塔本一馬
塔本一馬(とうもと かずま、1952 - )氏は、日本の音楽製作者。女子十二楽坊のミリオンヒットを生み出した仕掛け人として名を馳せた。
来歴
- 関西大学卒業後、CBS・ソニーに入社。
- 1996年、ポニーキャニオンに移籍。販売促進部長をつとめる。
- 1998年、ワーナーミュージック・ジャパンに移籍。国内宣伝本部長、制作宣伝管理本部長などを歴任。2003年1月に退社。
- 2003年3月18日、プラティア・エンタテインメントを設立、代表取締役社長となる。
- 2003年7月24日、女子十二楽坊を日本デビューさせ、オリコン1位、ダブルミリオンを達成する。
- 2005年9月5日、親会社のプラティアから独立し、ミューチャー・コミュニケーションズを設立。
- 2007年7月19日、ミューチャー・コミュニケーションズ破産。
ソニー時代には、フジテレビ担当として90年代前半のトレンディドラマの主題歌獲りに奔走した、タイアップの陰の立て役者でもある。
かつてはおニャン子クラブにも関わった。ワーナーミュージック・ジャパン時代には、映画『冷静と情熱のあいだ』のサントラであるエンヤのベストアルバム「フォー・ラヴァーズ 「冷静と情熱のあいだ」テーマ曲集」をミリオンヒットさせるなど、辣腕宣伝マンであった。
そして、局の音楽班だけでなく、ドラマ班、報道バラエティ班にまで食い込んだ。この人脈が後に生きることとなる。
女子十二楽坊とプラティア・エンタテインメント
ワーナーミュージック・ジャパンで洋楽部門の責任者を務めていたころ、塔本氏はある日本人音楽関係者を通じて、女子十二楽坊のビデオを見た。「これは絶対に売れる」と確信し、北京の女子十二楽坊の生みの親であるプロデューサーの王暁京氏と連絡を取る。そして日本で売り出す契約を交した。
ところが、ワーナーミュージックのアジア市場を統括する香港ワーナー(華納唱片)からストップがかかった。「ジャパンは日本のアーティストを扱うべきである」というのである。中国のアーティストである女子十二楽坊をワーナーミュージック・ジャパンで売り出すことが問題視された。また、多額の宣伝費をかけて売り出す塔本氏の方針も問題視された。
塔本氏はワーナーミュージック・ジャパンを退社した。
そこで登場するのが、当時音楽部門に進出しようとしていた健康食品系企業のプラティアである。プラティアは塔本氏を社長に迎えて、エンタテインメント事業部を「プラティア・エンタテインメント株式会社」として分離独立させた。これが2003年3月のことである。新会社には塔本氏とともに独立した宣伝畑中心のメンバーが集った。このプラティア・エンタテインメントの運営については、プラティアの意向はさほど強くなく、ほとんど塔本氏の采配に任されていた(したがって、女子十二楽坊の背景にプラティア社の影響を考えるのは誤りである)。
塔本氏は、新しい会社の最初のアーティストとして、一度は破談した女子十二楽坊を売り出そうと考え、王氏と交渉を重ねる。そして、プラティア・エンタテインメントで再度契約することに成功する。
プラティア・エンタテインメントでは、女子十二楽坊の宣伝に当初2億円をつぎ込んだ。宣伝畑出身の塔本氏ならではの広告費のかけかたであったが、まったく新しいレコード会社の最初のアーティストの日本デビューにこれほどの広告費をつぎ込むのは異例なことであった。しかし、これが功を奏することになる。
『日経エンタテインメント!MUSIC DX』2003年12月号増刊「いやし音楽ブームの正体」PART1「女子十二楽坊のミリオンヒットを産んだ3つの戦略」に塔本氏の戦略がまとめられている。
- 塔本は「妙齢の美女集団というふれこみなので、ターゲットは男性」と決めた。テレビは、朝の情報番組(『めざましプラス』『めざましテレビ』『とくダネ!』)を狙い撃ち。ほかには男性が見る『ニュースステーション』『ニュースJAPAN』。深夜スポットはテレビ東京に限定、紙媒体は夕刊紙(夕刊フジなど)に特化した。
女子十二楽坊という「中国」の「黒髪の美女集団」が「古典楽器」で「ジャズ、ポップス、クラシック」を演奏するという新しいブランドに加えて、塔本氏の情報攻勢が見事にヒットする。さらに、CDとDVDの2枚組で2980円という破格の価格設定によって、多くの顧客に届けようとしたのも売り上げに貢献した。
このように多額の広告費を投入する一方で、価格が極めて低く抑えられたため、採算ラインが20万枚という数字となる。そのような状況の中で、女子十二楽坊は2003年7月24日に「女子十二楽坊~Beautiful Energy~」で日本デビューするが、このアルバムは通算200万枚を突破、オリコン1位を獲得し、翌年にはゴールドディスク大賞を受賞することとなる。これは塔本氏も予測しない大成功であり、増産が間に合わないこともあった。
女子十二楽坊のヒットはすさまじく、武道館コンサート(2004年1月2日)のチケットはわずか8分で売り切れ、2004年全国ツアーコンサートもたちまち売り切れてしまう。紅白にも出場した。
なお、北京スターディスク社と塔本氏の間には、女子十二楽坊に関して10枚のアルバムの発売契約が交わされていたが、この契約については公表されていなかった。
展開
好調に見えたかのようなプラティア・エンタテインメントであったが、一方で予想通りにはいかない問題も起こってきていた。
女子十二楽坊のオリジナルセカンドアルバム「輝煌」では、デビューアルバムと同じくCD+DVDの2枚組とし、武道館公演の内容をDVDに収録したが、著作権料がかかりすぎ、16%にも達することとなった。このため、50万枚売っても赤字となる計算であった。しかも、「輝煌」でもデビューアルバムと同じ宣伝費をかけたものの、このセカンドアルバムはそれほど販売数を伸ばすことができなかった。また、全国ツアーコンサートでも、コンサートの内容を高めるために経費を惜しみなく使う一方で、コンサートチケットは安く設定されていたため、コンサート単体では赤字となっていた。
このような厳しい財政状況の中、2004年8月17日には女子十二楽坊の全米デビュー盤「Eastern Energy」が発売されるが、これはPlatia Ent USA Incすなわちプラティア・エンタテインメントのアメリカ会社が制作を手がけたものであった。
女子十二楽坊の売り出しには難しい面もあった。アーティストの所属事務所は北京スターディスクであり、プラティア・エンタテインメントは日本における新譜発売ならびにプロモーション、コンサート運営に至るまで広い範囲で契約していた。国内におけるアーティスト・マネージメント部分もレコード会社が担当するというのはかなり異例であるといえよう。日本のアーティストは、通常は所属事務所がマネージメントを行ない、レコード会社はレコード発売に関する部分だけを担当するのが通例である。
一方で、プラティア・エンタテインメントは日本(および米国)のみが担当であるため、女子十二楽坊の日本・アメリカ以外におけるコンサート活動などについてはまったく関与することができず、非常に複雑な状況に置かれていた。したがって、女子十二楽坊公式ファンクラブも、当初はプラティア・エンタテインメントではなく、北京スターディスクの日本における代理会社となるシンホァー・ミュージックが設立した(まもなく解散、改めてプラティア・エンタテインメントのもとでファンクラブが再結成される)。
この時期、プラティア・エンタテインメントでは他のアーティストも扱うようになる。
- Vo Vo Tau(デビュー)
- Sacra(メジャーデビュー)
- タタ・ヤン(日本デビュー)
- ケイティ・メルア(日本盤)
- 大沢あかね(歌手デビュー)
ミューチャー・コミュニケーションズ
2005年半ばには負債がかさみ、会社自体の存続が危うくなった。このため、他のレコード会社に吸収される案なども出たようだが、最終的には、プラティアがその負債を負担し、塔本氏へ株式が譲渡される形でプラティアから資本独立することとなった。
2005年9月、プラティア・エンタテインメント株式会社から株式会社ミューチャー・コミュニケーションズに社名変更する。この時点でプラティアという資産的バックグラウンドのない、完全独立企業として進むこととなった。本社も、六本木一丁目の泉ガーデンプレイスから麹町に移転する。
ミューチャー時代には、女子十二楽坊については継続して発売し続けるが、その他のアーティストについては変化があった。
- Sacra:FOR SIDE TUNEに移籍。
- Vo Vo Tau:2006年3月、突然の解散。ボーカルのRingのみは契約を継続した。なお、解散後もベスト盤は発売されている。
一方でミューチャーで新しく手がけたアーティストもいる。
- 平絵里香(メジャーデビュー)
- WaX(日本デビュー)
- SeanNorth(デビュー)
海外で人気のあるアーティストの日本への紹介(タタ・ヤン、ケイティ・メルア、WaX)は女子十二楽坊の路線を踏襲したものといえる。一方で、Vo Vo Tau、Sacra、平絵里香などは実力派のインディーズ系アーティストの発掘を意図したものとみることができよう。
しかし、これらの奮闘にもかかわらず、経営は上向きにならなかった。2007年7月19日、東京地方裁判所へ会社破産を申請。同年7月20日 同地裁より破産手続き開始決定を受けた。女子十二楽坊のブームも一巡し、他の所属アーティストのヒット不在等で、2006年12月期の年売上高は約10億円と落ち込み、スタッフの流出や広告宣伝費の過剰投入での資金繰りが悪化し、会社破産の申請となった。もっとも、これは「会社破産」であって、塔本氏個人の破産ではなかったことに注意。
現在、塔本氏は表舞台での活躍を見せてはいないが、女子十二楽坊の生みの親である王暁京氏とならんで、女子十二楽坊の育ての親ともいうべき功績を残した人物であり、今後いっそうの活躍が期待できる。