「閾ペディアことのは」の版間の差分
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− | 「閾ペディアことのは」という名前は、ウェブ上の有名なWeb 2.0的百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」をもじったものである。ウィキペディアは、ソフトウェアとしてのウィキと、百科事典を意味する英語「encyclopedia」から合成されたものである。encyclopediaは古代ギリシア語"ἐγκύκλια παιδεία"(enkyklia paideia/エンキュクリア・パイデイア)「一般教育」に由来する。パイデイアのみであれば、「人の真実の姿、正真正銘の人間性を培うために人を教育する過程」すなわち「教養」を意味する言葉となる。しかし、現在「○○ペディア」は「○○百科事典」と同義のものとして使われている。 | + | 「閾ペディアことのは」という名前は、ウェブ上の有名なWeb 2.0的百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」をもじったものである。ウィキペディアは、ソフトウェアとしてのウィキと、百科事典を意味する英語「encyclopedia」から合成されたものである。encyclopediaは古代ギリシア語"{{polytonic|"ἐγκύκλια παιδεία"}}"(enkyklia paideia/エンキュクリア・パイデイア)「一般教育」に由来する。パイデイアのみであれば、「人の真実の姿、正真正銘の人間性を培うために人を教育する過程」すなわち「教養」を意味する言葉となる。しかし、現在「○○ペディア」は「○○百科事典」と同義のものとして使われている。 |
ウィキはソフトウェア名であるが、これを伝統的仮名遣いでヰキと書くと、この読みを持つ漢字として「域」または「閾」の2字が存在する。このうち「閾」の字を採用し、「閾ペディア」とした上で、「ことのは」のブランド名をつけたものである。 | ウィキはソフトウェア名であるが、これを伝統的仮名遣いでヰキと書くと、この読みを持つ漢字として「域」または「閾」の2字が存在する。このうち「閾」の字を採用し、「閾ペディア」とした上で、「ことのは」のブランド名をつけたものである。 |
2007年2月3日 (土) 14:04時点における版
閾ペディアことのは (Wiki Pedia Kotonoha) は、インターネット上で作成、公開されている極私的百科事典。ことのは編集室松永英明が管理運営・執筆している。
概要
「閾ペディアことのは」という名前は、ウェブ上の有名なWeb 2.0的百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」をもじったものである。ウィキペディアは、ソフトウェアとしてのウィキと、百科事典を意味する英語「encyclopedia」から合成されたものである。encyclopediaは古代ギリシア語""ἐγκύκλια παιδεία""(enkyklia paideia/エンキュクリア・パイデイア)「一般教育」に由来する。パイデイアのみであれば、「人の真実の姿、正真正銘の人間性を培うために人を教育する過程」すなわち「教養」を意味する言葉となる。しかし、現在「○○ペディア」は「○○百科事典」と同義のものとして使われている。
ウィキはソフトウェア名であるが、これを伝統的仮名遣いでヰキと書くと、この読みを持つ漢字として「域」または「閾」の2字が存在する。このうち「閾」の字を採用し、「閾ペディア」とした上で、「ことのは」のブランド名をつけたものである。
広辞苑によれば、「閾」には二つの意味が記されている。
- 門戸の内外を区切るもの。しきい。
- 〔心〕(threshold) 光や音などの刺激の有無、同種刺激間の差異などが感知できるか否かの境目、またその境目にあたる刺激の強さ(閾値)。
ここでは、自らの心・意識・記憶・知識が顕在化するか否かの境界上にあるものを書き留める場として、「閾」の言葉を採用している。つまり、言語化することによる明確化のプロセスであるといえる。
閾ペディアことのはとウィキペディアの違い
- 松永英明一人によって更新されるため、情報の精度・信憑性は必ずしも保証されず、むしろ「独断と偏見」によるものであることを認識することが読者に求められる。
- 利用者数は、ひとり。
- したがって、Web 2.0ではない。wikiを使っているのは、単にCMSツールとして便利という理由による。
- ウィキペディアをかなり意識はしている。
歴史
発足の経緯
閾ペディアことのはの着想は、絵文録ことのは等の執筆者松永英明が、2007年2月1日に発作的に思いついたとされる。
そして、2007年2月3日(節分)に、勢いのまま、MediaWikiを使用して、極私的百科事典・閾ペディアことのはを立ち上げた。