エスノセントリズム

出典: 閾ペディアことのは

エスノセントリズム(Ethnocentrism、自民族中心主義、自文化中心主義)とは、主に自らの文化の見方から世界を見る傾向である。エスノセントリズムでは、自分自身の人種・民族集団が最も重要であり、その文化の一部またはすべての側面が他のグループの文化よりも優れている、という信念を伴うのが通例である。このイデオロギーを有する人は、他のグループを判断するのに、自らの特有の民族集団・民族文化、特に言語・行動態度・風習・宗教との関係を重視する。これらの民族的な区別や下位分類は、それぞれの民族性に独特の文化的アイデンティティーを定義するのに役立つ。

このことばは、ウィリアム・グラハム・サムナー(William Graham Sumner)の造語である。

目次

発祥

オックスフォード英語辞典(OED)の「ethnocentrism」の項では、「自分の属する人種やエスニック集団を、最も重要性が高いものと見なすこと」と定義づけている(1989、424ページ)。

この語が初めて使われたのは、1900年、W. G. McGeeの著書『アメリカ民族学年表・報告(the Annals and Reports of American Ethnology)』で、エスノセントリズムとは原始文化の特徴であると述べている。McGeeは、自らのヨーロッパ文化がエスノセントリック(自民族中心的)な偏見を持つものと想像することができなかった。

21世紀に使われているような意味でのエスノセントリズムは、1951年に最初に定義された。有名な人類学者E・E・エヴァンスプリチャード(E. E. Evans-Pritchard)は、著書『社会人類学(Social Anthropology)』で、エスノセントリズムを「ある集団が他の集団より優越していると主張したり信じたりすること」と規定し、「人間の文化と社会生活の豊かな多様性を高く評価するのであれば、エスノセントリックな態度は捨てなければならない」と強く主張した(OED 1989、424ページ)。

エスノセントリズムの超克

フランツ・ボアズやブロニスワフ・マリノフスキなどの人類学者は、いかなる人間科学も研究者がエスノセントリズムを越えなければならないと論じた。両者とも、エスノセントリズムを克服するため、民族誌学的フィールドワークを行なうよう人類学者たちに促した。ボアズは文化的相対主義の原則を発展させ、マリノフスキは異なった文化への非エスノセントリズム的な研究を行なうためのガイドとして機能主義理論を展開させた。マリノフスキ著『未開人の性生活』、ルース・ベネディクト著『文化の型』、マーガレット・ミード著『サモアの思春期』(いずれもボアズの生徒)は、反エスノセントリズム人類学の古典的な例である。

用法

政治関係において、学者がナショナリズムを説明するために使うだけでなく、ひどく独善的であったり文化的偏見の強い国家集団・民族集団を批判するのに、活動家や政治家はエスノセントリック(自民族中心的)やエスノセントリズム(自民族中心主義)というレッテルを使ってきた。

ほとんどすべての宗教、人種、国家は、それぞれに独自の価値のある側面を持っていると思っている。

その例は多い。古代ペルシアが自らを世界の中心であると見なし、他の国々は距離が離れるにしたがって野蛮度が高まると考えていた、とトインビーは述べている。

中国という名前自体が漢字の「中」と「国」で構成されており、伝統的な中国の世界地図では中国が中心に描かれている。この考え方をもたらしたのは中国の中華思想だけではなかったことは指摘されねばならない。中国皇帝の高貴さについては、日本、朝鮮、ベトナム、タイなども中国を宇宙の中心とみなして朝貢していた。もっとも、漢民族とその領域を「中国」「中華民族」と規定した歴史は浅く、梁啓超がこの概念を生み出したものである。

英国は世界の本初子午線を自国の中央に位置するグリニッジを通るラインとして定義した。そのため、今日に至るまで経度はグリニッジから東か西へ何度という単位で測られる。こうしてアングロ中心主義の世界観を確立された。

アメリカ先住民の部族名は、「人」の変形を訳したものであることが多い。

日本におけるエスノセントリズム

現代日本における一部の偏狭な民族主義者は、エスノセントリックな傾向を示している。たとえば、日本は絶対に正しく、日本の文化こそが世界で最も優れたものであり、日本の欠点をあげつらうことは反日・自虐であって認められないといった思考である。これは転じて、特に朝鮮・中国などの隣国(いわゆる「反日」的とされる国)に対する諸外国への蔑視(嫌韓流など)をもたらす。これらの傾向は特にネット右翼と呼ばれる者たちに顕著に見られる。雑誌では「SAPIO」「Will」などがエスノセントリズム的傾向の強いものとして挙げられる。また、幸福の科学(幸福実現党)もエスノセントリズム宗教・政党と規定できる。

これらのエスノセントリズムが生まれた歴史的経緯として、GHQによって推進された戦後民主主義への反動が考えられる。

一方で、国や民族といったものに優劣があるという先入観から、裏返しとして「西洋諸国より劣った日本」というイメージを持つ場面も多い。この場合、和辻哲郎の『風土』などにもみられるように、「未開」と「文明」という二分化によって「日本は決して未開ではない」「文明国でありたい」「だが西洋とは違っているから文明じゃないんじゃないか」「いや、西洋の普遍的(と錯覚される)文明国とは違っているが、それは特殊性であって決して劣っているのではない」という思考回路が働くことになる。そのため、「西洋とは違っていて劣っているようにも思われるが、いやこれは独自性なのだ」という感情と「近代化に失敗して反日ばかり叫んでいる中国や朝鮮・韓国よりはずっと優れている」という背反した感情を抱いている。これは複雑な形態ではあるが、国・民族に自尊心を求める心情としてのエスノセントリズムの結果と見ることが可能である。

もちろん、ネット右翼的傾向は日本にだけ見られるものではなく、インターネットでは、「韓国起源説」を主張する韓国人ネットワーカー、「極右翼愛国同盟」などを擁して「小日本」「日本鬼子」といった言葉を用いる中国人ネットワーカーも多い。日本・韓国・中国等の一部のネットワーカーに見られるこれらのエスノセントリズムは、他者を貶めることでしか自らの尊厳を保てないというゆがんだ心理に端を発しており、いずれも病理といえる。

「日本のエスノセントリズムは弱い、他国にはある」と発言した人がいるが、その発言自体が「日本人は優れた国民性をもつ」という意味であり、そのままエスノセントリズムの発露になっていることに気づくべきであろう。また、「日本でもどこでもエスノセントリズムがある」という発言をきいて「いや、中韓の反日行動は」云々あるいは「日本人が馬鹿にしているのは中韓だけだからエスノセントリズムではない(日本が一番とは言っていない)」と発言する例も実際に見られたが、そういうふうに「日本人」「日本」を一生懸命擁護して他者を貶める心情そのものがエスノセントリズムなのである。

心理学におけるエスノセントリズムの土台

エスノセントリズムを抱く心理学的な土台は、エスノセントリックな人によってさまざまな文化の地位や価値を高いとか低いとか割り当てることにあるようである。そのような人は、高い地位や価値のある文化は本質的に他の文化よりよいものであると考える。エスノセントリックな人は、さまざまな文化に地位や価値を割り当てるとき、自動的に自らの文化を最高の地位や価値のあるものとするであろう。エスノセントリズムは、ほとんどの人たちが自分自身に似ていて似たような価値を共有し、似たような振る舞いをする仲間たちを快適だと思い、好むという傾向から導かれる自然な結果である。自分たちの信じているものが何であれ最も適切な信念の体系であるとか、自分たちの振る舞いが最も適切で自然な振る舞いである、と人が考えるのは、異常なことではない。公正にいえば、自分のものが正しいものとして認められないような人のなかの信念体系は、本質的に無定見なものとなる。自らの誤りを認めているからである。

特定の文化に生まれて、その文化の価値観や振る舞いを吸収して育った人は、その文化を正常なものとして表わす思考パターンを発展させる。もしその人が、異なった価値観とそれに対応した振る舞いを有する異文化に出会うなら、その人は自らの思考パターンが自らの生まれた文化に適合したものであることを理解し、その振る舞いに対して自らの生まれ育った文化が与えている意味づけが新しい文化には適切ではないことを理解するだろう。しかし、人は生まれた文化に慣れているため、異なった文化出身の人たちの振る舞いを、自分自身の文化ではなく相手の文化の視点から見ることは難しい。

エスノセントリックな人は、生まれ育った文化以外の文化を、異なっているというだけではなく、ある程度間違ったものであると見ることだろう。エスノセントリックな人は、新しい意味づけや新しい思考パターンを拒絶する。それは生まれ育った文化ほど望ましくないと思えるからである。

エスノセントリックな人はまた、生まれ育った文化を否認して新しい文化を採用し、その採用された文化は生まれ育った文化より何かしら優れているものとみなす場合もある。歴史的に、派閥闘争はかなり同種の民族集団によって構成されていることが多い。民族闘争は今日に至るまで世界の多くの地域でみられる。進化心理学では、遺伝子が似ているためにこれらの集団に属する人たちの間で利害関係がそろうことからこれらの集団化が生じると仮定している。この意味で、ピエール・ファンデンベルク(Pierre van den Berghe)はエスノセントリズムを縁者びいき(ネポティズム、縁故主義)の自然な結果とみなしている(The Ethnic Phenomenon)。進化心理学の見地から見たエスノセントリズムに関する包括的な知見は、レイノルズ他の編集した著書『The Sociobiology of Ethnocentrism: Evolutionary Dimensions of Xenophobia, Discrimination, Racism and Nationalism』を参照のこと。

エスノセントリズムの例

反エスノセントリズム

関連項目

この記事の編集について

この記事はEthnocentrism - Wikipedia 05:01, 21 July 2008版をもとに翻訳した上で、適宜編集を加えたものが初版である。その後、このページは大幅に改訂されている。


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