禅師に参して葉上流の禅を問う△5月、信長、本願寺を討つ。克たず
△7月、毛利輝元、海路大坂に糧を納る
△11月、信長、北畠具教父子を殺す。国司家滅す
6867666559574739352923
 天正5丁丑157742○大師、錫を上野国世良田長楽寺に挂け、宣海春豪を拝して、葉上流灌頂大阿闍梨位を遂ぐ△2月、信長、紀州雑賀を征す
△11月、信忠、松永久秀を亡ぼす
△12月、家康、従四位下右近衛権少将に任ず
6968676660584840363024
 天正6戊寅157843○大師、稲荷堂在住△3月、上杉謙信卒す
△8月10日、足利学校九華卒す
△12月、信長、荒木村重を討つ。
7069686761594941373125
 天正7己卯157944○大師、稲荷堂在住△3月、長尾景勝越後を定む
△4月7日、家康三子秀忠生まれる
△5月、浄土僧安貞・日蓮僧日珖、安土城に宗論す
7170696862605042383226
 天正8庚辰158045○大師、稲荷堂在住△6月、葦名盛氏入道止々斎卒す
△8月、信長、本願寺と和す
△秀吉、播磨を定む
△9月、家康の四子忠直生まれる
△家康、従四位上に陞る
7271706963615143393327
 天正9辛巳158146○大師、稲荷堂在住△2月、天主教徒、信長に教徒に謁す
△5月、葦名盛隆、款を信長に通ず。盛隆、三浦介となる
△8月、信長、高野聖1200人を戮す
7372717064625244403428
 天正10壬午158247○大師、天寧寺の善恕仁庵に参し、碧巌録の提唱を聴く△3月、信長、勝頼を討つ。武田氏亡ぶ
△4月、信長、甲斐慧林寺を火く。快川等150僧これに殉ず
△6月、明智光秀、信長・信忠を弑す
△神戸信孝・羽柴秀吉、織田信澄・明智光秀を誅す
7473727165635345413529
 天正11癸未158348○大師、稲荷堂在住△4月、秀吉、柴田勝家を亡ぼす
△5月、秀吉、神戸信孝を亡ぼす
△9月、家康第六子信吉生まれる
7574737266645446423630
 天正12甲申158449○大師、稲荷堂在住△2月、家康、従三位参議に任ず
△4月、秀吉・家康と長湫に戦う
△10月、葦名盛隆弑せられる
△この年、秀吉、豪盛全宗に延暦寺再建を命ず
△存応、増上寺に住す
7675747367655547433731
 天正13乙酉158550○大師、稲荷堂在住△2月、尊朝法親王、天台座主に補す
△3月、秀吉、根来寺を焼く
△5月、関柴備中叛き、伊達政宗を会津に誘う。葦名氏討って平らぐ
△7月、秀吉、関白となる
7776757468665648443832
後陽成天正14丙戌158651○大師、稲荷堂在住△5月、秀吉・家康成を行なう
△10月、家康、正三位権中納言に任ず
△11月、正親町天皇譲位
△同月、後陽成天皇即位
△葦名亀王丸夭す
△11月、秀吉、太政大臣に拝す
△家康、駿府城に徒る
7877767569675749453933
 天正15丁亥158752○大師、稲荷堂在住△3月、佐竹義広を養うて葦名氏の嗣とす
△秀吉、九州を征す
△8月、家康、権大納言に進み、左近衛大将を兼ねる
△この年、耶蘇教を厳禁す
7978777670685850464034
 天正16戊子158853○大師、稲荷堂在住△足利義昭、落飾して道慶と号す
△4月、天皇、聚楽第に幸す
8079787771695951474135
 天正17己丑158954○6月、大師、葦名義広を護りて常陸に落つ
○秋、江戸崎不動院に住す
△3月、秀吉、東山に大仏を創む
△6月、伊達政宗、会津を略す
△9月、尊朝法親王、叡山に法華大会を復興す
8180797872706052484236
 天正18庚寅159055○大師、仙波無量寿寺に遊び、僧正豪海に師事し、名を天海と改む
○10月1日江戸城に登り、初めて家康に謁す
△3月、秀吉、小田原を征す
△7月、小田原落ち、後北条氏亡ぶ
△この月、葦名盛重(義広改名)江戸崎に封ぜられる
△8月、家康、江戸城に徒る
△この月、伊達政宗、会津を収公せらる
△家康、増上寺存誉と師檀の芳契を結ぶ
△この年、多賀谷経重、長沼宗光寺を破却す。僧正亮弁、久下田に移る
8281807973716153494337
 天正19辛卯159156○大師、不動院ならびに北院を薫す
○葦名盛重、熟田20町を不動院に寄せ、大師を請ず
△正月、八州の将士初めて江戸城に拝賀す
△2月、京都七条の地を本願寺に寄す
△12月、秀吉、関白を秀次に譲る。太政大臣故の如し。
8382818074726254504438
 文禄元壬辰159257○大師、不動院・北院を兼帯す△3月、秀吉、明韓を征し、肥前名護屋に陣す
△水谷蟠龍、久下田に新宗光寺を創め、亮弁を請ず
△12月8日改元
△この年、家康第七子忠輝生まれる
8483828175736355514539
 文禄2癸巳159358○夏、常陸の地大旱す。大師、法雩を高田浦九重の淵に修す。膏雨大に来たり、枯稿ことごとく蘇らす△正月、正親町上皇崩ず
△この月、関白秀次、妻妾を拉えて叡山に猟す
△この年、徳川家康、藤原惺窩をして貞観法要を講ぜしむ
△初めて小笠原島を検す
8584838276746456524640
 文禄3甲午159459○大師、北院・不動院を兼帯す△2月、秀吉、花を吉野に賞す
△3月、秀吉、比叡山に詣でる
△家康、第八子松千代生まれる
△初めて千住大橋を架す
8685848377756557534741
 文禄4乙未159560○大師、葦名盛重夫人のために安産を祈る。明王威霊を現じ、夫人すなわち誕ず△7月、秀次、死を高野山に賜う
△家康、聚楽に留めたる聖像および宋版五経註疏を足利学校に還す
△8月、秀次の妻孥妾等を京師に刑す
△家康第九子仙千代生まれる
8786858478766658544842
 慶長元丙申159661○2月10日、北院第26世権僧正豪海寂す。大師、第27世の法統を継ぐ△4月、秀忠一女千姫生まれる
△5月、家康正二位内大臣に拝す
△明使封冊を呈す。秀吉、無礼を怒って使いを逐う
△閏7月、京伏見地大に震う
△11月27日改元
8887868579776759554943
 慶長2丁酉159762○大師、北院・不動院を兼帯す△正月、再び外征の師を起こす
△2月、青蓮院尊朝法親王薨ず
△4月、常胤法親王、天台座主に補す
△8月、足利義昭薨ず
8988878680786860565044
 慶長3戊戌159863○大師、北院・不動院を兼帯す△6月、秀吉、園城寺を再建す
△8月、東山大仏殿を慶す
△この月13日、前関白太政大臣豊臣秀吉薨ず
△江戸貝塚増上寺を芝に移す
△11月、外征の将士還り、家康に伏見に謁す
9089888781796961575145
 慶長4己亥159964○大師、北院・不動院を兼帯す△閏3月、大納言前田利家薨ず
△8月、妙法院に万僧供養を修し、秀吉の冥福を祈る
△9月、増上寺存応、紫衣を聴さる
△この年、秀忠第二女子々生まれる
9190898882807062585246
 慶長5庚子160065○7月、大師、江戸神田薬師堂に法を修し、巻数を家康に献ず
○大師、12月12日明星を観んとして修法す。験あり
△6月、上杉景勝、兵を挙ぐ。家康・秀忠東征して下野に至る
△8月、宇喜多秀家・石田三成、兵を挙げて家康を襲う
△9月、家康西征して美濃関ヶ原に三成等を破る
△10月、三成・行長・安国寺慧慶を誅す
△和蘭諾尼利亞、来たって互市を通ず
9291908983817163595347
 慶長6辛丑160166○大師、北院・不動院を兼帯す△3月、秀忠、従二位権大納言となる
△7月、上杉景勝、家康に謝し、出羽米沢に封ぜられる
△家康、禁裏御料を整理す
△佐渡生野金銀の出鑛多し。よって通貨を整理す
△家康、九郎本尊仏を増上寺に寄す
9392919084827264605448
 慶長7壬寅160267○大師、北院・不動院を兼帯す△正月、家康、従一位に陞る
△2月、家康、鶴ヶ丘八幡宮を造営す
△家康、光寿をして東本願寺を興さしむ
△5月、佐竹義宣の封を収め、出羽秋田に転封す。葦名盛重、同国角館に徒る
△6月、江戸富士見文庫を創む
△10月、家康の母・伝通院逝く。小石川に葬る
△12月、大仏方広寺火く。
9493929185837365615549
 慶長8癸卯160368○大師、11月をもって久下田新宗光寺を管す
○12月、三昧流灌頂大阿闍梨位を継ぐ
△2月、家康、右大臣征夷大将軍に拝す
△7月、秀頼、秀忠の女千姫を納る
△10月、家康、右大臣を辞す
9594939286847466625650
 慶長9甲辰160469○大師、10月を以て長沼宗光寺を復し、久下田を全永寺と改む△正月、足利学校寒松、貞観政要を家康に献ず
△7月、秀忠長子家光生まれる
△この年、東海東山北陸三道に一里塚を築かしむ
9695949387857567635751
 慶長10乙巳160570○大師、長沼宗光寺に住す△4月、家康、将軍を辞し、大御所と称せられる。秀忠、征夷大将軍に拝す
△この月、家康、林信勝を試問し、神龍院梵舜に神道を問う
△禁裏の宮域を広む
△崇伝以心、南禅寺に住す
△朝鮮と和す
9796959488867668645852
 慶長11丙丑160671○大師、長沼宗光寺に住す△3月、秀忠二子忠長生まれる
△江戸城を改築す
△4月、家康上洛
△6月、水谷勝俊卒
△9月、江戸城成る
△三河大樹寺を勅願寺とし、常紫衣を聴す
△11月、家康、江戸に帰る
9897969589877769655953
 慶長12丁未160772○大師、長沼宗光寺に住す△正月、家康、江戸城を秀忠に譲り、駿府城に老す
△7月、家康、駿府城に移る
△10月、秀忠女和子生まれる
△12月、公海生まれる
△駿府城炎上
△承兌西笑寂す
9998979690887870666054
 慶長13戊申160873○大師、台命に応じて叡山に登り、学徒を勧む
○12月、梨本[ウ取]胤法親王に就き、法曼流三部灌頂を受く
○この月、書を梶井宮坊官に送り、極官を請う
△正月、崇伝以心、駿府に召される
△3月、駿府城成る
△8月、家康、存応に浄土の血脈を受く
△11月、増上寺を勅願寺とし、常紫衣を聴す
△12月、永楽銭の通用を禁ず
10099989791897971676155
 慶長14己酉160974○大師、東塔南光坊に住す
○11月、勅に応じて法を宮中に講ず
○12月、大師権僧正に任ぜられ、智楽院の号を賜う
△正月、豊臣秀頼、大仏殿を再建す
△3月、沢庵宗彭、大徳寺に住す
△7月、肥前平戸において和蘭人に互市を許す
△10月、宮嬪公卿を謫す。公海の父花山院忠長、これに座す
△家康、高麗蔵を増上寺に寄す
101100999892908072686256
 慶長15庚戌161075○大師、教に応じて駿府に抵り、初めて論議を開く
○9月、大師、款状を上りて天台法華会広学堅義探題を請う。勅してこれに補す
△正月、家康、駿府に金地院を興し、崇伝を住せしむ
△6月、権僧正豪盛寂す
△7月、天皇、存応に浄土宗戒を受け、普光観智国司の徽号を賜う
1021011009993918173696357
後水尾慶長16辛亥161176○大師、権を転じて正僧正に任ぜられ、毘沙門堂門跡を賜う
○大師、教に応じて駿府に抵る。家康、天台血脈の相承を求む。許さず。まず諸宗の教義を究めしむ
○7月、家康、大師をして仙波無量寿寺に住せしむ
○11月、家康、川越に抵り、大師に寺領を約す
△正月、家康、太政大臣の内旨を拝辞す。詔して新田義重に鎮守府将軍、徳川広忠に大納言を送る
△3月、後陽成天皇譲位
△4月、後水尾天皇即位
△6月、加藤清正卒す
△11月、家康、大光院を金山に興し義重・義貞を、相応寺を岡崎に興し広忠を弔す
10310210110094928274706458
 慶長17壬子161277○4月、大師、山を出でて仙波に到らんとし、駿府を過ぎる。家康、寺領300石を寄せ、喜多院の号を付す
○11月、家康、喜多院に莅み、中院を境外に移す
○この月、後陽成上皇、星野山の勅額を賜う
△正月、家康、宗珊を召して、曹洞の問答を聴く
△5月、元佶三要寂す
△6月、家康、真言の論議を聴く
△8月、金地院崇伝、板倉勝重、寺社のことを管す
△12月、[ウ取]胤法親王、天台座主に補す
10410310210195938375716559
 慶長18癸丑161378○正月、大師、駿城に候す
○2月、駿城に天台論議を開く
○7月、駿城天台論議
○8月、同上
○8月15日、家康、安倍川小路の寓に臨む
○この月、仙波に帰る
○同月28日、秀忠、関東天台法度を喜多院に付す
○10月、江戸に候す。西城論議一句問答この時に始まる
○10月、家康、喜多院に臨み、論議を聴く
○この月、大師、日光山別当に補す
○11月、日光坐禅院に入る
○12月、江戸に候す。家康、喜多院に寺領500石を寄す
△6月、家康、紫衣の制を定む
△10月、家康、竹千代を以て世子となす
△12月、禁裏仙洞造営成る
10510410310296948476726660
 慶長19甲寅161479○正月、大師、江戸西城に候す、論議
○3月、駿城に候す。家康命じて、浅間社の能楽、法相真言の論議に陪せしむ
○この月、大久保忠隣のために陳情書を家康に呈す
○4月上洛、宮中論議
○この月、興聖寺円耳に長楽流の秘奥を授く
○5月、駿城に候す
○家康に天台血脈を相承す
○この月、天台論議
○日光銅山、銀を産するの報を受く
○6月、駿城論議
○7月、血脈相承
○駿城論議
○この月、家康、宋版一切経を喜多院に寄す
○8月、血脈相承
○大仏供養出役の天台僧座配に関し抗議を呈す
○大仏鐘銘の諮問を受く
○10月、仙波に帰る
○11月、上洛、家康のために仙洞の秘籍を拝借す
○大師、機を得て、主上・上皇・女御および家康の諧和に勗む。上皇、意漸く釈く
○12月、院使として家康の陣に向い、恩賜の薫物を付す
○初めて小栗某のために哀を乞う
△4月、家康、重ねて太政大臣の宣を受く。固辞す
△8月、大仏供養を停む
△10月、豊臣秀頼を大坂に討つ
△12月、大坂と和す
10610510410397958577736761
 元和元乙卯161580○正月、大師、院参して、万病円を献ず
○この月、参内、正を賀す
○2月、上皇に天台血脈を相承す、上皇、御衣・燕尾・霊杖を賜う
○上皇、殿舎一宇を大師に賜い、坂本に法勝寺を創めしむ。女御また一殿を寄す
○6月、二条城論議
○閏6月、二条城論議
○この月25日、家康に天台血脈を相承す
○7月、二条城論議
○この月2日、家康に山王一実神道を授く
○大師、氏家行広第四子のために哀を乞う
○8月21、23両日、宮中論議
○この月、駿府を経て仙波に帰る
△5月、大坂再征、豊臣氏亡ぶ
△6月、家康、大蔵一覧を諸山に頒つ
△7月、秀忠、江戸に還る
△この月13日改元
△8月、家康、駿府に還る
10710610510498968678746862
 元和2丙辰161681○2月、大師、駿府に急行して家康の病を看侍す
○3月、藤堂高虎に授戒す
○4月、教を奉じて大般若を浅間神社に転じ、家康の病を祈る
○家康、大師に身後の祭祀を遺言す
○大師、崇伝と葬祭の化犠を論ず
○5月、教を奉じて京師に抵り、神号を奏請す
○7月、大僧正に任ぜられる
○8月、正親町天皇の御忌を修す
○9月、大権現の命を拝し、江戸城に復命す
○10月、日光山に上り、宮社の準縄を施す
△正月、家康、田中城に病む
△2月、准后義演、宮中に家康の病を祈る
△3月、家康、太政大臣に拝す
△4月、太政大臣源家康薨ず。久能山に神葬す
△10月、本田正純、藤堂高虎に日光神廟の造営を命ず
10810710610599978779756963
 元和3丁巳161782○2月、大師の奏請容れられ、家康に東照権現の神号を賜う
○3月、東照大権現に正一位を贈られる
○この月15日、大師、久能山に登り、親しく霊柩を発掘し、奉じて日光山に遷殯す
○4月、霊柩を奥院に歛葬し、神位を正殿に奉安す
○この月、東照権現小祥神忌を修す
○6月、上洛。後陽成上皇の御悩に看侍す
○9月、後陽成天皇初月忌の供養導師を勤仕す
△2月、増上寺安国殿を慶す
△6月、秀忠上洛
△8月、後陽成上皇崩ず
△12月、久能山東照社正遷宮を行なう
109108107106100988880767064
 元和4戊午161883○2月、大師、片山法印與安のために哀を乞う。秀忠、これを赦す
○4月、江戸西城紅葉山東照原廟成る。大師、正遷宮を修す
 110109108107101998981777165
 元和5己未161984○5月、大師上洛
○6月、伏見城に登り、福島正則のために哀を乞う。秀忠、これに聴き、信州川中島に移す
○8月、後陽成天皇大祥忌を修せらる。大師、中日の導師を奉ず。主上、御行道在らせらる
○9月5日、宮中に論議を催す
○この月、尾州東照権現の正遷宮を修す
○10月、日光東照権現の祭祀を修す
○この年、春夢に桓武天皇を感じ、叡山に天皇の廟塔を得たり
△9月、直輔親王得度して知恩院に坐す
△金地院崇伝を僧禄司となす
1111101091081021009082787266
 元和6庚申162085○2月、大師、花山院忠長の男を養うて子となす。久遠寿院公海これなり
○3月、秀忠、日光仙波の寺領の朱印を大師に付す
△6月、秀忠女和子入内す
△9月、竹千代元服、権大納言家光と称す
△11月、観智国師存応寂す
1121111101091031019183797367
 元和7辛酉162186○正月、大師、日光釈迦堂跡に妙道院を創む
○3月、水戸東照権現の正遷宮を修す
○10月上洛、桓武天皇の廟塔を慶賛す
○11月、和歌浦東照権現の正遷宮を修す
 1131121111101041029284807468
 元和8壬戌162287○4月、東照権現七回神忌を日光山に修し、大師、ために十僧を手度す
○5月、家光のために伊丹権六の孤を救護す。智楽院忠運これなり
○11月、秀忠、大師の住院を府内に創んとし、地を上野に相す
△4月、秀忠、急遽日光を発し、路を転じて帰営
△8月、本田正純を謫す
△11月、江戸本城成る
1141131121111051039385817569
 元和9癸亥162388○6月、大師、公海を薙染す
○7月、上洛
○8月中、和門院落飾の戒師を奉ず
○9月、紀州和歌浦東照廟別当天曜寺を慶す
○10月、妙法院堯然法親王を灌頂す
○12月、皇女降誕を奉賀し、[ウ取]胤法親王に書を寄せて、将来、東叡山に皇子奉戴の希望を陳ぶ
○この月、名古屋に疾む。秀忠、官医を派して診療せしむ
△6月、秀忠上洛。将軍を辞す
△7月、家光将軍に拝す
1151141131121061049486827670
 寛永元甲子162489○春、大師、江戸に帰錫す。秀忠、宴を花圃に設けて厚饗す
○秀忠、御殿山の別館ならびに銀5万両を寄せて、上野本坊の資となす
○家光、竊に大師に議りて、本城に東照廟の内宮を創む
△2月晦日、改元
△8月、甲斐忠長に駿遠2州を加封す
△11月、和子中宮に冊立す
1161151141131071059587837771
 寛永2乙丑162590○2月、大師、東叡山の建立を剏む
○7月、家光、日光に賽し、大師、祭会を修す
○11月、上野本坊成る。東叡山円頓院と号す
△8月、増上寺廊山寂す
△11月、中宮皇女降誕
△局阿福、麟祥院を創む
1171161151141081069688847872
 寛永3丙寅162691○夏、大師、藤堂高虎と議り、台命を奉じて、上野に東照権現の祠を営む
○8月上洛、宮中に論議を行なう
○この月、公海を九条家の猶子となし、毘沙門堂門跡を譲る
○9月、観音院忠尊を青蓮院の門室となし、智楽院を嗣がしむ
○11月、穴太流の灌頂を遂げ、東叡山をもって諸密兼学の地となす
△6月、秀忠、8月家光上洛
△9月、車駕二条第に幸し、蹕を駐むる5日
△この月、秀忠、太政大臣、家光、左大臣に拝す
△大相国夫人浅井氏薨ず。増上寺に葬り、崇源院と謚す
△11月、皇子降誕、二品に叙し高仁親王と称す
1181171161151091079789857973
 寛永4丁卯162792○4月、東叡山東照大権現の神祠成る。
○9月、勅会をもって正遷宮を行なう。大師、これが導師たり
○12月、東叡山常行法華二堂成る。大師、これを慶賛す
 1191181171161101089890868074
 寛永5戊辰162893○4月、東照大権現第13回神忌を日光山に執行す。天皇宸筆の御経法華二十八品の和歌を賜う。大師、これを供養す
○同18日、[ウ取]胤法親王、塔中に密灌を修す。霊雨の瑞あり
○同26日、大師、宸筆の御経を供養す。包紙に杜鵑の御製あり。雲間初音を漏らす。家光、深感非常の大赦を行なう
○この月、日光山妙道院を慶す
△6月、皇儲高仁親王薨す
△9月、第二皇子降誕次で薨ず
1201191181171111099991878175
明正寛永6己巳162994○2月、家光、痘を病む。大師、東照廟に祈り、験あり
○3月、秀忠、東叡山に賽し、大師の饗を享く。上野御成ここに始まる
○6月、家光また賽す。大師の坊に臨み、饗を享く
○7月、大徳寺の僧玉室沢庵、妙心寺の単伝東源を竄す。大師、崇伝と争って寛刑を主張し、これを容れらる
△5月、天皇、麻疹を病む。叡慮脱屧に傾く。幕府、これを諌止す
△8月、皇女降誕
△11月、後水尾天皇、位を明正天皇に譲る。中宮を尊んで皇太后宮となし、東福門院と称す
12112011911811211010092888276
 寛永7庚午163095○2月、身延の僧、池上の僧と不受不施を争い、酒井忠世の亭に対論せしむ。大師、これを判して、池上派を謫す
○7月、大師・崇伝交々秀忠を勧めて小姓の盆踊りを観せしむ
△7月、中和門院薨ず
△9月、明正天皇位に即く
△この年、耶蘇教典の船齎を禁ず
12212112011911311110193898377
 寛永8辛未163196○6月、秀忠、病篤し。大師、命に応じて熾盛光の法を修す。成らず
○9月、大師、日光山に病む
○11月、富永重師のために哀を乞う。赦さる
○12月、忠長のために勘気を宥めんことを乞う。許されず
○大師、旨を受けて、秀忠に身後神位を望むや否やを問う
△7月、家光、局春日を近江に遣し、秀忠の病を多賀明神に祈らしむ
△8月、上野仙波浅草に猿楽を法楽し、秀忠の病を祈る
△11月、忠長、浅間神社の山に猿を猟す狂を発して無辜を戮し、謹慎を命ぜらる
12312212112011411210294908478
 寛永9壬申163297○5月、秀忠、死に瀕み紅葉山に賽せんとす。重臣、太だ艱む。大師、対機喩を設けてこれを諌止す
○この月、大師、命を奉じて秀忠を衡岳院と追号す。道春永喜、異を立て、互いに激論す
○4月、東照大権現第17回神忌を修す
○この月、日光山に万部経を修し、秀忠の冥福を祈る
○7月、松平忠利等のために哀を乞い、玉室沢庵単伝東源のために赦を乞う。ともに許さる
○8月、中院通村のために解恕に力む。通村、帰洛を許さる
△正月、太政大臣源秀忠薨ず。増上寺に葬らる
△2月、秀忠に勅して正一位を贈り、台徳院と号す
△9月、忠長を甲府に幽す
△11月、義直、聖堂を上野に興す
△12月、忠長を高崎に徒す
△この年、初めて疥癬行なわる。世に肥前瘡と称す
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 寛永10癸酉163398○正月、大師、大将軍身の神像を造り、喜多院東照廟の神体となす
○3月、家光、東叡山に臨み、帰途、先聖殿に詣で、尚書を聴く。大師、これに陪す
○8月、二の丸東照祠成る。大師、遷宮の事を執る
△正月、本光国師崇伝寂す
△3月、院第三皇子降誕、素鶩宮と称す
△12月、忠長、高崎に自裁す
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 寛永11甲戌163499○6月、上洛。東坂本に東照廟を創む
○閏7月、東坂本東照大権現正遷宮を行なう
○大師、宿積の志を遂げ、延暦寺諸堂の復旧に着手す
○酒井忠世のために救護す
△閏7月、院第四皇子降誕。今宮と称す
△8月、家光、京奈良大坂堺の市民に徳政を布く
△9月、家光、日光に詣ず
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 寛永12乙亥1635100○5月、日光山に登り、東照大権現仮殿遷宮の儀を修す
○6月、紅葉山東照廟祭祀の事を執る
○家光、東照縁起の撰述を大師に属す
○7月、家光、西園の苹果を大師に贈る
△11月、家光、東照縁起に宸翰を賜うべき命を拝し、金品を献じて恩を謝す
△この月、初めて寺社奉行を置く
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 寛永13丙子1636101○4月、日光山東照祠造営新に成る。大師、遷宮を行い、第21回神忌勅会法要を修す。また、宸筆縁起を神前に納め、法華問答を修す
○5月、大師、病む。家光、老臣を使わして看侍せしむ
○6月、病癒え、東叡山に帰錫す。家光、また慰問せしむ
○8月、家光、上野に詣で、大師の坊に臨む
○12月、韓使、日光山に詣ず。大師、これを饗す
△4月、上皇宸翰縁起を家光に賜う
△6月、寛永通宝を布く
12812712612511911710799958983
 寛永14丁丑1637102○3月、大師の請により、大蔵の新刊を東叡山に命ず
○4月、二の丸東照祠の廟基を定む。双鶴瑞を献ず。大師、祭文を作りて頌賀す
○7月、家光の長女に千代姫と命名す
○8月、江戸本城工成る。大師、安鎮の法を修す
○9月、二の丸東照廟正遷宮を行なう
○10月、家光、大師の坊に臨み、風流を観る
△4月、祐天生まれる
△10月、島原天主教徒、乱を作す
129128127126120118108100969084
 寛永15戊寅1638103○正月、仙波喜多院火く
○4月、家光、上野の本坊に臨む。大師、半〓驢庵・今大路道三・柳生三巌のために哀を乞う。許さる
○6月、仙波東照廟の工を刱む。家光、川越の旅館を寄せて、大師の本坊に充つ
○11月、大師、病む。請うて寺務を公海に付属す
○この月、家光、大師の病を問い、山王一実神道の要を聴く
△3月、島原の乱平らぐ
△4月、在府諸侯ことごとく上野東照社に詣ず
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 寛永16己卯1639104○2月、家光、老臣を遣わして大師の病を問う
○3月、家光、本坊に臨み、一実神道を相承す
○4月、延暦寺根本中堂立柱式を行なう
○5月、上野五重塔ならびに薬師堂火く
○9月、大師、真名縁起を再治す
○11月、真名縁起を家光に示す
○閏11月、尊純法親王、和歌縁起成る。家光、親王、大師を請じて茶を饗し、青蓮院に500石を寄す
○この年、後水尾上皇第四皇子今宮を大師の付弟とする勅を拝す
○家光、天台血脈を相承せんと請う。大師、これを許さず
○大師、晃海をして世良田長楽寺に住せしむ
△3月、良恕法親王、天台座主に補す
△8月、江戸本城火く
△9月、金地院を城内より芝の地に移す
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 寛永17庚辰1640105○3月、家光、大師の坊に臨む
○4月、大師、縁起に奥書して家光に捧ぐ。家光、奉持して日光神廟に納む
○この月、東照大権現第25回神忌を修す
○大師、奏請して公海を一身阿闍梨となす
○6月、日光山勅会大祭の終了を祝し、大師に猿楽を観せしむ
○7月、仙波喜多院を慶す
○秋、家光、大師の高寿を憂い、官医4名を常侍せしむ
△4月、江戸本城成る
△7月、堯然法親王、天台座主に補す
△11月、根本中堂を慶す
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 寛永18辛巳1641106○4月、日光山奥の院を石塔に改営す。旧塔を毀つ。夕、大師、夢に家康に謁す
○この月、家光、大師の上野本坊に臨む
○5月、大師、日光山に登る。家光、慰問絶えず
○大師、日光山上に慈慧堂を建て、家光の世子を祷る
○7月、祈願効なくんば再び山菅の橋を渡らずと誓う
○8月、家光の世子誕る。大師、竹千代と命名す
○9月、石の宝塔成る。大師、法華問答を修して慶讃す
○10月、日光山大雪大師、家光の社参を止む
○11月、家光、城辺に中邸を営み、大師を請ず
○この月、大師病む。家光、親問薬を薦む
○大師、家光に天台の血脈を相承し、前唐院の法櫃を進む
△正月、江戸大火1331321311301241221121041009488
 寛永19壬午1642107○2月、大師、紅葉山に登りて竹千代初参の儀を執る
○4月、家光、大師を本坊に問い、風流を観る
○この月、大師、日光山陵墓奉幣使を迎う。法会例の如し
○9月、大師、日光山相輪橖の議を立つ。家光、これに応ず
○11月、家光、大師の中邸に臨む
△2月、浅草観音堂火く
△5月、天下飢饉す
△12月、慈胤法親王、天台座主に補す
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後光明寛永20癸未1643108○正月、大師、紅葉山斎会を修す
○この月、前田光高のために東照権現を開眼す
○5月、日光山に登り、相輪橖を慶す
○6月、家光、大師を城中に請じ、相輪橖落成祝賀の能楽を催す
○7月、二の丸新築成る。大師、安鎮の法を修す
○この月28日、大師、病に臥す
○8月、大師、葦名平四郎のために引見を請う。允さる
○9月、家光、大師の病を問うて薬を薦む。紀伊頼宣もまた薬を薦める
○同29日、家光、病床に就いて遺言を問う。曰く、照廟の増益、台門の隆興、弟子親王を諸宗に冠たらしむ、毘沙門堂の再興、遺命の徒を赦す
○10月1日、家光、探幽をして寿像を貌せしむ
○この月、弟子に遺命す
○同2日、唯識論を読み、盥咳更衣午時に至り、端然として化を示す。世寿一百八歳
○同3日、遺書遺宝を家光に献ず
○同4日、家光、四神足を召して営葬の事を議す
○同7日、全身を沐浴して納棺す
○同6日、霊柩東叡山を出づ
○同10日、日光山に入る
○同17日、大黒山に葬る
△正月、竹千代髪置の式を挙ぐ
△9月、局春日卒す
△10月、明正天皇、位を後光明天皇に譲る
△この月、天皇位に即く
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 正保元甲申1644滅後2○5月、家光、法親王下関の間、公海をして日光上野の寺務たらしむ
○10月2日、今宮を親王として幸教と称す
○この日、東叡・日光・星野三山に大師の小祥忌を修す
○同6日、幸教親王、青蓮院に入室、尊敬法親王と号す。干時11
○この月、家光、日光・上野・坂本に大師の影堂を創む
△12月16日改元           
 正保2乙酉16453○3月、家光、論議を聴き、公海に比叡山東照廟神領を寄す
○10月2日、大祥忌を修す。家光、上野影堂に詣で、公海以下に金品を寄す
△11月、東照大権現に勅して宮号を賜う
△12月、沢庵宗彭寂す
           
 正保3丙戌16464             
 正保4丁亥16475○9月、無品尊敬法親王、東叡山に入る
○11月、尊敬法親王登営、家光・家綱と会見す
○この日、大僧正天海に大師号宣下の内旨を伝う。家光、金品を献りて恩を謝す
            
 慶安元戊子16486○3月、入道尊敬親王、二品に叙す
○毘沙門堂門跡、公海大僧正に任ず
○4月11日、故大僧正天海に慈眼大師を勅謚す
○同16日、東照宮第33回神忌恩贈経を供養す
○日光山、法華八講を始修す
○同18日、後水尾上皇、木綿襷の御製を賜う
○この日、天海版大蔵経を家光の覧に供す
○同20日、家光、大黒山慈眼堂に詣ず
△2月15日改元           
 慶安2己丑16497○7月、二品尊敬法親王上洛
○8月、公海等参内、謚号宣下の謝表を上る
○同13日、二品尊敬法親王を一品に除す
○10月2日、大師第七回忌を上野慈眼堂に修す。家光、これに臨む
            
 慶安3庚寅16508             
 慶安4辛卯16519             
 承応元壬辰165210             
 承応2癸巳165311             
 承応3甲午165412○一品尊敬法親王、日光東叡両山に座す            
 明暦元乙未165513○10月、一品尊敬法親王、天台座主に補し、護持僧となる
○11月、一品尊敬法親王、天台座主を辞す
○この月、一品尊敬法親王に輪王寺の号を賜う。親王名を守澄と改む
            
 明暦2丙申165614             
 明暦3丁酉165715             
 万治元戊戌165816             
 万治2己亥165917             
 万治3庚子166018             
霊元寛文元辛丑166119             
 寛文2壬寅166220             
 寛文3癸卯166321             
 寛文4甲辰166422             
 寛文5乙巳166523             
 寛文6丙丑166624             
 寛文7丁未166725             
 寛文8戊申166826             
 寛文9己酉166927             
 寛文10庚戌167028             
 寛文11辛亥167129             
 寛文12壬子167230             
 延宝元癸丑167331             
 延宝2甲寅167432             
 延宝3乙卯167533○10月2日、大師第三十三回忌を修す。明正天皇、法華二十八品の文を題とし御製ならびに和歌の短冊を賜う。爾来、献詠の佳例行なわれ、近く明治年間に及ぶ。