リフレクソロジーの歴史

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この項ではリフレクソロジーの歴史を扱う。

前史

神話的起源伝説

手や足に対する治療術は古代から存在した。そのつながりが明確になっているわけではないが、エジプト第六王朝(紀元前2450年ごろ)のサッカラーの壁画では、二人の座った人が手と足にマッサージを受けているところを描いている。また、紀元前3000年ごろの中国や、古代インド医学でも同様に手や足への治療が存在したようだ。インカ文明には手や足に加療する方法があり、それがアメリカ合衆国の領土にいたアメリカ先住民に伝わった可能性もある。しかし、これらはすべてどのような理論であったかは明らかではなく、手や足に施術をするということのみが共通しているだけであり、現代リフレクソロジーと直接のつながりをもつわけではない。

一部、中国式リフレクソロジーの宣伝において、古代中国にリフレクソロジーの起源があるとされることがあるが、これらはいずれも根拠のない説である。以下は某サロンの解説として書かれていた記述である。

中国古代の有名な医学書「黄帝内経」の中の「素女編」という部分に、「観趾法(かんしほう)」という記述があったと言われています。この観趾法というのは、足のツボに刺激を与え、その刺激に体が反応する原理を利用して治療効果を得ようとする方法だったようです。
漢の時代になり華陀(かだ)という聖医が「観趾法」をわかりやすくまとめた「華陀秘笈」(かだひきゅう)という本を著わしました。この本が唐の時代に日本に伝わってきて、今日の鍼灸術「足心道」になっています。「指圧」も、この「観趾法」から発展したものです。

これらの記述は誤りで、「黄帝内経」の中の「素女編」という編はなく、似た名称の素女経は房中術について説かれたものである。また、「華陀秘笈」という書籍が存在したという証拠は何もない。「足心道」は後述するとおり、このような怪しげな起源ではなく、昭和初年に創案されたものであって鍼灸術ではない。

ゾーンセラピー前史

16世紀、ヨーロッパのいくつかの国でゾーンセラピーが実践された。これについて書かれた最初のものは1582年に出版されたアダムス医師(Dr. Adamus)とアタティス医師(Dr. A'tatis)の本である。また、ライプツィヒのボール医師(Dr. Ball)も同じテーマについて書いた。

1771年、ドイツの生理学者ヨーハン・アウグスト・ウンザー(Johann August Unzer)は、身体の運動反応に関して「反射」という言葉を初めて使った。

1830年、指圧療法士テレンス・ベネット医師(Dr. Terrace Bennet)が神経血管の保持点を発見した。主に頭部のポイントを発見したが、そのポイントが特定の臓器などへの血流の流れに影響するようだと推論した。

1833年、イギリスの生理学者マーシャル・ホール(Marshall Hall)は、延髄と脊髄の反射機能についての研究において「反射反応」という用語を使い、無意識の反射と意志的な動きの違いを実証した。

1834年、スウェーデンの医師ペール・ヘンリック・リング(Pehr Henrik Ling)は、特定の器官から生じる痛みは皮膚の特定の部位に反映されるが、これらの器官への直接的な関係はない、と記した。イギリスの神経科医ヘンリー・ヘッド卿(Sir Henry Head)などの研究者がこの考え方に従った。ヒード卿が発見した施術ゾーンは「ヘッドゾーン(Heads zones)」として知られる。このころ、治療麻酔が生まれた。

1870年、ロシア脳研究所創設者であるイワン・パブロフ(Ivan Pavlov)とウラジミール・ベクテフ(Vladimir Bektev)などのロシアの心理学者がゾーンセラピーを研究し始めた。

1890年、ヘンリー・ヘッド卿は皮膚の敏感なエリアが神経を通して病んだ器官と接続しているという発見について発表した。「膀胱は足裏を刺激することによって活性化する」と書いている。

1900年、ドイツのアルフォンス・コルネリウス医師(Dr. Alfons Cornelius)は、反射マッサージで自分の健康を改善した。

リフレクソロジー史

近代リフレクソロジーの起源としてのゾーン理論

20世紀に入り、アメリカのウィリアム・H・フィッツジェラルド(William Henry Hope Fitzgerald)医師は、ゾーン無痛法(zone analgesia)・ゾーンセラピー(zone therapy)という同様の概念を提示した。

フィッツジェラルド医師のゾーンセラピーは、特定の場所への圧力刺激によって、体全体の痛みを和らげる方法であり、ゾーン無痛療法(Zone Analgesia)とも呼ばれる。フィッツジェラルドは体を10の縦のゾーンに分けた。左右それぞれに5つのゾーンがあり、そのゾーンは頭から指先・足指まで、前から後ろまで広がる。人間の肉体のすべての部位がこれら10のゾーンの一つにあらわれ、それぞれのゾーンは手や足に反射作用エリア(反射区)を持つことになる。フィッツジェラルド医師は、体のある部位に圧力を加えることによって、対応する部分の感覚を麻痺させたり、あるいは痛みを和らげることができるということを示した。

フィッツジェラルド医師のゾーン無痛療法に関する論文を出版するよう促したのは、同僚のエドウィン・バウアーズ(Edwin Bowers)医師である。1917年、フィッツジェラルド医師とバウアーズ医師は、ゾーンセラピーの解説書『家庭での痛み緩和(Relieving Pain at Home)』を共著として出版した。

フィッツジェラルド医師は、ボストン市病院とコネティカットの聖フランシス病院で耳鼻咽喉科医だった。この施術はゾーン無痛療法と名づけられ、傷の場所に対応するゾーンなどに圧力を加えた。痛みを軽減したり無痛という結果を生み出すために、舌、口蓋、咽頭壁の後ろの圧点も使った。フィッツジェラルド医師は、身体の縦割りのゾーンを描いた最初のチャートを作った人物でもある。

フィッツジェラルド医師は非常に面白い事実を見付けた。それは、ゾーンに対して圧力をかけると、痛みを和らげるだけではなく、多くの場合において根本的な原因をも和らげるということである。同じ結果は、ゾーン理論を受け継いだ現在のリフレクソロジーでももたらされる。

シェルビー・ライリー医学博士(Dr. Shelby Riley)はフィッツジェラルド医師とともに働き、ゾーン理論をさらに展開した。ライリー医師は手と足に縦割りのゾーンだけでなく水平に横切るゾーンも加えた。

リフレクソロジーの誕生

1930年代、ライリー医師の同僚であった理学療法士ユーニス・イングハム(Eunice D. Ingham)が治療方法を調査して独自の反射区理論を展開した。

イングハムは数百の患者で検証した結果、足の圧点は対応する全身の器官の鏡像として位置するという驚異的な発見を行なった。イングハムはその発見を1938年刊行の『足が語れる物語(Stories the Feet Can Tell)』と『足が語った物語(Stories the Feet Have Told)』で発表し、それがリフレクソロジーの基礎となった。この著書はヨーロッパ各国で翻訳され、リフレクソロジーが広まるもととなった。

イングハムのリフレクソロジーについての著書はゾーンセラピーであると述べる者もいるが、それは不正確な記述で、圧力無痛法としてのこの二つの療法には違いがある。大きな違いとしては、リフレクソロジーは圧点と体の苦痛エリアとの間に正確な相互関係を定義しているということが挙げられる。さらに、イングハムは足と手を12ずつの圧力ゾーンに分けたが、フィッツジェラルドのゾーンセラピーでは、全身をカバーする10の縦の区分に分けている。

1950年代後半、イングハムの甥であるドワイト・バイヤーズ(Dwight Byers)がイングハムのワークショップを助けるようになった。1961年、バイヤーズとその妹で正看護師のユーセビア・メッセンジャー(Eusebia Messenger)がイングハムに合流し、フルタイムでワークショップにて教えることとなった。

1968年、バイヤーズとメッセンジャーは全国リフレクソロジー研究所(National Institute of Reflexology)を設立した。1970年代半ばにはユーセビア・メッセンジャーは引退し、ドワイト・バイヤーズは組織を国際リフレクソロジー研究所(International Institute of Reflexology)と改めて、リフレクソロジー理論と技術をさらに洗練させていった。

ユーニス・イングハムは1974年に85歳で亡くなった。イングハムの功績としては、

  1. 足の上野反射区がすべての臓器・腺や身体の部分の鏡像であるという発見。解剖学的モデルによる反射区マップ。
  2. フィッツジェラルド医師による持続的な圧迫の効果よりも、交互の刺激の方が身体への刺激効果があることの発見。
  3. リフレクソロジーを自然療法士・足病医・整骨療法家・マッサージセラピスト・理学療法士と同様、一般の非医療コミュニティの一つとした。

などが挙げられる。現在の世界各地のリフレクソロジーは、実質的にイングハムに起源を持つといえる。

ドワイト・バイヤーズとその妻ナンシー(Nancy)は、国際リフレクソロジー協会を通してユーニス・イングハムの考えを系統化し、整理統合していった。ドワイトは『元祖イングハム式フット・リフレクソロジーによるよりよい健康(Better Health with Foot Reflexology The Original Ingham Method)』を1983年に発行し、2001年には改訂版を出している。

リフレクソロジーの発展

英国のドリーン・ベイリー(Doreen Bayly)はアメリカに渡り、ユーニス・イングハムからリフレクソロジーを教わった。そして、1966年に英国にリフレクソロジーを伝えたのである。その著書『今日のリフレクソロジー(Reflexology Today)』は1978年に出版された。ベイリーは1960年代初期からリフレクソロジー訓練コースを開いていたが、1978年、イギリス初のスクールであるベイリー・リフレクソロジースクール(The Bayly School of Reflexology)を開設している。

ドイツのハンネ・マルカート(Hanne Marquardt)もユーニス・イングハムに直接教えを受けた人物であるが、マルカート方式という新しい方法を展開した。これは、人体を「頭・頸部」「胸部・上腹部」「腹部・骨盤部」の三つに分け、足の反射ゾーンもそれに対応させて探し当てることができるようにしたものである。1975年、マルカートの最初の著書『Reflexzonenarbeit am Fuß』が出版された。これは英訳『Reflex Zone Therapy of the Feet』、日本語訳『足の反射療法』(医道の日本社)など世界的にリフレクソロジーのバイブルとなっている。

台湾式リフレクソロジーの誕生

スイス人の看護師ヘディ・マザフレ(Hedi Masafret)も、イングハムからリフレクソロジーを教わった一人である。マザフレは『Gesund in die Zukunft』(リヒテンシュタイン公国ファドゥーツのTrema Publishing)を1975年に出版している(英語版タイトル「Good Health for the Future」)。(※マザフレが中国での布教中に中国観趾法/足心道を学んで帰国後にこの本を執筆したというのは嘘であり、東洋式リフレクソロジーを中国起源にしようとする誤った情報である。マザフレはイングハムの教え子であり、その内容も西洋式にほかならない)

このマザフレの著書を読んで独自の方法を生み出したのが、同じくスイス人のジョセフ・オイグスター神父(Fr. Josef Eugster、台湾名:呉若石)であった。オイグスター神父は台湾に渡ってキリスト教の布教活動を行っていたが、膝のリウマチが悪化した。そこでスイス人の友人から上記マザフレのリフレクソロジー本を渡されたのが1978年であった。この本を読んで足裏を刺激したところ、リウマチが克服されたことから、この健康法を広めることとした。

1980年5月、オイグスター神父は休暇としてスイスに帰国し、このときマザフレのリフレクソロジースクールに行って教わった。そして持ち帰ったマザフレの著書を翻訳出版させたのが李百齢翻訳による中国語版『病理按摩法』である。1982年には「若石服務処」を設立、台湾式リフレクソロジー(若石健康法)が成立した。

この影響を受けて生まれたのが、官有謀の「足心道」(後に「官足法」に改名)である。官有謀は「東洋医学の原理にもとづいた中国足心道の秘術」と主張していたが、実際にはイングハムのリフレクソロジーの流れで生まれたものであり、その反射区対応も反射区の番号を含めてほぼ同様のものとなっている。官有謀は当初「中国足心道」を称していたが、日本独自の「足心道」との兼ね合いから、現在は「官足法」と改称している。

日本での流れ

日本では昭和初期、これらのリフレクソロジーとは別に「足心道」が作られた。足心道は柴田和通が東洋医学の「十四経絡」を踏まえて、足に現れた変化によって身体の異常をチェックする「観趾法」、足をもみほぐす「操法」を創設した。1948年(昭和23年)に、柴田観趾法・柴田操法・柴田家庭健康術を総称して「足心道」と命名している。これは西洋のリフレクソロジーとは直接の関係を持たない独自の理論・技術である。

一方で若石健康法(台湾式リフレクソロジー)も日本に展開していった。

日本で西洋式のリフレクソロジーが広まったのは、1990年代である。元JALキャビンアテンダントの藤田桂子が創設した日本リフレクソロジー協会(RAJA)による「英国式リフレクソロジー」(現在は「元祖英国式リフレクソロジー」)である。JAL時代にリフレクソロジーやロミロミと出会った藤田は家族の健康のために自らリフレクソロジーを学んだ。

その娘・藤田真規はイギリス、アメリカ、ノルウェーなどでリフレクソロジーを専門的に学び、西洋式のリフレクソロジーの技術を日本風にアレンジした「英国式」を作り上げる。英国式のネーミングは、藤田真規が最初に学んだのがイギリスであったことと、英国式という言葉の好印象を採用したものであり、実質的には日本藤田式ともいうべき技術である。

RAJAは1996年にマキ フジタ ヒーリング・スクールを設立し、翌1997年には直営店としてクイーンズウェイの全国展開を開始する。卒業生の職場を確保したことで生徒も集まり、また折からの癒しブームに乗って一気に知名度を高めた。スクールの卒業生の独自開業も行われ、「英国式リフレクソロジー」サロンが急増する。

一方、RAJA英国式とは違って、英国ルネ・ターナーらの技術をそのまま受け継ぐ「(日本式ではないイギリス方式そのままの)英国式」リフレクソロジーサロンも現われた。そのため、現在RAJAは「元祖英国式リフレクソロジー」と称している。なお、「イタ気持ちイイ!」という表現もRAJAの登録商標である。

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